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第8話 お前と心ゆくまで青春を

「迷ってた」

「そんなんだろうと思ったわよ」


 姫宮が呆れた表情でため息をついている。

 海老沼はあの後しばらくしてから帰ってきた。彼は別に気まずいとかではなく、単にトイレからの帰り道が分からなくなっただけだということだった。


「この診療所ってそんな複雑な構造だったか?」


 聞くと、海老沼は腕を組み難しそうな顔をした。


「まるで迷路のようだった」

「お前の脳みそでは一本道も無数の分かれ道になってるんだろうな……」


 身体能力にポイントを全振りした男は、その他があまりにも残念なことになっていた。


「終わったぁーっ!」


 夏乃の喜声が聞こえた。本日のリハビリも終わり、姫宮がタオルを持って「おつかれー」と声をかけに行く。俺は帰り支度を始めたのだが、


「決めた。──浪川」


 突然、海老沼が立ち上がった。何事かと思い視線を向けると、



「俺と決闘してくれ」



 …………………………………………。


「は?」

「俺とHDで戦ってくれ」


 決闘ってそういうことか。いきなり殴り合いでも始めるのかと思い、身構えてしまった。でも──


「い、いきなりなぜ?」

「俺は舞原に告白する」

「ぶふっ!?」


 今なんて言ったこいつ?


「ただし、だ」


 向こうの女子たちに聞こえない小さな声で、しかしはっきりと海老沼は言った。


「お前との決闘に勝ったら、夏祭りの時に告白する。お前に負けたら、告白しない」

「は、はぁ? 勝手に告白すればいいだろ、なんで俺と決闘する必要が……」

「お前はそれでいいのか?」

「え?」

「俺が勝手に告白して、いいのか?」

「いや、別に……」


 その時俺は、なぜかはっきりと答えられなかった。

 理由はなく、ただ口だけが、動いてくれなかった。


「これは、俺にHDを教えてくれたお前への感謝の気持ちだ。俺はお前を超えて、舞原に思いを伝える」

「…………」

「阻止したきゃ、俺に勝てばいい。なに、始めたばかりの初心者なんだ。赤子の手をひねるより簡単だろう?」


 ああ、その通りだ。だからこそ、分からない。そんな見込みの少ない賭けに、なぜ挑む? なぜ自分に超えられない壁を用意する? それに、分からないことはまだまだある。


「……舞原の、どこが好きになったんだ?」


 俺は思わず聞いていた。そんなこと聞いてもどうしようもないのに、どうしようもなく気になってしまっている自分がいた。


「お前が勝ったら教えてやるよ。俺だけにいいことがあったら不公平だからな」


 海老沼は答えなかった。ただ、決意を秘めた表情で、護崎院長と話している夏乃たちを見つめていた。


「勝つよ、俺は」

「……」


 そうかよ。告白したきゃ勝手にやってくれ。──そう告げるだけで終わらせることができたはずなのに、俺はただ黙っていた。


「二週間後。場所はいつも使ってる練習場だ。詳しくはまた連絡するよ」


 海老沼はカッコいいから、もしかしたら夏乃がオーケーするかもしれないとか。


「この二週間で、俺はお前より強くなる」


 付き合うことになったら、その後練習に行く時に気まずくなるとか。


「震えて待て、ってな」


 いまの関係性を崩したくない、だとか。

 ぐるぐる頭の中を回る得体の知れない霧のようなモヤモヤが、ひたすらに気持ち悪かった。

 ──俺は、どうすればいいんだよ。

 自分でも理解できない感情に、苛立ちだけが募っていった。


「おーい男子たちー! 帰らないのー?」


 姫宮の声に、はっと顔を上げる。海老沼が「今行く」と返事をした。

 俺は寄りかかっていた壁から離れ、頭を掻きむしった。


「分かんねえよ……」


 長くなってきた前髪が視界を遮る。今だけは、誰にも見られていないどこかでじっとしていたかった。


「海老沼」

「ん? どうした?」


 いつもと変わらぬ笑顔で姫宮や夏乃と会話していた海老沼を引き止め、


「夏乃を家まで送ってやってくれるか?」

「ん、なんかあったの蓮太?」


 夏乃がきょとんとした顔で聞いてくる。俺はぎこちない作り笑いで「用事があるんだよ」とだけ答えた。


「いいのか?」


 海老沼が視線で何かを訴えてきている。だが今の俺には返せる言葉がない。


「いいもなにも、こっちからお願いしてるんだよ。じゃ、頼むよ」

「……ああ。分かった」


 俺は先に診療所を出た。

 外は既に夕焼け空になっており、西日が水平線に沈んでいく。

 海岸線を歩いていると、初夏の風が頬を撫で、長い前髪を揺らした。

 潮の香りとともに夏を運んでくる風。


「……暑くなってきたな」


 自宅までの道のりがいつもより長く感じられた。歩いても歩いても、家にたどり着かないような錯覚。考えても考えても、答えが出ない今の感情と、同じように。

 ……とはいえ。

 27.35㎢程度の七鳴島で、それほど長時間の移動をするはずもなく。

 あーだこーだ考えているうちに、自宅が見えてきた。

 平屋建ての古民家である我が家は、ガタがきてはいるが風情があり、俺も気に入っている。


「おかえり」


 ふと、縁側から声がかかる。そこには、紫煙をくゆらせる女性が一人。


「ん、ただいま」


 神代菫こうじろすみれ。俺の母の妹、つまりおばさんに当たる人である。俺に似て(というか、「俺が似て」なのだろうが)、髪の毛はボサボサで枝毛だらけ。しっかり梳いてケアすればロングヘアの似合う大和撫子なのに、家ではいつもよれよれのTシャツを着てだらしない格好をしている。肩からブラ紐が覗いていようがもう何も感じなくなってしまった。


