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宝石商人と才能石3

   4


 都心から少し離れた田舎町で、最近持ちきりの話題が通り魔事件。事の発端は、約半年前の四月上旬、帰宅途中の中学生が何者かに刃物で切りつけられ軽傷を負ったことだった。

 そのときは、街灯も少なく他に目撃者がいなかったことや犯人が自転車に乗っていて背格好や顔がわからなかったこともあり、逮捕まで至らなかった。

 しかし、それから一週間もしないうちに、連続で三件立て続けに同じような事件が起きた。被害者の中には「うなじをなめられた」という者もおり、近辺の学校では集団登下校や親の送り迎えなどの対策が徹底された。それが功をそうしたのか、四月以降、中学生の被害はなくなった。

 だが、それで終わりではなかった。

 通り魔事件も熱が冷めてきた頃、今度は女子高校生が被害に遭った。背後からいきなり抱きついてきたという。体に傷は負わなかったがスカートがぱっくり切られていたらしい。

 今回もあまりにも突然の出来事で、犯人の顔は見ていないという話だ。心情を思えば、思い出したくないのかもしれない。

 もうここまで来たら変質者だ。

 しかし、次の被害者は違った。

 十日ほど前、帰宅途中のOLが襲われた。しかし、軽い切り傷や服を切られた程度ではない。両腕、両足を果物ナイフで何度も切りつけられていたという。ただし、顔と胴体は無傷。意図的にやったとしか思えない。

 ストッキングも破かれ、ジャケットは血と砂利まみれ。スカートにも無数の切り込みが入れてあり、目も当てられないほどひどい惨状だった。

 命に別状はなかったが、発見が遅れれば出血多量で危なかったと言われたときは、肝を冷やした。


 この前と同じように、駐車場に車を止め、どんどん暗くなりつつある空を一瞥すると、鳥居の脇を通り廃屋通りをひたすら南へ進む。ようやく例のビルにたどり着いたとき、すでに日はすっかり落ちていた。

 迫り来る闇との追いかけっこに負けちゃったな、なんて青白い月を眺めながら考えていたら突然カラスが鳴いた。必死に悲鳴を飲み込む。

 バクバクする心臓を落ち着かせるため、深呼吸をしてみた。

 日を改めることも考えた。けれども、もしあれが小さくても私の才能だとしたら、一刻でも早く手元に置いておきたい。真由美の言うとおり、詐欺に遭ったとまでは思ってもいないが、一気に不安になったのは事実だ。

 駆け足で二階まで上がり、木製の扉をノックする。

 返事はない。

 勝手に開けていいものだろうかと思いつつ、扉を引く。しかし、今日はびくとも動かない。

「え、嘘――」

 本当に真由美の言うとおり、あの石は盗られてしまったのだろうか。


   5


 どうしよう――。

 とにかく警察に――いや、たまたま定休日だったのかもしれないし、時間的に営業時間が終わっていただけかもしれない。

 早とちりしちゃダメだ。明日もう一回来てみよう。それでもダメだったら――どうしよう。

 あれこれ頭の中が巡ってしまい、周囲を気にする余裕もなくとぼとぼと歩いていたのが――悪かった。

 鳥居の脇を通ったとき、砂利を踏む足音が耳に入った。

 明らかに自分のものではない。

 ――嫌な予感がした。

 振り返ることもできないまま、急ぎ足で車へと向かう。

 車にさえ乗ってしまえば、なんとかなる。……そもそも例の通り魔とは限らないではないか。

 そう自分に言い聞かせるものの、鼓動はどんどん早くなるし、震えは止まらない。

 限界だ。駐車場の明かりが見えた途端、私は走り出した。

 殺されてしまう――そんな恐怖が私を焦らせる。

 しかし、相手の方が一歩早かった。走りづらい靴を履いていたし、そもそも走ること自体が久々だった。人一人が通れるほどの通路で、私の肩に何かが触れた。

「嫌!」

 鞄を振り回せば、相手も怯んだらしく数歩下がる。その隙に走った。駐車場ではなく、民家のある方角へ向かう。駐車場付近は民家が少なかった。それならいっそう、助けを求めに走った方がいい。

