第19話 深き海の底で
そして始まった運命の第四クォーター。浪川蓮太と舞原夏乃の戦いは、もはや一つの芸術品とさえ思えた。
そして、その様子を並んで見つめる少年少女がいた。
「もう、完全に俺たちの手の届かないところまで行っちまったな」
「そうね……」
海老沼は、その試合がどれだけ異常なものなのかを理解していた数少ない人間の一人だった。あの試合は、海老沼が浪川とやった試合などとは比べものにならないほど高次元の争いをしている。それは、直接浪川と対決した海老沼だからこそ分かる感覚だった。
自分の頬を涙が伝っていくのを海老沼は感じていた。今でも「あそこで戦っているのが自分ならば、どんなに良かっただろう」と思う。しかし同時に、自分があそこに立っても何もできないことも理解していた。だからこそ、悔しい。及ばない自分が、ただただ悔しいのだ。
そして姫宮は、夏乃が途中から『変わった』ことに気が付いていた。きっと浪川君がやってくれたんだ──凛子は浪川へ感謝の気持ちを伝えに行きたかった。しかし、今あの二人の対話を邪魔するわけにはいかない。なぜなら──あんなにも楽しそうに、笑いながらぶつかり合っているのだから。
海老沼と同じく、姫宮も泣いていた。あんなに楽しそうに海を舞う浪川蓮太の姿を見て、決して自分ではあんな表情にしてやれないと気が付いたからだ。しかし、彼の相手が舞原夏乃で良かったとも感じていた。思い悩んでいた彼女を、姫宮は救ってやることができなかった。それができるのは、彼だけ。
そう、姫宮に割って入る隙など、最初からどこにもなかったのだ。
──そう思うと、ほんのちょっぴり、辛くて。今だけは、泣いてもいいかな、と姫宮は自分に言い訳をした。
二人のぶつかり合う衝撃が波動となり、海全体を震わせている。観客席で見守る二人のところまで、それは届いていた。腹の底を振動させる衝撃に、観客は皆息を飲んでいる。実況も、自らの仕事を忘れて見入ってしまっている。
「なんであんた、泣いてんのよ」
「お前こそ」
「……」
「……」
「すごい試合ね」
「ああ、そうだな」
「私、あいつらの友達で良かったと思ってる」
「俺もそう思うよ」
「だから、今ちゃんと泣いておこう。笑ってあの二人を迎えるために」
「……お前も、強くなったな。凛子」
「うるさいバカ」
☆★☆
試合はいよいよ第四クォーターに突入し、得点は現在30-30の同点。高速で点数が積み重なっている。残り時間は、一分を切っていた。
「だぁぁあああああああああああああああああッ!」
「らぁぁあああああああああああああああああッ!」
激突する二つの流星。爆音を掻き鳴らし、二人だけのメロディを奏でていく。
もうゾーンなどとっくに超え、自分でも何が起きて身体がどう動いているのか理解できない状態になっていた。ただ勝つために。脳の処理限界を超え、一勝を掴むためだけに本能が身体を動かしている。
残り三十秒。
俺は体内にあるリミッターを強引に全て解除し、本能に身体を明け渡す。
もはや制御不能の凶戦士だ。暴れ食らうように攻撃を打ち込み続ける。
──『狂乱索餌』という現象がある。
それは主に鮫に見られる現象で、感覚器によって得られた情報が処理能力を超過し、オーバーフローして引き起こされる。狂乱索餌に陥った鮫は、狂乱状態で餌を食する。今の俺の状態は、この現象に非常によく似ていると言えるだろう。
名付けるならば──固有技術『ベルセルク』。
北欧神話に登場する異能の戦士のように、制御不能の狂人は相手を喰らい尽くす。
「ぶっ飛べ────ッッ!!!!」
「く、っ…………!」
神速の貫手が夏乃のクレセントムーンをすり抜けて突き刺さる。そして、それだけにとどまらない。反動を回転で前方にエネルギー変換、吹き飛ぶ相手に追い縋る。
残り十秒。
「まだまだまだまだまだまだァッ!!!!」
積み重なる連撃。着実に相手をリング際に追い詰めていく。
──狂瀾怒濤の二十八回連続攻撃。
シャークレイドの最終形態と言ってもいいだろう。まさしく、俺というHDプレイヤーの集大成だ。しかしこれは、海の音が聞こえる今でしか使うことはできない。もしかしたら今後二度と使えないかもしれない。でも、それでいい。この試合だけ、今はこの試合に勝つことができれば、それでいいのだ。
残り九秒。
「これで、終わりだ────────ッッ!!!!」
最後の一撃、奇しくもそれは左足回し蹴りだった。
最大威力の攻撃は、クレセントムーンを使わせる余裕すら与えない。吸い込まれるように夏乃に左足が突き刺さり────
☆★☆
残り八秒。
しかし、試合は終わらない。
夏乃は最後の一撃が来るのを待っていた。それが左足回し蹴りになるように、調整した。蓮太ならきっとこのシビアな調整についてきてくれるだろうと、舞原夏乃は信じていた。決して偶然などではなかったのだ。
そして、誘い込んだ最後にして最強の一撃を、夏乃は両腕のアームハンマーで真下に叩き落とした。
「ぐっ……!!」
途轍もない衝撃が体全体を襲う。しかしこれに抗わなければ、弾き飛ばされて得点を許してしまう。夏乃は全身全霊を懸け──そして、腕を振り抜いた。
海底へ向かってエネルギーの方向を変えられた浪川は真下に、そして反動で夏乃は安全な海面方向へ弾き飛ばされていく。
名付けるならば──固有技術『セイレーン』。海に舟人を誘い込む伝説の生物のように、自らの狙いに相手を引き込んで、不可避の反撃を叩き込む。
逃げ切った。
夏乃がようやく安堵────しかけた、その刹那だった。
☆★☆
残り七秒。
──まだだ。終わらせない。こんなところで、こんなにも楽しい試合を終わらせてたまるか。
真下に叩き落とされそうになった左足を、そのまま強引に縦回転へ繋げる。『ブチヌキ・廻』をさらに応用し、足先に受けた攻撃のエネルギーを回転エネルギーに変換した形だ。
真上へ逃げる夏乃に、オーバーヘッドキックが迫る。
間に合うか、いや間に合う、頼む、間に合え────ッ!!
