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とある冬の日1


「返して! 警察呼ぶわよ!」

 突然響きわたった叫び声。まだ幼さの残る少女の声は、黒板をひっかいた音のように私の心をざわつかせた。

 さて? 誰に向かって言っているのだろう。

 辺りを見回してみるけど、それらしき人の姿は見あたらない。

 私と少女以外、この通りに人らしき影も気配もない。

 何となく、イヤな予感がする。

 ショッピングモールで買い物をしたあと、店内で「石のミュージアム、オープン記念! 本日入館無料」というチラシをもらい、地図をみながらここまで歩いてきたのだが、ぽつりぽつりと住宅が建つようになって、迷ったかもと思った矢先の事だった。

「あなたが盗ったって、わかっているのよ! 早く返して!」

「ちょ、ちょっと待って。私、何も盗ってないよ」

 子供の扱いには慣れていない。むしろちょっと苦手だ。

 しかも、こんなに怒っている子の相手なんて……。

 とにかく、安心させようと微笑んで見せたが、どうやら逆効果だったらしい。

「嘘つき」

 うっと思わず言葉を詰まらせる。

 立ち直れそうもないほど、身の内側が切り裂かれている気分だ。・・・・・・今日は寝られないかも。

「ねえ、早く返して。……もしかして、警察なんか呼ぶわけないって思っているの? あたし、本気だからね」

 そう言って、少女はポケットから何か取り出した。――携帯電話だ。

「ねえ、ちょっと待って。私、本当に何もしてないってば」

 必死の訴えも虚しく、彼女は110のダイヤルを押した。あと、通話ボタンを押せば、警察につながる。

 こちらを見据える彼女の目は本気だ。近くで庭の手入れをしているのか、電動鋸の音がうるさい。

 また、警察のお世話になるのかと頭を抱えそうになったときだ。

「どうかしましたか?」

 振り返るとキラキラという言葉がしっくりくる若い男が立っていた。

 少女マンガの登場人物みたいだ。

「この人があたしのものを盗ったの!」

 少女は間髪入れず、私の方を指さしながら言い放った。

 男の視線が少女からこちらに向けられる。「本当に?」と視線だけで問われた気がして、大きく首を左右に振った。

「たまたまここを通りかかっただけです」

「嘘! 絶対に盗った!」

 まるで盗む瞬間を見たと言わんばかりの気迫に、倍以上年を重ねた私の方が気後れしてしまう。

「お嬢ちゃん、一体何を盗まれたんだい?」

 男が腰を屈め、少女と目を合わす。少女は、気恥ずかしそうに視線を逸らしたあと、「言わない」と小さく返事をした。

「教えてくれないの?」

 少女は、視線を逸らしたまま頷いた。

「どうして?」

 少女は、口を堅く閉ざしたまま何も言わない。

「そっか。教えてくれないか」

 そう言って男は立ち上がると、息を吐いた。

「とっても大切なものなんだね」

 男が笑って言った途端、少女の頬が赤く染まった。確かに、イケメンのお兄さんに微笑まれたら、そうなるだろう。

 端から傍観していた私は一人で納得する。とりあえず、通りすがりの彼のおかげで、警察には行かなくていいのかな。

 しかし、解決したわけではない。

 少女の失くした物が見つからない限り、私は犯人扱いだ。

 困ったな。

 一ヶ月ほど前に警察にはお世話になったばかりだというのに。あのときは、私が被害者だったけど、今度は逆。できることならば、平穏におさめたい。

 何かいい方法はないかな。澄んだ冬の空を眺め考える。

 せめて、彼女が何を失したのかわかれば、それを探してあげられるけど。

「それじゃあ、行きますか」

「え、ちょ」

 考え込んでいた私の手をいきなり掴むと、男は歩き始めた。

「ちょ、どこに行くんですか。手、離してください!」

 しかし、男は離すどころか逆に強く握ってきた。

「いやいや、離せないでしょ。一応君は容疑者なんだから」

「大丈夫です。逃げたりしませんから!」

 周囲から見れば恋人に見えそうで、気が気でならない。こんな綺麗な顔立ちの異性と釣り合う女ではないのだ。

 手を離してほしいと思うが、振り払うほど強い行動には移せない自分の意志のなさに嘆く。もし、振り払ったりしたら、自分が盗ったと疑われるだろうし、何より善意で行動している彼を傷つけてしまう。

