霊感少女とガーネット1
「冗談、ですよね?」
笑い飛ばそうと乾いた声で笑ってみせれば、形のよい眉がつり上がった。明らかに「何を言っている」と言いたげな顔だ。
冗談だと笑い飛ばせない雰囲気に、笑い声も消える。
「あのーー本気ですか?」
「本気も何もないだろ」
宝石商人である星さんは、手元の本に目を落としたまま答える。
マリモビルと勝手に命名したビルの二階に星さんの店「星の家」がある。このあたりにそういった店はないらしいのだけど、現に店はあって星さんという才能石鑑定人もいる。最近始めたばかりなのかもしれない。ーー怖くて聞けないけど。
前職の同期で今でも友人でいてくれる真由美は「怪しすぎる! ちゃんと身元ははっきりさせた方がいい」と言っていたけど、きっと聞いてもはぐらかされて終わりだろう。別に悪い人じゃないーーと思う。思うんだけど・・・・・・。
「依頼料、三百万ってーーあの、本当ですか?」
何が何でも高すぎる。今回のように、何かを依頼するようなサービスを利用したことがないから相場なんてわからない。でも、それにしてもーー高すぎる。
とてもじゃないが、簡単に払える金額じゃない。
桁を言い間違えただけだと、僅かな希望に望みをかけ星さんの顔を見つめれば、大きなため息が返ってきた。途端、ぱたんと音を立て本が閉じる。
「依頼料は三百万。あんた、払うって言ったよな?」
言った。確かに星さんに「お金は払うから」と約束した。このときどのくらいの金額になるか確認していなかったから、こんなことになっているんだ。つまり、結局は私の認識が甘かったということ。真由美なら、間違いなく消費者センターに行きなさいって言いそうだけど。
「・・・・・・分割でもいいですか?」
「なんだ、『払わない』って言わないのか」
できることなら言いたい。三百万なんてこつこつ貯めていた貯金をひっくり返しても足りないほどの大金だ。でもーー。
「・・・・・・払うって言ったのは私ですから」
そう返せば、星さんは組んだ両手の上に顎を乗せ、何かを考え始めた。合否を言い渡される受験生の気分だ。
「まあ、いいだろう」
星さんはそう言って背もたれに寄りかかった。
「分割払いで三百万。期限や月々の支払いはあんたに任せる」
「え?」
「なんだ? 不満か?」
「い、いえ。そういうわけじゃ」
「ならいちいち声を上げるな」
星さんは再び本を広げると目を落とした。
本当にいいのだろうか。
分割なら契約書くらい交わすべきじゃないだろうか。もし私がこのまま消息をくらませれば、私の本名どころか住所や連絡先も知らない星さんが困るだけだろう。
それに、分割回数も分割金も私の自由ってーー。完全に子供とのやりとりだ。まあ、見方を変えれば私を信用してくれているってことだろうけど。
でもやっぱり、納得できない。
私は財布から千円札を取り出すと机の上に置いた。
「頭金です」
星さんは本から視線を上げ机の上を見た後、再び本に目を戻した。
「まだまだ道のりは遠いな」
そんなにたくさんのお金、持ち歩いているわけないでしょ!
