表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛しきカナリアの舌を切る  作者: 榊 すずめ
一章
2/6

「色ボケ野郎」

『どうして、そんなに嫌がるの?』


 遡ること数刻前の、大好きな兄の言葉が忘れられない。

 突然千歳に、今日から仕事だよ、と爽やかに告げられて。

 強制的に着物を千歳に剥かれ、着替えさせられて。

 そして最終的には、ずるずると引き摺られるように千歳と共に都の道中にやってきた。

 何故嫌だったのかなんて、そんなこと、言わずとも知れているではないか。


「俺と柚のために集まってくれて、皆ありがとう。

今日はとびきりの歌と舞いを、二人で用意してきたからね」

「きゃあぁ、ちぃさまーっ!!」


 千歳はふわりと極上とも言える柔らかな笑みを浮かべ、甘く艶のある声で告げた。

 すると、突然降って沸いた、千歳を恋慕うお姉様方の熱狂的な歓声。

 まるで地を揺るがすような轟音に、柚は顔をしかめて耳を手で塞いだ。

 もう、嫌だ。

 こんなムダに色気垂れ流しな迷惑野郎。

 どうして、そんな千歳なんかと組むことになったのだろうか。


(……恨むわよ、兄様……)


 色とりどりの華やかな着物に身を包み、綺麗な簪で髪を結い上げたお姉様方に囲まれた青年、千歳を不快そうに睨みつけた。

 群れからつま弾きにされてしまっている柚は、千歳の視界の隅にすら映っていないだろう。

 この調子で仕事なんて、本当に出来るのだろうか。


(……だから、私は絶対に千歳とは嫌だったのよ……)


 柚は民衆の面前であることも忘れ、不貞腐れるように唇を尖らせた。


 この世界、かげろうの都には「カナリア」という二人一組の芸者達が多く存在する。


 そのカナリアは花街が発祥で、依頼された小料理屋の宴席で舞い、都の道を楽器を弾きながら美しい歌声で練り歩く。

 時にはカナリアの宴なるものを開いて、同じカナリア同士で腕を競い合う、凛と華やかな独自の催しも圧巻の見所だ。

 カナリア達は、玉響たまゆら座という組織が管理しており、なるにも申請を出し、協議された上で承諾書を貰えなければ名乗れない。

 つまり、都を彩る華として唯一認められた芸事の強者達のことである。


「ほら、柚。

いつまでも遠くにいないで、早く俺の方へおいで」


 お姉様方に囲まれた千歳がふいに振り返り、これまた眩しいくらいの笑顔で手招きをする。

 柚はそんな千歳を、げんなりした様子で見返した。

 確かに、こんなに遠くにいては仕事にならないだろう。

 でも、正直あんまり気が進まない。

 だって、今ここに集まっているお客様のお姉様方は、千歳に会うためだけに、我先にと遥々足を運んで来てるのだ。


(それにほら、ちゃんと見なさいよ千歳。

お姉様方の視線が痛いわ……)


 千歳を囲む自分達よりも、柚を優先させることが気に食わないのだろう。

 ぎろり、とまるで目の敵のように鋭い視線が沢山突き刺さる。


「…………私、今すぐ帰りたい……」


 そして、優しい優しい兄様に泣きついて、これでもかというくらいに甘やかしてもらえたら、どんなに嬉しいか。

 そう思ったら、ぼそりと自然に口から言葉が漏れていた。


「駄目だよ、柚。

俺だけの、可愛いカナリア。

俺のために歌って欲しいな……。

小さな頃みたいに、その魅力的な可愛らしい声で」

「千歳……?」


 まさか、ここから向こうまで届いたのか。

 聞こえないように呟いたつもりだったのに、一体どうして……。

 千歳は囲んでいたお姉様方を押し退けて、首を傾げている柚の傍らへとやってくる。

 そして。


「いつも俺だけを、見ていてくれただろう……?」


 柚に顔を寄せながら、するりと柔らかく首筋を撫で上げた。


「ゃ……っ、千歳……?

