冒険者始めました
――いつからだろうか。
――この町が嫌いになったのは。
地元は漁業が盛んな港町。四季を通して色々な魚が市場には並んでいた。外国からの輸入品も多く、観光客や商人で賑わいを見せていたが、それも十年も前の話。今は出稼ぎで上京する若者も少なくない。
こんな片田舎の港町。就職先も漁師か町役場の職員、工場勤務。いずれにしろ若手は少なく、高齢化が進んでいる。
町の雰囲気は温厚。町ですれ違う人がいるならば、誰もが挨拶を返して知らぬ人はいなかった。人情に熱く町民全員が助け合いの精神で生きていた。それでも、こんな町が息苦しかったのかもしれない。
町にいるくらいなら出ていった方がましだと心に決め思い切って上京したのだった。
やらないといけないこと――
――つまり、職探しだった。
▽
「転界から連絡を受けました、まもなくこちらに冒険者一名派遣されてきます」
転界の使者から送られてきた一枚の羊皮紙を受付嬢が読み上げる。
「もうそんな季節なのですね。いつ振りかしら」
受付嬢から羊皮紙を受け取りながら、窓の外を見ていた女性がつぶやく。
「ええと、ここ半年はいなかったはずですよサラサさん」
「そうですね。冒険者なんて本当に久しぶり。ではシャーレ、受け入れの準備をしますよ。書庫から説明書を取ってきて下さいな」
「はいです!」
「楽しみですね。どんな方が来るのでしょうか」
シャーレと呼ばれた受付嬢が慌ただしく書庫へと走っていった。後に残されたサラサと呼ばれた女性が、机に広げられた羊皮紙を見る。羊皮紙の内容を見る限り、来るのは間違いないのだが……。
「それにしても……あいかわらずあの子の言葉はさっぱりですわ」
サラサは地球とは違う、異世界ミンストレスの守護女神である。主に転界から派遣される冒険者の配属先を決めている。大体は大きな都市の集会所と呼ばれるところに冒険者を案内してそこから冒険者の育成に務めている。
とは言ったものの、派遣される冒険者はそんなに多くない。転界の気まぐれよろしく、不定期に派遣されてくるため準備が慌ただしくなるのはいつものことだ。書庫に置いてある辞書はラフィ文字取扱説明書である。
「さて、解読に参りましょうか」
△
目が醒めるとそこは見たこともない場所だった。見渡す限り木々で覆われた、どう見たって森の中だ。いきなり飛ばされて、そして森の中とかヤバすぎじゃん! 野生動物に襲われたらどうするんだ。熊とか出てきたらそこで人生終了ですよ!
「で、ここホント何処ですか? 手には取扱説明書がありますが、書かれているのはただ一言。『解放できます』ってなんだぁあああ!」
あり得ない、あり得ないんですけど!? 何ですか、虐めですかこれ。何を解放するんだよ何を! そこが大事なのに何が解放できますだっての。と言ってみたところで何も変わらないんですけどね。とりあえずこの森を抜けて町とか村とか探しますか。……あればいいけどね。
……飽きました。歩けど歩けど見渡す限りの木、木、木。最初は見たこともないくらいのデカい木でちょっとばかりテンションが上がっていましたが、それも既に過去の事になりました。そりゃあね、何時間も同じような木を見ていたらそうなりますよ。ただ救いなのは、今のところ強暴そうな野生動物とかには出逢っていません。兎っぽい生き物や、鹿っぽい生き物は見たけど、狼や熊とかはまだ見ていないので本当に運がいいのかもしれない。
と、そんな事を考えていたからでしょうか。ガサッと大きな音がすぐ近くで聞こえてきました。物凄く嫌な予感がしてならないんですが、これはもしかすると大ピンチなのではないでしょうか!
「Guruuuuu……」
「……」
声にならない叫びが出そうになった。でも恐怖で声すら出ないし、体は小刻みに震えるのみ。そんな状態の俺をじっくり観察している
のだろうか。紅い瞳を爛々と輝かせ、蜥蜴のような顔と熊に似た体の大きさをした見たこともない化け物は、舌なめずりをしていた。この世は弱肉強食。心の中で親に別れを告げました。ありがとうマイマザー! マイファザー! 落ち着こう。とりあえずこの危機的状況を抜けるには熊と遭遇した時の対処を思い出そう。
――確か、背を向けずゆっくり下がるんだっけ?
