宝石商人と才能石1
宝石商人と才能石
ここで間違いない――はず。
二階建てのテナントビルに宝石の原石を売買している商人がいる――そう聞いてやってきた、けど。
「騙されたわけじゃ――ないよね」
真由美に限ってそんなことするはずがない。もう一度、携帯の画面を睨むとゆっくり顔を上げた。
目の前に立つビルは、マリモの妖怪かと思わずツッコミを入れたくなるほど、蔦で覆われていた。
思えば、ここに来るまでの道中も妙に静かだった。
隣家との間は広く、庭は自由に伸びる草の天国と化していた。それが一つだけならまだいい。少子高齢化の波が、確実にこの田舎町にも届いていると思うだけで済む。
しかし、それがいくつも目に付いた。
もちろん、人を見かけることもなければ、誰かが住んでいる気配もまったく感じない。
もしかして、町全体が廃墟だったり――そう思って、あり得ないと一人乾いた笑みをこぼした。
現に町はこうして存続しているのだ。誰かしら住んでいなければ成り立たない。そうに決まっている。
……そう言えば、前にこんな映画を見たことがある気がする。
廃墟の町に迷い込んだ主人公のその後の展開が頭をよぎり、背筋に冷たいものが走った。妙な寒気と胸騒ぎを覚え、両腕をさする。
最近、ただでさえ物騒なのだ。女性ばかりを狙う通り魔事件。車移動の私が襲われる可能性は低いが、それでも絶対とは言い切れない。
さっさと用件を済ませてしまおう。
車を停めてからしばらく歩いていると、見るからに壊れそうな鳥居が現れた。鳥居の根本はむき出しになり、腐っていた。
ここまでくると、神が座する場所というより妖怪のたまり場のようだ。社も落ち葉や枝だらけで守護する狛犬も苔で緑色に変わっていた。
は、早く行こう。
道草を食っている暇はない。職場でも使っているシンプルな腕時計を見ながら、自分に言い聞かせる。妖怪も不審者も、日が高いうちは出てこない。ーー多分。
神社の脇を通り、車も通れない細い一本道をひたすら進むと、いつの間に森の中に入ったのだろうと小首を傾げたくなるような風景に変わる。普通ならそこで怖くなって引き返すだろうが、そのまま進むといきなり目の前に現れるものがあった。
それが、蔦に覆われた二階建てのビルだった。
「人じゃなくてお化けが出てきそう……」
自分で呟いておきながら、背筋が粟立った。廃墟や空き家ばかりで木々が鬱蒼とし始めているこんな場所に本当に人がいるのか――。いたとしても、肝試しでやってくる人間か物好きくらいだと思うほど、ここは世俗とかけ離れている。
突然、カラスが鳴いた。
叫ぶこともできず、体が飛び跳ねた。
何ビビっているのよ、私。
「せっかく休みを使って来たんだから。みすみす帰れるか」
頬を軽く叩いて気合いを入れ直す。よし、と気を取り戻した私は、廃墟と化したビルへ足を踏み入れた。――宝石だけでなく、才能石にも詳しいというその人を訪ねるために。
1
才能石――その存在が知られるようになったのは、ここ一世紀、百年くらい前のことだ。
見た目は数ある宝石と何ら変わらない。どことなく人を魅了する石。しかし宝石と違う点は、文字通り「才能」を「石」として具現化したところだ。
人という生き物の内側で蠢く感情や欲望――目も当てられない醜悪なものから心引かれる美しいものが、ごちゃごちゃに混ざったモノが心だとすれば、才能はその産物にすぎない。
他人の考えや行動を理解できないのは、その内側を簡単に知ることができないからだ。だからといって、自分自身を余すことなく理解しているとも言いきれない。
そのもっともたる例が才能だろう。「人間誰しも才能はある」とよく耳にするが、その才能が何なのかわからない。だからこそ努力するしかないと教えられる。自分にその才能があるのかないのか、試す努力を。
しかし、「才能石」の存在はそんな常識さえ覆した。
カンっと響きわたる足音で我に返る。
ヒールの低い靴を履いてきたのに、耳障りなくらい音が響く。反響して小さくなる様子が、誰かに来訪を告げているような気がして、早足で二階に上がった。
本当に人がいるのだろうか。
階段を上がっている間も人のいる気配は全くしなかった。木製の扉を前に今一度、周囲の様子を観察する。
外観から察しはついていたが、実際に蔦植物が内部の壁まで浸食しているのを見ると、植物の生命力に脱帽するしかない。
そんな中、コンクリートの外壁に、とってつけたかのような木製の扉。どう見てもちぐはぐである。もともと入っていた店が改装したのか、それともここにいるーーと思われるーー宝石商人が替えたのか。
ふと扉に何か書かれているのが目に入った。腰を屈めて顔を近づけると、「星の家」といたずら書きのように削られている。
からかわれた訳じゃないよね……?
