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セピア色の過去(死神番外編)

作者: 篁 昴流

死神番外編。

シーマの過去編です。

 1913年、東京―――

「葵さん、若葉さん、おはようございます」

「「おはよう、晶子さん」」

 ほとんど違う所のない、そっくりな顔を持った葵と若葉の二人は、後方からあいさつの声を飛ばしながら駆け寄ってくる、友人・晶子の姿を見とめて同時に声をそろえてあいさつを返した。

 同じ顔を持つこの二人、葵と若葉は双子の姉弟である。

 葵が姉で、若葉が弟。

 二人は、幼い頃から何でも一緒で近所でも有名な姉弟だった。

 それに付け加え、二人の家は財閥で大きな造船会社を経営する家系である事が有名さに拍車をかけていた。

 唯一、二人が違うところは、髪の長さぐらいであろう。

 葵は、肩にかかる程度に髪を伸ばしていた。

「お二人とも、今日も一緒にご登校ですか?相変わらず、仲がよろしいですね」

「二人っきりの姉弟だもの。そりゃあ仲もいいわ」

「オレ、姉さん大好きだし。友達の中には、双子だからって女の姉妹といつも一緒なんて変だ、とか言う奴も居るけど、あっちの方が変だと思うぜ」

「私も、兄弟が欲しかったですわ。私は一人っ子ですから、兄弟が居る人は憧れます。特に、お二人を見てると特に。双子って本当によろしいものですね」

 晶子も、財閥の家柄の令嬢で、令嬢らしいおっとりとした少女である。

 晶子に比べると、葵と若葉は少し落ち着きが無い、と言う印象を受ける子どもであったが、やはり育ちの良さを醸し出していた。

「そうそう、晶子さん。今夜、家で私達の12歳の誕生祝いをするの。来てくれる?」

「もちろん、行かせて頂くわ。贈り物も実は用意してありますの。お二人の誕生日を忘れるほど、私、ぼやっとしていませんわよ」

 晶子が、いたずらっ子の様に、パチッと右目をウィンクした。

 笑いあいながら、三人はやわらかな春の日差しの中、学校へ続く坂道を歩いていく。

 そんな三人を、物陰から覗き見る、怪しげな人影に気付くことなく。



 放課後も、葵と若葉は一緒に帰路へついていた。

 いつもなら、寄り道する事なくまっすぐと家へと帰る二人だったが、この日だけは違っていた。

 若葉が、行きたいところがある、と言い出したのだ。

「姉さん、オレちょっと行きたいトコがあるんだけど、時間かかるかもしれないし、先に帰っててくれないかな?」

「いいけど、珍しいね。何処行くの?別に私も一緒に行ってもいいよ?」

「え・・、いや、二人で遅くなったりしたら父さんも母さんも心配するだろうから、やっぱり先帰っててよ」

「そう?分かった。でもなるべく早く帰ってきてよ?」

「分かってるって、じゃあチョット行ってくる」

 若葉は、葵に手を振りながら家とは逆の方向へ走っていった。

 強い風が吹き、立ち並ぶ桜の花が舞う。

 思わず葵が目を瞑り、開いた時には若葉の姿はもう消えていた。

 突然、葵の胸に言い様の無い不安感がよぎった。

 そんな感じを振り払うように、葵は頭をふるふると振り、自宅へと足を進めた。


 財閥というだけに、広い敷地を持ちそれに見合うだけの豪邸がそびえ立つ自宅に帰った葵は、鞄を持ちます、と手を差し出してくるメイドをやんわりと断って、さっさと二階の自室へ入っていった。