 相手は体格がよかった。それに日が沈んでいるというのに、サングラスやマスクで顔を隠していた。もう、怪しいと言う他にない。

 それに見てしまったのだ――片手に握られた小さなナイフを。

 今追ってきているのは、例の通り魔で間違いない。

 とにかく、助けを呼ばなければ。大声で叫べば、襲ってくるどころか怯んで逃げてくれるかもしれない。

 正直なところ、走って逃げられるとは最初から思っていない。とにかく、明かりのついた住宅街を目指し必死に走る。

 小道を右に曲がったとき、私は自分自身の判断と運のなさを呪う羽目になる。

「何で――何で真っ暗なのよ!」

 この一帯は、廃墟や空き家だらけの区間だったらしい。

 普段このあたりには滅多に来ないし、前はこっちまで来なかったから知らなかった。

 今にも切れそうな街灯が目に入る。まるであざ笑うかのようだと思ったそのとき、場にそぐわない電子音が鳴り響いた。

 電話の着信音だ。

 そうだ、最初からこうしていればよかったのだ。どうして気付かなかったんだろう。走りながら鞄から携帯電話を取り出すと、画面に表示さてれいる名前を見てほっとする。急いでタップして電話に出た。

『あ、華菜? アンタが言っていた――』

「助けて!」

 異常を察したのか、電話の向こうにいる真由美の雰囲気が変わった。

『何よ、大きな声出して。どうし――』

「通り魔! 追われてるの!」

 今も背後から追いかけてきていると思うと、いても立ってもいられない。それに、体力がもう持たない。学生の頃から文系の部活しかやってこなかった私にしては、ずいぶん頑張った方だ。いい加減、立ち止まりたいのだが、止まったら最後。どうなるかわかっているから止まれない。

『すぐ警察を呼ぶ。今どこにいるの――』

 そこで真由美の声は聞こえなくなった。正確には、携帯を落としたのだ。――大柄なサングラスの男にはたき落とされて。

 降って沸いたように現れた男に、あっけを取られた。その瞬間をつけ込まれ、腕を掴まれた。

「いや、離して!」

 力一杯振り払おうとするものの、微動だにしない。逆に掴まれた腕に力を込められ、動きが止まる。

「痛い」

 そのとき、血だらけの女性の姿が脳裏をよぎる。

 私も彼女のように、男が持つナイフで滅多差しにされるのかと思うと、血の気が一気に落ちた。

 まだ、死ねない。

 がむしゃらに抵抗する。しかし、力の差は歴然だった。抵抗すればするほど、掴まれた腕に力が込められる。へし折られるのではないかという痛みが走るが、死ぬよりは骨の一本や二本、折れる方がずっとマシだ。

「……うぜぇ女だな」

 ねちっとした声が耳に届く。

「ブスには興味ねぇけど、お前は殺しておかないとな。まあ、結果的に? ゴミはゴミ箱に入れろっていうし? ブスが死んでも誰も困らねぇんだから、むしろ世の中の為になるんじゃね?」

 そう言ってケラケラと笑う男――狂っているとしか思えなかった。

 さっきまでの勢いは、私を人としてみていない男の言葉一つで、一気に削がれてしまった。足が震える。それが伝染するように全身に伝わる。

 せめて、この男にだけは自分が恐怖を抱いていると思わせたくなかったが、腕をしっかり握られていては隠そうにも隠せない。

 ケラケラと、人とは思えない笑いが目の前から発せられる。

「そんなに怖がるなよ。――一瞬だ。こんな小せぇ刃でも首なら確実だ。警察が来る頃には死んでいるだろうよ」

「離して!」

「これが終わったらなっ!」

 ナイフの握られた片腕が、顔をめがけて大きく振り下ろされた。

 自由な片手で庇おうと身構えるが、頭の中いっぱいにあるのは「死」という言葉のみ。ぎゅっと目をつぶれば、涙がこぼれた。

 そのときだった。

「ブスに『ブス』って言われても何の説得力もないね」

 子供かよ、と悪態をつく声もまた、男のものだった。しかし、ねちっとした鳥肌の立つ男の声とは違い、落ち着いた声音は、こちらの恐怖を溶かすようだった。

 恐る恐る堅く閉じた瞼を開けた瞬間、声の主と目が合った。「あんたも災難だな」とため息混じりに吐かれた言葉。そこにいたのは、あの石を預けた宝石商人だった。


   6


「てめぇ、誰だ!」

 振りかざそうとしていた手を掴まれ、通り魔は両手がふさがれた状態になっていた。

 焦るのも無理はない。私も商人さんの足音どころか、気配すらまったく感じなかったのだから。

 思わぬ乱入者に通り魔の男が苛立っているのが、手に取るようにわかる。きっとこの男のことだから、商人さんも始末しようとしているのだろう。掴まれた腕を振りほどこうとしているが、商人さんは笑みを浮かべたまま、びくともしない。

