星に誓いを
I swear forever on my love for the star
20世紀初頭英国。のどかな町のそばの丘の上に、その屋敷は建っている。男爵と夫人、後継の長男とその妹ロリータ、十人に満たない使用人が住んでいる。エリカは、ロリータの家庭教師〈ガヴァネス〉であった。エリカは20歳であったが、町のどの男とも結婚したがらず、あきれた父親は屋敷へ彼女を出したのであった。雑用をするつもりで雇われにいった彼女であったが、中流階級(といってもそれほど裕福ではなかったが)の娘であったため家庭教師として雇われることとなった。彼女はそこで天使と出会うことになる。天使に骨抜きにされた彼女の気分は、ガヴァネスではなく侍女のようであった。
「ねぇ、エリカ先生」
「どうしましたか、ロリータ」
ロリータは刺繍の手を止めることなく、エリカに問いかける。
「どうして昼間は星が見えないのかしら」
刺繍をしながら話す内容としては、少し令嬢らしさに欠ける。細く白い手は、止まることなくローズレッドの糸を操る。
「太陽があまりにも眩しいから、ではないでしょうか」
「なるほど。太陽の光があると、星の光はかき消えてしまうというわけね」
ロリータは、少しずつ完成に近づく薔薇の花に、満足げに微笑む。薔薇色のほおが、愛らしく、花開くようだ。
「あなたは、ここに来てからも勉強を続けているみたいね」
「おそれいります」
皮肉なのだろう。エリカが車をいじれることも、ずいぶん羨ましそうにしていた。齢10になっても、幼児のように新しい知識が好きなのだ。
「街の煙はひどかったわね。夜も星が見えない」
「車や機関車、大量生産される衣服の代償です」
「とても大きな代償ね、エリカ。お母様を連れて行かなくて正解だったわ」
彼女は、薔薇を完成させて、その手を止めた。疲れた様子で目頭を押す。ブロンドの髪が、さらりと肩を滑る。
「奥様には刺激の多すぎる環境でしょう。
……お嬢様は星に興味がおありですか?」
「ええ、とても。退屈な算数よりは」
「算数も大切なお勉強ですよ。
でも、そうですね。ロリータが望むなら、今夜星を見にいきましょう」
「行く!」
そのほうが、気晴らしになるだろう。即座に帰ってきた返事が、その証拠。たまにちらつかせる年相応さが、可愛らしい。そのように感じ、エリカは微笑んだ。
「楽しみだわ。お洋服を決めなくちゃ」
「車の煙でひどく汚れますから、そのままでいいんですよ」
「だめよ、おでかけだもの」
彼女はいそいそとクローゼットの中を物色し始めた。喜びのあまり、賛美歌の鼻歌が漏れる。
麗しのお嬢様。その歌声は、エリカにとっては天使の歌声。
エリカのロリータへの思いは、子どもへの愛情の枠をはみ出していた。
「『主我を愛す』ですね」
「そうよ、このまえの礼拝で歌ったの。少し、歌詞が単調すぎると思わない?」
「simpleな方が伝わりやすいこともありますから」
シェイクスピアを好むロリータには、loveをloveと表現するのは心に響かないのだろう。そうエリカは考えた。
ロリータは、クローゼットから服を引っ張りだし、自分の体に当てがい、エリカに見せびらかすようにこちらを向いた。
「あら、あなたの愛はきちんと伝わってきているつもりよ、わたし」
このドレス、いかがかしら?と言わんばかりの笑顔をみせるロリータ。
「……なんのことでしょう」
「嗚呼、麗しの君。あなたの唇は薔薇より赤く、あなたの肌は月より白い……」
「わー!わー!」
エリカは慌ててロリータの口を塞ぐ。
「やめてください、ロリータ!いったいどこで……」
「あなた、自分のベッドの上に日記を置きっぱなしにしていたわよ」
「家庭教師の部屋に入り込むお嬢様がいらっしゃいますもんですか!」
あら、失礼ね、なんていって、ロリータはそっぽを向く。そっぽを向きたいのはどちらだろうか。エリカは拳を握りしめ、わなわなと震えた。
そんなエリカの羞恥と怒りをものとも気にせず、ロリータはそっぽを向いたまま、たっぷり15秒は続いた沈黙を破った。
「……ねえ、先生」
