表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/31

puppy

ドーベルマンのしなやかな肉体たちが

丑三つ時の闇に溶けるように跳躍した。

鼻先にむき出しの牙が並列を成す。

一本一本がとても鋭く尖っている。

表面を濡らす唾液が月明かりを反射している。


顔面と首に。

獣の気が集中。

つま先立ちでしゃがみ込んだ。


あまり(かれら)の口元に集中すると、狂犬の唾液が角膜に付着するかもしれない。

それは避けたい。


「暗視スコープはいいのか?」

「はい。裸眼の方が集中できるっす、俺。」


断ったのをかすかに後悔しかけるが、思い直す。

人工的な視界では、自然にふるまえない。

そう。

大切なのは、自然に振る舞うことだ。


右にステップ。

向かって左側の狂犬は後部の柵に突っ込む。

右側も突っ込みかけるが地上70㎝上空の左脚先を両手で包むように(つか)む。

そのまま円盤投げのように回転。

らせん状に直立しつつ後方に()って上空、柵の向こうの暗い夜空に放り投げる。

星は見えない。

犬もどこまで高く上がるのか、見ないけれど、飛び掛かられる横のベクトルを

らせんで上方に変えた分、かなり上空に浮いたはずだ。

見ないというより、見る余裕がない。


左側、柵に突っ込んだ一匹が体勢を立て直して

飛び掛かってくる。

右に避けつつらせん状の動きと共にしゃがみこみ

やはり同じ動きで柵の向こうに放り投げる。

降り注ぐ唾液のシャワーが描く放物線を螺旋の動きで避け切った時

遠くで、ずだ袋を地面に打ち付けるような音がした。


― 悲鳴も上げれない、のか。

可哀想、だなあ。―


犬は猫ではなく、体の構造上、受け身が取れない。

しかも、柵の向こうは舗装済の硬いアスファルトだ。

落下の衝撃で肉と骨が砕け血が飛散しても届かないほど

高く遠く、上げておいた。


― でも、大体分かった。 ―


先生との会話を思い出す。

「まず、大きな動きで力のやり取りを覚えよう。

コツを掴んだら動きを小さくしてみよう。

で、目指すは最小限だ。

その方が動作の隙も少なくなるからね。」


すでに第二陣は2m前方まで接近している。

今度は、できるだけ動きを小さく

理想は太極拳のように腕の回転だけで

ほおる

こと。



…暗い上空にほおった番犬が10匹を越えた所で

狂犬たちの成していた列が尽き。

泉喪は


「ぶはあ。」


と大きく息を吐いた。


呼吸を忘れていた。

髪の生え際から眉に向かって、汗がいくつもの筋を作っていた。

後半はそこまで動いていない。

こめかみに痛みを覚えるほどの集中と弛緩(しかん)

