教授
「とにかく、用が済んだなら先に進もうじゃないか」
冷えた空気を咳払いで誤魔化して、ブラントが提案する。
「何か解りましたか?」
僕は務めて平静を装いながら質問した。
本心とは言え、ウル師匠に対して口答えしてしまった。それを有耶無耶にしてしまいたかった。
「そうだね。魔物の異常行動が毒や薬のせいではないと言う事が解ったよ」
「なんだそりゃ。何にも解っていないってことじゃねえか」
ナフロイがブラントをからかうように言う。
「そうではないのだよ。魔物の錯乱について原因はいくつか考えていた。まずは薬品を用いて錯乱させる。二つ目が魔法で混乱させる。この二つがポピュラーな手法なのだけど、この蛇を調べたところ毒に犯された様子はなかったね。何より先ほど遭遇したアースゴーレムに至っては生身ではないのだから薬が効く筈もないのだよ」
ブラントの手が拍子を打つように口ひげを撫でる。
「そして魔法についてだが、混乱の魔法は効果の継続時間が短い。その上、混乱した者は敵味方関係無く暴れるのだから、今回の異常行動は少なくとも私たちの知る魔法が原因ではないことが解るね」
確かに、混乱の魔法は数秒から長くても数分の間、対象の意識を曖昧にして同士討ちを狙うものだ。上層に登っている間に効果は解けてしまうだろうし、何より上で戦った剣士たちもこの蛇たちも同士討ちなんてしていなかった。
ただ、それを除外してしまうと魔物が異常行動を行う理由が思いつかなくなる。
「僕たちが知らない魔法、ということですか?」
僕はブラントに聞いた。
この迷宮には魔法を使う魔物も巣くっている。それも地下に行くほど強力な魔法を使う魔物に出くわすという。ならば僕たちが知らない秘術を用いる魔物も居るかもしれない。
ブラントはゆっくりと頷いた。
「もちろん、その可能性もあるね。だが、今回はもっとシンプルな話だと私は考えているのだよ」
「もったいぶってねえで早く結論を言えよ」
ナフロイが口を挟む。
ブラントは僅かに苦笑を浮かべた。
「もう少し我慢してくれたまえ、ナフロイ君。授業はもう少しで終わる。さて、話を戻すが、迷宮の下層から登ってきた魔物たちは毒や混乱に陥っているわけではない。そうであれば行動に破綻をきたす筈だからね。だが、彼らは正常に行動しつつ、迷宮の上昇という異常行動を取っている」
教授の肩書きの通り、ブラントが説明をする姿は様になっている。
よく通る声がホールに響き、皆が話の続きに耳を傾けた。
「そもそも、生物であれば不合理な行動は取らない。痛いことは避けようとするし、腹が減って食い物が目の前にあれば口に運ぶ。しかし、この迷宮に棲む魔物の中でそうじゃない一群がいるだろう?」
ブラントが生徒たちを見回す。
その条件に当てはまる魔物とはなんだ。僕の頭が急いで答えを探す。
「アンデッドね」
僕よりも早くウル師匠が回答し、ブラントが頷いた。
「その通りさ。異常行動を取る魔物はアンデッド化してしまっているのではないかという仮説が立つ。それなら創造主の命令を全うするために他の不合理は無視して行動出来るからね」
「はあ、この蛇が死体だっていうのかよ。どう見ても生きていただろうが」
ブラントはパチンと指を鳴らしてナフロイを指さした。
「そこだよ、最大の問題点は。アンデッドは死体に雑霊が取り憑いて出来上がるのが一般的だが、死霊使いと呼ばれる魔法使いが作成して使役する事もある。だが、いずれにせよ死体は死体だから、短期間に腐ってしまい稼働できる期間は短い」
僕の頭がブラントの言葉をかみ砕いて消化していく。
彼は何を言いたいのか。その前段として並べる言葉から理論を飛躍させて答えを割り出す。
腐らない、そもそも死んでいないアンデッド。そんな存在について話したい筈だ。
「吸血鬼ですか?」
僕の言葉にブラントが一瞬固まり、そして「その通り」と呟いた。
「馬鹿を言うんじゃねえよ。吸血鬼なんて血を吸わなきゃ相手を隷属化出来ないんだぞ。ましてあの手の連中は人間しか喰わねえ。それがおまえ、蛇の血を吸ったっていうのかよ。ましてアースゴーレムなんて血の一滴だって通っていないのにどうやって隷属化するんだよ」
ナフロイが鼻息荒くブラントに食って掛かる。
だけどブラントはそれも想定内だったようで落ち着いて首を振った。
「それを言うのならこの蛇だって、その前に戦った剣士たちにだって噛痕は見つからなかった。だから厳密に言えば吸血鬼ではなくてそれに準じた魔物の仕業だと私は確信するに至ったのだよ」
ブラントが胸を張って発言を締める。
では、これで今回の冒険は目的達成だろうか、などと考えているとナフロイが「じゃあ、イシャールの所か。あいつに会うのも久しぶりだな」なんて呟いた。
「え、イシャールってなんですか?」
「なんだよ、冒険者ならイシャールくらい知っとけよ。イシャールってのは迷宮の地下十階で……」
違う。それくらいは知っている。僕が聞きたいのはなぜこの流れでイシャールに会う話になるのか、と言う事だ。
「なんでって、原因が吸血鬼だって言うからまずはイシャールのとこの吸血鬼に会って考えるんだよ。何かヒントくらい有れば儲けものだろ」
僕は目の前が真っ暗になった。
イシャール。本来の実力では熊にさえ勝てない僕が、どうやらこれからイシャールと対面するらしい。




