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泉喪が彼らと過ごしたのは、そういう日々だった。

酒と血のぬるりとした匂い。


細密画(みにちゅあーる)のように精密な綱渡り。

調停の日が近づくにつれて、泉喪の眠りは浅くなっていった。

救いなのは、その日々の中で鉢合わせた村人は藁卑(わらび)だけだったという事くらいで。


共に(くぐ)り抜ける死線の分だけ情が湧き、精神的な波風が台風並みの暴風雨である。


― いや。

仕事っていうのは、そういうもんだけどさ。 ―




「愛染さんって、いつから変態だったんすか?」

「お前、失礼な奴だな。」

愛染は細く長い眉をしかめた。


「あ、すいません。」

「たくっ。

ちっとは可愛げも出てきたと思ったらこれだもんな。

ま、それがお前か。」

「ほんと、すいません。

で、いつからっすか?」


「…いつの間にか、だよ。

家族が変態だった。

けど、そうだな。

姉貴が優しかった。

それくらいだ。」


どこがそれくらいなんだろう

と疑問符の泉喪の瞳を不機嫌に睨んでから、愛染はグラスに口をつける。


「それくらい、としか言えねえ。

姉貴が一番好きで、親父(じじい)が一番嫌いだった。

一番色々してきたのは母親(ばばあ)だけどな。

全員死んだ後も、俺はそこいらの女子高生達(がきども)に、

俺がされたのと同じことをしている。」


「はあ。」


「越智さんだってそうだ。」


愛染は半円状に並んだソファのちょうど向かいの越智に視線を投げる。

静かに飲む東寺と、キャバ嬢なお姉さんを大人の余裕で口説く我妻に挟まれながら

やはりキャバ嬢なお姉さんに彼氏さんとのあれこれを、根掘り葉掘り聞いている。

金髪の視線が遠くなる。


「あの人は親に捨てられた。

…埋める奴らには共通点がある。

路を歩いている。

幸せそうに手をつないでいる。

20代の男女。

越智さんが覚えている、親の記憶だ。

痛みとか、幸せとか、そんな淡い思い出だ。

あの人にとって、

誰かを埋める

ってのは、思い出の供養っつうか、儀式なんだよ。」

「病んでますねえ。」


素直な感想である。


「…失礼な奴だな。

まあ、そうだ。俺らは病んでるし、どうしようもねえから、走るだけだ。

東寺さんと組長は知らねえけどな。」


性的虐待を受けたり親に捨てられた子供が全員サイコパスになったら、

世の中は大変な事になるなあ、

と思うが、言葉には出さない。


愛染は過去を飲み込むように、グラスをあおり続け、照明に口の端から漏れた酒が煌めく。


「ねえ、なんの話してんのお?」

「うるせえ。黙って飲んでろ。」


柔らかい体を擦りつけてきたキャバ嬢なお嬢さんを、見もせずに愛染は言った。

その声は押し殺すようだ。


― 一篠さんの店じゃなかったら、絶対凄んで、泣かせてるよなあ、この人。 ―


空気を読まないキャバ嬢さん相手にも、最低限の空気は読む。

一篠の運営する店舗で暴れることはできないし

何より今晩の飲み代は、一篠の持ち、なのだ。

礼儀として、我妻組は誰も、ナイフや銃等の光物は持参せず、完全武装解除状態である。

ここら辺の筋を律儀に通す我妻は、

ざ・極道(やくざ)という感じだ。


つまり今晩は、抗争の慰労会兼一篠会に戻る泉喪の送別会である。

一篠は現れていない。

調停役の接待でそれどころではないのだ。


機嫌を損ねた愛染から無事であるという事の幸運を

認識しないキャバ嬢なおねえちゃんは無邪気に鼻白んで、

グラスを持って中身を黒のプラスチックのかき混ぜ棒でくるくると回し始める。

回転。輪。マイムマイム。


「…それにしても、お前には助かったよ。」

「死ぬかと15回は思いました。」

「俺はその倍思ったぜ。

あ、死ぬな、こいつってな。

しぶといよな、お前。

強いし、生意気なだけある。」

「へへ、照れます。」

我妻(くみちょう)が言ってた。

一篠さんとこに帰すのが惜しいってな。」

「へへへ。」


泉喪は照れ笑いを続ける。

いたたまれなさが辛いから、こういった(たぐい)の話はあまり聴きたくない。

いつものように黙って飲んでいて欲しい。

そうすれば、まだ耐えれる。

悲哀に。


愛染はグラスに視線を落とした。

鈍色の銀器の中で氷が白く煌めいている。


「俺も、そう思う。

お前は帰すのが惜しい男だ。」


― 頃合いだ。―


潮時とも言う。


「愛染さん。」

「ん。」

「しょんべん行きたいっす。

付き合ってくれませんか。」

女子高生(がき)かよ。一人で行…」

「お願いします。」


泉喪はその切れ長の瞳で、愛染の瞳を真っすぐに見た。

「お願いします。」


もう一度言う。

愛染の幼さの残る頬から酔いの赤みが引いた。


「しゃあねえなあ。」


金髪はけだるく立ち上がる。

のに合わせて泉喪も腰をあげつつ、他の面々に視線を走らせて様子を確認する。

問題はない。

時間が止まったかのように先ほどと同じ光景である。

出来れば、このまま時間が止まってくれたら、と思うが。

これは頃合いなのだ。


一篠から引き受けた仕事は。


・調停まで我妻一家を守る事。

・調停後、警備の(かなめ)を摘むこと。


前者はこなした。

警備の要は愛染である。

実際、どういう不測の事態が起きようと、

愛染は状況に素早く対応し組を守る。


切れやすい若者という表面の下では、非常に冷静な人物像が息をひそめて

全てを(うかが)っている。


かすかにふらつく足取りの愛染と連れだってトイレに向かう間に

泉喪は彼との日々を振り返る。


― だから、嫌なんだよ。

情を抱くのは、さ。 ―


それでも、仕事は仕事である。

そして、命は命に過ぎない。




























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