第10話 親友へ
重攻撃型読みの速攻は狙い通りに決まったと言っていいだろう。
初動の差は明確なアドバンテージとして俺に味方する。
左足蹴り上げ。敵にいなす隙を与えない初撃。
「くっ……」
バシィッ! という衝突音とともに斜め上に弾き飛ばされる海老沼。俺は反動を受けるが──それさえも利用し、次なる攻撃に繋げる。
そのまま一回転し、前進しつつ拳を振り下ろす。
上に弾かれていた海老沼だが、今度は下へ突き落とされる。体勢を立て直す隙は与えない。
そのまま連撃、連撃、連撃。上下に吹き飛ばされつつ、リング際へ追い込まれる海老沼。
まるでサメのように、一度食いついたら二度と逃がさない。
即死の連続十四回攻撃。
敵を猛追し、暴れ食らう一条の閃光。
誰が名付けたか『シャークレイド』と呼ばれるその技は、未だかつて破られた事はない。
ビーッ、とブザーが鳴る。開始僅か十秒足らずの出来事であった。
先制点は、俺だ。
☆★☆
海老沼は、エスケープで与えられた十秒間を利用して思考する。
──やはりシャークレイドが鬼門か。
浪川蓮太を強者たらしめる最大の理由であり、文字通りの『必殺技』である。油断すれば──いや、油断せずとも強引にコンボの始点を作り、確殺してくる。このコンボから抜け出したものは未だかつていないという。あの舞原夏乃でさえ、一度入ったコンボから抜け出すことはできないのだ──まあ、彼女の場合はコンボに全く入れさせないということらしいが。
何はともあれ。
こうして先制点を取られた以上、何か策を練って挽回するしかない。
いきなりシャークレイドをかましてきたということは、浪川も本気ということだ。
──容赦はしないってことか。
海老沼は勢いをつけ、リング内へ復帰する。
復帰直後の強打を当て、中央付近にいる浪川を叩く。
激しい衝突音とともに大きく浪川が弾かれる。
一撃の威力なら勝っている。勝機を見出すならここだ。
弾かれた浪川を追う。海老沼の作戦は単純だった。
『耐えきる』。
ただそれだけであり。
しかしそれが、海老沼にとって最も効率的な勝ち筋であった。
☆★☆
重い。
まるで巨大な戦車を相手にしているようだ。
俺は初撃のシャークレイド以降、何度もコンボの始点を作りに行った。
しかし。
あれきり、一度もシャークレイドは決まっていない。
なぜなのか。考えられる理由は幾つかあるだろう。
まず単純に、海老沼の技量が高いこと。いなし方が予想以上に上手く、隙を見出せない。初撃のアドバンテージがあってようやく、ということだ。
次に、ポジショニングだ。海老沼は攻撃が決まっても深追いしてこない。常に安全な中央に陣取り、余裕を持って相手の攻撃を受ける。これには海老沼のスタイルである『重さ』や『攻撃力の高さ』が要因として絡んでくる。
海老沼は、無理してリング際に追い込まなくとも一撃で相手をリング外に弾き飛ばすほどの威力を持っている。だからこそ、その『重さ』で以って中央に居座り続け、安全な位置から敵を迎え討ち続ける。そして隙あらば、刺す。
つまり。
その戦い方は。
まるで「俺を攻略するための」戦型で。
俺の弱点を的確に付いた、これ以上考えられない作戦で。
貪欲に勝利を目指す少年の、意地が詰まっていた。
──勝つ気だ。
彼は本気で、この戦いに勝利する気なのだ。
「……面白い」
──ああ、面白い。そうこなくては。
何事もなく俺が蹂躙して終わっていたら、きっとこんな感情は味わえなかっただろう。
この試合に賭ける熱意が、魂を介して伝わってくる。「全力で抗ってやる」と、叫んでいる。
ならば。
──その心に、俺も答えないとなッ!
