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bullet

 一條と初めて顔を合わせた晩の彼は、偉そうだが優しくはなかった。

 そもそも泉喪など、彼の眼中にはなかった。


 事務所の奥の豪華な社長椅子にふんぞり返る一篠。

 広大かつ重厚かつ高級感がばっちりの社長机に、その二の足を投げだしている。

 虚ろな瞳は視点が定まらない。その口にくわえるのは細長い葉巻だった。


 距離が空いているにも拘わらず、一篠が吐き出す紫煙に、泉喪はかすかな酩酊を覚える。


 ― 危ない葉っぱかあ。さすがは東京のヤクザさんだなあ。 ―


 泉喪は正座を続けつつ、納得する。


 その時の彼は正座、もとい、ピザの宅配のアルバイトをしていた。

 グレーとピンクの制服はきちんとボタンを襟元まではめていたし、くせっけがちな長めの髪は、しっかりなでつけてキャップの中に納めていた。


 宅配したピザだってきっちり10分で届けたし、10分というのがお電話でお伝えした15分よりも5分間分だけ早いということでお得感満載だし、お褒めの言葉をいただいても不思議ではなかったのに、その晩の彼は何故か事務所に入って5mの床に、正座を()いられていた。


 ごつごつした体格で、彼を囲む組員。

 彼らは分厚い拳の先で、泉喪の頭やら肩やらを容赦なく小突(こづ)いてくる。

 怒鳴り方は変幻自在、たまになだめたりすかしたりするけれど、一貫している主張は……。


 「ポルチーニ茸が薄い。写真(ちらし)と違う。」


 ということだった。これは泉喪にはどうしようもなかった。

 彼は工場で正確にスライスされた茸をマニュアル通りの分量で散らしているだけなのである。

 せめて電話の注文時に、要望を伝えてくれれば、ちょっとくらいのサービスはしたのに。


 まあ、サービスはしても分厚いポルチーニ茸にはならない。

 チラシを見て期待をしたら、絶対に裏切られる。


 ― 気持ちは分からなくもないけど、チラシってのはイメージだからなあ。―


 泉喪はどうすれば分からない。

 そもそもヤクザと話したことがないのだ。


 それ以前に仕事でかかわったのは米軍で、派手な仕事をしてしまった。


 とりあえず視線すらどこに向ければよいのか分からずに、彼は膝の前に置かれたピッツァのホワイトソースの熱量の消失を、ひたすら見守る。


 ポルチーニはやっぱり薄い。というより貧相だ。

 

 組員たちは怒鳴り続ける。

 しまいには肩やら脇やらを革靴の先で蹴ってきた。

 そして眉を寄せて(にら)む。


 「兄ちゃんじゃ話にならん。兄ちゃんも迷惑だろう? 店長さん呼べよ。」


 「はあ」

 泉喪の返事は気が抜けている。

 組員たちは鼻白んだ。

 「はあ、じゃねえだろお!! さっさと呼べよおら!!」

 本気の蹴りが青年の脇に刺さる。が、それよりも鼓膜が痛い。


 「はあ」


 ……


 『クレームを頂いたら真摯(しんし)に対応すること。誠意をもって対応すれば、どんなお客様も納得されるよ!!』


 店長の素敵な笑顔を、泉喪はうつむきながら思い出す。

 彼女の歯からはリステリンの香りがしてとても白い。

 ざ・清潔感という印象。


 ― そりゃ、店長なら大丈夫だろうけど、けどさあ。―


 「一條おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!」


 後ろで音がした。

 何かが勢いよく倒れる音。怒号。


 泉喪を囲む組員達は、はっ、と固くなった。


 一瞬の静寂に、泉喪はポルチーニ茸から視線を上げる。

 それから斜め向かいの組員のサングラスの照り映りから、後方を確認。

 