 鞄を机の上に置き、この時代ではまだ珍しいベッドに身を投げる。

「……嫌な感じ、若葉、早く戻ってくるかな」

 コンコン

 と、部屋の扉を叩く音に、葵はベッドから起き上がって、ハイ、と返事をした。

 少し間をおいて、メイドの一人が扉をあけた。

「失礼いたします、お嬢様、ご友人の晶子さまがいらっしゃいました」

「晶子さんが?なら、早く入ってもらって頂戴」

「はい、失礼いたしました」

 メイドは、頭を下げると、扉を閉めて玄関へと向かった。

 しばらくすると、晶子が葵の部屋に入ってきた。

「こんにちは、葵さん。ちょっと早いかしらと思ったのですけど、来てしまいましたわ」

「いいよ、気にしなくて。若葉が用事があるとかで、私一人で帰ってきて、退屈してたところだったから」

「あら、珍しいですわね。お一人で何処かに行かれるなんて」

「まぁ、私達も四六時中一緒と言う訳ではないから。でも、今日みたいなのは初めてよ」

 こんな会話を始めに、二人はおしゃべりに花を咲かせていた。

 間で、メイドが運んできた紅茶とお菓子を食べながら、少女達の楽しい時間が過ぎていった。

 そんな時、

  ガシャン!

 と、一階で硝子が割れる音がし、二人の会話に沈黙が走った。

 すぐに、一階の方が騒がしくなり、葵と晶子は連れ立って一階に降り、騒ぎの中心に向かった。


「どうしたの?なにかあったの?」

「あ、お嬢様。実は先ほど石が窓から放り込まれまして」

「石?」

 葵が目線を硝子が散乱しているサンルームに向けると、確かにそこには紙でくるまれた石が落ちていた。

 メイドの一人が、硝子を片付けながらその石を広い、紙を広げようとしたその時、

「なんの騒ぎなの?」

「あ、奥様! お騒がせして申し訳あしません。じつは、窓に石が投げ込まれまして」

「石が?まぁ、誰のいたずらかしら」

 葵と若葉の母親である、京子がおっとりとした動作でその様子を伺い、頬に手を当てた。

 葵が、石を拾ったメイドに、さっきの紙は?と尋ねた。

「あ、コレでございます」

 メイドが、物を見せながら、改めて紙を外して中を調べた。

 紙を見たメイドが、サッと青ざめる。

「お、奥様!坊ちゃまが、若葉坊ちゃまが、誘拐されたとっ……!」

「っ……何ですって」

「この紙に、そう書いてあります……、『息子は預かった、返して欲しければ金10,000円(現在の価値で約5,000万円)を用意しろ。もし警察に知らせたら、息子の命はない』……」

「そんな……」

 京子は、それを聞くとガクッとその場に倒れこんだ。

「奥様!」

「しゅ、主人に、早く……」

「はい、只今ッ!」

 メイドの一人が、慌てて電話機へ走っていった。

 葵もまた青ざめながらも、晶子に支えられながら、メイドの持つ紙に視線を向け、次に母である京子に近づいていった。

「お母さん……」

「……葵、あなたどうしてココにいるの?」

「え?」

 京子は、葵が話しかけて初めて葵の存在に気付き、放心したようにそう呟いた。

「どうして……どうして若葉と一緒にいなかったの!?どうして一人にさせたりしたの!」

「お、お母さんっ……?」

 突然、ヒステリックに叫びだした京子に、葵が驚いて京子から離れる。

 京子は、涙を零しながら、さらに呟いた。

「どうして若葉なの……?」

「おかあ、さん……?」

「奥様!何を言うんですか?お気を確かに」

「お嬢様、晶子様も、お部屋にお戻りになっていてください。奥様は私達が」

 その後、どうしたのかは殆ど覚えていなかった。

 気が付いたときには、葵は晶子と共に自分の部屋のベッドの上に腰掛けていた。

 葵の頭の中で、先ほどの言葉がいつまでも響く。


 ――――どうして若葉なの


 両手で耳を塞いでみても、その言葉は消えず葵の中でくすぶり続けた。

「葵さん、気にしてはダメよ。きっと、お母様は突然の事に混乱してらっしゃったんだわ。それに、若葉さんではなく自分だったら良かったのに、と言う意味だったのかもしれませんでしょ?」