「いくぞ──ッ!」
「……!」
腰を屈め、一気に水を蹴り出す。爆速で迫り、二回のフェイントの後に本命を差し込む。右足による前蹴りだ。
「なんの……っ!」
海老沼が反発力を外側へ逃がそうとするのを見て、俺は攻撃を内側に巻き込むように調整する。ちょうど体の芯を捉える形になり、強い反発で海老沼が軽く弾かれる。俺は海老沼を追撃にかかった。
「そらッ!」
左足の蹴り下ろしからの、右膝による飛び膝蹴り。浮き上がった敵に、右正拳突き。ポジションや角度、威力によって完全にパターン分けされているシャークレイドの連撃コンボは、常に最適解で敵を攻め立てる。
「これで、二点目────ッ!」
最後の一打、左足の回し蹴りを叩き込んで終演────、
「──発ッッッ!!」
『圧』が、海を震わせた。
同時に、視界が高速で流れ、過ぎ去っていく。
──俺が、吹き飛ばされている……?
信じられないが、事実俺は今、決めの一撃を放つ直前、反撃を打たれて……。
混乱する思考を他所に、俺の体は争うこともできないまま流され、流され、そして。
エンドラインを、割っていた。
──一体今、何が起きた?
☆★☆
決まった。これ以上ないタイミングで、これ以上ない威力で。
そして思わず笑ってしまうほど、綺麗に。
海老沼には口元が弧を描いている自覚があった。
──してやったり。
呆然とした顔で吹き飛ばされていく浪川の顔は、それはもう傑作であった。このために、二週間ひたすら一つの技を磨いてきたのだ。
「目を覚ませよ、浪川。まだ寝ぼけてんなら、このまま俺が勝つぜ?」
──来いよ、浪川。お前の本当の力、本当の思い、見せてくれ。
──言っただろう、「俺はお前のことが気に入ってるんだ」と。
──だからこそ俺は、俺に勝てないお前を許さないし、そんな腑抜けた「一番」なんていらないんだ。
海老沼の魂を乗せた一撃は、浪川をいとも容易く吹き飛ばした。
『ブチヌキ』。
海老沼本人が名付けた、対浪川蓮太専用の固有技術であった。
☆★☆
開始二分。
1-1の同点。
完全に、想定外のペースだった。
「ブチヌキ……」
原理は単純明快──というより、これは単なる『パンチ』であった。
ただし、その威力は未だかつて見たことのないレベルに達している。
俺の決めの一撃、左足回し蹴り。それは、確かに海老沼の左側面付近を捉えていた。だが、海老沼はその攻撃をまるで自身がシーソーになったように受け止め、その威力を左側面から右手へ流し込む。
身体の中心を軸とした投石機。受けた攻撃の威力が高ければ高いほど強まる全力反撃。海老沼はこの一瞬のみ、水中に座す固定砲台と化す。
決めの一撃が来るまで温存していたのは、これが気軽に使える技術ではないからだろう。発動条件は厳しいはずだ。海老沼の利き手的に、左側面に強攻撃が来なければ使えない。
だからこそ、決めの一撃を待ったのだ。
その作戦は最高の結果を残した。ただ単に一点返したという以上の意味を持って。
なぜなら──
「っ、やりにくいな……」
シャークレイドという固有技術は、無数の連携パターンをその場その場で選び取り、最適解で繋ぎあわせることで完全無欠の即死コンボを成立させたもの……だった。
この技の終演は一点に収束する。
そう、左足の回し蹴りである。
これは癖というか、俺が出せる最大威力の攻撃が左足の回し蹴りだからという理由なのだが、今回はそれが裏目に出た。
シャークレイドが、破られた。必ず左足回し蹴りに持っていく技の仕組み上、どんなに工夫しても最後は必ず海老沼のブチヌキを食らうことになる。つまり、今ここにシャークレイドは封印されたのだ。
「お前の回転技と、舞原の反撃を見て、思いついたんだ」
海老沼が自慢げに語る。
「はっ、技を盗まれたってことか……」
「俺は浪川ほど素早く思考・判断できないし、舞原みたいな柔軟性もない。だからお前らと同じことはできなかった。だが代わりに、俺にしかできないことがあった」
「…………いつ、気が付いたんだ?」
左足回し蹴りのことを、と言わずとも海老沼は察していた。
「俺が練習を始めて三日くらいか。漠然と癖があるような気はしてた。陸上はフォームが重要だからな。人間の挙動に潜んだ僅かな違和感にも、俺なら気づける」
