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シュレディンガーの恋心  作者: 司弐紘
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真夜中に自転車

 ようやく終わった――


 そんな素直な思いが広大の心を満たしていた。

 自転車(ママチャリ)を漕ぐ足は随分と軽い。

 たった一月ほどのバイトでも筋力が向上したのか、慣れたのか、はたまた解放感の成せる技か。

 最初、広大は航空便の積み卸しのバイトを選んだことについて、

(これは大失敗だ)

 と考えていたのに、この有様。

 随分と人間の身体は前言撤回を躊躇わないものらしい。

 今となっては「もう少し続けても良かったかも?」などとまで広大は思っていた。

 最初は積み卸しと詰め込みの両方という半端な状態で、周囲のバイトからは奇異な目で見られていた気もしていた広大。

 だが、積み卸しを忘れた航空コンテナを処理するため、通常では行われない時間に積み卸しをしなければならなくなった時があった。

 こうなると中途半端な状態であった広大が随分、重宝がられる事になる。

 この時。

 ――“奇貨、居くべし”

 などという故事が広大の脳裏に浮かぶわけだが、もちろんそれは口にしない。

 何しろ仕分け先の番号を大声で告げながら、荷物の積み卸しをしなければならない、謂わばリーダーのような役割分担になったのだから、妄想が出来る状況では無い。

 詰め込み専属――専属が普通なのだが――の年配のバイトからは、そんな番号を大声で発生する様子をからかわれたりもしたが、広大は無難にやり切る。

 その時から、夜遅くの詰め込み作業の方が精神的に軽くなった。

 社員からも頼られるようになった。

 だから今、広大が未練を感じているのは詰め込みのバイトについてだけ。

 しかし同時に、

「深夜のバイトはキツい」

 という気持ちもある。

 そんな“ゆらぎ”はずっと広大の中にあって、それは帰り道も現れていた。

 実は今、広大が通ろうとしている道はほんの少しだけ遠回りなのだ。

(知らない道を通ったら、気分が上がるか?)

 という、思い付きで深夜のバイトを乗り切ろうとしていたわけである。

 無駄な抵抗、と言いきることも出来るが、この道は川沿いの道であるので、確かに雰囲気は変わる。

 何なら、詩的、と言っても良いのかも知れない。

 日頃から人通りが少ないその道を、広大の漕ぐ自転車が静かなライトの灯りを供にして、キコキコと進むわけだ。

 確かに、雰囲気はある。

 寂寞感という雰囲気が。

 しかしそんな雰囲気に乱入者が現れた場合、それは――


 ――寂寞感は増してしまう。


 自分がどれだけ寂しい道を通っているのか、否が応でも悟ってしまうことになるのだから。

 だから広大が“その女”の姿を見かけたとき、胸に抱いた感情は警戒――そして嫌悪感。

 薄暗闇の中、白のロングシャツがやみに滲む。

 それは川から漂ってくる水の匂いにさえ。

 だが女性が身に纏っているキャミソール、ショートパンツ、それに輝くアクセサリー。

 それらは滲む事無く、この寂寞感に逆らっていた。

 言ってしまえば、圧倒的な違和感。

 この川沿いの道にも。そして今の時間帯にも。

 汗に濡れたシャツと、ジーンズ姿の広大の方が、よほどTPOに気を配っているとも言える。

 広大と女は、このままではすれ違うことになるだろう。

 つまりだんだんと近付くわけだが、ここで逃げ出すのも変だ、と感じた広大はそのまま直進。

 ただ狭い道なので、どうしてもスピードは落とさなければならない。

 いっそのこと自転車から降りた方が無難だ。

 そこで広大は逆に自転車を衝立代わりにして、女性との間に壁を作った。

 そのまますれ違う。

 軽い会釈。

 互いに道を譲るために、半ば振り返るような斜めの姿勢になる。

 近付いたことで、広大は知った。

 知ってしまった。

 女が、随分と整った顔立ちをしていることを。

 グラデーションボブの髪があちこち跳ねていても。

 今まで何故気付かなかったのか不思議に思うほど、印象的なをしていることも。

 だが――それだけだった。

 その女が美人である事と、自分はまったく関係無い。

 広大は早速諦めていた。


「あの、すいません」


 ――こんな風に女から声を掛けられる可能性をまったく考えずに。

 広大は、どんな表情をするべきかわからないまま、

「なんですか?」

 と、声を返す。

 機械のように。

「あの……“明月荘”っていう名前のアパート知りません? この辺りって聞いてるんですけど」

 そんなぎこちない広大の様子に負けず劣らず、女の質問もぎこちない。

 だが、その質問で答えるべきことがハッキリした分、広大はスムーズに答えることが出来た。

「僕はこの辺に住んでないので……」

「あっ……そう……なんだ……」

 その女の声から伝わって来る感情は――いや、考えても仕方ない。

 広大はいつものように諦めて、再び自転車にまたがる。

 そして、

「それじゃ」

 と、だけ声を返して――


 ――……あの

 

 という声が広大には聞こえた気がした。

 そして広大は親指を……

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