第13話 君と見上げる夜空
七鳴島には、航海の道標とするための灯台が一つ建っている。島の中心、一番標高の高い位置にあるその白塔は、古くから島を見守っている。
「はぁ、はぁっ、」
急いで駆け上がって息の上がった俺は、膝に手をつきながら彼女の姿を探す。そして──
「夏乃っ!」
いた。灯台の麓、望遠鏡などが設置されたちょっとした広場に、車椅子の少女が一人佇んでいる。
「あ、あれ?なんで蓮太がここに?」
「……っ、」
夏乃は淡い緑色の浴衣を着ていた。膝に巾着を載せ、こちらをきょとんと見つめている。
──この浴衣、見たことない。
俺はもう何度も夏乃の浴衣姿を見ている。夏祭りのたびに着ていたからだ。だが、この浴衣は今まで一度も見たことがない。そして──非常によく、似合っていた。
髪は母に結い上げてもらったのか、綺麗にまとめられており、髪飾りが彩りを添える。
いつもとは違う髪型に、どきっとする。心臓が跳ねたのを、確かに感じた。
「……綺麗だ」
「ぇ? あ、ああ、夜景? 綺麗だよね。色んなところから祭りの光が見えるし──」
「違う。お前の浴衣だ。よく似合ってる」
「ふぇ……?」
辺りは暗いにも関わらず、夏乃の顔がみるみるうちに赤くなっていくのが分かった。
「い、いきなりやめてよっ! 今まで一度だってそんなこと言ってくれたことないのに……」
「言わない方が良かったか?」
「だ、ダメ! 言って! これからも、思ったことは言って!」
「分かった」
「う、うん。お願いします」
「……」
「……」
沈黙が痛い。恥ずかしそうにもじもじしている夏乃を見ているうちに、俺まで恥ずかしくなってきた。慣れないことはするものじゃない。
「て、てかなんで夏乃がここにいるんだ?」
「私は海老沼くんに連れてこられたんだけど……」
「な、なるほど」
「……れ、蓮太だって用事があるって言ってなかったっけ?」
「いや、用事があったんだが、そこで姫宮に『灯台の下にいけ』って言われて」
「ということは……」
「俺達……」
「「はめられた?」」
なんか違う気がするが、今はあまり頭が回ってないので分からない。
「あ、そうだ」
そこで俺は、ずっと手に持っていたものを思い出す。
「ほれ。焼きそば。特盛にしといたぞ」
「あ、ありがとう。本当に買ってきたんだ」
「なんだよ、冗談だったのかよ」
「いやいや、そんなことないよ。ありがたくいただくよ。……にしても、この焼きそば多すぎない?」
通常想像されるのは、パックに入った焼きそばだろう。しかし七鳴島夏祭り名物特盛焼きそばは、牛丼の入れ物をさらに大きくしたようなものに限界まで焼きそばを詰め込んでいる。これで600円。
「俺も後で食うからいいよ」
「そう? じゃあお先に……あ、おいしい」
幸せそうに焼きそばを頬張る夏乃に、デジャヴを感じる。
凛子が、背中を押してくれた。
友達想いの彼女がいたから、今この場があるのだ。
「はい、あーん」
「え」
差し出された割り箸に、俺は面食らった。
「早くしろ。あーん」
「は、はい! あーん」
なぜかキレ気味に箸を口に突っ込んでくる夏乃。俺は押し込まれた焼きそばを咀嚼する。もちろん冷めてはいたが、味は良い。
「いい仕事するな、屋台のおっちゃん」
「やるね、屋台のおっちゃん。私は見てないけど」
一瞬の沈黙の後、二人してぷふっと吹き出す。
「焼きそば持って歩くの大変だったんだからな!」
「えへへ、ありがとう」
「……いつもなら『ごめんね』って来るところなんだけどな」
「謝ってばっかりじゃ気分も落ち込んじゃうでしょ?」
「……まあな」
「だから、ありがとう。いつも助けてくれて、ありがとう」
助けてもらってるのは俺の方なんだよ、夏乃。
お前がリハビリを頑張る姿に、いつだって俺の前を美しく泳いでいく姿に、俺は救われたんだ。
そんな姿に──惚れたんだ。
知ってるか、夏乃。お前結構モテモテなんだぜ?
