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喧嘩の準備は念入りだった。
この新宿に来た翌日の昼下がり、泉喪は八幡会の若い衆の尾行に狩り出されて「江新宿未広亭」や、お笑い劇場「ルミネもともと」の裏通りを歩いたり、新大久保のヨン様界隈に足を伸ばしたり、西口にもどって高層ビル群で追いかけられた果てに、こだわりのショップがそろう「代々木村」の裏通りまで逃げたりした。
「江新宿未広亭」を出た時点で尾行に気づかれているのは察知していた。
「ルミネもともと」では3人に囲まれ、新大久保を経て「代々木村」まで逃げる間に、八幡組の若い衆は10人にまで増えていた。
皆さんとても血気盛んである。
あきらめを知らない。
10人で代々木村のビルの隙間まで追い詰めた泉喪に、雨戸を伝う水滴のように滑らかにすり抜けられ。そのまま消えられても、彼らはしばらく付近をくまなく捜索していた。
職業的な情熱にあふれている。
その姿を、泉喪は上空から見下ろす。
ビルの4階の窓枠の四隅にKの形で両手と両足を押し付け、落下から体を支えつつ、地上で連携を取り合う若い衆達の様子を観察。
- 一生懸命、だなあ。しかも、迷いがない。-
指示系統がしっかりしているのだ。
指揮をとっているのは、あご骨があんこうっぽい、ごつい男前。
先ほど囲まれてすり抜けるときに男前の足元から、嗅ぎなれない獣の臭いがした。
あまりいない類の獣だ。
- なんだけ、あれ。-
考えているとスマホが振動。
取り出すと、両手の支えを失った身体がよろりと落下運動を始めた。
「はい」
「こっちはすんだよ。今どこ?」
「代々木村っす。八幡会の皆さんに追っかけられてます」
「何人くらい?」
「10人すね」
「助け、いるかい?」
「いえ。けど、30分かかるっす。まくのに」
「どこで拾って欲しい?」
「池袋西口のカメラ屋さんの前がいいっす」
「了解。切るね」
「はい」
といったやり取りの間に、泉喪は目の前を加速度的な速度でコンベアのように移動していくビルの壁面を右足で蹴った。
そのまま身体をひねって後転。
向かいのビルのコンクリート壁を左足で蹴る。
靴型がわずかにつき、肉体のベクトルの方向が斜め上に転換。
蹴りと回転を繰り返し、じぐざぐに谷間を跳ねていく姿は山猿のそれだ。
屋上に背面とびの形でたどり着く間中、泉喪の虹彩は男前を離れなかった。
- 越智さんは『すんだ』て言った。あんたたちは、どうする?-
泉喪の虹彩は密度を増した。
それは獲物の動向を伺う肉食獣の光を宿す。
男前はスマホを取り出した。
連絡。
一度切る。
しばし佇む。
口元に悲哀。
再びスマホを取り出す。
「けたみんをじゅんびしとけ。」
唇を読むと
そう発音していた。
- ケタミン、かあ。……えぐいこと考えるなあ。ま、人のこと言えないけどさ。 -
泉喪は肩をわずかにすくめて身を翻した。
この情報を、どう扱うかで仕事の成否が決まる。
が、とりあえず彼は越智との待ち合わせ場所である、池袋西口に急ぐことに集中した。




