宝石商人と才能石4
7
私は夢を見ていたのではないだろうか。
目まぐるしく過ぎていったこの数日はもとより、それよりも前、あのダイヤモンドを拾ったあたりからずっと夢を見ていたのかもしれない。
そう思ってしまうほど、現実離れした日々だった。
もしかしたら、私がダイヤモンドを拾ったことも幻ではないか。結局、才能石を直に見たのは私と商人さんだけなのだ。
ベッドの上で寝転がりながらそんなことを考えていると、部屋のアナログ時計が目に入る。
――時刻は夜の十一時。ふと商人さんから手渡されたメモを思い出す。普通、営業時間となれば日中のイメージが強い。それに宝石商となると買い付けから卸までしなければならないはず。そのため取引会社の営業時間にあわせるものだと思うのだが。
気付けば私は車のキーを持って家を出ていた。
――夢か現実か確かめるために。
自宅から川北町までは二十分くらいかかる。対向車も歩行者もいない、淡々と街灯が並ぶ静かな道を走る。
昼と夜で世界はまったく違う顔を見せる。幼い頃、昼と夜で同じ道を通ったとき、本当に同じ道なのか疑ったときがあった。昼は普通でも夜は夢の中のような、幻を見ているような――そんな曖昧さを幼心ながら感じ取っていた。
それは今も変わらない。
ましてや、人の住んでいない家ばかりとなれば、廃墟とは少し違う不気味さがある。変に人がいた痕跡が残っているせいで、物陰からふいに姿を現しそうなそんな予感がする。
携帯電話のライトを頼りに、あの廃ビルを目指す。少し前なら通り魔が恐ろしくてこの時間、外も出られなかっただろう。そんな通り魔も今はいない。
スニーカーにスウェット、パーカーという出で立ちは、独身の女がイケメン男性のいる店に行くにはあり得ない格好だろう。でもまあ、感覚的には寝る前に玄関の鍵を閉め忘れていないか、確認するようなものだ。洒落る必要はないし、いない可能性の方が高いと思っている。
蔦だらけの廃ビルは、月明かりの下だと不気味な化け物に見えた。物陰から今にも何かが飛び出してきそうな雰囲気がある。
足がすくむが、戻るわけにもいかない。意を決して階段をゆっくり一歩ずつ上がる。
あのちぐはぐな木製の扉が見えた。目の前まで近づくと秘密の部屋に続く不思議な扉のようだと思った。
「星の家」と掘られた落書きを指でなぞる。
そして、ゆっくりと扉を開けた。
「やっときたか」
扉を開けた瞬間、言われた一言に目を見開いた。
「それに座れ」
顎をしゃくって指示した場所に椅子があったが、私は開けた扉から一歩も動くことができなかった。
「なんだ、入らないのか」
「……夢じゃなかったんですね」
言ってから気付いた。これじゃあ変人だ、と。商人さんもクスクスと笑っている。
「あんた、つくづく変わっているよ」
商人さんは、小馬鹿にしたような笑い声を立てて部屋の奥へと向かう。
「約束だからな。茶の準備をするから、そこで待ってろ」
絶対帰るなよ、とその目は語っていた。確かにここで帰れば、商人さんの厚意を無駄にすることになる。
「でも私、お客ではないですよ?」
もう、鑑定してもらいたい石もなければ、購入するつもりもない。店の中に入るのは筋違いだろう。
「何を今更。それに今回落ち度があったのは俺の方だ。あんたには知る権利がある。――気になるんだろ? 何で鞄の中に他人の才能石があったのか」
確かにそれは気になっていた。あのあと、通り魔の素顔を見たのだが面識は一回もない人だった。
それに、金よりも価値があると言われている才能石を自らの手で手放すのは、考えにくい。
「まあ、好きにすればいいさ」
そう言って店の奥に姿を消した。そこまで言われると、帰ろうにも帰りにくい。私は渋々中に入った。――こんな格好だから入りたくなかったのもある。
カチカチと振り子時計が目に入る。
いつもなら横になっている時間だ。なんだか、また夢を見ていると錯覚しそうである。
「ほら」
差し出されたカップを受け取れば、中には紅茶が入れてある。さわやかな酸味と甘みの匂いからすぐにアップルティーだと気付いた。
もう冬も間近。この時間帯だと冷える。ありがたく受け取った私は、早速一口いただいた。
「……おいしい」
市販のティーパックーーではないだろう。茶葉からとったのだろうか。
商人さんも腰をかけると、マグカップに口を付けた。そういえば、今日は前回と違い、蒸し暑くない。むしろストーブに火が入っているくらいだ。
商人さんは作務衣姿ではあるが、厚手のカーディガンを羽織っている。
カップの温かさにほっと落ち着くと、だんだん眠くなってきだ。オレンジの照明と振り子時計、ストーブの温もりに木目調の床。これでストーブが暖炉だったら最高なのに。
「おい、寝るなよ」
冷や水のような一声に一瞬目が覚める。
「寝ませんよ、さすがに」
そのくらい弁えています、と言おうと思ったが面倒になってやめた。
「……本当、危機感のない奴だ。呆れを通り越して感心すら覚える」