「はい、ロリータ」
エリカは顔を真っ赤にし、震えた声で返事を返す。
「愛ってどんなものかしら」
またはじまった、お嬢様の質問ぜめ。エリカは心の中でそう思った。しかし、エリカはロリータの問いにすぐには答えられなかった。
「人によって異なる形を持つものではないでしょうか」
「そうなのかしら」
ロリータはエリカの方へとつかつかと詰め寄る。エリカは後ろへのけぞり、そのまま椅子へと座り込んでしまった。バランスを取るためにその手すりを掴んでいたエリカの右手の上に、ロリータの左手が重なる。
「こういったものではないのかしら」
ロリータは右手をエリカのほおに添え、あごをくいと上に向けた。
「お戯れはおやめください、お嬢様」
制止の声はかすれてしまっていた。
「お前はわたしを愛しているのでしょう?先生。ならば、教えて。わたしに、愛を」
近づくロリータの人形のように端正な顔から目を離すこともかなわず、エリカは剥製にでもなったかのように固まっていた。二人の唇が重なる。ついばむようにして離された唇に、戸惑いを覚える。どこで、このようなことを覚えたのか、聞きたいが、声がかすれてでない。
「……ロリータ」
「教えて、エリカ先生」
ロリータの目の奥に宿るのは、愛ではない。10の娘が目の奥に秘めるその淀みに、言い知れぬ恐怖を覚えた。
二人の視線の交わりを、ノックが遮った。
「どうぞ」
「失礼します、お嬢様」
扉を開き、深々と頭を下げるメイド。
「旦那様がお帰りになられました」
その言葉を聞いて、ロリータが息を呑む。
「……わかりました。ありがとう」
「失礼します」
丁寧に閉められた扉。
「夕食ね、エリカ。髪を編んでくださる?」
「喜んで」
ロリータが鏡の前に座ったので、エリカはその髪をとかし始めた。
「ごめんなさい、エリカ。星を見にはいけないわ」
「お父様とのお食事の後は、いつもどおり旦那様のお部屋でお話ですか?」
「ええ、ごめんなさい」
ロリータはとても沈んでいる様子だった。かける言葉も見つからず、再び沈黙が流れた。黙々と髪を編んでいると、ロリータがふと、漏らした。
「愛されにいくの」
エリカはそこで初めて悟り、驚く。痛ましさに、背中から彼女を抱きしめた。
「まるで星下逃避行ね」
車に乗り、気持ち良さそうに風を浴びるロリータ。エリカは、丘の上を目指し、車を走らせていた。
「女性のあなたが運転できるなんて、誰も思わないでしょう」
「そんなことさせたくないから、こうやって屋敷に雇われに出されたんですよ」
エリカの父はエンジニアである。父の作業を小さな頃から毎日熱心に見ていた彼女は、運転だけでなく、メンテナンスも心得ていた。
「……お父様はお怒りにならないかしら」
エリカは、一瞬自分の父のことを言われたのかと思い、喉の奥が詰まるような思いがしたが、それが彼女の父親の話であると、すぐに理解し直した。
「旦那様には、次いつ起こるかわからない天体現象をなんとしてもお嬢様に見せてあげたいと、お話しておきました」
「今夜それが本当にあるの?」
「本当にあるんです」
屋敷のたつ丘の隣の丘まで来た。屋敷の灯りがロウソクのように揺れ、それより遠くに街の灯りが見える。
「ささ、寒くないように毛布を」
ロリータは車に寝そべるように座り、毛布にくるまった。
「今夜は満月なのね」
ロリータが静かにつぶやく。
「いかにも。ですが、これから月がなくなります」
「そんなことあるの?」
「私が消してみせます」
「ふふっ、そんなことできるのかしら」
「できたら、ほっぺにキスをしてくださいね」
二人は車の中で、静かにその時を待った。月の模様を見て、あのつるつるでないのが不思議と美しいなどと話した。
「そろそろですよ」
月の端が丸く欠けた。それは、月の満ち欠けを加速させて見ているかのようであった。
「すごいわ。ひと時も目を離したくないくらい」
「ですが、せっかく月の光が消えますから、星も見てくださいね」
ロリータは、その星の数に圧倒された。
「……こんなに星があったのね」
「もう少し暗闇に目を慣らせば、もっと見えるはずですよ」
