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シュレディンガーの恋心  作者: 司弐紘
9/4-B
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不条理に恋して

 雨はアッと今に上がった――


 しかし、その名残を拭いさることは不可能だった。

 雨の匂い。水たまり。濡れたアスファルトの上で揺らめく街の灯り。

 そんな街並みを見て、幻想的と思うのか。

 はたまたサイバーパンクと思うのか。

 それでも散文的な広大はこう思うだけだ。

 こんな風な感情に訴えてくるはずの景色を前に、自分の感情をゆるがせず、

「涼しくならない」

 と。

 確かに夏の夜の夕立となれば、冷却効果を望んでも良いはずなのに、不快指数が上昇したようにしか思えない。広大が愚痴の一つもこぼすのも仕方が無いだろう。

 実際、コンビニに出かけた広大が選んだのは炭酸がきつめのコーラ。

「あのねぇ。何だかこの辺も……」

無人地帯ノーマンズランドに雰囲気が似てるって言うんだろ?」

 後ろをフラフラした足取りで突いてくる多歌の疑問に、広大はあっさりと答えた。

 多歌はレジ袋込みで、昼に手を出したものとは別の味のカップアイスを手に入れている。

 そのレジ袋を振り回すものだから、まるでその遠心力で歩調が定まらないようにも見えた。

 だが、そんな足取りでは危ないのだ。アスファルトが継ぎ接ぎだらけのこの道。雨に濡れて、どこで滑るかもわからない。さらに現在、午後八時。

 当たり前に視界も悪い。街灯の数もまばらだ。

 その危うさの原因はどこにあるのかと言えば、当然行政となるだろう。

 そうなると思い出されるのは――

「この市の……ああ、この話したのは二瓶だったかな」

「コーダイくん、大丈夫なの?」

 ピタリと足を止めた多歌が声を掛ける。

 広大は猫背のままクルリと振り返った。

「理屈で考えれば、大丈夫なわけが無い」

「ちょっと」

「だけど、ただ四日多いだけだし、しっかり寝ているという理屈も成り立ちそう」

「どっちなの?」

「つまりどっちでも良いんだ」

「結論がそれで良いの?」

 それには答えずに、広大は歩を進めた。

 カラン、と下駄の響きが聞こえてきそうな風情である。

 そんな雰囲気が、多歌のフラフラした歩みを復活させた。

「あのね、コーダイくん」

「溶けるんじゃないか?」

「融点が低い――とか、こんな話は……私たちらしいのかな?」

「すまなかった。話を進めて」

「謝らないで……フフ……アハハハハ」

 突然笑い出す多歌。

 さすがに立ち止まって振り返る広大。

 まるで、この世の不条理を目撃したかのように。

「今、すっごく同棲してる気分!」

 人通りが少なくて幸いだった。

 少ないだけで、いないわけではないことが不幸――そんな叫びを聞かされた通行人が。

 広大が呆気にとられていると、多歌はさらに続けた。

「一緒に帰れる場所があって、簡単に二人でコンビニ行けるってシチュエーションが、もう!」

「大……げさな事だけはわかった。落ち着け」

「ほら、そういうのが良いの」

 多歌が踊る。

 笑いながら。

「昼間に話してた話も、良かったと思うのよ」

「昼……何だ? というかどれだ?」

 自分が准教授がキーマンでは無いか? と、考えた時だろうか、と広大は考える。

 だが、そこをフィーチャーすると多歌と准教授の関係性も同時にフィーチャーせざるを得なくなる。

 それを多歌はわかっているのか? と広大はこの時点でパニックになりかかった。

「ほらあれよ。フェルマーの最終定理とモジュラー曲線の話(※注1)」

「……どこに良かった要素が? 確か元は“さめない夢”(※注2)の話がおかしくなった話だろ」

 広大は、再び前を向いて歩き出した。

 この話は最初からおかしかったのだ。

 “きこえるかしら”を聞くことを我慢する事に決めた多歌。

 そして、これがアニメの曲であるなら、終わりの歌もあるはず、ということであっさりと“さめない夢”にたどり着く。

 正解に辿り着いたように見えるが、そもそも前提が間違っている。

 いや、それ以上に正誤の判断が出来るような思考の流れでは無い。

 もちろん、その時も広大はツッコんだのだが、ここで会話に出現したのが「フェルマーの最終定理」である。

 多歌が、


「『最終定理』だってさ」


 と切り出したのだが、その瞬間に広大が、

「“さめない夢”がモジュラー曲線になるとでも?」

 ピンポイントすぎる突っ込みを行ったのだ。

 内容だけを考えるなら、広大の突っ込みは的確すぎるだろう。

 “きこえるかしら”の代わりに“さめない夢”が代用品になるという発想がまず尋常では無いのだが、それを受け止めて尚、多歌の発想にダメ出しを行える。

 これはもう、多歌以上に広大も普通では無い。

 知識の積み重ね方も。

 その使い方も。

 そういった広大を一言でまとめるなら、それは「不条理」になるのではないか?

 甚だ、主観的な判断ではあるが多歌がそう感じた瞬間――いやずっと前から多歌は気付いていたのだろう。

 広大こそが、自分が探していた「不条理(あいて)」だと。

 もちろん、そんな事を広大に告げれば、逃げられるかも知れない。

 だからこそ口に出せなくなったモノもある。

 だけど、多歌は期待してしまうのだ。

 広大の、未だ全てが見えない不条理が自分をさらっていく事を。

 その時、自分は――

「ヒバリさん、どうかした?」

「ん? 大丈夫なんでもないよ。この『林檎のカラメリゼ』を食べるまでは」

「……イヤな予感がする。シナモン臭くなるんじゃ?」

「本当に好き嫌い多いよね。目立たないところで」

「そこだけは運が良いのかも知れない」

 広大はいつものように諦めているようだ。

 さて、こんな相手にどう立ち向かうべきか。

 多歌はまず「多歌(たか)」と呼ばせようと決意してみた。

 いつまでも「ヒバリ」と呼ばれるのは、何だか――効率が悪い。

 その時、広大のスマホが鳴った。

 躊躇いなく広大は、通話を選ぶ。

 その連絡こそは広大が待ち望んだもの。

 相手は二瓶。

 そして、その内容は――

「ああ。ああ、わかった。人並みな言葉で申し訳ないがさすがだ。嫌いな京都……ではなかったんだな。ああ、寝る前にわかって良かった」

 それを興味深げに見つめる多歌。

 この広大の作戦については、多歌もキチンと説明されている。

 だからこそ、何を訊くべきを間違えない。

「――なんて名前?」

巻目(まきめ)忠志(ただし)

 いつも通り、広大は簡潔に答える。

 しかし、その声に滲む感情はわずかな興奮が感じ取れた。

※注1)

詳しくは「フェルマーの最終定理」を読んでいただくとして。

いや、この本、もの凄く面白いからネタバレしたくないんですよ。

実にドラマチックですから。


※注2)

日本アニメーション「赤毛のアン」のエンディング。

いきなり始まるピアノの戦慄が美しすぎて圧倒される曲。

だが、身体全体に伝わる響きとしては「きこえるかしら」に及ばないか? という観点。

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