まったくこの人は。失礼にもほどがある。しかし、助けてもらったのは事実だ。
「あのときは、ありがとうございました」
立ち上がり深く頭を下げた途端、眠気が吹き飛ぶような音が鳴り響いた。振り返れば椅子が倒れている。
「す、すみません」
急いで椅子を起こせば、ふいに笑い声が降ってきた。
「ガキだな」
普通なら怒るところだが、商人さんが楽しそうに笑うものだから怒る気も失せる。
「……あのころに戻ったみたいだ」
不意打ちだった。完全に独り言だ。しかし、呟かれた一言ははっきり聞こえた。
あの頃って何なんだろう。
赤の他人である私をここまで苔にする商人さんの独り言が、少しだけ気になる。だが所詮他人だ。それに商人さんのことだ。首を突っ込めば、牙をむかれるに決まっている。
少しだけぬるくなった紅茶を飲みながら、何もなかったかのように振る舞う。
振り子時計の規則正しい振り子の音が、静かに降り積もる。
「……悪かったな」
積み重なった本の背表紙を眺めていた私は、ふいに聞こえてきた言葉に耳を疑った。
謝罪の言葉が聞こえた気がしたけど、空耳――かな。
商人さんは、相変わらずカップを持ったままそっぽを向いている。幻聴が聞こえるほどまだ疲れがたまっているのかもしれない。
今日は帰って休もうかなと思った矢先だった。
「……勝手な真似をして悪かったと思っている」
今度ははっきり聞こえた。
「ど、どうしたんですか?」
もしかして、商人さんだけお酒を飲んでいるのか。
じっと商人さんの持つマグカップを見つめれば、険しい顔で睨まれた。
「俺のはやらんぞ」
「あの、それ、お酒が入っているんですか?」
「酒? 言っておくがまだ営業時間中だ。仕事中に酒を飲む奴がいるか」
「そ、そうですよね」
あははと笑って誤魔化そうとしたが、商人さんには通用しなかった。
「あんた、俺が酒を飲んでいるのかと思ったのか」
じっと無表情でこちらを見る商人さんの視線を必死に無視する。さすがに口が裂けても「そうです」とは言えない。
才能石か宝石か、それを調べてほしい――そう言って小さなダイヤモンドを商人さんに預けた。それを商人さんは、通り魔であった男に渡してしまったのだ。謝罪するのは、人として真っ当な行動だと言える。
それを私ときたら――。口を開けばボロが出るのはわかっていたので、貝になったつもりで口を堅く閉ざす。
しばらく見透かすようにこちらを見ていた商人さんだったが「まあいい」と言ってカップの中身を飲み干した。
「あの石、預かった時点で才能石だってわかっていた」
「え!」
商人さんは、にやっと口元をゆがめた。ようやくこちらを見たなと言わんばかりの商人さんの表情に、罠にかかった草食動物の気分を味わう。
そもそもあの時点で才能石とわかっていたら教えてくれてもよかったのに。
「そう睨むな」
商人さんは犬を追い払うみたいに手を動かすと、息を吐いた。
「才能石だってわかったが、あのとき妙な違和感があった。――あんたがこの才能の持ち主だとしたら、こんなにくすんでいるのはおかしいと思ったことが一つ。あともう一つは、あの才能石は一部だけだったことだ」
「一部?」
商人さんは頷く。
「完全体を十だとしたら、そのうち三だけ現れたってことだ」
「そんなことって――」
「だから預かった。――俺も初めて見たからな」
商人さんはマグカップを置いて言う。
「ダイヤモンドの名前の由来は『征服できない』という意味のギリシア語、『アダマス』。日本名は金剛石。四月の誕生石で『永遠の絆』『純潔』などの意味がある。だから、ダイヤモンドの姿をしている才能石は、『不屈の精神』を表すことが多いが、あのダイヤモンドはラウンドブリリアンカットに施されていながら、研磨前のようなくすみがあった」
ラウンドブリリアンカットは、今現在私たちが「ダイヤモンド」と言われて想像するダイヤモンドのカットの形だ。ダイヤモンドは光を集めて輝きをみせる石なので、カット一つで輝き方は大きく変わる。
ダイヤモンドは基本的に無色透明の石。極端な言い方をすれば水と同じである。そんな石に輝きを与えたのがカット。つまり研磨だ。
だけど、私が見つけたときはくすみなど気にならなかったし、むしろすぐにダイヤモンドだとわかったくらいだ。
「あんたの才能石にしては変だと思ったが、盗んだとは考えにくかった。あんたはどう見ても盗みもできなそうなぼけっとした顔をしている」
ぼけっとした顔とは失礼な。せめて愛嬌のある顔とか言ってほしい。まあ、愛嬌などないのだから仕方ないけど。
もし私の才能石だったらあのとき預からず、すぐに返してくれたんだろうか。多分そうだろう。なんだかんだ言って正義感の強い人のようだし。
「ここからは俺の憶測だけど――あんたあの男とどこかで会った事があるだろ?」
「警察にも聞かれましたが、あの夜初めて会いました」
「質問を変える。あんた、石を見つける直前に普段の生活とはかけ離れたことをしただろ? ――たとえば怪我をしている人を保護した、とかな」
なんで、それを?