確かめようにもここには私一人しかいない。
とりあえず、ノックをしてみた。――返事はない。
眉間に皺を寄せながら、友人の真由美の言葉を思い出す。
――才能石かどうか確かめたいなら、そこに行くとみてくれるらしいわよ。
才能石が認知されている昨今、その石が出現すること自体、未だに稀である。誰にでも現れる石ではないからこそ、その真贋を見極める力が求められる。
真由美が嘘をつくとは思えない。――けど、さすがにこんなところに人がいるとも思えない。
「もう、どうすればいいのよ」
時間を無駄にしてしまった後悔と共に疲れがどっと押し寄せた。このさいだ――と思い扉を押したら、開いた。
「え、嘘」
何か潜んでいそうな暗闇が――と思いきや淡いオレンジの光が目に映る。まだ日が出ているのに、蔦の葉で太陽の光が遮られたここより明るい。
誰か、いる。
鼓動が早くなる。廃墟のような外観を目にしたときから「いるはずない」と決めつけていたからだろう。しかし、実際に商人は存在していた。
ぎゅっと鞄のひもを掴む。
いつもの私ならここで怖じ気付いて帰ってしまうだろう。けれど今日はそういうわけにもいかない。
息を吸って吐いたときだ。
「いらっしゃい。ご用件は?」
中から若い男の声が飛んできた。
びくりと肩が跳ねる。逃げ出したい衝動をぐっと堪え口を堅く結ぶ。ここで逃げたら笑い者だぞ、と自分に渇を入れ声に導かれるように中には入った。
――これが私、佐々木華菜と宝石商人さんとの出会いだった。
2
中には入った途端、むっとした熱気が頬をなでた。思いの外室内は蒸し暑い。
「申し訳ありませんが、扉を閉めていただいてもよろしいでしょうか」
あっと小さく声を上げた私は、すぐに扉を閉めた。熱気がより強くなる。窓もない、というか開けられない部屋だ。夏場はどうしているのだろう。
「……初めて見るお顔ですね」
もしかして、一見さんお断りなのかもしれない。
「あの、どうしてもみてもらいたいものがあるんです」
そう言って追い出す暇を与えないよう、鞄の中から小さな巾着袋を取り出した。
「私の鞄に入っていたんです。――これが才能石がどうか鑑定してもらいたくて」
最後の方は、声も小さくなってしまった。それもそうだろう。これが才能石でなければ、恥ずかしさのあまり顔から火が出る。
「才能石――?」
しかし、聞こえてきたのは背筋が凍りそうなほど冷たい声だった。
咄嗟に顔を上げれば、さっきとは別人のような男の目が刺さる。
「……あんた何者だ? どこでここを聞いた?」
「え、な、何を?」
腹の底から震え上がってしまうような、静かではあるがすごみをきかせた声に思わず声が震える。
何がどうなっているの?