ロリータは、今まで教えられた星座を見つけては、指で辿ってその物語を復習している。それはもちろん、貴族の女性には決して必要のない知識教養であったが。興味を前にしてそんなことは、彼女たちにとって些細な問題であった。
「今日は星座以外のことを学びましょう。ロリータ、月はなぜ輝いているか、ご存知ですか」
「……なぜかしら」
そういえば考えたことがなかったわ、と首をかしげるロリータ。
「実は。月は太陽の光を反射させて輝いているんです」
「自分で光を出しているのではなくて?」
「そうです。しかしロリータ。あの星々のほとんどは、自ら光を出しています。気が遠くなるほど遠くにありますから、月よりも小さく、光もあれほどしか見えません」
ロリータはエリカの話を熱心に聞いている。
「しかし、あの星々の中には、太陽よりも大きく、しかもより強い光で輝いているものもあります」
「そんなこと想像したこともなかったわ」
二人はしばらく口を閉ざし、星を眺めていた。星に包まれているような心地よい浮遊感は、今しか味わえないような思いがし、特別な時を過ごしているのだと感じさせた。
月が再び満ちて太る頃、ロリータが口を開いた。
「そうだわ、本当に月が消えたのだから、約束のキスを」
エリカは何のことだかわからず少しキョトンとしたが、すぐに自分が言い出したことだと思い出した。自分の軽口なのに、一気に顔が赤くなる。そして、ロリータには無神経であったと、青ざめた。
「ジョークですからいいんですよ」
あれは場を盛り上げるためのものであって……、と早口で言い訳をすると、ロリータは傷ついたような顔をした。
「あ、あの、お嬢様のキスがいらないということではなくてですね……」
うつむいたロリータに、過去クビだと言われたメイドの顔が重なる。
「あの、ではここに」
エリカはロリータに自分の頬を近づけた。ロリータの暗い気分はすっかり飛んでいき、エリカに口付けた。
「ね、ね。わたしにもキスして頂戴」
「愛ではないキスであれば」
「愛じゃダメなの?」
「わたくしはロリータに愛を語れるほどの人間ではありませんから」
エリカはスカートの端を持って軽く礼をし、ロリータの手を取った。丁寧に口付ける。
「忠誠を誓いましょう。わたしのmaster」
歌うような声。お芝居のワンシーンのようなシチュエーションに、ロリータは少なからず陶酔を覚えた。
「あなたの雇い主は、お父様でしょう?」
水を差すようなことを言うのは、不安を全て潰して、全てが真実であると信じたいから。
「雇い主は旦那様ですが、忠誠を誓う相手はあなただけです」
「いつまで?うちが没落するまで?」
「星が瞬くかぎり」
エリカの持てる精一杯の比喩表現に、ロリータの顔が少し陰りを見せた。
「いつか終わりがあるみたい」
「永遠を意味する言葉のつもりだったのですが……。比喩の方がお好きかと思って」
「うーん、そういう時はforeverの方が好きよ。……simpleな方が良いこともあるのね」
それはきっとロリータが“forever”なら信じられるからだと、エリカは考えた。“love”は曖昧で理解しがたいのだろう、と。まだ十の幼い娘には、物事には終わりがあり永遠などありはしないのだということが、わからないのだと。
「わたしが健やかなる時も病める時も、そばにいてくれるのかしら」
「もちろんです、お嬢様」
「お母様のような病気でも?わたしが……怒りんぼな病気になっても?」
「もちろんですとも。……ご自分がそうなるのではないかと、心配なさっているのですか?」
ロリータははるか南、地平線近くの星を見つめる。憂いを溢れんばかりに湛えたその瞳には、年不相応で、エリカにはあまりに哀れに思えた。
「あなたの部屋はとっても無用心よ。机の上に論文が置かれたまま。どこから入手したのかしらね」
エリカの顔が月より青くなる。フロイトのヒステリーを患う女性に関する論文。それは、ロリータの母親を想って入手したものだった。しかし、今となってはどうだろう。ロリータの方が当事者ではないか!