 男。40代。銃身の長い散弾銃。

 口元は笑いをこらえるように引きつっている。

 何かを服薬しているのだろう。

 瞳孔が開いている。

 引き金にかけた指は震え、そもそも構えに練りが感じられない。


 ― 面倒な時に面倒な ―


 泉喪は疲労を感じた。

 それでも、正座の姿勢から後方にでんぐりと返る。

 組員たちの体、脚の隙間を転がりつつ、視界が逆回転。


 鼓膜の内側から広がる浮遊感が心地よいままに一回転を終えたところで、そのまま後方に海老のように飛ぶ。

 暴漢の右わきに並んだ。

 左腕を彼の肩に回す。

 目標は銃にかけた人差し指の付け根。

 滑らかに到達。

 右手は男が構える右手を下から支えるように添える。

 一連の動作を流れるように行った結果、泉喪はちょうど、怒鳴りこんできた男に手取り足取り散弾銃の構え方を教えているような形になった。

 でんぐり返しから男と目が合うまでの時間は、3秒に満たない。



「ごめんよ。」


 

 と苦笑してから、人差し指の付け根を押して砕く。

 目的は腱の切断。

 (とどこおり)りなく行う。

 刹那一つの間の後に、声にならない悲鳴が響き、男の右手が銃身から離れた。


 これを泉喪は見逃さない。

 間を置かず、銃身ごと絶叫の主の右腕を逆手にひねりあげ、足を前に払う。

 事務所の硬い床に前のめりに倒れる彼の肩を、肩甲骨を支点に極めながら、銃身をてこにして、身長180㎝越えの体重を全てかける。


 ごき。


 という太い感触の後で、複数の何かが折れる音がした。


 床に這う男の雄たけび。苦渋を越えた苦悶。

 激痛にくねる男の姿は、新宿駅の朝方に自販機のたもとでもぞもぞと動く蛾の幼虫を彷彿とさせた。

 

 そんな彼をしり目に、泉喪は淡々とライフル銃を男の背からほどいて、リボルバーを撫でる。

 薬きょうがばらばらと落ちるのを手のひらで受け止めて、銃身と共に、悶えくねりもんどりを打つ男のそばに、そっと置く。


 それから、呆然と口を半開きにする組員達の間をぬって、元の位置、つまりピッツァの前に戻って、制帽をかぶり直し、再び正座をした。


「何、やってんだ」

 太い声が奥からかかった。

 

 初めて聴く声だったので、泉喪は顔をあげた。

 社長机の組長が、青年の顔をまじまじと見ている。


「あ、はい。皆様のお言葉の続きを拝聴しようとですね」 

「いや、いい」

「はい?」

「今日は、いい」


 首をかしげる泉喪に、組長はすごみを利かせるように歩いてきた。

 そのままピッツアの前、正面にしゃがむ。見事なヤンキー座り。


「兄ちゃん、名前は?」 

「あ、はい。泉谷重治(いずみやしげはる)と言います」


 組長は、にっと笑う。

 

 歯が黄ばんでいると青年が思ったら金歯だった。


「気に入った。これからもちょいちょい頼む。出前は兄ちゃんが届けてくれ。……俺の名前は一條だ」


 といって、組長はその懐から札で分厚く膨らんだワニ革財布を取り出し、諭吉さんを10枚つまみあげて、芝居の脚本を握るようにたてに丸めた。

 そのまま泉喪の手に握らせる。


「あ、お釣りを」

「チップだよ。鉄砲玉を壊してくれた、礼だ」

「はあ」 

「取っといてくれ」

「頂けません。禁止されています」


 泉喪の言葉に、一條はわずかに片眉を上げた。


「ふん。じゃあ、今度俺と飯を食おう。付き合うのはいいだろう?」

「あ、はい。」

 

 ……こうして、村人である泉喪と一條の付き合いは始まった。


 それから何回かの食事を経て、自宅に招かれたり、乱痴気騒ぎを苦笑いで断ったり色々したりのそんなこんなの末に、泉喪は道玄坂を登っている。


 花束を引っ提げて歩を進めるその瞳は潤んでいるが、特に何かに感動しているわけではない。

 

 むしろ彼は呪いたい。


 ― 人が多すぎる。むせる。杉とかなんとかの花粉の方が、まだ悪意を感じないし無邪気だよ、なあ。―

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