世界は夜、揺れ動く
そうめんは美味かった。
ラー油も良い仕事をして。
こうなると、とことんまで食べてしまおうとする広大は、
「いい加減にしなよ。せっかく準備したのに、お好み焼き食べられなくなるよ」
などと多歌に怒られる状態になってしまった。
その後「無限ピーマン」の話になってしまったのは必然か。
「無限? 無限ってこれ?」
空中に∞を描く多歌に、広大は冷めた声で応じる。
「これだから理系は。無限に夢を見すぎている」
「理系に恨みでもあるの?」
「いや。理系に憧れている」
「……え? そんな、いきなり」
「寝ぼけているのか?」
その後二人はウダウダと話しを続け、お互いに関西にやってきての一人暮らしであることを確認。
広大は言わずもがな。
多歌も特に関西弁――二瓶は「混ぜるな」と言うだろうが――を使っているわけではない。
やはり広大と同じように関東圏に実家があるとのことだった。
珍しい「戸破」姓については多歌も詳しくは知らないようだが、以前調べたところ北陸あたりが由来の姓という情報は持っていた。
逆に広大の「花井田」という姓は、広大自身がまったく調べていない。
「実は珍しいとか?」
「大仰な姓だとは思うけどな」
こんな風に、二人は何となく午後を過ごし、夕食の準備に移行した。
特に色っぽい展開は無く。
あるいはそういった“展開”を通り過ぎたあとであるかのように。
広大としては、そういった無駄話も情報収集の一環のつもりだった。
成果が無いとも言えるが、その一方でまったく学校での話を出さなかった多歌に、やはり奇妙さを感じていた広大。理系である事は間違いないようだが。
広大自身は意識して学校での話題を避けていたのだが、その点は多歌も同じようだ。
――動機は違っても。
「あ、これ聞いても良いのかわからなかったんだけど」
普通にお好み焼きは成功し、きつめのコーラで喉を潤す時間帯。
やはり二人は差し向かいの状態だった。
まるで互いが、それぞれ尋問するかのように――受けるかのように。
「何?」
皿の上のお好み焼きの切れ端を箸でつつきながら広大が応じる。
猫背で。
まるで実験でもしているようだ。
「昨日の電器屋さん? あそこにコンポ見に行ったのよね?」
膝を立てて、それに寄り添うように身体を斜めにした多歌が尋ねる。
「そうだな」
広大はいつものように簡潔に答えた。
「それで不思議に思ったの。曲聞きたいならスマホでも大丈夫でしょ?」
「ああ、そういうことか。正確に言うとコンポというか、スピーカーが欲しかったんだ。この部屋ではそれも問題あるけど」
何しろ掃除に気をつける壁の薄さだ。
「それでも欲しかったんだ」
「うん」
迷い無く広大は頷いた。
そんな広大の様子に半端な笑みを見せる多歌。
戸惑っている、という感情が一番近いのかも知れない。
「別に隠してたわけじゃない。聞かれなかったし……そもそも人に説明するようなことでもないし」
「あ、ううん。そうじゃなくて、何だかその……何かにこだわってる、コーダイくんに違和感を感じたと言うか」
その一瞬――
広大は丸まっていた背を起こす。
違和感。
その単語が多歌から出てくるとは。
それに広大は驚いたのか。それとも――
「そんなに聞きたい曲があるんだ?」
だが、自らの膝に寄りかかったままの多歌は、そんな広大の姿を見てはいなかった。
そのまま話を続ける。
「……“きこえるかしら”(※注1)という曲だよ」
広大が、ぽそり、と返す。
「知らないなぁ」
「そうだろうな。随分昔のアニメの曲らしい。僕は二瓶に聞かせて貰ったんだ。あいつの部屋のオーディオセットで」
「そんなに違ったんだ。スマホで聞くのとは」
「ヘッドフォンもまずいんじゃないかな? あの曲は、身体全部で“聞く”ものだとおもう」
あのアニメのオープニング映像もそんな感じだった――という印象を広大は語らなかった。
どうやっても話が長くなる未来しか見えないからだ。
「じゃあ、ボクも聞かないでおくよ」
「……ここで聞くつもりか?」
「随分、物分かりが良くなったね」
「聞かせるとは言ってない。それにコンポ自体無いだろ?」
「ここに“居る”事はOKなんだ」
愉快そうに多歌が笑いながら、広大を見つめる。
その笑顔に広大は――
その後は洗い物。
ホットプレートの手入れに互いにてこずりながら、どうにかこうにか片付ける。
お好み焼きとは、何よりも洗い物が多くなるものだ。
その上、ソースに青ノリと、汚れも頑固なものが多くなる。
片付けが終わった後、二人がインスタントコーヒーで、一息ついたのも無理のない話。
しばらく、まったりとして交代で風呂に入る。
まるで慣れた作業をこなすように。
多歌も無闇に挑発しないし、広大も下手に警戒しない。
その後は深夜バラエティの芸人の好き嫌いで、一悶着あったが――就寝に至る。
やたら寝付きの良い多歌の寝息が、ベッドの下から聞こえる。
側に男がいるのに無防備過ぎる、などという説教にもはや意味は無いのだろう。
それほどに馴染んでしまった。
広大はベッドに横になって、暗闇の中、目をこらす。
見えるのは見知った天井だけ。
それは必要な事。
だがそれ以上に広大の心を占めているのは、多歌が口にした「違和感」という言葉。
――違和感。
普通とは違うと言うこと。
つまり多歌は“普通”の広大を知ったということ。
広大は今、進行中の実験の理由を考える。
その実験が予想通りなら――その“始まり”を考え無ければならない。
どこまでが確定していたのか。
どこから世界がおかしくなったのか。
恐らく場当たり的に、日々を過ごすだけではどうにもならないだろうし、ずっとこんな状態では広大が保たない。
その原因を考えることは、決して無駄では無いはずだ。
そこに何かの鍵がなければ――自分がこんな状況に晒されている事を説明出来ない。
今度ばかりは広大は諦めることが出来なかった。
自分の身を守るため。
そして――
広大はベッドの下でタオルケットを抱きかかえて眠る多歌を見る。
理由だけならいくらでも思いつけた。
口に出す必要も無い。
やがて広大は意を決して親指をカクンと逆に曲げ――暗闇の中で目を閉じた。
※注1)
日本アニメーション・名作劇場「赤毛のアン」のOP。
ちゃんとして環境での音響の響きはまじで凄い。
しかしながら作者は「赤毛のアン」自体が受け付けないので一種のOP詐欺である。
ちなみに富野由悠季氏は、本作を見てあまりの動かなさに「ズルい」怒ったという(演出の一環と理解しながら)エピソードがあるらしい。