 晶子が葵の手を握りながら、懸命に話しかける。

「どうして……こんな……やっぱり若葉と一緒に行けばよかった。私、嫌な予感がしてたの。なのに……」

「あまり自分を責めてはいけませんわ。とにかく今は、若葉さんの無事を祈りましょう」

「……うん」



 葵と若葉の両親は、話しあった結果、犯人の要求を呑み警察には知らせず犯人の指定に従い、言うとおりの金額を渡した。

 しかし、いつまでたっても若葉は帰っては来なかった。

 両親はついに警察にこの事件の事を話し、捜査が行われる事となった。

その数日後、若葉は変わり果てた姿で、箱に詰められ家に送り付けられてきたのだった。

 京子は絶叫し、ショックのあまり寝込み、父親である慶司は怒りに打ち震え家の全財力を使ってでも犯人を捕まえようと躍起になっていた。

 そして葵は、しばらく放心状態に陥ったものの自分の力で立ち直った。


 若葉の葬式は、雨の降る中、厳かに行われた。

 京子は、ショック状態から抜け出せず、病院のベッドの上で降り続ける雨をぼんやりと眺めていた。

 京子が、自宅療養に移っても、変化の兆しはなかなか現れなかった。

 そんなある日、葵が髪を後ろで束ねて京子の所へ行ったとき、変化は起きた。


「お母さん、気分はどう?もうすぐ夏だよ」

 いつものように、京子のそばに座りながら葵が京子に話しかけていると、いつもぼんやりとしていた京子が、ふと反応を示したのだ。

「お母さん?わかるの!?」

 葵が京子の顔を覗き込むようにすると、京子も顔を動かして葵の方を向いた。

「お母さん!?気が付いたの?」

 そんな葵の声に、メイドや自宅での仕事にきりかえていた慶司が京子の部屋に入ってくる。

 そして、京子の様子を固唾を飲んで見守っていた。

 もう一度、葵が京子に話しかける。

「お母さん?」

 京子が、葵の顔をしっかりと見て、瞳に精気を宿らせた。

 そして、京子はハッキリと、葵に向かってこう言った。

「若葉、どうしたの?そんなに不安そうな顔をして」

「え?」

 若葉、京子は確かに葵のことをそう呼んだ。

「京子、お前何言ってるんだ。若葉は……、ここに居るのは葵じゃないか」

 慶司が京子の肩に手を置いて諭すようにそういった。

 しかし、京子は、

「何変な事言っているの?若葉じゃないの、ほら若葉の顔よ。ねぇ、若葉」

「お……母さん?」

「良かったわ、若葉だけでも無事で。葵のお墓参り、毎日行きましょうね。 本当に良かった、男の若葉が残ってくれて」

「お前!?」

「奥様!!?」

 京子は、ショック状態にあった中で、葵と若葉を入れ替えてしまっていたのだ。

 この時代、家にとって息子と言う存在は、何よりの宝。娘は、家の飾りや主の見栄・仕事の道具くらいの立場であった。

 だから、死んだのは長男ではなく、長女。

 そう思い込む事で、京子は少しでも己の痛みを和らげようとしたのである。

「お母さん……私、葵だよ。若葉じゃないよ……」

 葵は、京子には届かないであろう小さな声で、そう否定した。

 そして、そのまま京子の部屋から走って逃げだし、自室に戻りベッドの上に倒れこむと同時に、嗚咽をあげて泣いた。

 母親にとって大事だったのは男の若葉の方で、自分は若葉に比べれば死んでも構わない存在だった。

 その事実が、葵の心に深く突き刺さったのだった。



 次の日、葵は父・慶司に呼ばれ、書斎で向かい合った。

 慶司は、一度深くため息をつき、あらためて葵の瞳を見つめ口を開いた。

「葵、お母さんの事なんだけどな……・、医者に診てもらったんだが、今これ以上のショックを与えるのは良くないらしいんだ。……それでな、……その、」

 慶司が、葵から目をそらし、口ごもる。

 その先に続くであろう科白を、葵は自らの口で言葉にした。

「私に、若葉のふりをしろ、と?」

 慶司が、はっと目を見開き、少し躊躇ったあと、そうだ、と頷いた。

「もちろん、いつまでもとは言わない。お母さんが回復するのを待って、徐々にお母さんに真実を分かってもらえばいい。 だが、今は……すまない、葵」

 分かってくれ、と慶司は葵に頭を下げた。

 父親が娘に頭を下げる、そんな信じられない光景に葵は目を伏せ、

「お父さん……私、髪切らなきゃね」

「葵……っ、すまない!」

 この日を境に、葵は学校でのみ、葵としての存在を許され、家でも出先でも、葵は若葉としての対応を、若葉を完璧に演じる生活を送らざるをえなくなったのである。


 そして一年後、葵は自宅の浴室で手首を切って自殺をした。

 若葉として生きていくこと、自分の存在意義、そして何より自分を若葉だと信じて疑わない母・京子の重圧に耐えかねての自殺であった。



(やっと、これで開放された……母さん、父さん、ゴメン……)

「新堂 葵さんですね?」

(誰だ!?)

