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師匠の憂鬱


 僕は掴まれた手を離してもいいものか、それとももう少し握っていてもいいのか悩んだのだけど、結局はウルからあっさりと離されてしまった。

 女性に手を握られたこと自体が僕の人生であまりなくて、最近だと錯乱したステアの手を引っ張って歩いたのが印象深いのだけど、あのときはどちらかと言えば僕が掴んでいた。

 掴むと掴まれるではかなり趣が異なっていて、それだけでかなり気持ちがいい。なるほど、手を掴まれるとその人を好ましく思うものなのかもしれない。

 それと、もう一人の手をつないだ女性を思い出す。

 その人は僕が今まで出会った中で最も美しく、気高かった。その人と手を繋いだのも地下四階だった。

 その人が死を迎えたのも。

 

「それでどうするの?」


 ウルにもう一度手を繋ぐのかどうかを聞かれたような気がして一方的に手を伸ばして勘違いに気づく。

 彼女に師事するかどうかだ。


「お、お願いします」


 魔法使いでこの申し出を断る者なんていないだろう。

 僕は伸ばしかけた手をごまかすために深々と頭を下げた。


「ただ、先生と呼ぶのは嫌な人を思い出しますので師匠と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」


 ここしばらく、僕が先生と読んでいたのは『荒野の家教会』のローム先生だけだったので、先生と言う単語には忌々しい顔が着いてくる。

 ウルは僕のお願いを快諾してくれたので、僕とウル師匠は臨時の師弟になった。


「おいおい、あんまり情を移すと辛いぞ」


 ナフロイが横手から口を挟んだ。

 彼の言う通り、僕らはすぐに別れる。そして、そのまま二度と再会しないことも十分に考えられる。

 

「だからこそよ。私たちみたいな冒険者はもう迷宮以外で暮らせないじゃないの。それならせめて、私のことを覚えていてくれる子がいてほしいって、最近思っていたの」


 ウル師匠は眉根にシワを寄せて悲しそうな表情を浮かべる。

 迷宮順応が進み、正気は保っているものの体はすでに魔力がなければ苦痛を感じるまでになっているのだろう。

 そういう意味ではウル師匠やナフロイが強力な魔物になる日も遠くないのだ。


「ある程度まで行ったら冒険者って辞められなくなるのよね。ズルズルと奥に向かって試行錯誤を繰り返すのが日課で、生き甲斐になるの。さて、そこで師匠から弟子に最初の教えを授けますよ。イシャールを倒したら迷宮は卒業しなさい」


 ウル師匠は笑ってごまかしたのだけど、口調と表情にはどこか後悔の念が混じっていた。

 彼女は一線を越えて、戻れないところまで行ってしまったのだ。その時点で普通の人間としての穏やかな暮らしも、幸せも無縁になってしまっている。


「ウル師匠は冒険者を辞めることはできないんですか?」


 駄目に決まっている。それでも聞かずにはいれなかった。


「地上は苦しいもの。魂が少しずつ千切られている感じがするわ。ここでもまだ少し痺れるわね。ナフロイもそうでしょ?」


 話を振られたナフロイも、つまらなそうに頷く。


「それでも我慢して地上に居続けることってできないんですか?」


 僕の問いかけにウル師匠は微笑む。

 

「無理ね。苦痛でろくに眠れないの。それに今さら私みたいに年をとって、都市で生きるといったって結婚もできないわ」


「そんな。ウル師匠はお綺麗ですよ」


 お世辞ではなく、ウル師匠は美人だった。

 顔も若々しいし冒険のお陰か体も引き締まっている。その上、強者としての風格とでも言うべきか独特の雰囲気をまとっていて、これは余人には醸し出せない。


「ありがとう。嬉しいわ。そんなに誉めてくれるのならあなたのお嫁さんにでもしてもらおうかしら」


 ウル師匠がいたずらっぽく笑う。

 この場にルガムがいなくてよかった。もしいたら不機嫌にさせるところだった。



 ブラントの思考も纏まったようで、僕たちはようやく前進を再開した。

 しばらく行って、僕は周囲の風景に見覚えがあるのに気づく。

 無理矢理据え付けられた扉があった。


「すみません。ここに入りたいんですけど」


 僕は気持ちを押さえられなくて、ついには言葉に出してしまった。

 一同の視線が僕に向く。

 でも、どうしても入ってみたかった。

 邪教徒集団としての『恵みの果実教会』終焉の地。地下四階の大ホール。

 もはや何があるわけではないただの空間だけど、素通りなどできるはずがなかった。

 

 扉を開けると巨大な黒蛇がいた。

 こちらに気づいている。

 深紅の紋様が暗闇に浮かぶ炎のように見える。

 数は七匹。これも普段は下層にいる魔物だ。

 睨み付けるようにこちらを見つめ、やがて僕たちが隊列を組んでホールに入った瞬間、申し合わせたように戦いが始まった。

 戦闘は蛇の攻撃から始まった。

 不規則な軌道を描いて近づく蛇の初撃をブラントは飛んでかわす。

 そのまま違う蛇の頭に着地し、その頭部に細剣を四度突き刺した。

 大きく痙攣する蛇には目もくれずに次の蛇を牽制する。

 その一連の動きに目を奪われた蛇の首がコトリ、と地面に落ちる。

 ノラが刀を一閃したのだ。

 

「ええい、俺のところばかりに寄るんじゃねえよ!」


 その声に目をやれば、残りの五匹が一斉にナフロイへ飛びかかっていた。

 一匹は迎撃し、二匹目と三匹目の突進は捌いたものの、四匹目と五匹目は避けきれず、ナフロイの左腕と右足には丸太よりも巨大な蛇がぶら下がることになった。


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