だから。だからさ──
「夏乃──」
言いかけた瞬間だった。
どおん、と腹の底を震わせるような、振動。そして夜空に咲く、大輪の花。
「わああ……!」
花火が上がったのだ。スマホで時刻を確認すると、ちょうど8:00を指していた。そうだ。今年は観光客の増加で予算も増えたからと、花火大会を開催すると言っていた。忘れていた。
「綺麗だね……」
「ああ」
言いかけた言葉を飲み込んで、俺は空を見上げる。
様々な色をした花が七鳴の夜空を染め上げる。咲き乱れた花が、夏乃の横顔を明るく照らしていた。
「俺さ」
「んー?」
そんな夜空を二人で見上げながら、俺は言った。
「今年の大会、絶対に優勝するからな」
「……!」
「だから──」
言いたいことはたくさんあった。でも、今はこれだけでいいような気がしていた。
「来年もまた、ここに来よう。そして、花火を見よう」
そうだねー、と微笑んだ夏乃は、小さな声で返した。
「来れるといいね、来年も」
その言葉がどこか投げやりに感じられたのは、俺の勘違いだろうか。
……いや、きっと勘違いではないのだろう。
夏乃は、優勝したらHDを辞める気でいる。辞めたら、どうするつもりなのだろう。もうこうして、一緒に花火を見に来ることもなくなってしまうのだろうか。いなくなってしまう訳でもないのに、そんな不安に駆られる。だって、誰よりもHDを愛していた少女がそれを辞めるなんて、想像もつかないから。
だからこそ。
「夏乃。俺が大会に優勝したら、お前に伝えたいことがある」
「?今言えばいいじゃん」
「ダメだ。優勝した後じゃないと言えない」
──海老沼。お前を見習って、俺も告白は勝ってからにするよ。
海老沼が、背中を押してくれた。同じ気持ちを抱いた彼がいてくれたから、この場があるのだ。
女に負け続けてたら、男のメンツが保てないからな。
そうだ。
これもまた、負けられない理由なのだ。
燻っていた魂が、震えだす。
「勝ちたい」という気持ちが蘇り、そして以前よりもずっと強くなる。
だから、優勝しなければいけない。
憧れを超えて。
悔しさの果てに。
勝利を、掴み取るのだ。
自分の中にわだかまっていた諦観が解けて消えていくのが分かる。強い意志が、強い想いが、それを塗りつぶして消していくのだ。
勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。
舞原夏乃に勝つことで、やっと俺は俺を認められる気がするから。
だから、告白は勝った後だ。
「ふーん、まあいいや」
大して気にした風でもなく、夏乃はあっさりと答える。
「勝つのは私だから、その話ってのは聞けないことになるね」
「……言ってくれるな、夏乃」
「蓮太こそ、そんなに勝利に飢えてたっけ?」
「気が変わったんだよ」
「そう。じゃあ……」
「真剣勝負、だな。俺と当たるまで負けるなよ」
「そっちこそ」
花火は佳境に入っていた。次々と打ち上がる大輪の花を、二人でしばし見上げる。
夏季大会まで、あと半月ほど。この半月で俺は、夏乃に勝てるようにならなくてはいけない。
もう憧れのままではダメなんだ。彼女を超えなければ、きっと夏乃という少女は消えてしまう──そんな強迫観念に駆られて仕方ない。
勝ちたい。
いや、勝つんだ。
何よりも強い感情が、心を支配している。
これは、恩返しだ。ずっと俺の憧れでいてくれた彼女に対する、恩返し。
彼女は、ハイドリア・ダンスで俺を導いてくれた。いつだって前を泳いでいてくれた。俺を救ってくれた。
なぜ夏乃がHDを辞めようとしているのかは分からない。だが、俺には夏乃がHDを辞めたがっているようには思えない。だから、繫ぎとめたい。まだまだ彼女と、この大好きな海を泳いでいたい。これは俺のわがままで、夏乃がHDを辞めようとしている理由なんて全部無視した自分勝手な行動なのかもしれない。
それでも。
俺はまだ、夏乃に海を泳いでいてほしいのだ。
苦しんでいるなら支えてみせる。辛いことがあるなら受け止めてみせる。
だから、今度は──
俺が夏乃を、救う番だ。




