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シュレディンガーの恋心  作者: 司弐紘
プロローグ 9/1ーB
1/52

これはループなのか?

 二流私立大二年生の花江田はなえだ広大こうだいは目を覚ました。

 広大の寝起きは良い。

 即座に目を開けないで、二度寝するか、起き上がるかの二択を迷う事が出来るほどしっかり覚醒する。寝起きの良さが台無しである。

 だが今の広大は強烈な違和感と共に目を見開いた。

 天井は見知っている。

 ここは広大が住んでいる大学生向けの一人暮らし用のワンルームマンションの一室だ。しめきられたカーテンから透けて見える光の加減から、今が朝だと確信が持てる。

 広大はむくりとベッドの上で起き上がった。

 パジャマなんて物は着ていない。

 夏であるので、ただシャツと……驚くべき事にパンツ一枚ではなかった。ジャージを履いている。

 昨晩――何かあったのか? と広大は胸の内だけで首を捻る。

 九月に突入したから……とそんな理由だけでジャージを着る理由にはならないはずだ。

 しかしその変化が強烈な違和感の正体では無い。

 実はその違和感の正体について、広大はとっくに気付いていた。

 広大に違和感をもたらしたのは視覚では無くて嗅覚。


 ベッドの下に、女が寝ている。


 広大が寝るベッドの横。床に来客用の布団を敷きタオルケットを胴体だけにかけた女がいる。

 クークーと鳴る、柔らかい寝息が薄暗い部屋の中でやたらに響いていた。

 訝しげに眉を潜める広大。

 記憶がハッキリしないらしい。だがいつも日本では罪を着せられるアルコールのせいでは無い。

 広大は未成年だし、多くの大学生が法を犯すきっかけになる新歓コンパにすら参加したことがない。サークルやクラブに所属していないからだ。もっと言えば酒を飲んだ経験がそもそも無い。

 広大の交友関係はとにかく狭いのだ。友達は甘めに見ても指が三つ折れるかどうか。

 それでいて、それが傍目からわかるような特徴的な容姿の持ち主でも無い。

 中肉中背。少し猫背。いささか眠そうな眼差し。無理矢理特徴を挙げてもこれぐらいである。

 いてもいなくても、どちらでも良い。

 それが広大であった。

 だから――


 女がいきなり起き上がった。布団の上で。まるでオモチャのように。

 グラデエーションボブにまとめたはずのの髪が、あちらへこちらへと跳ねていた。それは決して寝起きのためばかりではないらしい。跳ねすぎだ。

 しかし困ったことに、この女――簡単に言ってしまえば“美人”であった。

 とにかく顔のパーツ一つ一つが整っている。

 そして目力が強い。そして、こちらも寝起きには不自由しないタイプのようだ。

「やあ」

 現状を把握しているのか、ずいぶん気安く広大に声を開けてきた。

 ところが広大は記憶が断絶している。デデキントである(※注1)。

 だが女はそんな広大に構わず話しかけてきた。

「いきなりへやに入れてくれるとは思わなかったよ」

「僕が?」

 反射的に広大は尋ねてしまった。

「そうだよ。これはえっと……あれだ。“お持ち帰り”されたんだよね」

「お持ち帰り……」

 そう呟きながら、広大はさらに女を確認する。

 パールホワイトのキャミソールに、ダークブルーのショートパンツ。何とも薄着で薄手である。その薄い生地を押し上げている身体のデコボコの主張はずいぶんと激しい。リアス式海岸だった。フィヨルドまであるかも知れない。

 布団の傍らには、白のロングシャツが丸めておいてある。おしとやか、という感じの性格では無いらしい。

 そのシャツを乗り越えて、胸を揺らしながら女は広大が寝るベッドににじり寄ってきた。

「イヤらしいことを考えてるなら、イヤらしい顔になった方が良いと思う」

「イヤらしいことを考えてないから、それは無理な話だ」

「女連れ込んでおいてそれは無いでしょ?」

「どう考えてもイヤらしいことをした覚えがない」

「えっと……確か、こういう状態で男の人が手を出さないなんて事は物理的にあり得ないんだって」

「童貞がイキって言う理屈だな。そう言って必死に『童貞じゃない』アピールをするんだ」

 広大がどう転んでも痛々しくなる理屈を持ちだした。

「じゃ、キミは童貞じゃないんだ?」

「童貞だが」

 痛さが、深傷ふかでになる宣言だった。

「あ、ボクもね。ギリギリ処女」

 どこがどうギリギリなのか。

 広大は眠そうなまなこで、女をジッと見つめている。

 もっとも、そこで停止してしまったのはギリギリについて訝しく思ったわけではなく、一人称“ボク”の是非についてだった。

 単純に言ってしまえば痛々しい。

 しかし、もはや「ボクッ」は絶滅危惧種として保護した方が良いのではないか? そんな動機で、自分はこの女を緊急避難の名目で「お持ち帰り」した可能性――

「ちなみにギリギリ成人。二十歳」

 突然の成人宣言で、こちらも痛々しさが深傷になってしまった。致命傷と言っても良い。

 それに何故、広大はいきなり年齢を宣言されてしまったのか?