おそるおそるゆっくり、一歩また一歩ゆっくり後方へと下がってゆく。化け物から視線をそらさず距離を遠ざけていくのだが。
「Guraaaaaaaa!」
……無理でした。うんうん、知ってる知ってる。わかってましたとも。そら熊じゃないもんね、化け物だもの。凄い勢いで迫ってくる化け物に対して俺は、全速力で逃げ出した。正直世界新でも狙えるかの速さだと思うくらいに。
「うわぁああああああああああああ、助けてくれぇえええええええええええっ!!」
見た目はとてもダサいが。
化け物はその図体のデカさとは裏腹に、軽快な動きで俺に迫ってきた。駄目だ、このままじゃ追いつかれる。そう思ったとき、目の前に複数の人がいるのが見えた。こっちに手を振っている、助かった!
「そこの人達ぃいいいい、助けてくださぁあああああい!!」
俺は急いでその人達の所へ向かう。そして、ゴウッと言う音と熱が俺の横を通り過ぎたかと思うと、後ろにいた化け物と思われる叫び声が響いた。確かに見た。複数人のうちの一人が杖を構えて何かを唱えた後に、炎の塊が飛んでいったのを。俺は走るのを止めて振り返る。俺を追いかけていた化け物は、炎に包まれ息絶えた。あぁ、俺は――
「助かっがっ!?」
後頭部に激痛を感じた瞬間、俺はまた目の前が真っ暗になった。
ガタゴトと揺れる馬車の中、色んな人達が鎖に繋がれていた。耳が長い人、動物の耳をした人、俺と同じ普通の人。みんな虚ろな目をして顔を伏せていた。これは所謂奴隷というやつですね解ります。そして、俺も今、鎖に繋がれ寝かされている。……奴隷落ちってやつだなハハハ。笑い事じゃないって話だけど、どうしようもないかなと思ってきた。
どうやらここは俺が知っている世界じゃないらしい。あの時俺は、自称天使に異世界に飛ばされたらしい。面接に行ったら、異世界に飛ばされましたとか何処のラノベだ! まぁ、奴隷から始まるとかもう既にゲームオーバーな感じがしますけどね。天使じゃなくて悪魔だなあれは。
さて、奴隷から始まるなんたらじゃあ将来性がない。色々思うところはあるものの、切り替えなくては。どうにかして逃げ出して、考えるのはそれからでいいか。……うーん、見た感じ強そうな獣人さんとかいるんだけど、大人の男性達は力なく倒れこんでいるから協力してもらえなさそうだな。しかも傷だらけときた。倒れていないのは大体が子供と女性だ。ふむむ、これは難しいですな。獣人さん達がここまでやられているのだ、馬車周りにいる護衛の奴らはそれなりに強いのだろう。……どうしよう。
「おい、君。大丈夫か?」
声が聞こえた方へ振り返ると、イケメンがそこにいた。俺と同い年か少し上に見える赤い髪の少し声が甲高いイケメンがこちらを心配そうに見ていた。お前、俺が女だったらそれだけで惚れてまうぞ! チョロインですどうも。こんな事を考えられるということは、まだ心が参っていない証拠だな。
「まぁ、奴隷として捕まっている以外はそこそこ大丈夫かな。それで、イケメンの君は?」
「いけめん? ちょっと意味が解らないが、僕はユノ、君のちょっと前に捕まった者だ。どうやら君はここから逃げ出そうと考えているみたいだが、協力しないか?」
……正直怪しいです。物語的に言うならこいつは奴隷に紛れ込んだスパイ的な奴で、俺達を内側から監視している護衛の誰かの可能性がある。ふふーん、私は騙されない! とは言うものの、俺一人じゃどうにもできないので、協力するフリして利用することにしよう。田舎者と馬鹿にして騙されていた俺とは違うところを見せてやる。
「いいけど、どうするんだ? 戦力的に無理じゃないかと思うんだが。それに俺は戦力外だぞ。戦ったことすらないし」
言ってて空しくなるが仕方ない。どうやってもここでは役立たずだ。この世界の事も知らないし、護衛の奴等がどれくらい強いかも解らない。
「それは残念だけど仕方ない。僕も正直戦うのは得意ではないしな。出来れば獣人の方に動いていただければ楽だったんだが、あの怪我では動くのは無理だろう。それに女性に戦わせるわけにはいかない。なら、僕と君、どちらかが戦わなくてはいけないだろうな」