鼓膜の奥の三半規管が揺れ続けている。

船酔いのような感覚。


ー 先生なら、もっと涼しい顔でできるんだろうけどさ。 -


胸元からスマホを取り出し愛染に連絡。


「おう。」

「終わりました。」

「そうか。」

「前庭は片付けました。

屋敷ん中はわからねえっす。」

「そうか。漏らしがねえか、確認したら、邸宅内(なか)で合流しろ。」

「はい。」


唐突に通話は切れた。

ねぎらいも驚きも伝わってこない通話だった。

が。


- 愛染さんとは、うまがあうかも、なあ。 -


と思ってしまう彼自身に

泉喪は軽くため息をついて、辺り、闇がパイ生地のように平たく伸ばされた前庭を見回す。

犬の気配は無かった。

そもそも狂犬のいいところは、無闇やたらに突進してきてくれることであり

隠れて気を伺うような健康な狡猾さがないのは

ほうってきた犬たちを見ても分かることだ。

それでも、愛染たちのためには、彼の言うとおり

漏らし

をしらみ潰すことは肝要である。


門から屋敷を遮るように茂る木立に向かって歩く。

狂犬の隊列は木立を発生源としていた。

残りがあるとすればここであり、実際間違いではなかった。


足を少し踏み入れたところで

複数のチタンゲージを発見。

1つを除いて全て開かれている。

鍵で閉じたゲージの中には子犬が一匹。

ドーベルマンではなく、ヨークシャーテリア。

戦闘犬ではない。

うずくまるようにして背を低くし吼え始めたので、

首をかしげると


かさっ


と、葉を踏む音がして(こずえ)の影から白刃がきらめいてきた。

サイドステップでかわしつつ後ろを取り腎臓にひざを入れる。

と、人影は低くうめき前のめりに二の腕を地面についた。

ナイフは手をつく前に落としている。


ー 刃物(えもの)を落とした。

どういうこと、だろ?-


戦闘で武器を手放すのはありえない。

陽動でほおる場合もあるが、

今の落とし方は、


握りきれなくて落とした


という感じである。


ー 戦闘慣れしていない、のかな?-


状況的にありえない。

足音を立てるまでの、気配の消し方は見事だった。

しかし、そんな芸当ができるなら、そもそも足音などたてないだろう。


疑問はすぐに解消された。

振り返りざまに飛び掛ってきた男に、木立を覆う闇の中でも見覚えがあった。

昨日の代々木村で指揮を執っていた男前である。


泉喪の肩をとらえようとする両手には噛み傷がついていた。

新しくは無い。

わずかに震えている。

首を傾けた男の顎は大きく開いていた。

喉を噛み千切りに、きている。


『けたみんをじゅんびしろ』


昼間の口元を思い出す。

足元のドーベルマンの獣臭。

手には無かった噛み傷。

握力の低下と震える手元。


つまり、この男の肉体は狂犬病に侵されている。

違う。

男が進んで、犬に噛ませて、病原菌に自らを浸した。

全ては。


ー 我妻組壊滅(けんか)のためだけに、よくやる、なあ。-


噛まれても、唾液や血と接触しても感染する。

普通なら戦闘(やりあい)も難しい。


ー けど、俺は村人だから、なあ。ー


泉喪は男の脇と梢の間をするりと抜けて

再び背後を取り

やはり腎臓にひざをいれ

男の手が地を突く前に

彼の延髄に(かかと)蹴りを入れる。


-ふうっ。ー


すねを噛まれかける。

ヨークシャーテリアが足元に来ていたのだ。

それは一息ついた刹那だった。


牙をよけた脚で、そのまま頭部を踵で砕く。


ひやっとした。


ー 手が込みすぎだろ。

ごめんよ、わんちゃん。 -


罠の主は地面にうつ伏せで痙攣している。

つまり息はある。


泉喪はしばし考えた挙句

とどめを刺すかわりに、男の衣服をまさぐり

二本の薬品瓶と注射針を一本取り出した。


・・・・ケタミン。

狂犬病治療薬。

といっても投与すれば治るといえるものではない。

そもそも完治例自体が極端に少ない。

ケタミンは狂犬病原菌を攻撃する薬品ではなく、

免疫力が病原菌を駆逐する力をつけるまで、

脳を眠らせる薬なのだ。

脳は菌には攻撃されないが、全身を浸す病原菌に混乱を起こして

その混乱が死を招く。

ならば、脳を眠らせればいい。

という薬なのである。

そのため用法、用量には厳密な管理が必要である。


ー 2本は打ちすぎだよなあ。

多く打てばいいってものじゃない。 -


用量を間違えて大量に投与すると、昏睡が深くなり、二度と起きない。

劇薬なのだ。


泉喪はため息をついて、注射器に一本分の薬液を満たし

男の腕をまくりあげて、彼の太く青い静脈に注射針を刺して

親指で液体を押した。


ー 死ぬか生きるかはあんたの次第だけど。

一本もらってく、お礼、だよ。-


青年は注射針を男の(かたわ)らに置いて、立ち上がり

通用門方向に愛染たちを探すべく、その目を闇に凝らした。





































評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