心の中でべーっと舌を出した後、私は星の家を後にした。
1
時刻はまだ、四時になったばかりだった。今月は一年でもっとも日が短い冬至のある月だ。もう一時間もしないうちに日は落ちるだろう。
私は車に乗り込むと三十分ほど先にある総合病院に向かった。
どこか病気なわけでも怪我をしているわけでもない。お見舞いだ。
「元気にしてる? 渚」
大部屋に並ぶ四つのベッド。そのうち埋まっているのは、窓際の左側のベッドだけ。しかし、ここもまたすぐにいっぱいになるのだろう。
「元気じゃないからここにいるんでしょ」
視線を上げた少女は、じっと見据えるような瞳で私を見た。
「あれ、夕飯もう来てるじゃん」
しかし、渚は一口も手をつけておらず、上体を起こしたまま厚い小説を開いていた。既視感のある光景に思わず眉間にしわが寄る。
「食べないの?」
来客用に用意されているパイプイスを広げ、座れば明らかに不機嫌な妹の顔が飛び込んできた。
「どうしたの?」
「別に」
ベッドの台に置かれた食事を盗み見る。渚は好き嫌いしなければ、まずくてもきちんと食べきる。それは私も例外ではなく、母の教えが行き届いているおかげだろう。
確かに病院食は味付けが薄く、品目も若者の好きなものではない。病院で出された料理を食べたことがないので偉そうなことはいえないけど。
そう言えば、前回入院していたとき「時間が早すぎてまだお腹すいてない」とか言っていたっけ。今回もそれかなと思ったときだ。
「華菜はさ、幽霊って信じる?」
「い、いきなりなんなのよ」
あははと乾いた笑いを漏らしながら、居住まいを正した。
渚とは八つ年が離れている。大学生の妹が「幽霊を信じているか」なんてーー。
冗談に聞こえない。
音を立て本を閉じた妹は、真剣な眼差しで返事を待っているように見えた。言葉が詰まる。
私たちは八つも年が離れているというのに、親からも周囲からも「妹の方がしっかりしている」と言われる姉妹だ。どうもこうも年上の私のほうが、危なっかしいらしい。全然そんなことはないけど。
渚ははっきりとした性格の子で、小さいときは弟と間違えられた。顔立ちも私よりはっきりしているから「美人さんだね」って言われている。でも、昔から体が弱くちょくちょく入院しては退院を繰り返す。
そんな妹の刺さるような瞳に、私が耐えられるはずもない。
ましてや幽霊なんてーー信じたくもない話だ。
でもーー。
「いる、んじゃないかな?」
あのマリモビル周辺にはいそうだ。まあ、幽霊というより妖怪の類だろうけど。
「みたことあるの?」
「・・・・・・ないけど」
「それじゃあ、いるっていう根拠は何?」
「ちょ、ちょっと待って。渚、どうしたの?」
畳みかけるように言葉を投げかけるのは、昔から何かあったときの癖だ。
渚はふっと息を吐くと、おぼんの上に乗っている湯飲みに手を着けた。
私は気が気でならない。もしかして渚は、命に関わる大病を患ったことがないものの、このままでは死ぬのではないかと妙な考えを巡らせているのではないか。そんなこと、絶対ないのに。
よく「病は気から」と言う。もし、渚がそう思っていたらーー。
「華菜、今変なこと考えているでしょ」
「へ?」
思わず、間の抜けた声が出る。
両膝を抱えた渚は、頭を膝の上に乗せ見通すような視線を投げかけてきた。
「もしかして、『渚は自分が死ぬんじゃないかと思っているかも』とか考えている?」
・・・・・・さすが、我が妹だ。
「言っておくけど、そんなことミジンコほどにも思ってないから。てか、私が死ぬなんてあり得ない」
まだやりたいことは、山ほどあると目をぎらぎらさせて語っている姿を見て、いつもの渚だと思い直した。
そんな渚がふと何かを考えるように視線をさまよわせる。少し間が空いた後、ねえっと重い口を開いた。
「・・・・・・霊感少女って聞いたことない?」
「霊感少女?」
首を傾げれば、「そうだよね」と渚は声を漏らした。
「最近、病院で噂になっているの」
何でも、自称霊感のある少女が西棟三階の端にあるトイレに女の子の霊がいるとか、受付の待合い席に着物を着た女の人が立っているとか、嘘か本当かわからないことを口走っているらしい。
「お見舞いに来ている子なの?」
そう訪ねれば渚は頭を左右に振った。
「一ヶ月くらい前まではね。でも、もう見舞う人は・・・・・・」
渚の表情が暗くなる。「そっか」と言葉を漏らせばふと疑問を抱いた。
「・・・・・・それじゃあその子は、どうして病院に来ているの?」
「知らないよ。学校帰りに来ているみたいだし。用もないのにやってきて、『ここに男の子の幽霊がいる』とか何とか言ってみんなを怖がらせるし。ちょっと迷惑しているんだよね」
主に看護師さんたちが、と渚は付け加える。
「私は会ったことないし、幽霊とか信じてないから看護師さんの噂話につき合っていただけなんだけどね、最近さらにやばい話になって」