「……さすがだ」
「まあな」
さて。
最大の武器である固有技術を封印された俺は、如何にして海老沼を攻略すればいいのか。
牙を抜かれた鮫に、できることは──────。
☆★☆
第一クォーター終了。
得点は、2-2。海老沼の守りが固く、ロースコアでの戦いになっている。
「う、ゎ…………」
そこに、少女一人。
男たちの戦いを見届ける、少女一人。
「すごい……」
鳥肌が止まらない。こんなもの、見たことがない。
姫宮凛子は、今まで感じたことのないような感覚を味わわされていた。
「すごい、すごいすごいすごい…………」
テレビなどで見たことはあったが、生で見ると迫力が違う。二人の衝突とともに海は揺れ、腹の奥底を震わせる衝撃が全身を襲う。
現在は第二クォーターが進行中だ。固い守りを突き崩そうと、浪川が果敢に攻め立てている。
縦横無尽に海を駆けるその姿を目で追いかける。目が離せない。
興奮が体全体を支配している。激しく心臓が脈を打っている。抑えきれない気持ちが、溢れ出しそうになる。
──男の子って、すごいな。
姫宮はその光景に心を昂らせながら、自分の中にずっと眠っていた一つの感情を再認識した。
それは不器用な姫宮凛子が抱いた、たった一つの確かな感情。
もはや目を背けられない。自分の感情に嘘をつけない。
だって──
こんなにも大きく育ってしまったのだから。
「やっぱり、私────」
ただ。
その独り言に続きはなかった。
☆★☆
第二クォーターは依然として状況変わらず。攻め続ける俺と、守り抜いて一瞬の隙に刺そうとする海老沼の間で膠着状態に陥っていた。
何より厳しいのは、左側面への攻撃がほぼ封じられているという点だ。攻撃が右側に絞られる分、防御も容易い。俺は常に反撃に警戒しつつ立ち回らなければならず、思い切った行動に移れないでいた。
夏乃とはまた違うタイプの反撃。厄介だ。
──どうする。
この状況は俺の望む展開ではない。ガンガン点を取り合う展開に持ち込めれば楽なのだが、そう上手いこと運んでくれないのがスポーツというものだ。
「逃げるなよ、つれないな」
左右がダメなら上下で、と考えたのだが、そこはしっかりと対策を考えているようで、俺が上下へ移動すると必ず海老沼も並行線上に移動してくる。
打開策を考えている間に、第二クォーターも終了。得点は6-6。どちらかが得点するともう一方が返す、見事なシーソーゲームだ。
第三クォーターが始まるまでの時間も、打開策を考える時間に充てる。
俺の回転と夏乃の反撃、左側面に張った罠、回し蹴りを想定した専用の技術。一見隙はないように見えるが、きっとどこかに何かあるはずだ。その間隙を突くような、何か────、
そこで、ふと。
ノイズのような音が、脳内に微かに鳴り響く。ザザ、ザザザ、という音とともに、思考を揺らしてくる。
どこからか聞こえてくるのかは分からない。ただ、その音が響くたび、思考に自分以外の何か大きな存在が介入してくるような感覚がある。
──なんだ、これは。
正体不明の現象に体が拒否反応を起こしかけるが、俺はそれを自ら律して食い止めた。
──俺はこの音を聴かなくちゃならない。
そんな直感が全身を支配した。
この音はきっと何かの前兆だ。何を指し示すものなのかはまだ分からないが、この音はきっと俺にとって『良い音』だ。
なぜなら、その音が次第に思考を鮮明にし、まるで突然世界が広がったように五感を大胆に塗り替えていくのを感じたからだ。
ゾクリ、と背筋に走る震え。
何が起きているかは皆目見当もつかないが、事ここに至り、理由なんてもはやどうでもよかった。
重要なのは、今自分の脳内に「勝てるかもしれない策」が浮かんでいる事だ。
実行に移せるかどうかは別として、何かのきっかけにはなるかもしれない。
少なくとも、やってみる価値はある。
そして、第三クォーターが始まる。
初期位置につき、開始のブザーがなった瞬間、俺は動き出した。
「!」
海老沼が僅かに驚いたような顔をしたのを、俺は目の端で捉えていた。
無理はないだろう。なぜなら、突然封印されたはずのシャークレイドを再び使い始めたのだから。
