霊感少女とガーネット4
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私、佐々木華菜は大きなため息とともに、肩をがっくり落としていた。
仕事終わりに立ち寄った本屋。その前に置いてあった求人フリーペーパーを手にとりパラパラめくりつつ、時には手を止めてページを凝視した。
星さんには申し訳ないが、やっぱり「次回無料」よりも「依頼料支払いの免除」の方がよかった。もちろん、星さんにも生活があるのだからわがままは言えない。
一介のOLでしかない私には、やはり三百万というお金は高すぎた。副業でもしないかぎり、どうあがいても返済するまで十年以上かかってしまう。
悩みはつきないものだ。
休日、近くにある公園の池周りを散歩しながら自身の借金に向きあう。
水面下で泳ぐ鯉をぼんやり見つめていれば、時折水紋が浮かぶ。冷たい北風の吹く公園には、犬の散歩をしている人と散歩をしている年輩者しかいない。寂しい季節だ。目に映るものすべてが色を失って見える。
ハローワークにでも行こうかなと思った矢先だった。
「迷子ですか?」
地面からわくようなか細い声が耳に届く。
最初、近くに親とはぐれた子供がいるのだと思った。この季節だ。外で迷子になったら風邪を引いてしまうかもしれない。
大丈夫かな、と視線を巡らせたとき、斜め後ろに見知らぬ少女が立っていた。おかっぱ頭をちょっと伸ばしたような髪型の少女だ。おそらく、小学生くらいだろう。
最近の小学生はおしゃれだ。私が小学生だったときなんてとりあえず何でもいいから着ていろという感じだった。それに休み時間になれば女子だろうが男子だろうが関係なく校庭にある遊具で遊んでいたから、おしゃれな服は向かない。
少女は、ファーのついた黒いコートにフリルの赤いスカートと可愛らしい格好をしていた。こちらをまっすぐ見つめる瞳は人形のようで表情も乏しい。
「迷子ですか?」
目の前の少女が口を開いた。どうやら、私に話しかけていたようだ。
小学生に迷子に思われるのは、なかなか複雑な心境だ。この子にはどんな風に私が見えていたんだろう。
「迷子じゃないけどーーまあ似たようなものかな」
微笑みを浮かべ答えた。
すると腕に違和感を覚えた。見ると少女の手が腕をつかんでいる。目を見開き見つめ返すが、人形のような少女が何を考えているのかまでは読みとれない。
「こっち」
従った方がいいのだろうと思い、手を引かれるまま歩き出した。
結論から言うと、彼女はとてもおとなしく、そして優しかった。
まず始めに自販機まで連れて行かれ、飲みたいものを尋ねられた。あったかいお茶がいいなと答えると、彼女がお財布を出し始めたので慌てて自分の財布からお金を取り出し入れた。
さすがにまだ働いてもいない子におごられるわけにはいかない。
そのあとは、ベンチに座り二人黙っていた。沈黙が重くなって耐え切れそうもなくなったとき、彼女は自分の学校のことを話し始めた。
先々月に運動会があったこと、学校のイベントでお米の収穫体験をしたこと、今月はクリスマスだからハンドベルで「ジングルベル」の演奏の練習をしていること。
ぽつりぽつりと降り出した雨のように言葉を紡ぐ彼女の横で、私は相づちを打ちながら静かに耳を傾けていた。たぶん、彼女は彼女なりに私を励まそうとしているのだと感じ取れた。きっと普段学校ではおしゃべりな方ではないのだろう。その証拠に話す速度はゆっくりで、内容もたまに支離滅裂になるけど、わからないほどではない。
「どうして迷子なの?」
純粋な瞳を前に私の良心が少し痛んだ。
本当に迷子になったわけじゃない。ここから車へ戻る道はわかる。苦笑いを浮かべてごまかそうとしても、通用しないだろう。
「迷子なわけじゃなくて、ちょっと困っているだけ」
「どうして困っているの?」
さて本当に困った。
子供相手に「借金の返済で困っている」なんて絶対に言えない。
そこでちょっとだけずる賢く逃げることにした。
「どうして困っていることを聞きたいの?」
質問を質問で返すのは、反則技だ。
