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GATE

 そのビルは渋谷駅から300mも離れていない。

 細い路地を引き返して少し歩けば、109ついでに散策を楽しむ渋谷的におシャンティな若者たちが連れだって歩くのを眺めることができる。


 その多くは制服だ。少女たちは、春のそよ風にわが世の春を重ねるように、スカートの端を揺らしている。


― 怖いものなんかないんだろうな。 ―


と思いつつ、歳もそこまで離れていないのに、泉喪は強い隔絶を感じる。


何故かはわからない。

けれど、隔絶とともに、彼はとても悲しくなってしまうのだ。

連れだって笑い合う彼女たちを眺めると、結局自らの孤独を意識してしまうかもしれない。


あるいは……。


― 普通の育ち方、してないことなんて、さ。別に、気にしねえし。うん、気にしねえし。 ―


謎の何かに意地を張りつつ、ビルに到着。


 日光と喧騒、鼻の奥の小人さんを刺激する様々な匂い物質から解放されて、泉喪は


― 砂漠を歩いて日陰に入ったらこんな感じなのかなあ。 ―


 と、安堵の息をつく。


 エレベーターは好きではない、というより習慣的に逃げ場の無い場所は避けてしまう彼は、裏手に回り、非常階段を上る。

 当該フロアの非常ドアを開き、そのまま暗い通路を奥に進む。


 入り口は目立たないくせに、中々奥まったビルだ。

 その最奥にそのカジノはあった。

 表向きは、クラブ兼バー。


 扉は大きい。

 黒光りする強化ガラスだ。

 扉を囲むようにピンクとブルーのネオンランプが点滅している。

 南米のナスカの地上絵みたいな流線型。


 109に群がる高校生たちとはまた違ったおシャンティ加減。


 ガラスの上部には


「HELL GATE TO THE DOOR OF HEAVEN」


 と殴り書きされていた。

 書体はゴシック。

 金箔混じりの白ペンキの薬品臭はまだ新しく、新築のビルの香りがする。


- 天国の扉に続く地獄の門、か。 ー


 なかなか含蓄に富む言葉だ。

 しかし、実際は……。


ー 天国の扉にみせかけた、地獄の門なんだろうなあ。 -


 泉喪は扉の前で考え込みたくなったが、そんな暇はなかった。

 まねき猫顔の黒服がこちらに視線をむけて、礼をしてきたからだ。


 その所作は(うやうや)しいが、世間話などができそうなアットホームさとはもちろん無縁である。


 泉喪も礼を返す。

 と、涙が目元から頬の先にこぼれた。

 これは街の臭気の後遺症だ。

 手の甲でぬぐいつつ、言う。


「泉谷です」

「お待ちしておりました。」

 黒服猫は直立不動でまなこを、くわっ! と見開いたまま、口の端を上げて、

「ご案内いたします」

 といい踵を返した。


 その彼を、青年は呼び止める。


「あの」

「はい?」

「ティッシュもらえませんか? 鼻、かみたくて」


 ……入り口の扉をくぐり、広いフロアを横切り上に続く螺旋階段を昇ると、泉喪は村の助役の境間が毎年魅せてくれる、新春かくし芸を思い出した。

 彼の芸は生態系を攪乱(かくらん)するので、乱用は厳禁だが、年始の村の定番的な見世物であり、楽しみにしている者も多い。


 先生も人格者だが、境間も負けず劣らない。

 前回の案件にんむで悲惨なものをみてしまい、へこんでいた泉喪に、


「しばらく、村の案件もひと段落ですし。どうですか、東京とかで羽根でも伸ばしてみたら」


 と声をかけてくれたのだ。


「アルバイトでもしながら、普通の人の生活(いとなみ)でも眺めてみると良いでしょう」


― こういうとこも、普通の人の営みなのかなあ。 ―


 泉喪は螺旋階段を上りきってから、クラブのフロアを振り返る。


 黒を基調とした壁面と床が色とりどりの電飾の下に沈んでいる。

 立方体。先生が昔クリスマスに調達してきたウサギの人形の家を、もっと邪悪にした感じだ。

 夜はここでおしゃんてぃな男女が酒と音楽に陶酔しつつ揺らめいたり、踊り狂ったりするのだろう。


 螺旋階段の先には踊り場。

 ここを起点としてバケツのへりみたいに、観覧席が螺旋階段の下の空間と天井の間をぐるりと囲っている。踊り場と観覧席が形成する上部構造は、ぱっと見、『□』のように見えるが、実際は『凹』だ。


