確認だけで放置プレイ
呼び鈴に反応はなかった。
むしろ逆に静寂さが増したようにさえ思える。
「ね、ねぇ、見間違い……とか?」
多歌が広大に声を掛けるが、広大は構わずドアに口元を寄せた。
そして――
「巻目さん。城倉准教授がこの部屋をお使いになっている事、わかってますから」
いきなり広大はドア越しにとどめを刺した。
エストックの一撃(※注1)もかくや、といった風情だ。
息を殺していたと思われる部屋の中から、突如ジタバタとした物音が聞こえてくる。
「ちょ! ちょっと待って――」
その一撃で、多歌もまた息を止められていた。
そして呼吸を思い出すように、広大に向かって叫ぶ。
しかし広大は多歌の叫びすらBGMにして、こう続けた。
「戸破多歌さんにも、このようにご足労願っておりまして。私、隣にお住まいだった淵上さん――そのご親戚から調べるように、言いつかった者です」
デタラメ……のはずだが、多歌はそこまで広大のことは知らない。
本当にそうなのか? と多歌が錯覚しそうになるほど、広大の言葉には人に取り入ろうとする熱意がなかった。
物事を淡々と進めている。
かつての多歌のように。
しかしながら、まったく合理性が見えない言葉を。
「ここでお話し続けるのは、巻目さんにも問題あるでしょうし、少しだけ確認させて貰えれば――田之倉さんと稲井さんからもお話伺っております」
多歌は知らない名前だった。
何処で入手したのか――もちろんAなのだろう。
だが、この二人の名前が本当の意味で巻目へのとどめだった。
ガチャッと音がして、開かなかったはずの扉が開けられる。
その隙間から覗く顔は、かつて広大が好恵のスマホで確認した顔で間違いない。
髪色は変わっているし、髭も伸びているが、同一人物だろう。
くたびれた黒のシャツと、白のスリムジーンズ姿。
「すいません。私の名前は知らない方が良いと思いますので、名刺は無しで。今度の顛末、キチンと収めるように言いつかった者です」
「そ……それは、ど、どういう?」
「その辺りは、ご想像にお任せします。戸破さんにもお付き合いお願いします」
そう言うと、広大は多歌を前に押し立てて、強引に乗り込んでしまった。
巻目はそこで多歌の顔を確認。
その顔は知っていたのだろう。
広大がまったくのハッタリだけで訪れたわけでは無い――と巻目は解釈してしまった。
「先に『お願い』だけ説明させてください。巻目さんのお部屋で確認したい場所があるんですよ。それだけ確認させて貰えれば、すぐに引き上げます。そうですね。五分はかからないでしょう」
そんな巻目の解釈を見透かしたように、広大はさらに腰を低くして、頼み込んだ。
こうなると巻目としては、さっさと通り過ぎてしまえ、とそんな判断に傾いてしまうのも無理は無い。
多歌は広大の言葉全てが謎であったが、ここで質問する事は控えようと思える程には理性が回復していた。
いや、あまりの展開に理性が追いついていないだけかも知れない。
速さと。
そして広大の如才のなさぶりに。
「失礼します――先に行って」
広大から背中をつつかれ、多歌がミュールを脱ぎ始めた。
その様子を訝しげに巻目は見つめている。
多歌はその視線を感じながら、広大の意図を汲み取ろうと夢中になっていった。
自分の割り振られた役目を考えながら。
多歌は身体を起こし、三和土から部屋に上がる。
中は圧倒的に家具が少ない。
言ってみれば、壁に沿って配置されているベッドがあるだけだ。
この古いアパートで、そのベッドだけが妙に浮いている。
恐らくこのベッドの上、あるいはその側で巻目は小さくなっていたと思われるのだが――それでも尚、生活感がない。
まるで、安手のホテルの一室のような……
それでも確かめるとなると、このベッドしかないのだろう。
押し入れもあるが、開けて調べるとなると五分では効かないはず――
思わず多歌は広大を振り返った。
広大はその視線に応えるように、スニーカーを脱ぐと部屋に上がり込み、脇目も振らず窓際へと進んだ。
そして天井を見上げる。
その瞬間――
「…………はぁ」
と、空に向けて広大はため息をついた。
この近辺に来てから、多歌が何度も見ている光景だったが、やはりその意味はわからない。
巻目も同じ想いを抱いたのだろう。
「な、なんです?」
と、尋ねてしまう。
いや、それが当たり前の流れなのだろう。
それほどに広大の様子は「不条理」だった。
「――念のために確認ですが、そこの梁」
広大は、言いながら天井の梁を指し示す。
「そこだけ妙に綺麗になっていますが、心当たりは?」
「綺麗?」
巻目が吸い込まれるように、広大の示す天井を見上げる。
「あ……本当だ。いや俺は……」
「やはり巻目さんが掃除をされたわけでは無いんですね。掃除するなら、他の部分も綺麗にするでしょうし――巻目さん。約束を破ってしまってすいませんが、もう少しお時間を下さい。それで何か紐のようなもの。代わりに使える丈の長い服とかありますか? 下着みたいな柔らかいものが良いですね?」
「あ、ああ。それなら、その押し入れの中に」
言いながら、押し入れに向かおうとする巻目だったが、それを広大が押しとどめる。
「いえ、ある事がわかれば十分です。あと……そうですね何かを詰め込んだ段ボール。高い場所の作業に使えるような台になれば、別に段ボールでなくても良いんですが」
「それも押し入れに……何だか最初から入っていた、プラスチックの……」
「ああ、なるほど」
その巻目の証言で、ますます顔をしかめる広大。
巻目の不安は、ますます募ることになる。
だが、広大はそこで居住まいを正した。
「――お邪魔しました、巻目さん。これで私の確認は終わりです」
「え?」
突然告げられた広大の退去の言葉。
それに、置いてけぼりにされる巻目。
だが――
「そ、それじゃ、まったくわけがわかんないよ! ちゃんと説明して!」
多歌が叫んだ。
――それが自分の役目なのかどうかは“あやふや”なまま。
※注1)
エストックという単語で検索すれば、詳細な説明が出てくるんですが、この場合は「ロードス島戦記Ⅱ」のフォースの戦いがモデル。突き刺すことに特化した剣(?)を扉越しに突き立てたシーンは印象的。