突然の変貌に目を見開きながら、震える足にぐっと力を入れた。
ここで逃げるわけにもいかない。
鞄の紐をぐっと握る。怯むな、自分。
「誰から聞いた?」
メガネからのぞく目は、野生の獣のように鋭い。固唾を呑み込みながらも視線を受けて立つ。
質問の意図もわかならければ、突然の変貌の訳もわからない。
「才能石に詳しい人がいるって聞いてきただけです」
真由美のことは伏せる。言ってはいけない気がした。
美人は怒ると怖いという。そんな言葉が脳裏をよぎるほど、男は整った顔をしていた。メガネを外せば、絶対に人目をひくだろうと、イケメンに疎い私でさえ思うほどだ。
見た目が華やかで美しい人ほど、住む世界の違いを目の当たりにさせられている気分になる。
目をそらし居たたまれない気持ちになるほど、私は自分に自信がない。
「帰ってくれ」
男は閉めたばかりの扉を開けると、呆然と立ち尽くす私に向かってもう一度言った。
「帰れ」
――なんでこんな事になるの。
両腕の中に顔を埋め、ずたずたにされた心をかき集める。
私が小学生だったの頃、「人は皆平等」だって教えられた。でも、生活をする中で「人は皆不平等」だって子供なりに気付いてしまう。すると、パンっと今までかかっていた魔法が解けたかのようにいろんな事に気が付いた。
勉強ができる子、運動が得意な子、人をまとめるのが上手な子――。
そんな中、私には何の取り柄もなかった。
才能は大なり小なり違いはあるが、誰にも平等にあるといわれている。けれど、どんな才能なのかはわからない。
しかし、才能石は違う。
才能石が現れた――それはつまり自分にどんな才能があるのかわかるということなのだ。
だけど、才能石と呼ばれても所詮、石。現れたところで自分にどんな才能があるのか、その持ち主でさえわからないのが現実だ。結局、宝の持ち腐れになることだってある。
そこで、どんな才能があるのか鑑定する者が現れた。それが、才能石鑑定人だ。
才能石の鑑定人はあまり多くないと言われている。
ネット検索をすれば、大量にヒットするがそのほとんど――いやすべてが偽物だ。
才能石は、形になった才能だ。石を奪われれば才能は失われる。
だからこそ、才能石が現れた人はその石を隠す。家族や親しい友人にさえ秘密にする人が多いらしい。それ故、才能石に関する研究は、進歩を遂げることがないと言われている。
それに、だ。
才能石は誰にでも現れる石ではない。目に見える形として出現する人は、ごく稀。発見から百年近くたった今でも、才能石の出現方法や条件はわかっていないため、現れた人間は幸運に恵まれたとしかいいようがない。
体が萎むのではないかと思うほど深くため息を吐いた。ただでさえ、人より劣っている私にようやく巡ってきたチャンスだと思ったのに――。
ぐっと腕を掴む手に力を込める。
――本当、何をやらせても全然だめ。役立たず。
頭の中でよみがえる言葉に、思わず首を振る。
「……私は、役立たずじゃない」
どんっと背中に走る衝撃で飛び起きた。
「……まだいたのか、あんた」
どこからどう見ても不機嫌な商人さんの視線を受け、反射的に立ち上がった。
「お願いします! 才能石かそうじゃないかだけでも知りたいんです」
「邪魔だ。帰ってくれ」
「お願いします!」
私は頭を下げた。頼れる人はこの人だけなのだ。つんっと痛む目頭を無視して頭を下げ続けた。
「――ここで寝ていただろ」
「な!」
「ここに涎のあとがある」
「えっ!」
咄嗟に口元を隠せば、商人さんは鼻で笑った。
「冗談だ」
じょ、冗談?
それでも両手を離せないでいると「本当に嘘だって」と訳の分からないことを言う。
本当に嘘って――結局どっちなの?
一応口元を袖で拭いておく。
「まあ、いいや。これ以上ここで粘られても困るし。ーー懐かしいものも見たからな。今回は特別に鑑定してやる。その代わり俺のことは絶対に誰にも言うな。それが守れるなら中に入れ」
ほっと胸をなで下ろす。彼以外に頼める人はいないのだ。
再び中に入ろうとしたときだ。
「それにしても、あんたも頑固だな。もう日付が変わるからさっさと終わらせるぞ」
日付が変わる?
それこそ冗談でしょと腕時計を見た私は、目を見開いた。
時刻は十一時を回っていた。