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第18話 レゾナンス

 休憩時間中、ひたすらに思考し続けたが、答えは出ない。二分という時間はあっという間に過ぎていき、ろくな対策も思いつかないまま、第二クォーターが始まってしまった。二点を追う展開。あの謎の回避が本当に厄介だ。まるで空を舞う木の葉のように、掴みたくても隙間から逃げていく。


「もう一点だって取らせない」


 意表を突いた新技で取った二点以降、全く夏乃を捕まえることができない。スルリスルリと躱し、鋭く的確な一撃を返してくる。

 ──どうすればいい。どうすれば捉えられる。

 次第に焦りが募っていく。これでは、せっかく磨き上げたシャークレイド・改も無意味だ。攻撃がそもそも当たらないのではどうしようもない。そして、全く得点できないこの現状をどうにかしなければ、敗北は免れない。何か、策を考えなければ──。


「ぐっ……」


 一点。


「っ、く……ぁっ」


 また一点。

 得点が積み重なっていく。

 本当に手遅れになる前に、第二クォーターが終了してくれたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 会場もざわついている。観客にもようやく、夏乃が何かとんでもないことをしているということを理解し始めたのだ。


『何が起きているのでしょうか……? 舞原選手が、まるで幽霊のように全ての攻撃を避けています……。分かりませんが、恐ろしい技術が行使されているということだけが伝わってきます……!』


 水無瀬さんも困惑を隠せない声音で実況をしている。

 第二クォーター終了、得点は2-10。

 なんとか逃げ回り失点を八で抑えたが、それでも厳しい。諦めるわけにはいかないが、ここから一体どうすれば────────。


☆★☆


「恐らくだが」


 リング外に引くと、選手の控えスペースに遼が待っていた。開口一番、遼はこんなことを言ってきた。


「舞原は、避けようと思って避けてるわけじゃない」

「……は?」


 何を言っているんだ?避けようと思わずに避ける?


「なんつーか、外から見てると、身体が勝手に避けてるみたいな印象を受けるんだ」

「ど、どうしてそう思ったんだ……?」

「もしかして気が付いてないのか? ……蓮太、お前思った以上に視界が狭くなってるぞ」

「……どういうことか、説明してくれないか」


 神妙な顔つきで、そして早口で遼は語った。


「時間がないから一度しか言わないぞ。舞原は、あのヌルリと避ける技を使うとき、目を閉じているんだ」

「なっ!?」


 ──そんなことがあるのか……?

俺は耳を疑った。目を閉じながら避けている夏乃に対して、そしてそれに気が付かなかった自分に対しても。


「お前、前に言ってただろ。『海の音が聴こえる時、ものすごい集中力を発揮できる』って」

「あ、ああ」

「俺には分からない次元の話だが、それらの要素をまとめると……恐らく、舞原夏乃は海の音を聴いて避けている──ということに、なるのかもしれない……」

「はっきりしないな……」

「仕方ないだろ!」

「いや……でも、ありがとう。それが分かっただけでも大きい」

「ああ、これが助けになればいいんだが……」


 海の音を聴いて避ける。

 第六感というヤツだろうか?無理やり理屈を通すなら、極限まで研ぎ澄まされた感覚が僅かな振動をもキャッチして、それを『海の音』として聴いている……といったところだろうか。

 スポーツ選手には有名な話だが、人間には『ゾーン』と呼ばれる状態があるという。集中力が高まり、ある一定値を超えると、それまでとは別人のように感覚が研ぎ澄まされて、本番で突然一度も出したことのないような記録を叩きだしたり、驚異的なパフォーマンスを発揮したりするというものだ。

『海の音を聴いている』というのが限りなくゾーンに近い状態だと仮定すれば、遼との試合の時に感じたあの感覚の説明もつく。そして、今の夏乃の状況も。


「なら……」


 なら、どうするというのか。


「覚悟を決めろよ、蓮太。舞原夏乃は、俺たちのもう一歩先を行っていたってことだよ」


 今、この場であの少女と同じステージに上がらなければならない。


「……やるしかないんだ」


 俺は遼を背に、リングに向かった。背後から一言「頑張れよ!」と声がかかった。俺は手を振ってそれに応えた。

 ──まだ、始まったばかりだ。

 覚悟を決め、第三クォーターを待つ。

 心を冷静に、されど魂を熱く。様々な思いが巡り、重圧を感じていた心をゆっくりと落ち着けていく。


『……蓮太、お前思った以上に視界が狭くなってるぞ』


 遼の言葉を思い出す。俺は思ったより、緊張していたのかもしれない。ゆっくりと息を吐き出す。

 すると、色々なものが見えてくる。俺たちを取り囲む観客、遠くを泳ぐ色彩豊かな小魚、再開を待つ歓声の中に、知っている声を聞いた。見れば、そこに凛子の姿があった。俺に気がついた少女が、胸に手を抱え、祈るようにこちらを見ている。俺はそれに、小さく頷くようにして気持ちを伝える。