「『あたり』だな」
にやりと口元をゆがめる商人さんを見て、背筋に寒気が走った。
私はとんでもないところに足を踏み入れてしまったのかもしれない。
商人さんの言うとおり、私は通り魔の被害者を助けたことがある。目を閉じると今でもあの光景が目に浮かぶ。
たまたま人気のない道を車で走っていた私は、角を曲がった瞬間人が倒れているのを発見し救急車を呼んだ。
もう少し発見が遅かったら命が危なかったと言われたのもそのときだ。
滅多差しにされた被害者の命を救ったことになったが、あまりにも残忍すぎる光景に今でも寒気がする。
「私、怖くて救急車を呼んだあともしばらく車から降りれなかったくらいですよ? 電話越しに励まされて、指示通り応急処置をしたくらいで。――通り魔の姿なんてもうなかったし」
「いや、あいつは近くにいたんだろうな」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
まるで現場にいたかのような口振りに思わず口を挟む。
商人さんは「簡単なことだ」と言って頬杖をついた。
「あんたに顔を見られたと思ったから」
「え、私顔なんか――」
「わかってる。だから『見られたと思ったから』って言っただろ」
納得できない。これが才能石とどう関係しているんだろう。
「あの男が我を忘れるほど夢中になっていたときに、あんたが通りかかった。咄嗟に逃げたが、あのときは我を忘れるほど夢中になって周囲のことなんて眼中になかった。だから『見られたかもしれない』という恐怖があいつの中でどんどん大きくなった。それで口封じをするため、あの場に戻ったが、あんたは電話中で犯人が自分だとバレる可能性が高い。とりあえず身を潜めようと再び逃げた――ってところだな」
それで今回、私は襲われたということか。
でも――。
「それと才能石にどんな関係があるんですか?」
「関係大ありだな」
商人さんは再び「憶測だが」と付け加え言う。
「才能石がダイヤモンドってことからも、あいつは『決めたことを実行する』といった才能の持ち主なんだろう。それに一連の通り魔事件、全部あいつの犯行だったとすると、統一性がないし、幸福そうな他人や世の中を恨んだ故の犯行とは考えにくい。――振り向いてほしい女でもいたんだろう。ついでにいうと、その振り向いてほしい女っていうのは、あんたが助けた被害者だと俺は睨む」
商人さんの言葉に私は眉をひそめた。
「どうしてですか? だって彼女が一番大怪我したんですよ?」
「愛しい故に憎しみに変わるってな。その女、自尊心の強い女なんだろう。まったく振り向いてもらえない苛立ちから、彼女をターゲットにし傷ついたところから取り付こうとしたんじゃないか? だから顔や致命傷の多い胴体は狙っていない。ただ、普段とは違い、恐怖で喚き助けを求める姿に加虐心をくすぐられ、何度も傷つけたと考えるのが妥当だな」
そんな自分勝手な。しかし、襲われたあのときも、自分本意な言い分で私を殺そうとしていた。
商人さんの推測もあながち外れてはないかもしれない。
でも、問題はそこじゃない。
「じゃあどうして私の持っていた才能石が通り魔である人間のものだとわかったんですか?」
私が襲われた理由は十分わかった。でも、今回の事件と私の鞄に入っていた才能石がどう結びつくのか、見当もつかない。
「『忠告』だよ」
「忠告?」
そう、と商人さんは言うとカップを指ではじいた。小瓶に入ったあの才能石を思い出す。
「あいつの才能が『決めたことを実行する』ことだとしたら、あんたは確実に次のターゲットとして狙われていた。それも今までと違い、怪我をさせることが目的じゃなく、確実に殺すことだ。才能石が一部しか顕現してなかったことからも、『忠告』だったとしかいいようがない」
「……あの、話がついていけないんですけど」
そもそも才能石は、才能であり決して自我を持つ物体ではないはずだ。
「まあ、普通の石じゃないからな。まだまだわからないことがあって当然だろ」
商人さんは自分のマグカップを持ち、立ち上がった。
