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Ms.Suppliment

 サプリちゃんを初めてみたのは、ちょうど泉喪がはじめて一條の乱痴気騒ぎに招かれた日でもあった。


 このパーティの会場に足を踏み入れた時、青年は、昔読んだ村上ドラゴンという作家の直木賞受賞作である『限りなく透明に近い青』という小説を思い出した。


- 一條さんも読んだことあるのかな? -


 会場にはチェリーパイがあったし度の強い酒があった。

 女たちはドレスに身を包んでいる。

 色は大体がピンク。白や黄色もあるが黒はいない。

 ふわっと妖精っぽい感じだ。

 化粧は厚い。

 白粉(おしろい)頬紅(ほおべに)。髪は黒や茶が基本。


 興味深いのは、どの女からも誘発物質が出ていないこと。


 彼女たちは微笑んでいるが全く興奮していない。

 そしてぼろぼろだ。


 顔立ちは整っている。

 読者モデル的ファッション雑誌を切り抜いて実写化したみたいだ。

 または風俗情報。


 男たちも興奮していない。

 ただ、蛇が獲物を選ぶように、グラスに注がれた酒を舌の先でなめながら、じっとりと女たちを観察している。ちょうど、食材に向かってクリスマスメニューを考えるフレンチシェフみたいだ。


