第十話 龍の姫のたった一つの弱点
「なんだって……?」
通りがかった廊下で、偶然に侍女たちのお喋りを聞いてしまったミュリオはギョッとし、思わず呟いた。
彼は今の今までビアトリクスとの関係を完全に政略的なものだと思い込んでいたのである。しかも、先日の事件のせいで距離はかなり遠のいていた。
なのにそこへ突然ぶっ込まれる情報。唖然となる彼は、気づくと侍女二人の前に姿を見せていた。
「その話は本当なのか」
「にゃっ!」
「殿下……!?」
驚く侍女二人。それに構わず、ミュリオは言葉を続けた。
「申し訳ない。全て聞いていた。ビアトリクス嬢が私を好いているというように聞こえたのだが」
視線を逸らすネーロ、あわあわとするアデリナ。
それだけで充分答えになっていた。
――まさか両想いだったなんて。
ミュリオが彼女のことを好きになったのは、一体いつからだったか。
最初は冷たい美貌に惹かれ、時に残酷ながらも憎めない彼女の性格に惚れて。でもきっとこの想いを伝えればさらに嫌われるだろうと我慢してきたのだ。
しかし、もし侍女らの話が本当なのであれば。
取るべき行動は一つしかないと、そう思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その頃、ビアトリクスは思い悩んでいた。
障害は全て取り去ったし己の感情への整理はついた。だが、行動に移せない。自分より弱いミュリオに想いを告げるのが嫌だったのだ。
龍人族としてのプライドと恋心と、板挟みになった彼女は悶々と日々を過ごしていた。
だがそんな日常は突然に終わりを告げた。
「話をしないか」とミュリオに誘われて開かれた茶会。彼の様子がいつもと違うのはすぐにわかった。
警戒しつつ向かった彼女を待ち受けていたのは、小箱を抱えたミュリオだった。
「……それは何じゃ? 怪しげなものではあるまいな」
「もちろんだとも。中身はこれだ」
そう言ってミュリオが取り出したものは、金色の大座に碧い宝石が嵌め込まれた指輪。
それが彼の髪と瞳の色だと気づいたビアトリクスは、息を呑んだ。
人の国には、想いを告げる時に己の色の装飾品を相手に渡す風習があると聞いたことがある。
この状況はまさしくそれではないか。彼女の心臓の鼓動が跳ね上がった。
一方で草陰に潜んでいた侍女二人から歓声が上がったのだが、彼女はそれどころではなかった。
「そなた、一体どういう」
「ビアトリクス嬢。ネーロ嬢に惑わされた私がこのようなことを口にするのは薄っぺらいと、そう思うかも知れない。それでももし君が私に対してほんの少しの恋情があるならばこれを受け取ってほしい」
何をふざけたことを、と言おうとして、ミュリオの瞳を見て彼が真剣そのものだと理解してしまったビアトリクスは急激に顔を赤らめる。
何と言うべきなのかわからない。彼女は顔を背けつつ、彼が差し出した指輪をひったくった。
「……く、口説くのであればもう少し気の利いた場所と言葉を考えよ、愚物が」
「それは肯定の返事と受け取ってもいいのかな?」
「妾に言わせるでないわっ! 人間風情が自惚れるな!」
そう叫んだ彼女だったが、嬉しくないわけがない。
そしてミュリオに向けられた微笑みの眩さに耐え切れず、彼女はとうとう気を失ってしまったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ビアトリクス・ドラグラニ。
龍の国の姫君であり、そして後に人の国にて最強の王妃として広く知られることになる彼女だが、たった一つの弱点がある。
それは夫であるミュリオ。ビアトリクスは生涯彼にだけはどうしても敵わなかったという。
〜完〜
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