第11話 一番になりたくて
それは間違いなく激闘といえた。
もしこれを見る人がいれば、単なる練習試合とは決して思わないだろう。
それほどまでに全力で、二人とも燃え尽きるまで戦い抜いたのだ。
「────────────────────」
試合終了のブザーが鳴って、爆音を鳴らし続けていた水中にようやく静けさが戻った。
海老沼が天を仰いだ。
俺は、地を睨んだ。
「なんでもいいから、『一番』になりたかったんだ」
「……」
「昔からスポーツが得意でさ、何をやるにしても、練習なしで『一番』になれた。徒競走は一位、100m走も一位、高跳びも幅跳びもサッカーも野球もバスケもテニスも、なんでもだ」
海老沼は、ただ揺らめく水面を見つめている。
「体を動かす才能があった。誰にも負けない才能だった。『一番』になるのが好きだった。みんな俺のことを見てくれる。主役になれる。誰にも俺には追いつけない。…………俺が唯一誇れたのは、この才能だったんだ。だから堪えたよ、あの試合は」
「あの試合……?」
「陸上全国大会決勝。あそこには、どう足掻いても無意味だと思わされる化け物がいた。俺の持ち合わせの才能だけじゃどうにもならないってすぐに分かったよ。そして、もうここじゃ『一番』にはなれないってことも」
「海老沼……」
「だから、逃げた。俺は海に逃げ込んできたんだ」
海老沼は空を見上げながら、乾いた笑い声を出した。
「きっと、それが理由なんだと思う。舞原のことが好きになったのは、俺とは違って逃げずに真っ直ぐ難病に立ち向かう姿に、憧れたからなんだよ」
「……分かるよ。あいつを見てると、時折眩しすぎて自分が矮小な存在な気がしてくる」
海老沼は「これで約束は果たしたな」と笑った。無理して笑顔を作る海老沼に、俺は胸の奥の方が痛くなった。
「おいおい、勝者がなんて顔してんだよ。──勝ったなら胸を張れ。でなきゃ負けたヤツに失礼だろう」
「……ああ、悪い」
「浪川」
海老沼はビシッとこちらに指を差し、そしてまた、笑った。
「俺の代わりにお前が舞原に思いを伝えろよ。勝ったお前には、その権利がある」
「俺は……」
「ヘタレてんじゃねえよ。もうお前も自分の気持ちに気づいたんだろう」
ああ、お前が気づかせてくれたんだ。
全部、お前のおかげだ。
「……分かった、考えておくよ」
「はっきりしないヤツだな」
腰に手を当て海老沼はやれやれと嘆く。
──今はこれで許してくれ。これが俺にできる精一杯だ。
俺は心の中で言い訳をして、笑った。
試合結果。24-23。
第四クォーターは、二人とも防御を完全に捨てて乱打戦に持ち込まれた。作戦に頼らずとも素のポテンシャルが高い海老沼は、最後まで気持ちを乗せて戦い続けて、奮闘した。何度もひやりとする場面があった。かろうじて俺が一点上回ったのは、ひとえに運が良かったというだけの話だろう。
魂を絞り尽くした、死闘だった。
「はああああ……、負けたか……。そうか……」
今更実感が湧いたように海老沼がため息を吐き出す。
「もっと練習しないとな。彼女の隣でも恥じることのない自分であるために」
「……そうだな」
「よし、俺はまだ練習していく! 浪川は凛子を連れて帰れ!」
「え、あ、ああ。分かった」
俺は遠くで待っていた姫宮を呼んで、
「それじゃあな、海老沼」
「ああ。また学校で」
姫宮と合流し、浜に向かって泳いでいく。
「あんたたち、さっきは一体何を話してたの?」
「ん?」
遠くにいた姫宮は聞こえなかったようで、俺に内容を尋ねてくる。
「そりゃあ──」
俺は一言、答えた。
「男と男の秘密だよ」
「なにそれ」
「女には分からなくていいことだ」
「……?」
姫宮は釈然としない顔をしていたが、そんなことはどうでもいい。
この戦いは、女に理解してもらう必要はない。
これは、俺と海老沼の意地のぶつけ合いだ。他人にとっちゃ意味不明で馬鹿馬鹿しい、そんなどうしようもない戦いに映るだろう。
だが。
この数分で、俺たちがどれだけ多くの音なき言葉をやり取りし、伝え合ったか。どれだけ多くの感情をぶつけ合ったか。
「後ろを振り返るなよ、姫宮」
「え……?」
だから、分かるんだ。海老沼。
おまえが今、どんな気持ちでいるのか。
「いいから、ほら行くぞ」
「え、あ、ちょっと待ちなさいよ」
今は一人にしてほしいんだよな。
全部、分かるよ。
だからさ。
今、精一杯泣いておけよ。
笑って明日を迎えるために。
次こそは、『一番』を取れるように。
☆★☆
一人残された海老沼は、二人の姿が見えなくなるのを確認して、大きく息を吐き出した。
「はあああああああああああああ………………」
自分でも、抑えられなかった。
頬から零れ落ちる、何か。
「……ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああぁぁぁッッッ!!!!」
とめどなく押し寄せる激情が、涙となって溢れ出していく。
悔しくて。
悔しくて。
泣きたくなんて、ないのに。
「……ちく、しょう」
リングの中心で一人慟哭する海老沼の心は、ぐちゃぐちゃになっていた。
「負けた……。俺は、負けたんだな……」
分かりきったことなのに、頭では理解しているのに、心が認めない。敗北という事実を、拒絶している。
完膚なきまでに叩きのめされるならまだ良かった。だが、あと一歩だったのだ。24-23。俺は浪川を崖っぷちまで追い詰めたのに、それなのに届かなかった。
「一番に、なりてえよ……」
昔から『一番』にいるのが当たり前だった。だからこそその座から陥落した時に、痛い思いをする。
だけど、そんな痛い思いをしてまで頂点に立ちたいのが、男ってものなのだ。
山頂の絶景を知っているのに、中腹で満足することなんてできない。
もう、負けたくない。
今度こそ。
今度こそ。
今度こそ────ッッ!!!!
「こっからだ。次は、絶対に──」
海老沼は、どこに向けるともなく、吠えた。
「一番になってやる──────ッッ!!!!」
――そして、少年の短い恋は終わった。




