第17話 凶冷海域
思えば、俺の人生はいつもその少女を中心に回っていた。
舞原夏乃。
長い黒髪と、たまに見せてくれるひまわりのような笑顔が素敵な少女。一人でひたすら海に潜っていた俺に、初めてできた友達。
よく笑い、よく怒る。夏乃は感情表現が豊かだ。それは、難病に侵されているとは思えないほどのポジティブさで、初めて話す人には驚かれることも多くあった。
それでも。
たまに憂いを帯びた表情を見せることがあるのを、最近俺は気がついていた。それが今日という日の前触れだったのかは分からないが、俺達に見せていない感情があることだけは確かだったように思う。
『去年、決勝で激闘を繰り広げた二人。彼らが今年も、この七鳴の海で相対しました。きっとこれは運命の巡り合わせなどではないのでしょう。必然が、二人を再び決勝のこの舞台で引き合わせたのです』
大げさな実況だ。だが、間違いだとも言い切れないかもしれない。
『ハイドリア・ダンス公式大会決勝。まずはこの人、ここまで全試合一度も二桁失点を許していない圧倒的実力! 十八番のドルフィンターンは今日もキレている! 『人魚姫』こと、舞原夏乃────ッ!!』
威勢の良い実況が夏乃を紹介し、会場を盛り上げていく。
『対照的に、本日全試合で二十点以上獲得してここまで来たこの男! 『青鮫』の異名の通り、暴れ食らう牙が並み居る敵を粉砕するッ! 出るか、必殺シャークレイド! 浪川蓮太────ッ!!」
海の中なのに熱気が伝わってくるようだ。きっとこの島の人達はHDが好きなのだ。
──最高の舞台じゃないか。
俺は一つ深呼吸をして、集中力を高めていく。
この日のために、この一戦のためにやってきた。
勝ちたい。そう思う気持ちが、次第に膨れ上がっていく。比例するように視界が絞られ、夏乃だけしか見えなくなっていく。
今この世界は、たった直径20m。
そうだ。俺たちの青春は、いつだってこのリングの中で繰り広げられてきたんだ。
始めよう。俺たちの物語を。
直径20mの、青春の物語を。
「999。この数字が何か、分かるか?」
初めに俺はそう問いかけた。
「……うーん、分かんない」
首をかしげる夏乃。俺は昂ぶる気持ちを抑え、努めて平静に答えた。
「夏乃に試合で負けた回数だ。1165戦166勝999敗。しかも、中二になってからは一度も勝ってない。ちなみに242連敗だ」
「よ、よく覚えてるね……」
若干苦笑い気味の夏乃を他所に、俺は訥々と語り続けた。
「もちろん、今日でこの記録は打ち止めだ。人魚姫伝説は完結だな」
「いやー、めでたいね。記念すべき1000勝目が大会の決勝だなんて」
「……」
「……」
「ははははは」
「うふふふふ」
顔が笑っていない。お互い、勝つ気しかないのだ。
そこで俺は、ふっかけてみる。
「お前が何を抱えてるのかは知らないが、今日俺が勝てばお前の野望は阻止できるんだろう?」
上っ面だけの笑顔が、固まった。
「凛子?」
「そうだ。だが、恨んでやるなよ。あいつはあいつなりに考えてのことだ」
「分かってるよ。凛子のこと恨んだりなんかしない。だけど……」
夏乃は、目を逸らして苦笑いする。
「話してほしくなかったなぁ」
「──、」
苦しそうに、辛そうに。
「まあ、やることは変わらないね。勝てばいいだけ」
痛そうに、泣きそうに。
「さあ、始めようか」
それでも、一人で前に進もうとする。
「ああ、始めよう。この先のことは、きっと試合が決めてくれる」
──だから。
俺は、それを救うためにここに来た。
最高の親友に背中を押され。
友人思いの少女に助けを借りながら。
憧れの少女を救うために。そしてなによりこれは、俺自身の憧れへの挑戦でもある。
二人、相対する。
俺はこの時初めてちゃんと、舞原夏乃と向き合えた気がした。
「絶対に勝つ。俺を救ってくれた君を救うために」
「負けられない。私が私にけじめをつけるために」
カウントダウンが始まる。運命を決める一戦が刻一刻と迫る。
『三──』
目を閉じて。
『二──』
深呼吸。
『一──」
そして、目を見開く。
『スタート──────ッッッ!!!!!!』
16:30。
七鳴島公認ハイドリア・ダンス公式大会、決勝。
少年と少女の意地のぶつけ合いが、今始まった。
☆★☆
全力、全開。
「────っ!」
開幕からブチかます。呼吸する暇さえ与えない。
遼と磨いた『シャークレイド・改』が夏乃を捉えた。
一度捕まれば逃げ出すことは叶わない。まるで蜘蛛の巣のように張り付き、無数の攻撃を叩き込む。
十二、十三、十四────
「まだだッ!」
そして、十五。
シャークレイドは進化し、『十四撃目に左足回し蹴り』の制約が消え、状況によってコンボ数の調整ができるようになっていた。
先程が嘘のように静まり返った会場に、ブザーが鳴り響く。そして、ようやくそれに気がついた観客が一斉に歓声を上げた。
『速い、速い速い速いッ! 猛烈な連続攻撃で浪川選手が先制点を取った! 実況が追いつかないッッ!』
「……」
吹き飛ばされた姿勢のまま数瞬固まった夏乃は、ゆっくりと口を開いた。