渚は周囲を確認すると、手招きして呼び寄せる。ちょっとだけ身を乗り出せば、渚は耳元でささやいた。
ーーその子に才能石が現れた、と。
「本物かどうか知らないけどね、そう本人が言っているみたい」
何でも幽霊をみることができる才能石なのだと本人は言っているようで、実物を見せて回っているという。
「看護師さん曰く、赤い石だったって。ルビーかな?」
「さ、さあ? どうなんだろうね」
ダイヤモンドの才能石の件を渚は知らない。私が例の通り魔事件に巻き込まれたことは家族全員知っているものの、その裏に才能石の存在があったことを知っているのは、私と真由美、そして才能石鑑定人である星さんだけだ。
それくらい才能石の存在は、秘密にされる。
「まあ、そこからが大騒ぎ」
渚は肩をすくめた。
「それまで半信半疑だったし、信じれば支障しかなかったから構ってほしいだけのかわいい嘘っていう認識でみんないたからさ。証拠になるようなものを見せつけられてから、状況が一変」
みんな彼女の言うことを信じたという。ーーただし、数日だけ。
「その子、誰にも触らせないんだよね」
才能石は、その人の才能そのもの。しかし、それを奪われればその才能は奪った者の才能になる。
そんな噂があるから、「才能石に触れているときだけ、他人に才能を享受できる」なんていう噂がある。もし、それが本当なら私はあのダイヤモンドに触れているときだけ、「一つのことをやり遂げる志を持つ」人間になっていたはずだ。・・・・・・まあ、あのダイヤモンドが示す才能は、特別なものというより状況や性格的な面で誰にでも一時はなることができるものだろう。
しかし、「幽霊がみえる」というのははっきりとした才能の一つだ。ちょっと前までは体質だとか言われていたけど、体質も見方を変えれば才能になる。絶対音感もそうだ。できない人間の方が圧倒的に多い。
そんな才能石に触れることを少女は頑なに拒むのだという。
その後どうなったのかは、目に見えるようだ。
「大丈夫なの?」
渚は少しだけ険しい表情を浮かべた。
「まあ、身体的には大丈夫なんじゃない?」
ということは、精神的には大丈夫じゃないということなのだろうか。
「学校でも言いふらしたみたいで、無視されているらしい。けど、本人は至って普通みたいだし看護師さんたちもちょっと気にかけているみたいだからまあ、大丈夫っちゃ大丈夫かな」
でも、相変わらず妄言は止まらないという。
「その子、本当のことを言っているかもしれないよ?」
会ったこともない少女をかばえば、渚から大きなため息が聞こえた。
「そんなのわからないじゃん。他に『幽霊がみえる』っていう人がいてその人も同じことを言えばちょっと信じられるかもしれないけど」
渚は箸を持つと、たくわんを摘んで食べた。お腹がすいてきたらしい。
「とにかく、病院内で大流行中の噂かつ出来事だから、華菜も気をつけてね」
あははと私は笑って返した。気をつけてと言われても何をどうすればいいのか。ただの見舞い人の一人で、仕事もしているから滅多に病院には足を運べない。そんな私が少女と会うことはないに等しい。
仮に会ったとしても問題はないのではないかと思えば、渚は無言で箸を動かし始めた。いきなりどうしたのかと思ったが、時計を見て納得した。
もう、七時前である。
食事は基本、六時から七時までで残されたものは残飯として破棄されてしまう。
「年末には退院できるんでしょ?」
「ん、まあね。早ければ一週間以内には退院できるって」
「そっか。じゃあ、これ」
鞄の中から白い紙袋を取り出した。
「何これ?」
「星兎さんの新作。渚読みたがってたじゃん。それ読んで暇つぶしな」
「え、何! 華菜、買えたの!」
紙袋から一冊の本を取りだした渚は、それこそ星のように目を輝かせた。
星兎という作家を知ったのは数年前。私が働き始めて数年が経った頃だ。渚が大ファンで是非読んでと薦められたのがきっかけで読むようになった。
年齢も性別も出身も不明。それに出版社を通さず自費出版でネット上にのみ発売しているため、売り切れれば最後、作者が再販してくれなければ購入できない。口コミで人気が広がり、今では新作が出ると一週間経たないうちに完売になる。部数が少なければ少ないほど、手に入れられる確率もぐっと下がる。
「これ、発売日の夜には完売してたから。ああ、めっちゃ嬉しい!」
ありがとうという渚に「読み終わったら貸してね」と返した。
「それじゃあ、そろそろ帰るね」
立ち上がれば、寂しげな渚の瞳がこちらを写した。
「もう帰っちゃうの?」
私はうなずいた。
「もう七時だし。時間も時間だしね」
窓の外は真っ暗なんだろうなと思いながら、すでに心は明日へと向いている。明日からまた仕事だ。
じゃあねと手を振って病室を後にした。