少年、階段を昇り件のウサギに遭遇する
僕たちは地下三階を、上に戻る階段を探して進んだ。
僕たちが落とされた箇所からすぐに地下四階に降りる階段があったのだけど、こんなものは当然無視だ。
全員が血や汚物に塗れて、精神的にも限界に近いところにいるものの、幸いなことに僕たちは無傷、そのうえ魔法も今回はほとんど使っていない。
ああ、これなら上手くいけば生還も可能だ。などと思っていたらあっさり上に向かう階段を見つけた。
「よし、いいぞ!」
シグは小さく頷き、慎重に階段を上り始めた。
滑りやすくて登りにくい数十段の階段を僕たちは足取りも軽く上った。
調子に乗ったヘイモスは三階のフロアに向かって「しばらく来ねーからな!」などと楽しそうに喚いている。
階段を上りきった僕らは、その疲れを癒すためにその場で休憩を取った。
皆、上機嫌で、ステアに至っては神の加護だと信じ切っている。
「大騒ぎした割にたいしたことなかったな」
パラゴが軽口を叩く。
僕も、あえて水を差す様な言葉を差し挟むのは避けた。
このまま帰還できれば笑い話だ。
しかし、そう簡単にいくものではない。
ここは悪意に満ちた迷宮だ。
そんな事実を僕たちはヘイモスの死という形で突きつけられた。
*
最初、その魔物は暗がりで小動物に見えた。
遭遇してすぐに、それが大ネズミの仲間ではないことがわかった。
大ネズミは目の高さまで飛び跳ねたりしない。敵は高さを変えては体当たりや噛みつきを繰り返す。
数は五匹。
あっという間に前衛の三人がそれぞれ一体ずつを葬った。
僕は敵の正体を見破ろうと目をこらしていた。不意に動物たちの内、一匹の特徴的な部分が目に入る。
「ウサギだ!」
僕より一瞬早くパラゴが叫んだ。
通称首切りウサギと呼ばれるこの魔物は、地下二階をうろつく初心者に取って最初の恐怖を与える存在だと言われていた。
残った二匹のウサギは同時にヘイモスに跳びかかり、一匹目の攻撃は上手く躱したものの、二匹目の攻撃を防げなかった。
致命的な失敗。
今まで耳をひた隠しにしたウサギの、耳を使った攻撃こそヘイモスは対処するべきだった。
高速で振り抜かれたウサギの耳は、狙い通りヘイモスの首を捉え、そしてこれを斬り飛ばした。
冗談のように高く飛んだヘイモスの頭部は、ゴチッという音を立てて地面に転がった。
それでもルガムは遅滞なく動き、その首切りウサギに棍棒を叩き込む。小型の魔物は空中でバラバラになって絶命した。
戦闘は、シグが最後の一匹を仕留めて終わるはずだった。だけど、シグはゆっくり崩れて落ちるヘイモスの体を見つめたまま固まっていた。
火か、眠りか。
耳を出してシグに飛びかかったウサギに僕は『眠れ!』と魔法を掛け、成功した。
飛び跳ねたまま意識をなくしたウサギはそのままの勢いでシグを跳び越え、壁にぶつかった。
「しっかりしなよ!」
言いながらルガムが、最後のウサギを叩きつぶした。
僕とルガムを除いた三人はそのまま凍り付いたように首のないヘイモスの死体を見つめていた。
「これ、どうするの。持って帰る?」
ルガムはヘイモスの頭をひょい、と拾い上げた。
蘇生の場合、可能なら全身が揃っている方が望ましいが、困難な場合は頭部さえあれば、多少の手間と引き替えに蘇生は可能である、と組合付きの寺院事務官の言葉を思い出す。
「いや、でも金貨千枚でしょ。払えないよ」
僕とルガムは借金漬けだし、シグは自由市民だが無産階級で富裕ではない。ステアに至っては冒険の上がりのほとんどを教団に納めているという。
「ちょ……ちょっと待ってくれよ。ヘイモスは仲間だぜ、置いていかないでくれよ」
ようやく正気に戻ったパラゴが慌てて言った。
いつの間にか、その横でステアが泣き崩れている。御守りによる自己催眠が解けたのだとしたらマズい。
「パラゴ、お前とヘイモスは蘇生費用の積立をしているか?」
シグがかすれた声を出した。感情が振り切れているのか、抑揚もない。
「いや、それは無いけどよ、どうにかしてかき集めるよ」
たかが、一介の新人冒険者にかき集められる程、金貨千枚というのは安くない。
人生を担保に入れてもせいぜい金貨百枚が借りられる上限だろう。
そして、速やかに蘇生を施さない場合、死体は十日ほどで蘇生不能になる。
「じゃあ、頭だけを持って帰ろう。申し訳ないが体を運ぶ余裕はない。ア、おまえが持ってくれ」
「うん」
初めて名前を呼ばれたな、なんて思いながら頭部をルガムから受け取り、僕はそれを自分のリュックに突っ込んだ。
血が付いてリュックが汚れたが、そもそも地下三階に落ちた時点でもはやこれ以上無いほどに汚れているので気にはならない。
蘇生が困難であるとは承知しているけど、少なくともヘイモスには墓が作れる。シグが考えているのはそんなところだろう。前のドロイという盗賊は丸ごと置いて帰った為に墓も何も無かった。
「それはいいけどさ、ヘイモスの代わりにはあんたが前に出るんでしょ」
ルガムがパラゴに向かって聞いた。
前衛は三名が必要で、そうでなければ後衛まで直接攻撃を受けてしまう。
前衛と違って後衛の僕たちは武器も、ろくな防具も身に付けていない。
つまり、前面での戦いに僕たちはまるで向いていなくて、もし前衛に立てばあっという間に死んでしまう。
それでも、布製の服を身に纏っただけの僕やステアとは違って、パラゴは革の鎧を着ている。
僕が素手。ステアは長めの杖を持っているけど、転倒防止の為のものでまったく戦闘向けじゃない。対して、パラゴは大ぶりのナイフを持っている。
しかも、体力も腕力も、貧弱な僕やステアと比べるべくもない。シグやルガムから見ればドングリの背比べなんだけど。
「お……おう」
事前に打ち合わせていたことではあるが、いざその時が来たのだ。
パラゴは泣き笑いの様な表情でそれを了承した。
いかにレベル差があろうが、首を飛ばされると死にます。




