表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/31

turns

そのトイレはホールから布で仕切られていて中は見えない。

卵型の小便受けと奥の便座のある小部屋の空間は一人用だったが。

キャバのお姉さんに

「足元が不安だから。」

とお願いして愛染と二人にしてもらった。


「さきにどぞっす。」

「おう。」


金髪がチャックをかちゃかちゃしたハレのTRリブパンツは黒の生地にツヤがあり、

スリムなシルエットが愛染の長くしなやかな脚のラインを美しくしている姿を

後ろから見守る。

アディダスの黒のスニーカーにかからないように丁寧に放尿しながら、

愛染はぽつりと言った。


「一篠さんか。

お前、目が辛そうだもんな。」

「あ、はい。」


さきっぽの滴がハレとアディダスにかからないように注意深く振ってから

もう出てこないことを確認してしまいこみ

チャックを上げてから、泉喪に向き直って、愛染は首を傾げた。


「手、洗っていいか。

それとも、俺の勘違いか?」

「勘違いじゃねっす。手は、どうぞ。」

「悪いな。」


愛染は苦笑して、泉喪に背を向け蛇口をひねり

両手を水流でもみ始めた。

感づかれている。

まあ、バレバレな言い方をしてしまった。

これから裏拳が飛んでこようが、アディダスの後ろ蹴りが来ようが

誠実に制圧(たいおう)しようと、思う泉喪に背をむけたまま

愛染は言う。


「何もしねえよ。

お前強すぎるし。俺は丸腰だし。

無駄な事はしねえ。」

「愛染さん、訊いていいっすか?」

「ん?」

「何で、きたんすか?

便所(ここ)来ないでみなさんで俺とやりあえば、

助かる見込み、

あったかもしれないのに。」


愛染はため息をつく。


「お前、馬鹿だな。」

「あ、はい。」

「…一篠さんの店で不始末できるわけねえだろうが。

組長の親の店で暴れてみろ、大騒ぎになる。」

「はあ。」

正直、下らないと思った。

愛染はヴァーヴァリの黒のハンカチーフを取り出してその指を丹念に拭く。


「それに、俺一人を呼び出したってことは、俺が

狙い

ってことだ。

()れる場面がいくらでもあったが、

今日で今でここってことは。

今日が期限で差し金は一篠さんてことだろ。

四人でお前潰しても、この店の黒服にはめられれば、詰みだ。

俺たちは丸腰だかんな。」

「そうっすね。

俺は一篠さんに言われて

愛染さんを摘むためにきましたし。

店の人たちにもお達しがきてるかもしれねっす。」

「ま、なんで俺なんだよってのはあるけどな。

逆に、俺がくれば、

組長に手は出されない。

つまりは守れるわけだろ。

警護は俺の仕事だからな。

俺は俺の仕事をする。」

「そうですね。…なんか、すいません。」

「あやまんなよ、馬鹿野郎。」

「すいません。」


舌打ちをする愛染に、再び謝ってしまって

何もいえなくなりつつ、左耳のピアスをはずす。

のを、金髪の犠牲の山羊はマジマジと見てくる。


「それ。」

「はい?」

「やっぱ凶器(どうぐ)だったんだな。」

「はい。人に見せるものでもないんすけど。」

「奥の手ってやつか。

必殺お仕事さんかよ?」


片眉を上げて茶化してくる愛染に、泉喪は苦笑をした。


「たしかにそっすね。

けど。

これを見せるのは、愛染さん。

あなたへの


敬意


です。」




…意識を失って倒れこむ愛染を前から抱くように支えつつ

泉喪は


「すいません。

それは無理です。」

と呟いた。


ー 『組長(おやじ)を守ってくれ。』

とか。

愛染さん。

本当にどSだよなあ。 ー


際の狭間には人格が出る。

愛染は異常者だが、立派な男だった。


眠るように瞼を閉じる愛染の脇に肩をはさみこみ

席までまで戻ると、東寺が視線を投げてきたので。


「なんか、酔いつぶれちゃったみたいっす。」


と苦笑いすると、初老は視線をシガレットに戻す。


…表面上。

愛染は眠っているように見える。

が、起きることはない。


愛染を背負ってキャバを出るときも

背に感じる脈拍は規則正しく、体の温もりも伝わってくる。


「珍しい潰れ方ですね。」

呆れたように越智が言い、蹴りの準備を始めるが、

我妻が手で止める。


「やめとけ。

抗争(けんか)の糸が切れたんだろうよ。

それに、寂しさが原因(もと)の飲みすぎは

そっとしといてやるのが一番だ。」


泉喪は


「ふぇ?」


と思わず言ってしまった。


愛染(こいつ)はお前を可愛がってたからな。

珍しいんだぜ?」

「…ありがたいっす。」


はにかみ笑いを無理矢理つくりつつ

青年は悲しくなった。

とても泣きたい。


けれど、これは順番なのである。

巡りめぐる、マイムマイムの。

ただそれだけの話なのだ。


翌朝の明け方近く。

冷たくなっている愛染の首元にかがみこんで

「愛染さん、息してないっす!」


と白々しく叫び。

出かけようとする東寺を呼び戻す。

我妻と越智もたたき起こす。


寝耳に水。

起き掛けの死体。

救命の際はすでに過ぎていることは、その冷たさから明らかであり。

にも関わらず、東寺は救命を始める。

越智に突き飛ばされてしりもちをつきながら

死者の心臓を渾身でこねる東寺のあぶらっけのない両腕と

端正な口元に息を大きく吹き込む越智の短く黒い髪

越智の反対側で死者の下の名を叫び続ける我妻の形相を

順に眺める。


…仕事は仕事であり。

死は、死に過ぎない


長いまつげが美しい死体相手に

こねり、吹き込み、叫ぶ彼らを傍目(はため)