どちらか、か。だが、少し好感が持てたな。女性を戦わせないというところに。フェミニストを語るつもりはないが、そういう考えは嫌いじゃない。しかし、俺もイケメンも鎖で繋がれているから身動きがあまり取れない。鎖をどうにかしたとしても二人じゃどうにも出来ない気がする。それに、この奴隷の人達を置いていくのは流石に気が引ける。他に誰か協力者がいてくれたら……。
「あ、あの!」
犬耳の可愛い女の子が話しかけてきた。こういった状態でなければ喜ぶところなんだけれども。
「どうしたんだい可愛らしい御嬢さん?」
流石イケメン、爽やかに受け答えをするイケメン。何から何までイケメンじゃないかこいつ。
「わ、私も協力します。早くしないと奴隷紋を刻まれてしまいます。その前に何とかみんなを逃がさないと!」
犬耳をピンと立て、外の声を聴いているのだろう。どうやらもう少しで馬車が止まって、俺達一人一人に奴隷紋とやらを刻んで本当の奴隷落ちにしてしまうらしい。一度奴隷紋を刻まれると、一生消えないので、死ぬまで奴隷扱いを受けるのだとか。
ミルティと名乗る犬耳の獣人娘は、それに気づいたため俺達の話し合いに参加したのだ。だが、彼女が来たからと言ってどうにもなりそうにない。犬耳娘ちゃん自身も荒事が苦手らしく、今まで戦闘経験がないと言っていた。どうやっても詰みなんだが。
「うぅ、すいません。私に出来ることと言えばちょっとした治癒魔術で痛み止め程度にしかならないです……魔術適性がとても低くて」
魔術が使えるだけ凄いと思うけど、痛み止めじゃ意味がないか。もしこの中にいる獣人達全員に治癒魔法をかけれたら何とかなったかもしれないんだけども。それは高望み過ぎるな。
「……やはり誰かが奴等の目を引いて一斉に逃げるしかないのか。それなら戦闘経験のある僕がやるしかないな」
イケメンがそんな事を言い出した。確かに戦闘経験があるなら適任かもしれないが、俺はこの世界のことを何も知らないし、犬耳娘ちゃんはこういったことには向かない。なら俺が囮になれば少しは成功率が上がる気がするけど、正直怖い。死ぬかもしれないってなると俺がやるとは言えない。つくづくラノベみたいにはいかないもんだ。
「悪いが、お前たちの話は聞かせてもらった」
「ぐぁっ!」
そして運が悪いことに、護衛の一人である男が馬車の中に入ってきていたらしく、イケメンが殴り飛ばされてしまった。
「ふん、ガキ共がくだらん事を考えやがる。まぁ、動けない獣人共に女子供ばかりだからな、何も出来やしない。どちらにしろお前達は俺達の金づるなんだ、大人しくしていればいいんだよ。折角労働用の獣人共を捕まえたんだからな。さて仕方ねぇなぁ、そこの獣人の雌を見せしめに殺すか。そうすりゃ黙んだろう」
「きゃあ!!」
腕を引っ張られた犬耳娘ちゃんが悲鳴を上げる。それを聞いた俺は咄嗟に体が動いた。
「止めろぉおおおおおっ!!」
俺の渾身のタックルで、男がバランスを崩す。そして犬耳娘ちゃんから手を放した。すかさず犬耳娘ちゃんの前に踊り出たはいいが、男が腰に下げていた剣を抜いたような音が聞こえ――
「あぁあああああああああああああああああ!!!」
背中からの衝撃、そして腹から何かが生えているように見えるこれは……男の剣が俺を刺し貫いたのか。……焼けるような痛みと苦しさに頭がおかしくなりそうだ。
「いた、ぐぅ……ごほっ!」
あまりの痛みに気を失いそうになる。ヤバい、これは間違いなく死ぬ。何だよこれ、何でいきなり死ぬ羽目に遭うんだよ。いきなり異世界に来て、森に放置されて、魔物に襲われて、わけも解らず奴隷にされて、そして死ぬのかよ。呆気ない終わりだなおい。展開早すぎて付いていけないぞ。
――くっ、駄目だ。意識が遠くなってきた。あぁ、せめて目の前の子だけは救ってやりたいな。俺の肩を掴んで泣きながら何かを叫んでいる。霞んでよく見えないけど、イケメンが男と戦っているっぽいな。あいつは敵じゃなかったみたいだ、良かった。このまま、俺は何も出来ないで終わりそうだ。
……ちょっと待て。これで終わりとかあり得ないっての! 俺、この世界に来た理由も、何をするのかも解らないまま、終われない。それに、俺の『ジョブ』とやらもどう使うか解らないけど、これが使えたら、もしかしたら目の前の子を『解放』出来るかもしれない!
