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torture

「やったことあんの?」

 訊かれて泉喪はぎょっとした。


 越智は黒縁眼鏡の奥の細い目を凝らして、餃子みたいな形のジャックナイフの刃先を()いでいる。たくさんの皮膚と肉を裂いてきたと思われるそれの研ぎも仕上げにかかり、布で磨かれ、最後はタンポポがとばすような綿毛で先をぽんぽんとはたかれている。

 スーパー銭湯で幼児が父親にぬれた髪をタオルでわしゃわしゃとされる、そんな光景を泉喪は思い出した。

 

 愛情。


 今晩、不動会八幡組に出入りをする。

 そのための道具の確認ついでの手入れである。

 時間つぶしと言えば時間潰しではあるけれど、重要な作業だ。

 

「人殺したことない奴ってさ、いろいろパニくるから、扱い困るんだよね」

「あ、えっと。結構殺してます」

「何人くらい?」

「100人までは数えてたんすけど、後は忘れたっす」

「ふーん」

「え?」

「意外だね。大人しい顔して、けっこう肉食系なんだね」


 越智が綿毛をつまむ指はぶれないし、視線も刃先から上がらない。

 代わりにナイフの光沢は輝きと存在感を増す。

 越智の周囲の空気がその輝きに吸い込まれていくような錯覚。

 とても静かな禍々(まがまが)しさ。


 泉喪は性体験を訊かれたのかと思って戸惑ったが、実際は殺人の経験についてだったので、(ひそ)かにその胸中を撫で下ろす。


『童貞ってさ、いろいろパニくるから、扱い困るんだよね』

『あ、えっと。結構経験してます』

『何人くらい?』

『100人までは数えてたんすけど、後は忘れたっす』

『ふーん』

『え?』

『意外だね。大人しい顔して、けっこう肉食系なんだね』

 ……でも違和感ないよなあ。この会話。-


 男同士の普通の下ネタである。

 実際会社の更衣室のロッカー前で話すような何気なさで淡々と訊いてくる越智。

 だが、泉喪は彼が重要な情報の確認作業をしているのが分かった。


「じゃ、今晩もたくさん殺すの?」

「しません」

「殺さないと殺されるよ? 昼みたいな街中じゃないんだし」

「殺しは、しません」

 視線が刺さる。

 ナイフが、海底にうずくまる生き物が獲物に反応するように、ぴくりと動いた。


「今回は我妻組(みなさん)のサポートできてるんす。無力化はします。けど、(たま)の手柄は我妻組(みなさん)から横取るなって、一條のおやじから言われてます」

「ふ-ん。色々大変だねえ」


越智は(あき)れている。


「ま、でも殺しは嫌いじゃないっす。越智さんも好きですよね」

「そうだね。殺しが好き、というよりも、道を行く二人連れとか幸せそうだろう。そういうのを(さら)って穴に入れて重機で土をかぶせて埋める。最後に鋼鉄のショベルの背で地面をならす。あの時のとんとんって感じに意味があるんだ。僕の操作する重機によって二人の愛は固く永遠になりました、みたいな。ほら、おとぎ話の決め台詞(せりふ)。『こうして二人はいつまでも幸せにくらしました』みたいな幸福感。あれがとても好きだね」

「おとぎ話ですかあ」

「うん。まあ僕も本当に愛する人と出会ったら、組長(おやじ)にうめてもらいたいからね。僕と彼女を」


 細いまぶたの奥の光が柔らかくなる。

 意外に夢見がちな人らしい、と泉喪は思う。


「愛する人、ですかあ」

「ま、こればっかりは相性だからね。東寺さんみたいに、誰でも彼でも楽しめるってわけじゃないよ」

「東寺さん、すか」

「うん。今も楽しんでるじゃないか」


 悲鳴が隣のコンテナから漏れてくる。

 鉛色のパイプ椅子の上で、長い肢体を折り曲げるようにして小さく丸めている泉喪の背に、それは届く。


 その響きは見えざる手となって青年の肩や腕、わき腹をつかむ。

 幻のようなその握力は、助けて、と言っている。


「楽しんでいるんすか? 東寺さん」

「拷問される男の悶絶とか叫びがね。あの人の中では快楽によがる女の声みたいに脳内変換されるらしい。本当に変態だよね」


 泉喪は苦笑しかできない。



 ……東京は荒川の、とある河川敷に並ぶコンテナ倉庫の一帯を、我妻は貸切で使用している。

 泉喪と越智が待機している一角には、組の道具が静謐(せいひつ)の中で黒光りをしていた。

 光ケーブル工事の備品棚みたいだ。


 ここにオペラやフラッシュモブのような賑やかさが溢れていても、それはそれで心霊現象だけれども、越智と二人だけの沈黙は、泉喪には息がつまる。

 なので、ぽつりぽつりとでも話しかけてもらえるととてもありがたい。

 続きはしない会話でも気休めにはなる。

 今の性癖談義などはとても続いたほうだ。


 それでも、断続的な悲鳴というBGMが例えばシューベルトのワルツ組曲、ピアノ・ソナタ 第13番 イ長調 第3楽章とかならまた話も違うかもしれない。


 ただ、コンテナの臭いは春の渋谷ほど不快ではない。

 金属臭。越智の握ったハンドルのプラスチック臭。

 東寺が男と遊んでいる隣のコンテナから漂ってくる血と臓物の香り。

 この香りが一番慣れている。

 それでもやはり、断続的な悲鳴は耳に(さわ)る。


― けど、そろそろ、かな? ―


と泉喪だ思ったとき、隣のコンテナから声がした。


― あ、これ。あれだ。 ―


 越智も気づいたらしい。

 ナイフを手早く鞘に戻して立ち上がる。


 泉喪は、のびをしたい衝動をこらえた。

 長かった。

 とりあえず立ち上がると東寺が入ってきた。

 皮のベルトをカチャカチャさせて腰元もふらふらとしている。


 青年は彼に姿勢を正し、

「お疲れ様です」

と深く礼をしてから、表情を確認。


 賢者タイム真っ只中なのか、目が(うつ)ろだ。

 疲労が口元に浮かんでいる。

 が、頬は(かす)かに紅く、肩でする呼吸は恍惚(こうこつ)をはらんでいる。

 裏腹に、初老の全身を覆う死臭。


「大体分かった」

「良かったです。いつもより、粘られましたね」


 越智が微笑みかけると、東寺は胸元からシガレットを取り出してくわえ、うつむいて、マッチで火を灯した。


「八幡組の若頭だ。口も堅い」

「東寺さんの拷問(わざ)にかかれば、若頭とか関係ないでしょう」

「愛だ」

「はい?」

「俺の拷問は、愛だ。だから奴も吐いた」


- あ。なんか、はぐれ検事純情さんみたいなこと言ってる。-


泉喪は苦笑をこらえた。

冗談みたいだが、彼らが交わしているのが、とても真面目なやりとりであるのを分かっていたからである。

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