広大が諦めなかったもの
「“感情”いう言い方もおかしいんやけどな。その前に、おかしいのはお前の話や。戸破さんが『明月荘』への道知ってたんはその通りやけど――スマホの使い方な。やけど会うたときに、そんなのお前がわかるはず無いやないか」
その指摘で広大が立ち上がろうとする。
だが、そんなことはさせないぞ! とばかりに多歌が組み付いた。
「お前は後付けで自分の“諦めたい”という願望に理屈付けたただけや」
「……じゃあ、勘だ」
「それは即ち、お前に“助けたい”いう感情があったちゅうこっちゃろ? しかも会うてすぐに。それが“良いこと”になるかどうかもわからん状態やんけ。お前はただ助けたかっただけなんや」
「…………」
黙秘権を行使する広大。
整合性を重要視するなら、この二瓶の指摘に反論は出来ないだろう。
そして二瓶は尚も容赦しなかった。
「これが金甌無欠の理屈、ちゅう奴や。簡単に言うと、お前は一目惚れしてんねん。で、すぐに諦めてあーだこーだと後付けで理屈をこさえただけや。なまじ頭が良いから、それっぽい理屈が出来るけど、今回はミスったな」
二瓶はニヤリと笑った。
「まぁ、ハッピーエンドなら、それもありやろ。戸破さんの苦労が重なるだけやけど」
「あ、それも含めて面白いから大丈夫」
広大が諦めて逃げ出すのをやめた瞬間、多歌も身体を離していた。
物理的に最適な距離感はすでに把握済みらしい。
「面白いか? いや俺は面白いけどな。けど『彼女』やとなぁ……こいつは、あっという間にエントロピーがゼロに近付く奴やで」
「そこは『彼女』なりの技術があるのよ」
したり顔で多歌は言う。
「今はね、どういうのが“好み”なのか実験してるの。髪はとりあえず短いところから伸ばしていけば効率的だし」
「効率的……」
深淵を覗いたような表情で、二瓶が広大に視線を向ける。
広大は当たり前にその視線から逃れた。
「服はねぇ……もしかしたら、すっごく女の子っぽいのが好きなんじゃないかって考えてる」
しかし多歌は止まらない。
そして二瓶もそれに乗った。
「ああ、なるほど。わざと逆さまに言うて韜晦しとるんやな」
「新幹線の話はしてないけど、多分当たり」
明らかに会話に齟齬があるわけだが、二人は気にしない。
広大を揶揄することが主目的だからだろう。
「それで、虱潰しに確認しておこうと。やけど、それも広大は誤魔化すやろ」
「だから、そこで使うのが『彼女』の技なの」
「ははん」
と、二瓶が目を弓形にして笑った。
「それで、二瓶さんは“情報屋”……ええと、佐藤さんだっけ? その人とは?」
「なんで、あいつの名前が出てくるねん」
「話を“どう”聞いても、そういう風にしか聞こえなかった」
「“どう”聞いたらそうなるねん。広大、お前の彼女何とかせい」
「ダメだぞ」
いつもより投げ槍に応じる広大。
完全に見捨てる腹だ。
「この口だけ番長が。後は俺がやっとくから、お前らは隅で乳繰りおうとけ」
と言って二瓶は戦線離脱した。
調整中だったスピーカーに取りかかる。
そんな二瓶に席を譲りながら、広大はベッドに腰掛け、その正面の床に多歌を座らせる。
一見すると、尋問風景。
いや実際、これから始まるのは尋問なのだろう。
「タカさん」
お互いの呼び名が僅かに変わっている二人。
しかし、雰囲気は剣呑さを増している。
「な、なに?」
そして今の広大が発する雰囲気は「明月荘」からの帰り道に比肩する。
「色々と計画してくれているようで」
「あ、好みの話? 別に良いでしょ? コーダイが何も言わないんだから」
「その他に計画してることは無いか?」
それは多歌にとって奇襲、そして急所を突く質問であった。
「え、ええと……」
「ミニコンポじゃ無くて、特にスピーカーを勧めてくるのは親切心とか感謝だと思っていたが。実際、それはそれとして僕をこの部屋から引っ張り出す目的もあるな?」
「…………」
黙秘権を行使する多歌。
つまり自白だ。
実はここよりは広い多歌の部屋に引っ越してこい。つまりはちゃんとした同棲生活をしよう、というのがここ最近の多歌のリクエストで、広大はそれを拒んでいる最中というわけだ。
寄ると触ると諍うのがこの二人の標準と考えるなら、コレはコレで順調と言えるのかも知れない。
「おい、そろそろ出来るで。飯の前に、試聴と行こうか」
二人の戦いを諫めるように、二瓶が声を掛ける。
「やっと! コーダイは聞いたんでしょ?」
「うん。確かに聞いたはずなんだけど……」
二人は変わり身も早く、すぐさま二瓶の声に応える。
「何だか記憶が“あやふや”なんだよ。その他にも……」
「そういうもんやろ。ちゅうか、それは有り難い話なんやから」
「そう……だな」
同意しながら広大は笑った。
観測者が強制的とは言えBを選んだ以上、他の「可能性」は消失する。
それによって人間が把握出来るように世界は収束してゆくのだろう――SFにおいて、そんな風に説明されているように。
元々、Bの記憶しか無い多歌と二瓶にはその感覚が実感出来ない。
その上、多歌は不意に見せる広大の笑顔を見て頰を染めていた。
「過去」の話にこだわっている暇は無いのだ。
「……それじゃ、CDから行くで~」
疲れたように二瓶がトレイにCDを載せる。
そしてリモコン操作。
やがて、入念にセッティングされたスピーカーから流れ出す旋律は――
「わ! 凄いね! 低音が! コーダイの言ってたことわかるよ! これは身体で聞きたいね!」
「ウーハー、俺のより良えからな」
「……これはもう、ここには住めないかも……」
身体全体を揺さぶる管弦楽器の壮大な調べ。
軽やかなボーカル。
その二つが協奏し、高め合い、新しい世界を創造しているようだ。
「これが……コーダイが諦めなかった曲なんだね」
「そうだな。そう……僕は……」
――そして「きこえるかしら」のメロディーは「未来」へと広大達を連れてゆく。
Fin