「だからね。未成年を連れ込んだ、という法律には触れないから」

 恐るべき事に、この女。ある程度は社会の仕組みを知っているらしい。

「あれ? これだけで大丈夫なんだっけ? 学生って、確か馬券買えないよね? それと同じ理屈で、やっぱり法律的にヤバい?」

「話を戻したい。まず僕はどうやって君を連れ込んだのか。いやむしろ君がここに押しかけたんじゃないか?」

「それはどっちとも言えないな。とにかくボクは真夜中に自転車を漕いでいるキミに道を尋ねて――」

 そう説明されてようやく、広大の記憶が甦っていく。

 いや切断されていた部分が繋ぎ直された――という説明の方が適切なのだろう。

 広大の脳裏に現れたのは、一本のラインだ。

 それが、右往左往、七転八倒を繰り返し、女の説明で景色の輪郭アウトラインが描き出されていく。

 その輪郭に、色を滲ませるように……

「そうだ……僕はバイトの最終日で……」

「あ、そうなんだ。どんなバイトなの?」

「あそこ近くに空港があるだろ? その積み荷の……こんな話もしてなかったのか?」

「その辺りは、ボクもよく覚えてないんだ」

「覚えてない?」

 いや、それ以前の問題が広大の身の上に起こっていた。

 それに気付いている者は。どうやら広大ただ一人らしい。女の方に変化は見られない。

 出来るだけゆっくりと、広大はスマホを手元に寄せる。


 07:58

 9/1 


 広大は眩暈を感じた。スマホをジッと見つめる。止まりそうな呼吸。

 記憶が無い。

 ……なら、まだしも許容範囲だったのだと思い知る。

 広大は救いを求めるように、テレビを点けた。

「あ、朝の番組見る人なんだね。ボクもずいぶん久しぶりだ」

 女がずいぶんと呑気なことをいう。

 いや、呑気なのは当然なのか? 広大が苛まれている異常現象は広大一人だけが感じている――つまりは広大だけがおかしくなっていると考えた方が、よほど自然なのだから。


『……今日から、九月と言うことでね。一日。九月一日は“防災の日”ということで――』

「言われてみればそうだったね。関東大震災が起こった日なんだってね」


 女が、よくある風景を形作るように、とりとめがなさ過ぎるMCの挨拶に反応した。

 あるいはテレビをきっかけにして、側にいる人に話しかける。

 そんな風景に溶け込むように、広大は無意識に女と目を合わせてしまった。

「……僕は、というか僕たちはお互いに自己紹介したんだっけ?」

「うん、そうだよ。それもよく覚えてないの? まずキミは花江田広大。これで合ってる?」

「遺憾ながら、嘘をついてはいなかったみたいだ」

「あれ? 何かおかしなこと言ってるね? 会話が繋がってないよ」

「気のせいだ。それで君の名前は?」

「あ、えっとね、冗談に思われるかもしてないけど、キッチリ本名はヒバリタカ」


 それを聞いた瞬間、広大の頭の中でその名前が自動的に変換される。

 即ち――戸破ひばり多歌たかと。


 では、何故広大はその名を知っていて、しかも漢字に変換出来たのか?

 複雑な謎解きは必要無い。ただ知っていたからだ。

 スマホに表示されていた「戸破多歌」という名前を。

 読み方まで同時に表示されていたのだから間違いない。それに、これだけの珍名なのに違う人物なんて事も無いだろう。

 だが一つだけ大きな問題がある。

 広大がそのニュースを知ったのは、九月一日の()()なのだ。

 だがスマホ、それにテレビを信じるなら今日は九月一日の朝。その午前八時過ぎ。

(だとすると……)

 九月一日が繰り返している――だが、そんな無茶苦茶を受け入れて尚、まだ問題が残されている。

 昨日――広大の感覚では“昨日”なのだが、すでに広大が経験した「九月一日」においてこの女、戸破多歌は存在していない。

 いや、存在はしているのだろう。ニュースになっていたのだから。

 だが所在の違いだけでは済まない。

 多歌は繰り返していると思われる「九月一日」に現れた、圧倒的な差異ちがい。それも朝から。

 いや下手すると夜討ち朝駆け満遍なく行われた可能性もある。

 それを否応も無く理解した広大は、諦めたような表情で――


 ――左手の親指を逆側にカクンと折った。

ジャンル分けが難しいですが、SF+ミステリー+ラブコメ、あたりでよろしくお願いします。

基本はラブコメのつもりなので、冒頭はこんな形の王道風味に。


※注1

デデキントの切断といわれる数理的な定理……らしい。中二的には「デデキントカット」とかの方が使いやすい。必殺技みたいだし。

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