「あっぐ、いってぇ。けどまだ、生きてる」
動いた分だけ痛みが増すが、気にしていられない。この痛みのおかげで何とか意識を保てるし、生きている実感が湧く気がする。何とかして俺のジョブの力を使わなければ。
「動かないでください! 今、治癒魔術を」
涙目で俺の傷に治癒魔法とやらを使ってくれる犬耳娘ちゃん。痛みが少しだけど和らいでる気がする。でも、どちらにしろこれでは間に合わない。俺の死がゆっくりと近づいてくる。その前に俺は――
「ごめんな、手間かけさせてしまって。でも、何とか……君だけは、『解放』して、みせるからっ!」
そして俺は彼女の手を握る。すると、彼女がほんの少しだけ光る。まるで何かが宿るかのように。
「えっ? 何これ! そんな……でも、これなら!」
彼女が力強く俺の手を握る。そして彼女から眩い光が溢れる。
「大丈夫、もう大丈夫です。あなたから貰ったこの力なら、あなたもそしてみんなも癒せる! 皆に光り輝く祝福を、キュアライトオール!」
彼女から溢れた光が俺や傷付いた者を包み込んでいく。そう、傷付き倒れ、今まで動けなかった獣人達をも。
「ちっ、まさか治癒魔術を使う奴がいやがったとは!?」
驚く男の肩をポンと叩く獣人の大男がニヤリと笑う。
「おう、おかげで動けるようになったぜ」
「さーて、お前等覚悟しろよ。次は不意打ちなんていう事も出来ないからな」
「怪我さえしてなけりゃお前等如きに後れを取る俺達じゃないんだぜ?」
怪我が治った獣人の男達が一斉に動き出し、まずは護衛の男をぶっ飛ばす。馬車から凄い勢いでぶっ飛んでいく護衛の男に流石に異常事態に気付いた他の護衛が、馬車に飛び込んで来ようとして逆に飛び込んできた獣人の男達にフルボッコにされる。これはある意味爽快だ。ちぎっては投げちぎっては投げ状態に、既に大勢は決したと見ていいだろう。そして、最初の大男の獣人さんがこっちを見て言う。
「ここはもう大丈夫だ。俺達で片をつける。だからとっととここから離れろ!」
サムズアップをする獣人の男達に頭を下げ、俺と犬耳娘ちゃんとイケメンはそこから走って離れた。多分これ以上は見てはいけないだろう。彼等は奴隷商とその一味を決して許さないはずだ。ならば、この後の光景は想像できる。
「はぁ、はぁ、これから、どうする?」
息を切らしながら走る俺と、そんな俺に合わせてくれる二人に声をかける。別に俺に付いてなくても良いはずなのに、二人は俺と行動を共にしてくれていた。
「えっと、そうだね。ここからもう少し行った先にトゥノークという街があるんだ。そこに行こう」
イケメンことユノが行先を決める。俺はそれに異を唱えずに頷く。だって、この世界のこと何にも知らないし。ていうかですね、腹に剣刺されたばかりで体力は回復していないんですよ俺。だから、もう少し、ペースを落としましょう。
「行ってどうするんですか?」
犬耳娘ことミルティがユノに聞き返す。凄いですね君達。息切れとか起こさないんですかね? 俺はもう倒れそうですよ?
この世界の住人は体力があるのかもしれない。
「折角出会えたんだ、僕達で冒険者パーティーを組もうよ!」
「はい?」
その言葉の意味が解らず、俺は間抜けな顔で聞き返した。
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そして俺達は、この先の街、トゥノークで冒険者になりました。端折りすぎだって? これでも長いと思うんだよなこの昔話は。勿論、この後も色々とありはしたが、正直語るほどでもないんだよね。魔物に襲われて、ユノとミルティが戦って、俺は何とか生き残っていただけだし。二人におんぶにだっこで恥ずかしいんだよこの時の俺は。
まぁ、今も変わらないんだけどね。