「救急車呼んできます。」

と言って立ち上がり

通路に出て静かに扉を閉める。



非常階段に出ると、複数の足音が赤茶けた鉄の段々の下方から迫ってくるので

ため息をついた。



踊り場に現れた男たちは15人。


- エレベーターも ー


おそらく使われている。

面倒な事になる。

もちろん、今の状況も面倒には違いがないが。

それでも。


目が合った男たちが

リアクションを起こす前に、青年は


「運いいっすね。

今なら隙だらけっす。」


と言って

非常階段のもたれから飛び降りる。

壁面をけりながら、ジグザグに降りていく。

回転する視界が悲しいほど心地よい。


大柄に似合わない軽い音をたてて

地面に着いた時、靴底に大地を感じて

なぜか安心した。

かがめて衝撃を吸収していた膝と背をまっすぐにして

自分がいたところを見上げると

15人のうちの一人と目が合ったので、軽く会釈をする。

男が背を向けて、階段の向こうに消えたのを確認してから

踵を返す。


ー エレベーターが15人。非常階段が15人。

事務所の3人と1つの遺体を袋のネズミ、か。ー


泉喪は尻の二つのポケットに無造作に両手をつっこみ

足元のアスファルトの黒に不機嫌に視線を落としながら

新宿駅まで行く。


空は白んでいる。

朝日を受け始めた広い背に、銃声と怒号が届くが振り返らず

そのまま新宿駅まで行って

山手線に乗る。


一回り分車内で眠って、日暮里で乗り換えて北千住のアパートに

久しぶりに戻り、たまったほこりにむせて

換気をする。


押入れからマスクの袋を取り出して、一つ装着し。

部屋の隅の壁に背をあずけながら座り込んで

そのまま肩と首を預けて寝る。


…仮眠のつもりが、とても深い眠りだった。

夕方に起きて、一篠に連絡を取ると、さすがに


仕事が終わったこと


は向こうも把握していた。

さぷりちゃんを迎えに行きたいです、という旨のことを

伝えると、快諾される。


渋谷のカジノに行くと、

一篠はいつもの一篠なので、

泉喪はなぜかほっとした。


我妻組の末路については、依頼者は何も言わなかったし

泉喪も何も訊かなかった。


さぷりちゃんが出てこないので店内に視線をめぐらすと

出口付近のカーテンから


ひょこっ


と顔を出して

長い黒髪も揺れたので、

その変わらなさに思わず口元がゆるむ。


「じゃ、もらって行きますね。」

と言って立ち上がると、ソファにだらしなく沈んだままの一篠は

「ま、見切り品だがな。楽しめよ。」


と言って、猥雑(わいざつ)感満載な笑い方をした。


「はい。ありがとうございます。」


といってさぷりちゃんの待つカーテンの向こうに向かう。




…お人形さんみたいだった。

ゴスロリが一篠の趣味なのか。

不思議の国に迷い込んだアリスを思い出して

泉喪は彼女をまじまじと見ると。

さぷりちゃんも、まじまじと青年の瞳を覗き込んできた。

ので、なぜかとても照れながら


「さ。

いこうか、さぷりちゃん。」


と言って、彼女の小さな手をとる。




…北千住のアパートには招き猫な組員さんが送ってくれた。

無駄にロールスロイスだが、まあ、人格のないさぷりちゃんを思えば

介護車のようなものだし、渋谷の街は苦手なので

歩かなくて済むのは、とてもありがたい。


走り去るロールスロイスにお辞儀をしつつ見送って。

アパートの鍵を開けて

たてつけのよくない扉を開けて

点灯してから、振り返り


「いらっしゃい。」


とやわらかく言って。

さぷりちゃんを招き入れた。


…一人だと。

気が沈むだけだったのに。

2人だと。


青年はとても悲しくなった。

愛染。

我妻。

東寺。

越智。


彼らとの日々が胸に渦巻き、それは慟哭となってこみ上げる。

膝が力を失い、フローリングにしゃがみこむ。

切れ長の泉喪の目元から透明な液体があふれ

熱く頬を伝う。


さぷりちゃんが、頬をなめてきたので

首を横に振って

膝を抱えてうずくまる。


青年のくせのかかった黒髪を

さぷりちゃんは


きょとん


と眺めていた。

その視線に呼吸はあるが、人格はなく。

泉喪の胸には悲哀しかなく。


それでも。

その晩から、彼らの日々と、営みは幕を開けた。











































評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