ねぇ、どうしたの……?」


 首筋を撫でる手も、囁く声も、じんと体の奥に響くほどに甘く優しい。

 けれど、いつものちょっと情けなくも柔らかい表情は、そこにない。

 無表情なのだ。

 向けられる瞳には感情が灯っていなく、まるで無機質な冷たい光を宿す硝子玉。

 何もない。

 すとん、と感情の全てが抜け落ちたかのように。

 柚は思わず、一歩身を引いてしまった。

 初めて怖いと思ったから。

 今まで自分に甘く優しいと思っていた、その人が。


「君が生まれて十五年……。

ずっと見てきたよ。

見ても見ても、飽き足りないくらいにね」

「……ち、とせ…………?」


 反射的に逃げようとした柚の細腰に、すらりと長い腕が巻きついてきた。


「逃げないで、柚

俺の……俺だけの愛しいカナリア……」


 そして、千歳の方へと引き寄せられる。

 抱え込まれた千歳の腕の中は思っていたよりも広く逞しい。

 胸に押しつけられた体に、布越しの体温を感じてしまって、思わず鼓動が跳ねた。


「ぁ…………っ」

「柚……ちゃんと、俺を見て」


 千歳は柚の耳に唇を寄せ、息を吹きかけるように囁く。

 その刹那、柚の体がひくん、と切なく震えた。


「や……ぁ………っ」


 そして、さらに空いている片方の手もゆっくりと近づいて、するりと柚の目にも鮮やかな赤い髪を指で掬い上げる。

 その柔らかい柚の髪に、そっと口づけを落とした。


「この、燃えるような緋色の髪も……。

雪にも負けない、真っ白で綺麗な……この顔や肌も……」


 冷たい眼差しが、柚の瞳を射抜く。

 もう、周りの声も視線すらも届かない。

 まるで五感全てが囚われたように、何もかも。

 声は、まるで飴玉のように甘くとろけているのに。

 眼差しが、千歳の纏う雰囲気が、伴っていない。


「この、美しく澄んだ水晶のような瞳には……俺だけを映して……」


 するりと、反射的に瞼を下ろしていた瞳の上を千歳の指先が優しく滑った。


「柚……」

「……い、や……。

やめて……、やめて千歳っ!!」


 後から涌き出る恐怖心に耐えられなくなった柚は、思わず声を張り上げていた。

 かたかたと、千歳の腕にすっぽりと包まれた体が小刻みに震えている。

 そんな柚の姿を、千歳も目で見て、肌で感じているはずなのに。

 何を思ったのか、突然ふっと笑いを口から漏らした。


「ごめんね、柚?

怖がらせちゃったかな……?」

「…………え?」


 拍子抜けするような、優しい声。

 柚はゆっくりと閉じていた瞳を開いた。

 無機質な冷たい眼差しは消えて、いつもの優しく温かい色に戻った瞳が柚を映している。

 そんな瞳を柔らかく細めて、くすくすと、頻りに肩を揺らして彼は笑っていた。

 そう、笑っているのだ、この男。

 いつもの、あの優しい表情で。


「本当にごめんね。

俺はただ、嫌がる君を勇気づけてやりたかっただけなんだけど……。

そんなに震えるほど怯えられるなんて、思ってなかったから……」


 ごめんね、嫌いにならないで、と頻りに言葉を口に出す。

 ぽんぽんと、背中を千歳に優しくあやされるうちに、少しずつようやく状況が飲み込めてきた。

 すると、何か。

 この男、ただ柚に格好つけてみたかっただけなのか。


「もうっ、ややこしいわよっ!!

無理に格好つけないで!!」

「そんなぁ……。

俺からそれを取ったら、何も残らないよ……?」


 だって、これで世の女性達を口説き落としてきたんだから……と悲しげに唇を尖らせる。

 そんな千歳を、柚は呆れたように見上げ、ぺしりと彼の胸を叩いた。


「一応自覚はあるのね。

それだけは立派だわ、褒めてあげる」

「……ありがとう、と言うべきなんだろうけど……。 嬉しくない……」


 そりゃそうだ。

 皮肉を織り込んで、言葉で返してやったのだから。

 これで喜んでいたなら、ただの阿呆だ。

 もしくは、そういう残念な性癖なのか……。

 どちらにしろ、これくらいの意地悪は許して欲しい。

 本当に、怖かったのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