英雄候補
都市に帰り着いて、ステアを教会まで送った僕はシガーフル隊のリーダーであるシグの家にむかった。
下町に並ぶ二階建ての長屋にシグは住んでいるのだけど、両親と兄弟、姉夫婦にその子供達で同居人数は十人に上るのだという。
その十人の中でも、奴隷の僕にたいして普通に接してくれるのはシグと弟のサウジェだけだ。
「奴隷の兄ちゃん!」
僕を見つけたサウジェが家の中から飛び出して来た。
横にいた母親が眉を顰める。
都市において奴隷に対する差別を最も明確に行うのが下層階級の自由市民なのだ。
逆に、中流階級以上になれば下層市民と奴隷を差別しなくなる。
豊かになれば寛容になる、というのではなくて単に下層階級も奴隷もひっくるめて下賤の者、あるいは経済動物とみなすからだ。
よって、僕がシグの家に立ち入ることはできない。
だから、話す者がわざわざ家から出てくるのだ。
「やあ、サウジェ。シグはいるかい?」
「公園に行ったよ。それより兄ちゃん、こんどまたメリアを連れてきてよ!」
サウジェはにっこりと笑う。ときどき、サウジェとメリアは連れ立って遊び歩くのだけど、下層階級の子供であるサウジェが僕たちの住むお屋敷にやってきても、門番に追い返されて取り次いでももらえない。
僕は、サウジェと約束を交わし、近くの公園に向かった。
シグはすぐに見つかった。
公園の隅で長剣を振り回していた。滝のような汗を流しながら、ひと時も止まらずに剣を振り続ける。
その動きは技巧的というよりも荒々しく、野性的である。だけど、迷宮で向き合う敵の大半が野生の獣であることを考えれば、これでいい。下手に技巧に凝るよりも、恐怖にとらわれず魔物に突っ込み、全力で得物を振り回せることが重要なのだ。
広い公園ではないものの冒険者の都市だけあって、そこかしこで同じような連中が武術の研鑽に励んでいる。
と、シグが僕に気づいて剣を止めた。
荒い息と汗で濡れそぼった服。剣を持つ手は大きくて皮が分厚い。シグは僕に向かってサウジェに似た笑顔で笑いかけてきた。
「人獅子に遭遇したんだ」
僕の言葉に汗を拭うシグの動きが止まった。
「ほんの地下一階。それも入り口のすぐ近くで」
「よく死ななかったな」
シグは傍らの長剣を鞘に納めると近くのベンチに腰かけた。
僕もついていって隣に座る。
「一人死んだよ。育成中の見習戦士が一人。それだって危なくて、ギーも死にかけたし全滅してもおかしくなかった」
「そうだろうな」
シグだって人獅子に遭遇したことは無いはずだ。それでも人獅子のことはよく知っている。
学校でも習うし、なにより彼はこの街で冒険者にあこがれて育っている。
強大な魔物たちと英雄のごとき冒険者たちを夢想し続けてきたのだ。
「ギーとステアがいたから、その程度で済んだけど、これが五人の見習を引き連れる指導員の仕事だったら僕も一緒に死んでいたよ」
むしろ人獅子に遭遇して全滅したパーティも出ているんじゃないだろうか。
当然、全滅してしまえばそれを報告する者がいないため、迷宮の外がそれを知るのに時間がかかる。
「そのうえ、僕たちが頼まれた育成の仕事も胡散臭いんだ」
僕は降りかかった状況と自分の考えをシグに打ち明ける。シグは黙ったまま地面を見つめていた。
「いまのところ、全部推測でしかないけど、後手に回ってもしょうがないからさ。シグも手を貸してくれないかな」
「ルガムは?」
「説明はするけど、今回は子守をしてもらうよ。なんせ、ルガムが目をつけられると子供たちが狙われちゃうかもしれない」
「俺だって家族がいるんだぞ」
シグは不機嫌そうに言った。僕だって、それを考えなかったわけじゃない。
「もし、僕が脅迫する側だったら、の前提で話すけど自由市民と都市戸籍のない子供達なら後者を狙うよ」
都市の中でも都市住民の居住地は冒険者上がりの兵士たちが警邏隊を組んで密に巡回している。ましてシグの家は薄い壁で隣と仕切られただけの長屋だ。
よほどの手練れじゃなければ気づかれずに住民を拉致するのは難しい。
さらに言えば自由市民が被害に会えば領主府が徹底的な捜査に乗り出す可能性も高い。
だけど、ルガムが子供達と住んでいるのは住宅街から離れた一軒家である。
その上、ルガムも含めて都市戸籍を持っていないので、被害を訴えても熱心な捜査を受けられるか疑問だ。
僕ならルガムが留守の隙に家を襲って子供を連れ去る。だから、表立ってはルガムに協力させられない。
「ステアの教会だって女子供ばかりじゃないのか?」
シグの問いは的はずれなものではない。
「確かに、押し込んで人を攫うだけなら『荒野の家教会』もやりやすいだろうけど、僕ならあそことは揉めない」
『荒野の家教会』はその政治力で国家中枢とのつながりも持っている。なので、その施設を襲撃して、犯行が露呈すれば後々まずいことになる。
何より『荒野の家教会』に武力がまるでないわけでもない。僧兵も抱えていれば暗殺者も隠しているという。しかも、ステアや三人組の地元でも影響力を持っている組織なのだから、まず堂々とは手を出さないだろう。せいぜい、外に出たステアを直接攫うだけだ。
それなら、事故に紛れてステアを消すか、脅して口を塞げば何もなかったことにできる。
「だから、ステアの方もなにか手を打つよ。例の三人組が今晩にでも逃げ帰ればそれで終わりだし、裏に何もなければ僕たちはただの間抜けになるんだけど、シグも協力してくれる?」
僕は立ち上がってシグの方に顔を向ける。
シグは渋い表情を浮かべていたのだけど、結局は頷いた。
助けを求められると断れない。彼は確かに英雄の資質を持っている。