 ──もう、大丈夫だ。

 見渡せば、無限大に広がる深き、青き世界。俺は、色々なものを背負いこんでここまで来て、本当に大切なものを見失っていたのかもしれない。

 今一度、初心に帰ろう。あの時の気持ちで、あの頃のように。

 海って、こんなにも美しくて、こんなにもワクワクして、こんなにも──

 楽しかったんだ。


『さあ、試合は折り返し、第三クォーターに入っていきます。現在の得点は2-8で舞原選手が六点リードしているという状況です。鉄壁の防御力を誇る舞原選手を相手に、浪川はどう攻略していくのか! ここからの逆転に期待ですッ!』


 ──簡単に言ってくれるぜ。

 俺はそんな呑気なことを考える余裕が生まれているのを実感し、ふふっと笑った。


「なんで笑ってるの……?」


 初期位置につき、開始を待つ夏乃が怪訝そうな瞳を向けてくる。俺はそんな夏乃に、 一言だけ尋ねた。


「夏乃。ハイドリア・ダンスは、ちゃんと楽しいか?」

「……ぇ?」

「いつか聞いてきたことがあったよな、楽しいかって」

「ぇ、あ、うん……?」

「でもその時は、俺が答えただけだった。だから今ここで、お前に聞く。ハイドリア・ダンスは楽しいか?」

「私は……」


 自分の胸に手を当て、浅い呼吸を繰り返す夏乃。そして、


「……分かんない。もう、分かんないよ」

「……」


 心の叫びが聞こえたような気がした。

 いつもなら海の中では大きく見える少女が、今だけは小さく、儚い存在に感じられた。

 それでも試合は進む。

 第三クォーター開始を告げるブザーが鳴ると同時、俺は突っ込む。そして──夏乃は、目を閉じた。


「『クレセントムーン』って言うんだ」


 小さく、一言。その固有技術ユニークアーツの名を告げた。

クレセントムーン。三日月を意味するその単語は、きっとあの弧を描くような回避から来たものだろう。それは本来美しく、優雅な技だったのだろう。しかし今、それを演じる本人に、かつてのようなひまわりを連想させる笑顔はない。ただ、ただ辛そうに、舞台に立たされているような──。

 俺の攻撃はクレセントムーンで躱され、背後から夏乃の攻撃が迫る。


「────ッ!」


 それを俺がブチヌキ・廻で返す。反転した勢いのまま回し蹴りを叩き込む──が、それさえもクレセントムーンで逃げられる。


『な、な、なんだなんだなんだ────!? 何が起きている!? 攻撃が、止まらない! 両者一歩も譲らない! 乱打、乱打乱打乱打乱打乱打ッ! すごいぞ、この試合! 我々は今、とてつもない光景を目にしていますッ!』


 夏乃がクレセントムーンで、躱し。

 俺がブチヌキ・廻で返す。

 何十、もしかしたら何百と続いたかもしれない。まるでラリーだ。永遠に続くのではとさえ思える。

 そして今感情を支配するのは──やはり、興奮だった。


「夏乃ッ!」


 刹那のやり取りの中で、俺は少女の名前を呼ぶ。


「────楽しいなッ!」

「……っ!」


 俺の声にしかし、夏乃は表情を歪めた。

 その声音は激しく、そして鋭く、痛みを伴って紡ぎ出された。


「楽しくなんか…………ないよッ!」


 ああ。


「もう、辛いんだよッ!!」


 やっと。


「年々リハビリは辛くなっていくのに、私はHDを辞めることができない」


 本当の、気持ちを。


「だってHDは、私から生まれたものだから……っ。私がいくら辛くても、辞めるなんて、ダメだって思ってッ!」


 やっと隠していた気持ちを、話してくれたんだな。


「だからこそッ!この大会で優勝して、それで終わりにしようって、これが私のHDに対するけじめだってッ!だから、もう────」


 そして夏乃はついに、本当の気持ちをさらけ出した。



「私の邪魔をするなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ────ッッッ!!!!!!」



 そのクレセントムーンは、間違いなく今までで最高速であった。しかし、極限の集中力を発揮した今だからこそ────

 ──感じる。


「楽しそうに海を泳いでいるお前に、憧れた」


 ──ザザ、ザザザ、と。ノイズのような音が響く。


「いつも俺の一歩先を泳いでくれる、お前に憧れた」


 ──背中側から迫る攻撃を受け、それを強引にねじり、反転させる。その間も絶え間なく、音は鳴り続ける。

 そして次第に、澄んでいく。ノイズが晴れていき、透き通っていく。


「俺より速く、美しく泳ぐお前に、俺は憧れたんだ」


 鈴の音色のように響く海の音が、次の行動を導いていく。反転し攻撃を仕掛けるが──クレセントムーンで回避しようとしてくる。だが俺にはもう、その理屈も直感的に理解できていた。

 完全に力を抜き脱力することで、相手の攻撃が生む僅かな海流に身を任せ、まるで木の葉のようにひらりひらりと避けていたのだ。つまり、極限まで水の抵抗を減らせばこの技は「止まる」。