「……強くなったね」
「まあな」
しかしその言葉には驚いた様子はない。当たり前だと言わんばかりに、先制点を取られても焦ることなく優雅にリングに復帰する。
「一点じゃ生温いッ!」
俺はさらに追加点を取るべくそこを狙う──が、
「大丈夫──もう、見えた」
言うと、夏乃はぐっと膝を曲げ、両足を揃えて水を蹴った。
『おおっと、ここで出るか伝家の宝刀──』
それは、視界から消えるほどの鋭角ターン。海に愛された夏乃にだけ許された、固有技術。
『ドルフィンターンだ────ッ!!』
どれだけ意識していても、人間が瞬時に背後に移動したら視界に収め出るかいられるはずがない。直接的な攻撃力を持たないはずのこの技が『必殺』である理由、それが──
「ぐっ──ッ!」
無防備な相手を、背後から刺す。命中率100%の痛打。
背中を突かれ、猛烈な勢いで前方に流されそうになる身体。
──しかし。
命中率100%と言えど、当たる場所の調整くらいなら、できないことはない。
比較的攻撃力が低い夏乃が、確実にリング外まで吹き飛ばすためには身体の中心を狙ってくることは分かっている。
そう信じているからこそ、次の行動を確定させることができるのだ。
ほんの僅かに左側にずらされた狙いが、その狂いが、俺に不可視の一撃から逃れ得る選択肢を与えた。
「ぐっ──、ぁぁぁああああああああッッ!!!!」
ギリギリギリギリ、と流れに逆らう因子がまるで悲鳴をあげるように騒音を掻き鳴らす。
回転。前進しようとするエネルギーを、強引にねじり、ねじり、ねじり──ついに、時計回りに180度回転を果たしたエネルギーが夏乃の方を向く。
「……ッ!?」
今度こそ僅かに目を見開いた夏乃。そして、自分が放った攻撃力がそのまま夏乃に襲いかかった。
そう。
遼とともに試行錯誤を繰り返してようやく完成した対ドルフィンターン用固有技術──
『ブチヌキ・廻』。
背中側からの攻撃にも対応し、遼の考え出した仕組みを俺が完成系にまで昇華させた。技を見た遼は悔しそうな顔をしていた。だが、その完成を心の底から祝ってくれてもいた。
『勝てよ、蓮太』
あの時かけてくれた言葉が蘇る。
これは、俺と彼の友情の証。そして彼の思いを乗せた一撃は────何よりも強く、突き刺さるッ!
バシィッ!! と大きな反発音を鳴らし、夏乃が吹き飛ばされていく。俺はそれを見ながら、僅かな安堵感に包まれていた。
「き、決まった……」
この技には問題点もあった。その成功率だ。確率にして僅か20%。背後の攻撃に対応するということは、つまり視界にとらえないまま完璧なタイミングで受け流さなければならないということだ。とても試合で使える技ではない。しかしこの決勝という舞台で決めたのは、極限まで高まった集中力ゆえか、はたまた運命力か。
『な、なんとぉ────ッ!? 決勝までほぼ無敵の防御力を誇っていた舞川選手、二連続失点です!!』
2-0。もちろんここで終わらせる気はない。できれば第一クォーターで五点は勝ち越しておきたい。
この二点は、当然の二点と言えるだろう。それぞれ『シャークレイド・改』と『ブチヌキ・廻』という新技を使って得た点だからだ。問題はこの先。新技を見切られる前に、どれだけ得点を重ねられるか──。
「……あはは、すごいね」
夏乃はゆらりと体勢を立て直した。
「すごい。本当にすごい」
長い黒髪が視線を隠している。彼女は今何を思い、何を感じているのか。
「いっぱい努力したのかな」
顔を上げ、こちらを見据えるその視線には──何も、映ってはいなかった。
「私もたくさん努力してきたよ。今日で、全部を、終わらせるために」
終わらせるために。そのセリフは決して良い意味ではないと、夏乃の表情を見ているだけで分かった。
「だから────」
滑るように、無駄な力の一切入っていない優雅な動作で迫る夏乃。しかし、異様なほど無防備だ。まるで攻撃など何も恐れていないかのように。
──なんだ?
分からないが、このチャンスを無駄にするつもりはない。俺はそこへ攻撃を仕掛けた。
「……っ?」
間違いなく、当たるはずの攻撃だった。
「何が──」
当たる直前で、夏乃がスルリと逃げた。言葉で言えば、それだけ。だがそんな事実は物理的にありえない。目の前にまで迫った攻撃を回避する手段なんて、このHDというスポーツには存在しないはずなのだ。
なのに。
「悪いけど、蓮太──」
この少女は。
「今日も、勝たせてもらうから」
そう言って、三日月を描くように俺の死角に回り込み、一撃を放った。
俺はなす術もなく海底まで弾き飛ばされていた。底に叩きつけられた後も、何が起きたのか、理解することはできなかった。
空から俺を見下ろす夏乃の視線は、冷たくて、尖っていて。
いつものあのひまわりのような笑顔は、そこには一切感じられなかった。
その現象の解明ができなかった俺はそのまま失点を繰り返した。
──第一クォーター終了。得点、2-4。
二点のリードを許し、当初計画していたレールからは大幅に外れながら、試合はなおも進んでいく。