 部屋の中央では香が焚かれている。

 鼻孔の奥、大脳がひりひりする感覚。軽い酩酊。

 ここにアフリカンにジャズを混ぜたようなフュージョン音楽が鼓膜に押し寄せて、視界の溶融を加速させる。


― 有害環境レベルA条件の案件遂行訓練にはなるよなあ。 ―


 泉喪はコニャックのショットを一杯あおってから、空いたグラスにスピリタスを手酌して、蒸散するアルコールを嗅ぐ。鼻の粘膜の表面の嗅覚細胞が焼かれるような刺激。


― くっそ。(いて)え。でも、気付けにはちょうどいいや。 -


 目を閉じて刺激に耐えている間に、乱痴気騒ぎが始まった。

 阿鼻叫喚。男優役の黒人たちの野牛のような唸り声。

 女たちの大げさな演技。


- 訓練されている、なあ。お仕事お疲れさまです。 ―


 泉喪は頭を下げたい。

 が、大麻の吸引を少しでも抑えるために、ソファに落ち着けた腰を前に出して体勢を低くしているため、会釈くらいしかできない。


「泉谷、混ざらないのか?」

 胸をはだけた一條が声をかけてきたので、泉喪は上目だけで見上げる。

 陰毛のように黒々と濃い胸毛が汗を帯びて、照明にてかっている。

 その下の腹回りは贅肉でふくらしたあとの餅みたいに緩みきっていた。


「酒が回ってそれどころじゃねっす。この酒強いっすね」


 苦笑。気を損ねるのは悪いので、細心の注意。


「馬鹿野郎、それスピリタスじゃねえか。ライムかじらねえと回るぜ。砂糖もなめないとな」


 一條は笑いをこらえている。

 青年は再び苦笑。


「でも、美味(うま)いっすね、この酒」

「おう、気に入ったか。いくらでも飲んでいいからな。死なない程度にだが」


 目じりをたらした笑顔の一篠。とても嬉しそうだ。

 泉喪も思わず和む。


「はい、ありがとうございます」

「おう、楽しんでくれ」


 一條は泉喪の肉で盛り上がった肩を、ぽん、とたたいて、別の招待客に向かった。


― 憎めない人だよなあ。 ―


と、思いつつ、グラスのスピリタスを一口飲むと、強い液体に味蕾と喉をやかれて、泉喪はびっくりした。ついでに気道にも侵入されて、盛大にむせる。


 その間にも、宴は進んでいく。

 女たちはただてさえぴちぴちギャルなのに、地引網で上がった魚たちみたいに漏れなくぴちぴちと痙攣している。

 招待された男たちは彼らの上になったり下になったりきつく抱きしめたりお馬さんごっこの姿勢をとったり全力で殴ったりしている。

 瞳孔は全員ほとんど全開。

 抑制が効かない一人がソファを抱え上げ、その角を女の上に落としたりする。

 悲鳴。

 会場を警護する黒服たちは誰も止めない。


― まあ、そういうのもこみ、のパーティなんだろうなあ。 ―


 泉喪はぼーっと眺め続ける。

 限界を超えつつある酩酊。


― そろそろ帰るかな。 ―


 腰を上げ、トイレに行くふりをして会場の出口に向かうと、青年の背後から強い悲鳴がした。


― あ、これ、あれだ。 ―



 振り返ると、白い肌の小さく脱力した背中が、両脇を黒服に担がれて非常口の覆い布の向こうに消えるのが見えた。


 泉喪は素早く目線を泳がせ、宴の主を探す。

 すぐに見つけた。3人の女と、夢中でもつれあっている。


- うん、問題ない……よな。 -


 泉喪は足早に覆い布の漆黒に向かう。

 人を踏まないように気を使って。


 まあ、この場合踏んでもそこまで問題ではない。

 みんな乱痴気騒ぎに夢中だからだ。


 黒服が一人、ちょうど非常口前に控えていた。


 会場の警護担当だろう。

 青年は声をかける。


「すいません」

「何でしょう」

「今運ばれてった子」

「……あれは、今、ちょっと」

「今ちょっとだから、遊びたいんです。俺はそういう趣味なんで」


……渋るようなら、制圧して先を急ぐという考えも頭をよぎったが、幸い承諾してくれたので、非常口横の絨毯に彼女を寝かせてもらう。


 脈拍、呼吸を確認。

 二つともない。

 顔面は蒼白というより紫がかっている。


― 心停止に呼吸停止にチアノーゼ、か。 ―


 泉喪は両手のひらを、彼女の一糸まとわぬみぞおちに当てて、二の腕をまっすぐにする。

 それから、体幹を使って圧をかけた。


― あざとか残したくないけど、さ。俺は先生じゃねえし。後で痛かったらごめん、よ。 ―


 心拍の回復。

 続いて、彼女の細い鼻梁(びりょ)の先をつまみ、小さく整ったあごのしたに指をさしこんで、ゆるく上を向かせる。

 雪にかじかむ手のひらを息で暖めるように、大きくその口元に息を吹き込む。


 吹き込み3回で、呼吸は回復。


 が、瞳は白目を大きく見開いたままだ。目尻とこめかみからいくつもの筋が走る。

 細い首の下の白い肢体が痙攣を始める。


- 自律呼吸は回復してる、けど。これは、ああ、あれか。-


 泉喪は非常口横から視線をさりげなく投げてくる黒服に、呼びかけた。


「さぷり、ください。マルチビタミン。酔い止めでも使われてるやつです。あるでしょう?」


 ……ビタミンの欠乏。どれだけほおっておくと、こうなるのか。


- 先生、都会の生活は、栄養が偏るみたいっす。 -


 泉喪は錠剤を受け取ってから口に含んで噛み砕きそばのテーブルからぽかりをとって含み、彼女に口付けする形で流し込む。


― 注射のが速いけど、薬がないから、なあ。……後は。―


 細かに痙攣を続ける肉体。

 肋骨の浮き出た白い肌に手のひらを這わせ、その感覚に集中。

 内出血。

 いくつかの血管が体内で破裂している。

 客による暴行の結果だろう。


― ……使う、かあ。 ―


 泉喪は黒服に視線を投げた。

「見ないでもらえますか」


 強く言う。

 ……拒絶されたら気絶させるつもりだった。

 が、幸い受け入れてもらえたので、監視カメラの死角に小さくやわらかい肉体を運び、横たえる。

 

 それから、青年は左耳のピアスをはずし、指先の感覚に集中した。




 ……と、まあこんなすったもんだを経て、泉喪は彼女の命を救った。


 後日、黒服に彼女の名前を聞いたら管理番号をつげられたので、青年はいささか眉をしかめてから。


「さぷりちゃん」


と勝手に名前をつけて、呼ぶことにした。

そういうわけで、開店祝いで訪れた一條のカジノのソファーに腰を下ろした泉喪は、サプリちゃんと目が合った。


 その時彼はソファーから肉が厚い太腿とその先のやはり肉が厚く締まったふくらはぎを伸ばして

みぞおちの上で両手の指を組み、学芸会の舞台裏のような開店準備空間に、ぼーっと視線を投げながら

― 香りがきつくないのがいい、よな。この店。 ―


と思っていた。

 すると、右脇の空間に気配。暗闇がもぞもぞと動くような錯覚。

 まず、ソファのへりに指の細い手のひらが2つ、闇から現れる。

 へりの革にかかった。

 次に、ぴょこんと顔を出すさぷりちゃん。


 泉喪は彼女に、

「こんにちわ」

 と小さく言って、その口角を上げた。

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