 俺は、指先までピンと張って、貫手を夏乃に撃ち込んだ。


「だからさ──」


 そして、その攻撃は夏乃に────届いた。


「もう少しだけ、俺の先を泳いでくれないか」


 連撃、連撃、連撃。

 ──頼む。届いてくれ、この想い。

 そう願いながら、俺は一撃に想いを乗せる。


「お前がいない海なんて嫌だ! お前がどう思ってるかじゃない、俺が嫌なんだ! リハビリが辛いなら支えてやる! 倒れそうになったらよりかかればいいッ! 辛くなったら全部俺にぶつけろッ!」


 ──ああ、情けないな。


「頼むよ、夏乃。俺、お前がいないと前に進めないんだ。だから──」


 そう思いながら、でもこの言葉を言わずにはいられなかった。




「──昔みたいにさ、もう一回俺のことを救ってくれよ、夏乃」




 俺が夏乃を救ってやらなきゃ、と思っていたのに。気がつけば「俺の事を救え」、なんて。


「──────」


 そして最後の一撃が夏乃を捉え、夏乃をリング外へ弾き飛ばした。

 静寂。

 僅か十秒しかないその時間が、永遠にも感じられた。

 夏乃は動きを止めている。

 頼む。

 俺は祈るように夏乃を見つめた。きっとリングに戻ってきてくれる。でも、もし戻ってきてくれなかったら。このまま諦めて、消えてしまったら──

 そう思っていた時だった。


「……なにそれ」


 夏乃は、笑っていた。


「……俺のことを救ってくれ、だって」


 泣きながら、笑っていた。


「……蓮太、男の子でしょ」

「ああ、情けないとは思ってるよ」

「……そんなに私が必要?」

「お前じゃなきゃダメだ」

「……私のこと、支えてくれるの?」

「ああ。いつだって俺に頼れ」

「……一生?」

「もちろんだ。もう後ろから追いかけるだけじゃない。いつだってお前の隣にいてやる」

「────、」


 そして──夏乃は。

 リングに、復帰した。


「じゃあ、いいよ。でも──」


 夏乃は目いっぱいに涙を浮かべながら、けどあの頃のような満開の笑顔で言った。




「代わりに、私のこともちゃんと救ってね?」




「ああ、ああ。もちろん!」


 俺も笑っていた。抑えきれない笑みが、あふれ出してくる。


「うん、辞めるのは止める。だけどね──」


 突然夏乃が構えた。俺はそれを見てニヤリと笑う。


「今私、今までで一番負けたくないって思ってるッ!」


 ──ああ、分かるよ。俺も同じ気持ちだからな!

「行くよ、蓮太ッ!」

「来い、夏乃ッ!」



「「ここからは、俺たち《私たち》だけの世界だッッ!!!!」」



 そして今、二つの音が────共鳴する。

 ──ああ、これが夏乃の音なんだな。

 ──うん、これが私の音だよ。ちゃんと蓮太の音も届いてる。

 ──良かった。それじゃあ、一緒に踊ろうか。

 ──ちゃんとリードしてね?

 ──当たり前だ。お前こそ、遅れずについてこいよ。

 二人の海の音が重なり合い、一つの和音を形成していく。まだ見ぬ、未知の音へと進化していく。

 憂いはすべて消え去り、残ったのは一つ。


『この最高の宿敵ライバルに勝ちたい』、ただそれだけ。


 そこに理屈は存在しない。この舞台で、この相手と戦いたい。己の全てを懸けてでも勝ちたい相手が、今目の前にいる。

 俺たちは笑いながら、しかし全力でぶつかり合う。その度、爆発するような衝撃が海全体を震わせる。

 俺の貫手が夏乃をリング外に弾き出す。すぐさま戻ってきた夏乃に死角から一撃を叩き込まれる。二人の軌跡が複雑に絡んでは弾かれる。まるで惹かれ合うように俺たちはぶつかり合った。


「すごいよ、ずっと隣にいてくれたのに、これまでとは比べ物にならないくらい蓮太を近くに感じる……っ!」

「ああ、俺も……やっと、本当の意味でお前の隣に立てたような気がするッ!」


 永遠のように感じられた第三クォーターだが、遂に終わりの時を迎える。

 得点、実に15-18。このクォーターだけで二十点以上得点が入った計算になる。まさに、大激闘だ。


「夏乃」

「……なに?」


 そして、それぞれの休憩スペースに戻る直前、夏乃に問いかけた。


「ハイドリア・ダンスは、ちゃんと楽しいか?」

「……ずるいね、このタイミングで聞くのは」

「だろうな。わざとだ」


 そう言いながらも夏乃は、泣きながら、笑いながら、様々な感情を見せる表情で答えた。


「うん。君が私のことを支えてくれるなら、きっとこれからも楽しめるよ。だから──」


 そして泣き腫らした目を擦り、最後に一言付け加えた。


「私を救ってくれてありがとう、蓮太」

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