思いが届いたのか、夏乃の足に俺のつま先が僅かに掠った。普通ならこの程度なんてことないが、因子の衝突となると話は別だ。掠っただけでも、大きく体勢を崩すのである。
上方へ逃げようとした夏乃の姿勢が揺らぐ。俺はすかさず、それに喰らい付いた。
☆★☆
残り六秒。
蓮太はここに来て今までを上回る超絶技巧を披露した。そして今も、その牙が迫っている。
──すごい。本当にすごい。
夏乃は心の底から驚嘆し、そして感謝していた。
ありがとう、と。
私についてきてくれるのは君だけだ、と。
ここはまさしく二人だけの世界。刹那の内に無数のやり取りが交わされる、人間の限界を超えた世界だ。
──私も応えたい、彼の気持ちに!
蓮太は必死で夏乃を繋ぎ止めた。だからこそ今度は、夏乃が蓮太にお返しをする番だ。そしてそれは、きっとプレーで返すべきなのだ。
「────────、」
目を、閉じる。海の音に耳を傾ける。そして、今までよりさらにはっきりと聞こえる彼の音を聴く。
心臓の音。彼の感情。一挙手一投足。全てが手に取るように理解できる。
真下から襲い来る青鮫。その牙を、三日月の弧を描いて避ける。
『クレセントムーン・深』。ここにきてさらに深化し、進化した二人の共鳴が、舞原夏乃をまた一つ上のステージに上げたのだ。
そして夏乃は、貫手のほんの僅かな水圧でさえも回避に利用してのけた。蓮太は驚愕と喜びに満ちた表情をして、さらに攻撃を重ねてくる。その全てをひらりひらりと躱し続ける。
その様子は、まるで二人の演者が舞台で楽しく踊っているようだった。
☆★☆
残り五秒。
──それさえも避けるか、夏乃。
もはや、どんな攻撃でも僅かな水圧を利用してクレセントムーンは発動してしまうだろう。
発動を阻止することはもう叶わない。
ならば、発動する前に攻撃を届かせるしかない。
俺は、準決勝で当たったあの少女を思い出していた。ひたすらに速度だけを追い求めた少女。あの少女の動きを思い出す。速さに隠された秘密を解き明かし、自分の動きに取り入れる。今の俺に、不可能なことなんて存在しない。
「行けぇぇええええええええええええええッッ!!!!」
しかし。
光の矢と化した一撃は、夏乃の懐に吸い込まれていき──
☆★☆
残り四秒。
もちろん夏乃は、自分のクレセントムーン・深の攻略法が「速さで抜き去る」ことしか存在しないことを理解していた。だからこそ、蓮太が光速の一撃を撃ち込んでくることを信じていた。そしてこれだけリング際ならば、ブチヌキ・廻で反撃する余裕もなくリング外まで弾き飛ばせるだろう。
そして真下から射られた矢を、夏乃は今度こそリング外に────
☆★☆
残り三秒。
──俺は、『クレセントムーン・深の攻略法が「速さで抜き去る」ことしか存在しない』と夏乃が理解していることを信じていた。
しかしあえて、そこに飛び込んだ。もうそれ以外に夏乃の意表を突くことなどできないと思ったからだ。
夏乃は迫る右の貫手を反撃すべく腕を振るった。
そこで俺は、腕を引く。
残り二秒。
「なっ────っ!?」
今日一番の驚愕とともに夏乃の目が見開かれる。
──俺を信じてくれてありがとう、夏乃。
──そして悪いが、お前の技……借りるぜ。
俺は両足を揃えて水を蹴った。そのモーションが指し示す固有技術は明白だった。
ドルフィンターン。
舞原夏乃の十八番にして、俺の憧れた少女の、俺が一番好きな技だ。
「今度こそ──」
残り、一秒。
鋭角ターンで一気に前後を入れ替える。そして反転際に右足で、
「終わりだ」
夏乃の背中へ、最後の一撃を放った。
「──────────────────、」
今日一番の衝撃音が海を震わせた。
そして。
そして──
ブザーが、鳴った。