「誰だ、か。名乗るなら先に名乗るのが筋ってもんだろ。まあ、常識を弁えていなさそうな顔をしているからな。仕方がないか」

 にこやかに言い放った一言は、男を逆撫でするには十分だった。

「てめぇ、黙っていればぺらぺらと。その口、二度と使えねえようにしてやる!」

「勢いだけは達者なようで。有言実行って言葉、知ってるか? ほら、やってみろよ。――まあ、無理だろうけど」

 クスクスと商人さんが笑った瞬間だった。鎖のように巻き付いていた手が離れ、そのまま商人さんの顔めがけていく。

 危ないと思ったときには、通り魔の男は地に伏していた。

 一体何があったのか、私もあっけにとられてしまいよくわからない。

「もうちょっと歯ごたえがあるのかなって期待していたのになあ」

 クスクスと男を地に伏せて起きながら、挑発するように笑う。彼に腕をねじ伏せられているのか、男は暴れるたびに顔を苦痛に歪ませた。

 そのとき、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。その音は次第に近づいているようだ。

 ほっと胸をなで下ろした途端、足から力が抜けた。

 倒れる、と理解が追いつく前に誰かに支えられた――商人さんだ。

「まだ終わってないんだけど」

 すぐ近くで聞こえた声に「わかっています」と応えるものの足はまったく力が入らない。

 背後に商人さんがいるということは、あの通り魔は――。ぐるぐるとあたりを見渡す私に「あの男か」という声が聞こえた。

「完全に気を失っているから、しばらく安全だろう」

 そう言って指さした方をみれば、街灯の下でのびている男が見た。

 あ、私生きているんだ――。

 そう思ったら涙があふれてきた。

「……泣くなよ」

「す、すみません」

 商人さんの不機嫌な声を聞きながら、涙を拭う。早く支えてもらっている手から離れなければと思うのに、まだ足に力が入らない。

「直に警察が来る。そしたらあんた、俺のことは何も言うな」

 顔を上げれば、真剣な面持ちの商人さんと目があった。

「一緒にいてくれないんですか?」

 警察が来るまでとはいえ、さっきまで殺されかけた男と一緒にいるのは、さすがに心細い。

 商人さんは、一瞬だけ呆然としていたけれど、すぐに元に戻った。

「子供じゃないんだから、一人でいられるだろう」

 確かにその通りかもしれない。でも実際にさっきまで殺されかけた相手と二人っきりになるのは――イヤだ。

「駄々をこねるな。――本当に大丈夫だって言っているだろ」

 そう言って支えてくれた腕を放すと、そのまま頭に乗せられた。

「あんた、本当に大人かよ」

 むっとして睨み返した私は、商人さんの無垢な笑顔にあてられ怒りが消えてしまった。

 この人もこんな顔で笑うんだ。

 第一印象は、いつも怒っているか不機嫌な印象だったからあまりいい印象がなかったけど――もしかしてそんなに悪い人でもないのかも。

 そう思ったときだ。

「ああ、そうだ。忘れるところだった」

 懐から何かを取り出すと、蓋を開けた。

「才能石は、才能の結晶。絶対なくすなよ」

 そう言って気を失っている男の手に乗せられたのは、私が商人さんに預けたダイヤモンドだ。

 とっさに言葉が出ない。

 やはりあれは才能石だったのかと思うのと同時に、どうして私じゃなく、初対面の、それも通り魔事件の犯人の才能石が、自分の鞄の中にあったのか――疑問しか沸かない。

 その瞬間、さっと血の気が落ちた。

 もしかして、才能石を盗んだと疑われたんじゃ――。

「私、盗んでなんか――」

 あまりに予想外な結末に声を上げれば、商人さんは「しっ」と人差し指を唇の前に当てた。

「あんたがそういう人間じゃないってことはわかっている」

 商人さんの真剣な眼差しと声音が、言葉に偽りはないことを語っていて、収まりかけた涙が再びこぼれそうになった。

「もう時間がない」

 背後を振り返りながら商人さんは言う。

「勝手に石を渡したのは謝る。けどこれが俺の流儀だ」

 謝るつもりはないってことなのかな。

 でも、あれは私の才能石ではなかったのだ。他の人の才能石を持つつもりはないし、商人さんのとった行動に怒るつもりもない。

 それなのにどうしてだろう。

 胸にぽっかり穴が開いたようだ。

 才能石だった。でも私のではない。それがとてつもなく悔しいと思ってしまう。

 はあ、と息を吐いてどうにか自分を保つ。

 そのときだ。

「あんたには知る資格がある」

 商人さんの温かな手が触れたと思ったら、何かを握らされた。

「もう時間がない。俺は行く。あんたが知りたいと思うならその時間に来い。……茶くらい入れてやる」

 本当かな。

 この前は、お茶どころか椅子さえ出してもらえなかったというのに。

「くれぐれも俺のことは絶対に口にするなよ」

 渡された紙を開くと「二十三時~」とだけ書かれていた。

 こんな遅い営業時間なの?

 書き間違いじゃないかと顔を上げたが、商人さんの姿はもうどこにも見えなかった。

 一体、彼は何者なんだろう。



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