「んん? どうしたの、そんなに難しい顔して。眉間にしわが寄ってるわよ」


 読んでいた雑誌から顔を上げ、切れ長の目でチラリとこちらを一瞥するおばさん。


「なんでもないですよ」

「……そ。ならいいけど」


 おばさんは七鳴島の小学校で教師をしているからか、こういう些細な感情の変化にやたらと敏感だ。「気にするな」と言えばそれ以上詮索はしてこないが、余計な心配をかけたくない俺は極力気づかれないよう、顔に出さないようにしている。まあ、おばさんの前では無力だが。


「夕飯、何がいいですか?」

「んー、シェフのおまかせで」

「なら今日も西田のおばあちゃんがくれたそうめんの消化で」

「あれまだあったの!?」


 おばさんが驚愕の表情で雑誌を取り落とした。たかが一週間連続そうめん程度でどれほど驚いているのだろうか。


「あたしはね、蓮太。職員室で開けたお弁当の中にそうめんが入ってて他の先生たちに笑われた日のことを一生忘れないわよ」

「何がそんなに面白いんですか」


 俺は玄関から家に入り、自室に荷物を適当に放ってエプロンをつけた。


「知らないわよ! でも、隣で見てた後輩が『ぷっ……神代先生、そ、そうめん好きなんすね……ふふっ(笑)』って! 『あっ、水筒の中身はめんつゆですか?(嘲笑)』って! もちろんそいつには厄介な仕事を山ほど振ってやったわ」

「御愁傷様です……」


 後輩さんに合掌。


「じゃあ、まあ今日は…………一風変えて」

「お」

「坦々そうめんで」

「そうめんじゃない!」


 やだやだごねる三十代女性(未婚)を「あと一箱の辛抱だから」となだめすかしながら、適当に料理を作り上げていく。

 そして、三十分後。


「そうめんうま」


 手のひら返しである。


「蓮太、あたしより家庭的なのやめなさいよね本当に。あたしの貰い手がいなかったら蓮太が責任取って貰っていって」

「勘弁してください」

「そっかぁ、やっぱりこんなおばさんじゃだめかぁ……」


 この女性は、酒が入ると非常に厄介になるのである。本日も缶ビールがタワーを形成していく。


「婚期がなぁ、逃げていくんだよなぁ……ウサインボルトもびっくりの速度で……」


 人類最速で逃げる婚期に慄く三十代女性(最近しわが増えてきた)は、そうめんを啜りながら悲しみに暮れている。


「おばさん、スタイルはいいし美人だから、結婚してない方が不思議ですけどね」

「これは人類七不思議の一つなんだけど、私が合コンに行くとみんなそう言うわよ。お酒飲んだ後にはみんないなくなってるけど」


 酒癖が悪い三十代女性(人類七不思議の一つに数えられる)は、死んだ目で乾いた笑い声を漏らしながら

「あー、そうめんうま……」と呟いた。哀愁を感じさせる。

「風呂入る前に寝ないでくださいよ」


 俺は自身の皿を手早く片付け、早くも机に突っ伏しているおばさんに毛布を引っ張ってきてかけてやる。


「ふう……」


 改めて椅子に座り、麦茶を飲みながら垂れ流されるテレビ番組をぼーっと見つめる。

姫宮の意味深な発言。

 そして、海老沼の宣戦布告。

 今日一日で、山ほど心労が増えた気がする。


「マジで、どうすっかな……」


 決闘、決闘……決闘……。


「いきなりそんなこと言われても困るぞ……」


 ──俺は、お前の告白の責任は取れないぞ、海老沼。

 心の中で海老沼に訴えかける。もちろん返答に期待したものではないが、俺にどうしろというのか教えて欲しい、というのが本音でもあった。


「やっぱり何か悩んでるんでしょ」

「うわっ!?」


 寝ていると思っていたおばさんが、顔を横にして視線だけこちらに向けている。


「言ってみな~、少年」


 おばさんは、頬杖をつきながらビールをちびちび煽っている。

 …………。


「例えばの話なんですけど」

「ん」

「俺の友達Aに、俺の友達Bが告白しようか迷っていて、しかもBは告白するかどうかを俺に委ねているとしたら、俺はどういう立ち位置でいればいいですかね」

「ん~」


 おばさんはほんの数秒考え込んだ後、言った。


「蓮太から見て、告白は成就しそうな訳?」

「無理、では、ないと思います……。確実に失敗するとは言いませんが、成功確率ゼロパーセントでもない、って感じです」

「はあん、なるほど。困っちゃうわねえ」


 また一つ器用に缶を積み重ねながら、おばさんは「若いっていいわねえ」とぼやいた。


「じゃあさ」


 そして、


「どれだけ本気なのか、確かめてみればいいんじゃない?」

「え、どうやって……?」

「拳で語り合うとか?」

「随分と野蛮ですね……」


 いや、でも。

 ハイドリア・ダンスで戦えとは、そういうことなのだろうか?

『俺の決意を確かめてみろ』と、そういうことなのだろうか?


「じゃあまあ、拳とは言わないまでも語り合ってみることにします」

「ん、それがいい。存分に青春しなさい」


 ひらひらと手を振るおばさん。簡単な悩み相談が終わり、俺は一言「ありがとう」とだけ残して、隣の自室に移動してベッドに飛び込んだ。


「さて……」


 仰向けになってぼんやりと考える。

 思いを確かめる。

 それはきっと、『海老沼の』だけではなく、『俺の』思いを確かめるという意味もあるのだろう。

 海老沼の決意を見せてもらうために。

 そしてなにより、この自分でもよく分からない、モヤモヤとする感情に整理をつけるために。

 俺は、決闘を受ける。

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