 霊体となって、空から自分の家を見下ろしていた葵は聞こえるはずのない声に驚き辺りを見回した。

 葵の背後には、黒い衣服に身を包んだ二人の青年が同様に宙に浮いて葵を見つめていた。

 そのうちの一人が葵に近づく。

「死神です。あなたをお迎えにあがりました」

(死神?お迎えって訳か。どこでも連れてけよ。どうせオレが行くのは、地獄だろ?)

「ソレは僕たちが判断するのではありません。審判を下すのは閻魔ですから」

「では、行きましょうか」

 もう一人の死神が葵の手を引く。

 葵も、それに逆らう事なく従い、次の瞬間には審判の門の前に立っていた。

「ここが審判の門だ。この先はあなただけの道。良い審判が下ることを祈っていますよ」

(……ありがと)

 にっこりと笑みを浮かべながら言う死神に、顔を背けながら葵は早口に礼を言って、審判の門を開き、中に入っていった。


 中に入った葵を、かっちりしたグレーのスーツ姿の女性が出迎えた。

「新堂 葵、ですね。どうぞ、こちらへ」

 事務的な、冷たい印象を受ける言い方で、女性は葵を最奥の扉の前まで案内した。

「では、私はここまでです。これより先はお一人でお進み下さい。ご自分の好きに進み、一番初めに現れた扉を開けてお入り下さい」

(…………また扉かよ)

「扉を見つけるのは、貴女です。それを、忘れないようになさって下さい」

(……?)

 それを言い終わると、女性はその場からスッと消えて居なくなった。

 葵は、おそるおそる扉をそっと開け、中へと進んでいった。

 扉の向こうは、長く入り組んだ回廊が果てしなく広がっていた。

 その様は、迷路そのものである。

(……好きに……進むって、ここをか?)

 しばらく、呆然と回廊を眺めていたが、いつまでもそうしている訳にもいかない。

 葵は、ゴクリと唾を飲み込み、長い回廊を進み始めた。

 真っ直ぐいき、右に曲がり、斜めへ進む。いつまでも同じ景色が続き、同じところを回っているような気さえしてきた。

(どこまで行きゃいいんだよ、本当に扉なんかあるんだろうな……)

 肉体が無いゆえに疲労感は無いが、いいかげん同じ景色にうんざりしてきた葵は、少し休もうとその場に座り込み、壁にもたれかかった。

(……親より先に死んだ子どもは賽の河原で永遠に石を積み続ける、そんな話しがあったけど、まさか永遠に回廊をさまよい続けるが正解じゃないのか? …………まさかな、オレは自分で死んだけれど、普通の子どもは何も好き好んで死ぬわけじゃない、神様もそこまでオニじゃないよな…………・・)

 そんな事を考えながら、葵は次第に自分の、若葉として生きた一年を思い返していた。

 事情を知っている人たちからの、同情に満ちた眼。好奇の眼差し。

 あの日から母親に感じていた畏怖と、罪悪感。

 母親が、自分を若葉と呼ぶたびに感じた痛み。

 そして、痛みに堪えきれずに死を選んだ自分。

 自分は、幾つもの罪を背負って死んだのだろう。

(…………母さん……私は、要らない子だった……?)

 そう呟いた途端、葵の瞳から、涙がとめどなく溢れてきた。

(ふっ……うっ、うぇっ……)

 一年ぶりの涙だった。

 葵は、若葉のフリをすることを決めてから、一度も泣く事は無かったのだ。泣く事すら、出来なかったのである。

 葵は、その場でひたすら純真に涙を流した。

 そうして、涙が止まる頃、葵は自分の目の前にある、扉に気が付いた。

(……え?)

 まるで初めからそこにあったかのように、その存在を主張する扉は、確かに、さっきまではそこに無かったものだ。

(見つけるのは……オレ……私……?!)