「……もしかしたら、あいつも心のどこかでしてはいけない悪いことだとわかっていたのかもしれない。それが、あんたの元に才能石として現れたとしても不思議じゃない」
「それじゃあ、最初からあのダイヤモンドの持ち主は、通り魔だってわかっていたんですか?」
「何でそうなる。俺は超能力者じゃない。そんなことわかるか」
「だって、そうでもしないとあの才能石の持ち主なんてわからないじゃないですか。――今の話だって大体が憶測だし」
「何だ? あんた、あのダイヤがあいつの才能石じゃないって言いたいのか?」
「誤解しないでください。もしかしたら、その可能性もありますよねっていう話です」
沈黙がのしかかる。商人さんの視線を逃げずに受け止めていると、ふっと息が洩れる音がした。
「俺はいくつもの才能石とその持ち主を見てきた。いわば経験と勘でだいたい持ち主がわかるんだよ。それに――あんたが嘘をついていないことを条件にすれば、誰の才能石かすぐに推測できたさ」
あ、私、言ってはいけないことを言ってしまった――そう気付いたときにはもう遅い。
「すみません。疑うつもりは、まったくなかったんです」
「別に。今回の鑑定だって、あんたに無理矢理依頼されただけだからな」
気にしていないと言う割には、言葉に刺がある。
商人さんは、意地悪というか――ちょっと冷たすぎる。
「もう日付も変わった。そこまで送ってやるから帰れ」
そう言って、両手で持っているマグカップをよこせと言わんばかりに、手を差し出された。
しかし、それを無視して私は他にもずっと気になっていたことを問う。
「……私が追いかけられたあのとき。何故あの場所にいたんですか?」
空き家ばかりで住人も少ない場所に、用がなければいるはずもない。
商人さんはふっと笑みをこぼすと言った。
「たまたまだ」
8
後日、私は改めてお礼をしに商人さんのいる蔦お化けと化したビルに向かった。
時間は、まだ午後二時過ぎ。初めて訪れたときと同じ時間帯である。教えてもらったあの時間だと、さすがに夜遅すぎるのだ。
ダメもとで向かった私は、恐る恐るちぐはぐ扉のドアノブを握った。
扉は、静かに開いた。
「こ、こんにちは……」
この前と違い、中は墨をこぼしたように真っ暗だ。やっぱりいないのかな? 扉を閉めようとしたそのとき、視界の隅で何かが通った。
ゆっくり視線を上げると、真っ暗な部屋のはずなのに、蛍のような淡い光が目に飛び込んできた。
な、何が起きているの――?
じっと部屋の中を見つめていたときだった。
「何してるんだ?」
「ひぃ!」
背後からかけられた声に、肩が飛び上がった。反射的に扉を閉め、くるっと振り返れば、作務衣姿の商人さんが目の前にいた。買い物に行っていたのか手にはビニール袋が下がっている。
耳元で五月蠅く鳴る鼓動をどうにかするために、大きく息を吸って吐く。ダメだ。収まりそうもない。
咄嗟に、手に持っていた菓子折りを突き出した。
「勝手に開けてしまってすみません。これはこの前のお礼です。本当にありがとうございました――えっと」
そう言えば、私は彼の名前を知らない。
妙な沈黙が重くのしかかる。どうにかしなければ――。目線をそらしたとき、木の扉が目に入った。これだ!
「星さん――?」
途端、明らかに不意打ちを食らったような顔をしてこちらを見るではないか。
「し、失礼しました! 扉に掘ってあったのでてっきり――」
商人さんはうつむいたままだ。どうしようと頭を抱えたくなったとき、沸々と笑う声が聞こえ、それはやがて大きくなった。
「いや、あんた本当にすごいわ」
どこにその彫りものがあるかと問われ、私は恐る恐る指を指した。
「よく見つけたな」
くすくすと笑う商人さんに私は尋ねた。
「あの、『星さん』ではないのですか?」
商人さんは頭を左右に振ると、おだやかな笑みを浮かべ応えた。
「いや、『星』でいい」
その笑顔は、どことなく哀愁と慈愛に満ちていた。
だから信じられないのだ。
川北町の廃ビルに「星の家」というショップどころか、宝石店は一件もないはずだという真由美の一言が余計に。