「おいおい、いいのか……?」
弾かれながら海老沼が問う。俺はひとまず無視して連撃で畳み掛ける。
「────ッ!」
そして、『決めの一撃』。左足回し蹴り。逆時計回りに回転し、遠心力を乗せて放つ。
「悪いが、貰ったぞッ!!」
いや。まだだ。
左足回し蹴りが直撃した瞬間、俺は反動で時計回りに弾かれて、海老沼は神速で運動エネルギーを右側へ受け流していく。これは海老沼の優れた体幹があるからこそ為せる業だと、
俺はそう思い込んでいた。
俺の攻撃の分まで載せた超威力の右拳が、俺の左側面へ迫る。そして、それを──
「これで……っ!」
「なっ……!?」
俺が再度回転エネルギーに変換し。
俺、海老沼、そして二度目の俺の攻撃を上乗せされて常軌を逸する威力となった、正真正銘の『決めの一撃』は。
海老沼を、捉えた。
「──────────────────────、」
爆発があった。
これまでのHD人生の中で、感じたこともないような衝撃とともに、海全体が振動したような錯覚を覚えた。
「おいおい、マジかよ……」
「……こりゃ、すげえや」
彼方で呆然とする海老沼と、自分でも信じられずリング内にいながら同じように言葉を失う俺。
刹那のうちに、数え切れないほどの事象が発生していた。
☆★☆
さて。
では順を追って何が起きたのか、見ていくとしよう。
逆時計回りの左足回し蹴りを放った時点で、浪川は反発により時計回りに弾かれていた。そこへ襲い来るのは海老沼の反撃。海老沼は左半身に受けた攻撃を身体の中心線を軸にして受け流し、すべてを右拳に込めて撃ち放った。
今度はそれを、浪川が反撃した、ということだ。
時計回りで回転し、再び海老沼と正対する位置にまで戻ってきていた浪川の左半身を、今度は海老沼の右拳が直撃。それを再び逆時計回りで回転エネルギーに変換。必殺の威力を纏い、真の『決めの一撃』と化した左足回し蹴りが海老沼を捉えた。
衝撃の反撃返し。放った本人さえ一瞬理解が及ばなかった超絶技巧である。
この間、僅かゼロコンマ数秒。
刹那の攻防が、ここにあった。
☆★☆
──勘弁してくれよ。
正直、そんなことをされたらもう無理だと、海老沼は思った。
この技を完成させるのに二週間かかった。毎日毎日仮想の敵相手に攻撃を打ち続けた。時には友人を呼んで相手をしてもらった。全力で駆け抜けた二週間であった。常人から見たら、これでも驚異的な速さで技を身につけたはずだった。
なのに。
あの男は。
二、三度見ただけで。
それを完璧に再現し、自らのものとしたのだ。
──やっぱり俺は、『一番』にはなれないのか。
この世には、才能だけではたどり着けない領域にいる人間がいる。
陸上の全国大会決勝にも、そういうヤツがいた。
持ち合わせの才能だけでは絶対に歯が立たないと分かってしまう。
残酷なまでの力量差。
今から努力したって追いつきようがないと、確信するとともに心を折られたあの日。
海老沼はこうして今、舞台を変えて同じ目に遭っていた。
まだ発展途上のHDなら、もしかしたら。
そうやって逃げ込んだ先で受けた洗礼は、あの日の屈辱よりもずっと痛くて、苦しくて、辛くて、泣きたくなった。
──きっと俺は、一生このままなんだろう。
浪川蓮太に憧れた。いつだって舞原の事を考えていて、HDに常に真剣だった。海老沼にない光を持った人間だった。だから彼に勝てれば、海老沼は自分を変えられるかもしれないと思った。
舞原夏乃に惹かれた。難病に侵されながらも決して折れることなく、真っ直ぐに進む少女。彼女もまた、海老沼にはないものをたくさん持っていた。だから彼女のことがもっと知りたくて、彼女ともっと話してみたかった。
だが、このまま告白するには、あまりに情けなさすぎると海老沼は思った。そんなのは、今も必死に病魔に抗っている彼女に失礼だと。
──浪川、お前はすごいな。
第三クォーター、残り三分。
海老沼の戦意は、その大半が既に失われていた。
☆★☆
遅れてやってきたのは、興奮だった。
理解が及ぶほどに、今起きた出来事の異常さに鳥肌が立ち、同時に心が震える。
──俺が知らなかったHDが、まだこんなにあるんだ。