 葵は、スクッと立ち上がると、今度はシッカリとその扉を勢いよく開いた。

 カッ! っと周りがまばゆい光に包まれ、葵は思わず目を瞑った。

 そして、目を開くと、葵は初めに入った筈の廊下奥の扉の前で、扉のノブに手をかけたまま佇んでいた。

 キョロキョロと、首を回して辺りを確認する。

(……進んで……ない?……じゃあ、さっきまでのは、幻?)

 葵は、訳も分からず、ノブに掛けてあった手を離そうとした。

『中に入りたまえ』

(っ!)

 扉の向こうから、低く威厳のある声が響く。

 葵は、改めてその扉を開き、中に身をすべり込ませた。


 扉の中は、簡素な執務室のような造りになっており、奥に、机と向かい合った椅子が置かれているだけの部屋であった。

『座りたまえ』

 再び、先ほどの声が何処からとも無く響く。

 葵は、部屋を見渡すがその部屋に居るのは自分一人であることは間違いなかった。

(どこから声でてんだよ……)

 いい加減、色々なことがありすぎて感覚がマヒしてきたのか、葵は特に躊躇うこともなく手前側の椅子に腰を下ろした。

『では、審判をはじめよう』

(チョット待て、さっきのアレは何だったんだよ。説明くらいして欲しいな)

 目を周辺に配りながら、何も無い空間に向かって問いかける。

『もう自分で気付いているのではないのか?迷宮回廊の意味も、扉の意味も。 だからこそ、ココにたどり着く事が出来たのだ』

(…………じゃああの回廊は、オレの……心そのものだったってのか?オレを試したって事か!?)

『審判を受ける為に必要な試練だ。審判を受けるという事は、己を知るという事。回廊で、見つけたのではないかね?己自身を』

(オレ、自身……オレの罪)

『そうだ。生きている者には何かしらの罪が蓄積される。生き物とは必ず何かの命を奪って生きている。そして、ソレは生きるために必要な事だ。 だが、例外もある』

(人を殺したり、無益に動物を殺したり、そういった事か?)

『それも、ある。だがそれだけではない。 新堂 葵、お主が一番よく分かっている筈であろう?』

 葵は、瞳を軽く見開き、グッと汗ばむ手を握り締めた。

(……自殺も、罪だよな。まだ先のある自分の命を、終わらせたんだから。それに、親不孝だ)

『そうだな。母親のために一年に亘り己を殺し続けた、それも、全てが善いことであったとは言いがたい事だ』

(……オレは……若葉を母さんから奪ったから……)

 葵は、徐々に顔が下向きになっていった。

 フルフルと震える手を、膝の上で重ねる。

『葵、お主は勇気が足りなかった。己を責め、己を殺した。それは、辛い事であったろうが、同時に楽な選択でもあったのだよ』

(そう……ですね)

 葵は、目を伏せた。

 だが、もう涙は流れてはこなかった。

 一度、キュッと目を瞑ると、葵は顔を上げ、

(オレは……地獄に行くんですか?)

『いや、お主は地獄へ行くほどの罪は犯してはいない。だが、このまま転生させる訳にもいかぬ』

(じゃあ、一体……!?)

『お主には、しばしの労役についてもらう』

(労役?)

『死神として、働いてもらう事になる。お主を迎えに来た者のようにな。 アレもお主のように転生には値せず、地獄へも行かせられぬ事情をもった者たちだ。死神として、与えられた年季を全うすれば、転生の道へ進むことが出来る』

(死神?オレが?)

『そうだ。死神となった者は、新しい名を与えられ、自らの責務を満了したとき、次なる命を与えられ転生する。いわば、救済措置なのだよ。もちろん、労役中に失敗などを犯せば、その分年季は長くなるがね』

(…………オレは……)

『では、あまり長引かせる訳にもいかん。 審判を言い渡す!新堂 葵、自殺および微余罪幾件により、労役“死神”の責に処す!改めし名は、「シーマ」年季は15年とする。こころして役務に従事せよ!』

(拝命いたしました)