でも、少女は少しうつむき加減で足先を見たあとぽつりと呟いた。
「いいことをすると、いいことが自分に返ってくるから」
「だから困っている人を助けようとしているの?」
少女は深く頷いた。凄いなと心の底から思った。自分がこの子と同じ年の頃なんて、楽しければそれでいいという考えだった気がする。「凄いね」と褒めれば少女は首を振った。謙虚さも持ち合わせているなんてますます感動した。
「ねえ」
一人感心していると少女が話しかけてきた。顔を向ければ、どことなく真剣な面持ちの少女の顔が目に飛び込む。
「幽霊って信じる?」
「え?」
思わず声を上げてしまった。
最近よく聞く質問だ。
「それとも信じない?」
星さんにも聞かれたが、ひどく難しい質問だと思う。だって私は見たことがないのだ。しかし、ただそれだけで「いない」と決めつけてしまうのは違う気がする。
「わからないな」
だから私は正直に答えることにした。
「私、霊感とかないみたいだから幽霊見たことないの。でも、見える人もいるでしょう? だから自分は見たことがなくて知らないから『幽霊はいない』なんて言えないよ」
「じゃあいるの?」
「んーそれもわからないな。私は見たことがないから」
そう言えば、少女は明らかに肩を落とした。もしかしたら、欲しがっていた回答があったのかもしれない。
「私は幽霊、見えるよ」
そう言うと彼女は立ち上がった。
「あの桜の木の下には和服姿の男の人がいるし、あっちの花壇の近くにはしゃがんでいる女の人がいる。泣いているのかも」
次々に指をさしながらどういう幽霊がいるのか話す。最初は驚いたが、徐々に異変に気がついた。
さっきまでと打って変わって饒舌になっている。
「飲み終わったの? じゃあ捨ててくる」
そう言って手の中にあった空のペットボトルをつかむと自販機まで駆けて行ってしまった。ぽかんと少女を眺めていたときだ。
「変な子だって思わないであげてね」
見知らぬおばあさんが声をかけてきた。
「あの子、あんなこと言って回りを振り回しているけど根は優しい子なの。よくおじいさんと一緒にこの公園にも来ていたわ」
「・・・・・・あの子が言っていること、嘘なんですか?」
そう問えばおばあさんは悲しげな目でこちらを見つめ返した。
「さあ? 幽霊なんて見たことないから。でもあの子は『見えている』て言うけど、信じる人は少ないわね」
「もしかしてあの子、緑区にある総合病院にも行ったことありますか?」
「ああ、あの病院ね。もちろんあるだろうね。吉助さん、あの子のおじいさんが入院していた病院だから」
その言葉を聞いて疑惑は確信に変わった。
間違いない。あの子が渚の言っていた「霊感少女」なのだ。
「あんまりひどいこと言わないであげてね。年寄りからのお願い」
そう言っておばあさんは去っていった。もしかしたら、この公園ではよく見かけられる光景なのかもしれない。
「何話してたの?」
戻ってきた少女は探るような瞳をこちらに向ける。
「あの人、ちょっと認知症になっているから、あの人の言った言葉、信じちゃだめだよ」
これも既視感のある台詞だった。
まったく。こうもあの人を信じるなだとか、何か裏があるだとか言われれば訳が分からなくなる。私が誰のことを信じ疑うかなんて私の決めることだ。
そのときふっと星さんの伝言を思い出した。まさか本当に会えるとは思っても見なかったので、そのまま忘れてしまえと思ったのだが何か胸騒ぎがして一応メモ帳に書いておいたのだ。
「ねえ、お名前教えてくれない? 私は華菜っていうの」
すると正面に立つ少女は少し困った表情を浮かべた。言いたくないのだろうか。しかし、辛抱強く待てばささやくような小さな声が耳を打った。
「・・・・・・実」
「実ちゃんか。かわいい名前だね」
そう言えばはじかれたように顔を上げた。丸い瞳は大きく開かれ大きな黒目には私の顔が映し出されている。
何か変なことでも言っただろうか。
「・・・・・・おじいちゃん以来だ。名前、褒めてくれたの」
「おじいちゃん?」
聞き返せば実は深く頷いた。
「ねえ、もしかして実ちゃんは中央総合病院に行ったことがある?」