 左右のへこみの部分は右が入り口で左が出口。扉は二つとも、壁に同化した漆黒の布に覆われている。


 招き猫がこの覆い布の隙間に体を差し入れて向こうにまわり、紐を引っ張ると、布が左右にわかれて、牛の頭の巨大像が現れた。


 像からは、青銅(せいどう)の金属臭がただよう。

 大柄の泉喪を眠たげに見下ろしている。腕はとても長い。

 フライドチキンのカーネルさんみたいに、やわらかく胸の前で両手のひら開いている。

 赤児を抱くのに丁度いい感じだ。


 ここで、泉喪はふと気づく。


 これは古代の祭壇のレプリカだ。

 本物は大量の赤子を抱いてきたはずだ。


 胸に開いた七つの穴がその証拠。


― 祀っていた神様の名前は、たしか。えっと。あれ? なんだっけ? えっと。……モレク ―


 悪の組織『村』の怪人である村人は民話や神話の(もとい)となった(いにしえ)の奇人たちの末裔であり、泉喪も多分に漏れない。


 そういうご先祖柄、案件でも特に海外ではごくたまに、海外の神話の末裔と戦闘(やりあい)になることがある。そのため、世界の民話、神話、民俗学は村人の必須知識なのだ。


― ……ヨルダンに豊穣をもたらす古代神。

 血と涙の魔王。これは生贄の祭壇。溶鉱炉(おーぶん)つき。めちゃくちゃ熱くできて、七つの穴に

 小麦粉、キジバト、牝羊、牝山羊、子羊、牡牛、王様の赤ちゃんを入れて焼くんだよな。シンバルと、ラッパと、太鼓と赤ちゃんの泣き声が儀式の肝で。ソロモンさんが信じてた。もとは天使で強くて荒っぽい。カルタゴでもバアル・ハモンって名前で信じられてた。祭壇から、子供の骨がめっちゃ出てきたりしてる。グロいけど商売繁盛の神様なんだよなあ。まあ、一篠さんらしい、けどさ。―


 ……モレク像は取り組み前の力士のような、見事なヤンキー座りをしている。

 股間の溶鉱炉部分はふちがあつぼったいひだの観音開き。

 なんとなく卑猥なつくりだが、そこが奥へ続く通路らしい。


 ― 入りたくないな。―


 泉喪は思い、黒服猫を見やる。


「花粉症がきついんで、帰りたいんすけど……」

 小さな声を出してみたら、彼は無視をされた。


 このまねき猫さんは、本当に情というものがないな、と青年はつくづく思う。

 じつの所、帰してくれたりくれなかったりはどうでもいい。

 こちらも無理を言っているのだから、まねき猫も困るだろう。

 けれど、もう少し……。


 ― 困ったふりくらいしてくれたっていいのに。本当に、東京の人って冷たいよなあ。 ―


 東京という言葉に、泉喪は気弱になる。


「……案件の休み、田舎にすれば良かった……」


 情けない声で漏らした泉喪を、招き猫はちらりと振り返った。


 泉喪は何故か恥かしくなる。


 通路の向こうは視界が開けるのかなと思ったがそんなことはなかった。

 暗い。

 室内もそこまで広くはない。

 客のいない暗がりで、ルーレットやらポーカーやらの台座が、照明の光を待っている。

 深海で獲物を待つアンコウみたいだ。


 台座付近は静かだけれど、室内の人口密度は中々高い。

 黒服の男たちがなにやら会話をしている。

 主題は主に警備箇所とかだろう。


 黒の網タイツにウサギの尻尾の黒パンツのいわゆるバニーちゃんであるお姉ちゃんたちが、きびきびとした動きで皿やらグラスやらを運んでいる。

 彼らの動きはめまぐるしい。

 全員、ブラもつけず、乳房も思いっきりあらわにトップレスなのに、健全に思えるくらいの緊張感が漂っている。


 が、乳房は乳房である。

 泉喪は目のやり場に困った。


 招き猫に助けを求めたかったが、彼はすでに消えているので、青年は最大限目を合わせないようにというか、視線を斜め下の高級ペルシャ絨毯に落としながら、バニーちゃんの一人に声をかける。


 花束を預け、奥の一條が横になっているソファーの前にまっすぐ歩いて、後ろ手を組んで、青年は彼の前に立った。


 一條はアフリカサイがトランポリンをしても壊れないような立派なソファーのへりに、プラチナ染めの髪がオールバックな頭部をあずけ、二の足を反対側のへりに投げ出し、ソファーから片手を絨毯にだらんと垂らして、暗闇の中でアイマスクをしていびきをかいていた。

 半開きのやに臭い金歯の隙間からよだれを一筋、そろえているのか無精の結果なのか分からないあごひげに垂らしている。


― 起こしちゃ、悪いよなあ。―

と青年は思いつつ、彼の隣のソファーに、音をなるたけたてないようにして腰をおろす。


 と、ソファーのへりの陰から、ぴょこん、と首を出す、さぷりちゃんと目が合った。

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