もっと見たい。見せて欲しい。どこまで行けるんだろう。その先には、もっと凄いものがあるのだろうか。
だが。
海老沼から先ほどまでの熱が失われているのに、俺はすぐに気がついた。
「お、おい──」
嘘だろ。
「海老沼──」
待ってくれ。
「どうしたんだよ! まだ試合を終わってない!」
俺を置いて、どこかへ行っちまうのかよ。
「いや、もう終わりでいい」
「何を……」
「俺には、お前に勝てないよ。浪川」
その諦観に満ちた表情を見た瞬間、俺の中で何かが切れた。
「…………ふざけるなよ」
「──っ」
「姫宮、タイマー止めろ」
「え、でも……」
「いいからッ!!」
「わ、分かった!」
姫宮が慌ててタイマーを止めに行くのを傍目に、俺は海老沼に食いかかった。
「何を言ってるんだお前?」
「……」
ただ黙って俯く海老沼に、俺はついに限界がきた。
思い切り腕を振り下ろし、海底へ叩きつける。そして、その上に馬乗りになった。因子同士が激しく衝突し、ジジジジジと音を立てている。
「自分の技が破られて悔しいのか知らないが、なに簡単に諦めてんだ! お前の決意はそんなもんだったのかよッ!」
「そうだ、所詮俺はその程度の男だ! お前には分からねえよ浪川! ああ、絶対に分からねえ。お前は本物の天才だから、偽物の俺の気持ちは分からねえよッ!」
「…………そんな考えを持ったまま、夏乃に告白しようとしたのか、お前は」
「──っ」
俺は拳を振り下ろした。
バギィッ! と、今までとは少し違った音がする。海底と因子の間に挟まれて、どこにも逃げ場がなくなった力が内側へ流れているのだ。基本安全なリアクターでも、これをすると内部に衝撃が走る。
「ぐ……っ」
「夏乃は、カナヅチだったんだ」
「ぇ……?」
「あいつ本人が言ってた。小さい頃に病気が発覚して、海に入る機会もなくて、泳ぎ方なんて何一つ分からなかったって」
押し黙る海老沼に、俺は淡々と言葉を続けた。
「海で泳ごうとしても足が思うように動かないから、パニックになって溺れ掛けたことがあったんだってさ。リアクターがあるから溺れることはないだろうが、気持ち的には同じだよな。海の中で一人身動きが取れなくなるなんて、そんなの恐怖以外の何物でもないよ」
「だ、だけど……」
「そう。俺があった時には夏乃はもう誰よりも海で泳ぐのが得意になってた。理由は簡単だ。海でなら、病気に関係なく自由に動き回れたから。舞原夏乃は、ただ毎日泳ぎ続けてあの境地に至ったんだ」
「……すごいヤツだよな、本当に」
「ああ。だからこそ、お前みたいな中途半端なヤツが告白するなんて、俺には許せねえ」
「俺も、釣り合わねえって分かるよ」
「……一つ誤解をしてるな」
もう何一つ抗うことのない海老沼に、俺は問う。
「舞原夏乃を愛した気持ちでさえ、中途半端だったのか?」
「ち、違う! 舞原が好きな気持ちだけは、本当に──」
「ならさ」
俺は泣きそうな海老沼に、精一杯挑戦的に、笑いかけた。
「最後まで、抗って見せろよ。俺はお前の決意を見に来たんだ」
言葉を借ります、おばさん。
「俺と、拳で語り合おうぜ」
目を見開き、頬を一筋光るものが滑り落ちていく。
そして、ぷふっと吹き出す海老沼。
「なんだよそれ」
「分かんねえ」
──ああ、それじゃあ再開しようか。
言葉はなくとも、二人で頷き合い初期位置に戻っていく。
「見下してんじゃねえぞ浪川。今度こそ本気でお前を超えてやる」
「いきなり調子乗ってんじゃねえぞ海老沼。一切手加減はしないからな」
「当たり前だ。全力で来てくれないと逆に困る。……いや、違うな。今言うべきセリフは、こうじゃない」
少し充血した目で、真っ直ぐに俺を見つめながら、海老沼は言った。
「ありがとう、本気で戦ってくれて」
「……水臭い。同じ女に惚れた仲だろう」
「ハッ、ようやく自分の気持ちに気づいたのかよ!」
ああ。
俺の方こそありがとう、海老沼。
俺もこの戦いを通して、気づいたんだ。
お前と同じ、この気持ちに。
目を逸らし続けていた、この感情に。
だから一層、負けられない。
この譲れない思いを貫き通すために。
――――今日、俺達は親友になった。