「難しい言葉で書かれていてよく理解はできなかったけれど、肝心なところは読めたわ。
ヒステリーを患う者は、過去に私と同じような経験を……“愛され方”をしていたものばかりなんだそうね」
「学会では否定されています」
「神を信じるあまり、家族同士の間違いなどあるはずがないと思い込みたい哀れな学者の言うことなど、現実<母や、私と父>の前には無意味だわ」
ひどい思い違いをしていた、エリカの手が震える。彼女は永遠など信じていないのだ。信じていないからこそ、この言葉を欲しがった。
丸々と太った月が、ロリータの顔に陰を落とす。照らしているはずなのに。
「……誓いましょう、お嬢様。永遠を。あなたはわたしの星なんです」
ガヴァネスが令嬢に従者のように誓いを立てるなんて、とても奇妙だとわかっていた。しかし、エリカの気分はガヴァネスではなく、麗しの姫を守るナイトであった。
「嬉しいわ、エリカ」
ロリータはエリカの肩に頭を預け、手を重ねる。
「無理に大人になろうとしなくても、大人の愛し方を覚えようとしなくとも良いのです。あなたはあなたのままで、愛するに値する人です」
エリカはロリータの頭を撫でた。
「ふふ、わたしがあなたの星かぁ。そんなにキラキラしているかしら」
「ええ、わたしにとってはあまりに眩しい」
「太陽の光に負けちゃう、昼間は見えない、月の光にすらかすむ存在なのに?」
「ロリータ、きっと覚えていてください。見えないだけで、昼間でも星は変わらず瞬いているのですよ。
あなたが不安で負けそうな時、恐怖に屈してしまいそうな時、自分の感情がコントロールできない時、どんな時も星があなたを見ています」
エリカはロリータの肩に手を回し、少し強い力で引き寄せた。ロリータはそれに応えようと、エリカの首に両手を回し、抱きついた。
「太陽の光が強い時も、あなたは自分を輝かすことができるのです。雲で顔をださない時でさえ、星が輝き続けることには変わりません」
だから、無理に再演して嫌なことを克服しようとしなくても良いのです。
そういいかけた言葉をぐっと飲み込み、幼い光のこめかみにキスを落とした。
いつか自然とその恐怖を手放すことができるから、いつか太陽に邪魔されず自ずと輝けるから。そんな風に潤んだ瞳でわたしを仰ぎ見て、わたしを求めてくれるな。
エリカは、ロリータが自分を誘った理由が、“愛される”ことへの抵抗を必死に無くそうと、適応しようとする無意識の心理だと見抜いていた。トラウマは克服を目指し、再演されるものだと、彼女は知っていた。今必要なのは再演による克服ではない。安心できる居場所だ。
エリカはロリータの頬に接吻したい気持ちをこらえ、ロリータを抱きしめた。
「愛し方はいろいろあるんですよ、お嬢様。賛美歌が、聖書が教えてくれるように」
力を入れたならば折れてしまいそうな、まだ幼い体であった。エリカは幼い背中をトントンと叩く。
ロリータは、かすれた声で呟いた。
Jesus loves me this I know.
「その通り。よくできました」
肩の濡れた冷たさが彼女には大変名誉なことに思えた。
ロリータの力が抜けていくのを感じながら、彼女は叩くリズムに合わせ、子守唄を歌い始めた。
Twinkle twinkle little star
How I wonder what you are……
自分だけの天使を手に入れたと言わんばかりに、ロリータを抱きしめる。神様に返してなんかやらないぞと月を睨みながら。
彼女の歌声は、丘のてっぺんから満点の星空に吸い込まれていった。
20世紀初頭英国、なんて書いたら、時代背景的にこの描写はおかしい、とかいったことか生じかねないと思ったけれど、書かないと読み手がワケワカメ状態になっちゃうと考えて、あの冒頭を加えました。
時代背景が間違っていたら、これは「遠い星の、ずっと昔の、遙か未来のお話です」と言って誤魔化します。
変態メイドと小悪魔お嬢のギャグの予定だったのに、読んだ本に影響されて、シリアスかつプラトニックになってしまいました。
お嬢があまりロリっぽくないのは、私の性癖が年不相応な子どもだから。
アイデアの発想元
お題「ロリ主従」
西澤哲『子どものトラウマ』
フロイトが1896年に発表した研究『ヒステリーの病因について』
MASTERキートンより『ラザーニャ奇譚』のフローラ
影響受けたもの、利用したもの
イメージ曲『A Page of My Story』
イメージ曲『Fly me to the star』
『少女歌劇レヴュースタァライト』
『主我を愛す』