「ーーどうして?」
「私の大切な人があの病院に入院しているの。この前お見舞いに行ったら、幽霊の見える女の子の話をしていてね」
その瞬間、実の体がこわばるのを見逃さなかった。
実は「霊感少女」で間違いない。
でも、どうする? 星さんの言葉を本当に伝えていいのだろうか。
ーー「君はペテン師になりたいのか」なんて明らかに嘘つきと言っているようなものじゃないか。
ちらりと実を見る。このあと私が何を言うのか緊張した様子で待っているように見える。人形のように無表情だった実の顔には、はっきりとした怯えが浮かんでいた。
うん決めた。
「実ちゃんはさ、そのーー石を持っているんでしょ?」
実は頷いた。どうやら見せてくれるらしい。
星さんはきっと、模造石を才能石と偽って言っているのだと推測したのだろう。今の世の中、宝石によく似た偽物や人工石は簡単に手に入る。中には天然物の宝石だと嘘をついて偽物を売っている悪質な業者までいる始末だ。
そんな宝石にそっくりな石を自ら才能石と言っていたら、危険が及ぶ。そのことをきちんと忠告しないとと思ったときだった。
「これ」
そう言って実が見せてきたものを見て目を見開いた。
「これ、朱莉ちゃんのブローチーー!」
言ってしまったあと、自分がとんでもないことを言ったことに気がついた。実の顔を伺えば、顔面蒼白という言葉がふさわしい顔色で私を見ていた。
「・・・・・・何でそんなこと言うの。朱莉ちゃんを知ってるの」
明らかに困惑している実に、きちんと説明しなければと口を開いたときだ。
実は私にくるりと背を向けると走った。
「ちょっと待って!」
後を追いかけようとするものの運動不足が祟ってすぐに息が上がる。足を止めた間にも実は、どんどん小さくなる。
「話を聞いて!」
ぜえぜえと息を吐きながら絞り出した声は、実には届かなかった。
このままじゃだめだ。小さくなる少女の姿を見つめながら一歩一歩前へ進む。
実ちゃんは嘘をついている。幽霊が見える見えないの話じゃない。才能石を持っているということに対してだ。そしてそれは、危険なことでもある。ーー彼女はそれを知らない。
「待って、実ちゃん!」
そのときだった。
実が突然現れた長身の男に腕を掴まれた。必死に抵抗しているものの、大人と子供、ましてや成人男性の力にかなうはずもなく、いとも簡単に持ち上げられるとどこかに連れ去られてしまった。
「実ちゃん!」
必死に走るものの、男は近くに停めてあった車の後部座席に乗り込むとそのまま走り去ってしまった。
他に目撃者はいないのかと周囲を探すものの、閑散とした公園に人気はない。
とりあえず、警察に連絡を。
鞄の中から携帯電話を取り出した瞬間、着信が入った。驚いて落としそうになる携帯を何とか再び握り直すと、画面を見て眉をひそめた。知らない電話番号だ。もしかしてさっきの犯人? でも私の電話番号なんて知らないはず。おそるおそる通話状態にすると耳に当てた。
『今どこにいる』
第一声がそれだった。
「あの、どちら様ですか?」
こんなことをしている場合ではないのだ。早くしないと実がーー。
『俺だ』
詐欺だろうか。切ってしまっても問題ないかもしれないと思ったときだ。
『おい、切ったら迷惑料として三百万に上乗せするぞ』
三百万というキーワードで電話の相手がわかった。わかった瞬間、泣きそうになった。しかし、泣いている場合ではない。
「星さん、大変です! 実ちゃんが連れ去られました!」
『実?』
「この前話した霊感少女です! さっき男に抱き抱えられて車でーー警察を呼ぼうとしていたんですけど」
『警察は呼ぶな』
「え?」
どうしてですかと尋ねる前に星が言う。
『今どこだ?』
「桜庭公園です」
『その車はどっちへ向かった?』
「東山市方面です」
『となると、南港だな。ーーあんた今から送る場所に十分以内に来てくれ。わかったな』
それだけ言うと、返事も聞かずに通話を切られてしまった。直後、添付画像のメールが届く。ここからそんなに遠くない場所だ。
私は急いで駐車場に戻ると車を走らせた。