 とりあえず、他に人がいないのがせめてもの救いだ。

 彼は手を離しそうもないので、どこに向かっているのか聞いてみた。すると「お嬢ちゃんの失し物を探してくれる人」と返ってきたので、驚いた。

「そんなすごい人を知っているんですか?」

 もしかして、探偵業をしている人なのかな。

 とにもかくにも、私は少女の「大切なもの」を盗っていない。失せ物探しの達人なら、警察を呼ばなくても解決できる。

 なんだか、見通しが明るくなってきた。

 さっきまで胸の奥でわだかまっていた、もやもやっとした不安がびっくりするほど綺麗に消える。

 肩の荷が下りたようだ。

「あ、いたいた。おーい! 先生!」

 いきなりつないでいた手を上げられ、変な声が出た。わき腹がつるかと思った。

 手を振るのなら、空いている手で振ればいいのに。恨みがましく楽しそうな男の顔を一瞥する。

 でも、これでやっと犯人扱いされなくて済む。

 先生と呼ばれた人の方へ視線を向けたときだ。

 相手はまだ遠くにいるらしく、視力の低い私にはぼんやりとしたシルエットしかわからなかった。

 ただ、男の人だということはわかった。買い物帰りなのかビニールの手提げ袋を持っているようだ。

「……何でまた」

 不機嫌な声が聞こえて、まさかと目を凝らした。

「え、星さん?」

 そこには、顔いっぱいに不快だと言わんばかりの宝石商人、星さんがいた。


   1


「やっぱり買い物に来ていたか、先生」

 面白いものを見つけた子供みたいに走り出すものだから、もう少しで転ぶところだった。

 少年みたいな人だな。

 でも、今はそれどころじゃない。探偵かなと思いきや、まさかの宝石商人。それもついこの前、かなりお世話になった人だ。

 星さんは、宝石だけでなく才能石についても詳しい。ある日、突然現れた石を才能石かどうか鑑定してもらうため、蔦のお化けビルに行ったのは、そう昔の話じゃない。

 けど、本人はあまり才能石には関わりたくないようだ。その証拠に、星さんは彼に捕まれた手を一瞥したあと、私の方を見ようともしない。

「鶴、俺は何もしないからな」

「ちょっと待って先生。オレ、まだ何も言ってないけど?」

「言わなくてもわかる」

「そりゃないでしょ、先生」

 星さんと鶴と呼ばれた彼は、端から見れば同い年くらいだ。それなのに、鶴さんは星さんを「先生」と呼ぶ。宝石に関しては専門家だから「先生」なのかな。

 ちょっと気になる。

 そのときだ。

「ねえ、早く取り返してよ。ママが帰って来ちゃう」

 腕時計を見れば、もう四時半だ。空が暗くなっているわけである。

「ママが帰ってくる前に返して!」

 ――と、私に言われても。

「五時までに返さなかったら、今度は本気で警察呼ぶから」

「え! ちょっと待って。私は本当に……」

「あなたの言葉なんて聞きたくない」

 ふいっと顔を背けられ、私はまた落ち込む。ここまで他人に嫌われるなんて。しかもまだ成人にもなっていない少女に。

「……あんた、また厄介なことに巻き込まれているな」

「星さん」

 もうここまできたら、頼みの綱は彼だけだ。

 私は「お願いです」と頭を深く下げた。

「報酬はきちんと払います。なのでこの子の失した物を見つけてください」

 彼の事だ。十中八九、拒否されるだろう。でも、一縷の望みをかけて私は頭を下げた。

 断られたら、もうあきらめよう――そう決めたときだ。

「――まあ、いいだろう」

「え?」

 思いも寄らない返答に思わず声が出た。

 本当に、本当だろうか。

「途中で『やっぱやめた』とか言わないですよね?」

「……相変わらず失礼な奴だな」

「すみません」

 だって、確認しておかないと星さんならやりかねないと思ったのだ。

「先生ー、何でオレが言ったときはダメって言ったのに、この子のお願いは聞くんですか」

 不満そうな青年に星さんは「正当な依頼だから」と正論を返した。

 仕事としている以上、ボランティアではないのだ。そこには必ず対価が必要になる。

 鶴もそのあたりは理解しているようで深く頷いていた。

「先生が力を貸してくれると決まれば、もう安心です」

 鶴さんは、これでもう解決したものだと言わんばかりに余裕な態度を見せている。

 でも、星さんに少女の失し物を見つけられるのだろうか。

「そうと決まれば、早速現場に向かおう」

 今にも走り出しそうな勢いの彼に手をつながれているせいで、私は振り回される荷物になった気分だ。

 このままじゃそのうち盛大に転ぶだろう。

 子供の前で、派手に転びたくないんだけどなあ。

「鶴、そのままだと転ぶぞ」

 そう言って星さんは、顔をしかめた。

 まさか星さんから助け船が出るとは!

 まあ、散々彼の前でいろんなことをやらかしたので、当然の忠告といえばそうなる。

「大丈夫、大丈夫。運動神経はいいから」

 いや、あなたのことじゃなくて私のことだと思うよ。

「もしかして先生、これを離してほしいのか?」

 にやりと笑いながら、鶴さんは私と握った手を掲げる。

「いくら先生でもダメだ。これは、『手錠』だから。それとも先生、ヤキモチ?」

「ふざけるのは頭だけにしてくれ」

 そう言って星さんは息を吐いた。

「依頼を受けた以上、職務をまっとうするのは当然のことだ。時間もない。行きながら要点を話せ」

 どこからどうみても買い物帰りで完全にオフだったはずなのに。前回と真逆の対応がどこか怖い。

 依頼料、そんなにかからないといいけど。

 真由美に言われた言葉を思い出す。星さんのお店「星の家」は川北町にある。しかし、宝石業界で働く真由美曰く、川北町に宝石店はないのだ。

 もしかしたら、裏の世界で生計を立てているのかもしれないわねと真由美は言っていたけど、私にはそんなに危ない人には見えない。

 まあ、詐欺をする人は「この人が人を騙すとは思えない」という人相だというから断言はできないけど。

「覚悟していた方がいい」

 鶴さんが言う。

「あの人、狙った獲物は逃さないタイプだから」

 きゅっと腹の底が締め付けられた。

 徐々に暗闇に飲まれる茜空を仰ぎながら思う。

 お財布にお金、あんまり入ってないや。



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