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シュレディンガーの恋心  作者: 司弐紘
9/1-B
4/52

そして多歌は部屋にいる

 今、広大と多歌の間に収まっているのは、ローテーブルだ。

 多歌が眠っていた布団は、すでに押し入れに放り込まれている。


 そんな作業をしていくウチに、どうしようも無く広大の記憶は整理されていった。

 二瓶とニュースサイトを覗いたあの「九月一日」をAとする。

 そしてこれから朝食を摂ろうとしている「九月一日」をBに広大はラベリングした。

 単純だが、これに意を凝らす方がよほど“終わっている”に違いない。

 そして整理された広大の感覚ではAの「九月一日」は昨日の出来事であり、それで不具合は無いようだ。

 もっとも不具合があったとしても……どうにも手の打ちようがない。

「ベーコンエッグは?」

 いや広大にも手の打ちようがある不具合があった。多歌だ。

 Aの記憶と照らし合わせれば、多歌は不具合の塊とも言うべき存在かも知れないが、とりあえず文句をつけることは出来る。

「ベーコンが欲しいなら、冷蔵庫にある。勝手に持ってきて食べれば良いだろ。肉食女子」

「処女なんだってば」

「肉食女子と処女が両立する可能性はある」

「そんなのどうでも良いから、ボクのリクエストは無視? 尋ねたのキミじゃないか。それに卵焼きの方が手間が掛かるでしょ」

「まさか目玉焼きを注文されるとはな」

「何で? 簡単なものリクエストしたつもりなのに」

「何度やっても黄身が真ん中に収まらないんだ。それがどうにもストレスなんだよ」

 不具合さでは広大も負けてはいない。

 それなのに多歌の顔に浮かぶのは笑みだ。

「……フライパン、曲がってるんじゃない?」

「かもしれないけど、目玉焼きが上手く焼けないというだけでわざわざ買う必要は無い」

「確かに……卵焼き焼けるしね」

 ローテーブルの上には。ご飯、インスタント味噌汁、そして卵焼きがそれぞれに用意されている。

 何かしら足りない部分もあるが。十分とも言えた。

 とりあえず朝食の態は整っている。

 もちろん、それでも何かしら注文するのが多歌という女であった。

「海苔とか」

「お漬け物とか」

「あと一品足りない気がしない?」

 と、口の回転は止まらない。

 それを無言で聞き流していた広大は、何かを確認するかのように多歌の様子を見て頷いていた。


 お持ち帰りなのか、押しかけられたのか。

 広大は多歌と一緒に帰ってきて、シャワーを浴びた。

 この辺りの記憶も回復している。

 さすがに、あのバイトのあとにシャワーを浴びてないとするならそれは喫緊でよろしくない事態だ。

 あのバイトは汗みどろになるのだから。

 気持ち良く眠れるはずも無い。

 だが、逆に言えば意識を失いそうになってもシャワーを浴びたと言うことだ。

 記憶が無くなったのも必然であるかも知れない。

 とすれば、ユニットバスから出てきた時、すでに多歌が寝息を立てていたのは……この記憶にも整合性がある様に思えた。

 ただそうなると……

「君は――」

「それ嫌だな」

「じゃあバリさんで」

「え? 普通“多歌”を呼び捨てにするでしょ?」

 確かに広大の応答は急角度過ぎた。

「バリさん、シャワーは良いのか? ユニットバスだから湯船を使っても良いけど」

「覗く?」

 翻って多歌は直球だった。

「ユニットバスって何?」

 その上、尋ねる順番もおかしい。

 しかし結果として確実に広大を飽和攻撃にさらしていた。

 仕方なく広大は答えやすいものから片付けることにする。

「そこの……」

「ああ、わかるよ。キミが夜中引っ込んだ場所でしょ?」

 言うが早いが、多歌は箸を置いてユニットバスに突撃する。

 行儀は悪いが多歌の腰は軽いようだ。あるいは本当に風呂がありがたかったのか。

 だがこれで二人が持っている記憶が同じものらしい、との感触を広大は得ることが出来た。

「うわ~狭いね。確かにこれだとキミが覗くスペースが無い」

 指先で何やら空中に線を描きながら、多歌が戻って来た。

 そしてこう続ける。

「補助線ひいて考えたけど、あれは無理だね。一緒に入るのも考え物だ」

「さっきの仕草は補助線か。じゃあ理系?」

 変わらず他にもツッコみたい部分がある多歌の発言であったが、改めて広大は優先順位を設定して、まずそこから確認した。

 覗く、だの、一緒に入る、などの発言は妄言と切り捨てる。

 そしてその広大の選択は功を奏した。

「それだけで理系、なんて決めつけるのもどうかと思うけど、そうだね」

 多歌から思った以上に真面目な声音で答えが返ってきたからだ。

 その流れに任せて、広大はさらに踏み込む。

「大学生……で、良いのか?」

「あ、これは言ってなかったかも。えっとねぇ」

 再び立ち上がる多歌。

 落ち着きが無い。

 そのまま広大の背中側に回り込んで、ぐしゃっとなったままのロングシャツをひっくり返すと、ハンドバッグを取り出した。

 そんなもの、持っていたか?

 と、一瞬広大の記憶が散らかりそうになるが、すぐさま記憶に修正が入る。

 いや、思いだしたと言うべきなのだろう。

 やはり、このBの世界に何か奇妙さを感じる広大だったが、これもまた優先順位が低くなってしまった。

 何しろ多歌がオレンジピンクのハンドバッグから取り出したのは、学生証なのだから。

 確認すれば身元がハッキリするはずだ。

「……何だ? 国立大じゃ無いか」

「そうだよ。そういう大学」

 あっけらかんと答える多歌であったが、それはなかなかの衝撃を広大にもたらした。

 日本の教育制度の不備――などと思ってしまうのは確実に二瓶の影響だ。

 だがそれをオミットしても、やはり多歌が学力優秀という事実には理不尽さがある様に思う広大。

 そして広大の左手の親指が逆に曲げられた。

「――とにかく、ご飯を済ませよう。コインランドリーに行かないとダメだし」

「それ付き合うよ」

「君はさっさと帰れ」

「“バリさん”はもう没なの?」

 そこから再びローテーブルを挟んで議論が開始され、広大は頑として「ヒバリ」呼びにこだわった。

 代償として広大は「コーダイくん」と呼ばれることを甘受しなければなくなったのである。


 ――いつまで保つかわからない取り決めであったが、それはBの世界も同じ事なのかも知れない。

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