「……マ、…………シーマ!?」

「うぇ!!?」

「なにをボンヤリしてる訳? お前らしくもない」

「シルビア…………夢、か……」

 自分を呼ぶ、相方であるシルビアの声に、シーマは一気に現実へと意識を引き戻した。

 一瞬、自分がどこにいるのかが分からなくなり、ようやく仕事の途中である港に居る事を思い出した。

 シーマは、自分の隣に立っているシルビアの顔を見上げながら、バクバクと音をたてる胸に手をあてながら、深く息を吐いた。

 額の汗をぬぐいながら、嫌な夢を見たな、と小さく呟く。

「シーマ、君ね、寝てた訳?」

 シルビアが、少し伸びた前髪を鬱陶しげにかき上げながら、堤防に座るシーマの隣に腰を下ろした。

 シーマは、視線を前の海に戻す。

「寝不足だったんだよ! 誰かさんとは、全然違う理由でだけどなっ」

「何が違うって?」

「だから、オレは女とか男とかと遊んでて眠いわけじゃないって事だよ! ―――わっ!」

 くるん、とシーマの視界が回る。先ほどまで、海の藍を映していたシーマの瞳には、今度は空の蒼が映った。

 その蒼も、覆いかぶさるシルビアの顔で遮られる。

 程なくして、自分がシルビアに押し倒されたのだという事が分かると、シーマは、細い両腕をシルビアの肩に突っ撥ね身を捩った。

 が、細身のわりによく鍛えられたシルビアの身体は、ビクともせず、それどころか左手をつかまれコンクリートの地面に縫い付けるように押さえ込まれた。

「おい、シルビアッ、何す――――!」

 シルビアの、普段まったく見ることの無い真剣な眼差しがソコにあった。

 怒ってる。それもかなり。

 その目に、軽く恐怖を感じたシーマは、ちょっと言葉が過ぎたか、と反省し、謝ろうと口を開いた。

「あ……ごめ―――」

「オレは!」

 予想以上に大声を上げたシルビアに、シーマはビクッと身体を揺らす。

「シーマが思ってるほど遊んでるわけじゃない」

「だ……オレは、誰かさん、がシルビアだなんて一言も言ってないだろ」

「ああ、でも」

 スイッとシルビアはシーマに至近距離にまで顔を寄せ、目を細めると、

「そのつもりで言っただろ?」

「…………」

 確かに、その通りだった。

 シーマは、返す言葉もなく首を横向け、シルビアから視線をそらした。

 無駄だと分かりつつも、もう一度、自由な右手でシルビアの体を押し戻そうと試みる。

 だが、やはりシルビアを動かす事は出来なかった。

「……悪かったよ。ちょっと言っただけだろ。 それに、アレだけ浮き名流してりゃオレじゃなくても遊んでるって思うに決まってんじゃねぇかよ。……放せよ! 手!」

 シーマは、シルビアから視線をそらしたまま、開放を求めた。

 押さえつけたシーマの手が微かに震えているのに気付き、シルビアは、ハッとしてシーマから離れ距離をとった。

 左手首を右手でさすりながら、上半身を起こしたシーマは、シルビアをジロっと睨み、

「そこに座れ!」

 と一喝した。

 シルビアは、黙ってそれに従う。

「…………」

「…………」

「ごめん」

 しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは、シーマだった。

「さっきは、貶すような事言って、悪かった」

「なんでシーマが謝るわけ?それはオレの方だろう? 力で押さえつけて……」

「それは、オレがあんな事言ったからだろ」

「言われて当然だよ。オレが勝手に怒っただけだ、シーマは悪くないさ。 シーマこそ、怒らないのか?」

「あ……いや、も、怒ってない」

「そう……」

 シーマは、堤防の端から足をぶらつかせながら、目を閉じ波の音に耳をすませた。

 海風が、シーマの肩にかかる程度の髪をなびかせる。

 磯の香りがするその風を胸いっぱいに吸い込むと、シーマは、閉じていた目を開き、スクッと立ち上がり、シルビアに向き直った。

「じゃ、行くかっ。シルビア!そろそろ時間だからな」

「――――」

 シルビアは、自分に笑顔を向けてくるシーマに目を瞬かせた。

「シルビア?」

 どした?

 固まったシルビアを見て、キョトンとした表情を浮かべるシーマに、

「やっぱり、最高だよ。シーマ」

 そう、笑いを零しながらシルビアも立ち上がると、シーマの肩に手を置いて、行こう、と一言促した。


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