一鬼夜行
暗闇の中、遠間朔夜は周りを見渡した。
その傍らには、死霊となって彼女を護る兄 遠間零夜の姿もあった。
彼らの周囲には、無数の死者が立ちはだかっていた。
浅黒いその肌は彼らが、日本人ではないことを如実に現していた。
「これほどの外国人の死者を……」
さすがの朔夜も驚きを隠せなかった。
『不法残留のものたちを集めて殺したのだろう。彼にとっては生者より死者のほうが扱いやすいだろうからね』
零夜の視線は髪を金色に染めた初老の男に注がれていた。
男はふてぶてしい笑みを浮かべていた。
宇野雷蔵、ここ数日、朔夜たちが探していた呪術使いであった。
「お前らが最近、俺をこそこそ嗅ぎまわっていたヤツか、どうだ、驚いたろう、この死者の群れを! 多少金はかかったが、こいつらが今度は俺に金を運んでくれるんだ」
絶対の勝利を確信して雷蔵は嗤う。
彼がこの地で用意したゾンビーは、百体以上いた。
儀式魔術「百鬼夜行」
それが彼の得意とする呪術、百八の死体を同時に操る術であった。
対する相手は、死霊を従えた少女一人、たとえ自分より多少腕があろうと多勢に無勢であろう。
「お兄様……」
朔夜が不安そうに零夜を見る。
その表情に、男は嗜虐の悦びを見出した。
(いい表情だ……)
雷蔵は彼女をもっと苦しませる方法はないかと思考を巡らせる。
だが、深窓の令嬢のような美貌の少女の口から出た言葉は、雷蔵の予想にない内容であった。
「このままでは授業に間に合いません」
「へ?」
思わず間の抜けた声をあげるが、少女は真剣であった。
時刻は午前5時、あと1時間もしない間に日は昇りはじめ、朝がやってくるであろう。
『そうだな、探すのに時間がかかり過ぎた。ハイヤーを待たせているとはいえ、最後まで始末をつけると時間がかかるな』
死霊なのに零夜はため息をつくような表情を浮かべる。
『あとは俺に任せて家で準備をしたら朔夜は学校へ向かいなさい』
「でも……」
『俺は朔夜の死霊だ。俺が片をつければ、それは朔夜が仕事をしたことになる。それに……」
零夜はほほ笑んだ。
『朔夜は俺の意見を無視するのか』
「そんなことありません。お兄様は常に正しいのですから、でも……」
そういいながら逡巡する朔夜であったが、やがて兄に頭を下げる。
「わかりました。よろしくお願いします」
朔夜が兄のもとを離れ、ハイヤーの待つ方向へと走り始める。
「お、おい、ちょっと待……」
想像しないなりゆきに思わず傍観していた男は朔夜を呼び止めようとする。
だが、その刹那、零夜が放った光弾が男を襲う。
「なっ……」
男はあわてて光弾をかわす。
だが、光弾は一つではなかった。
零夜のまわりで次から次へと光の弾が生まれている。
『遠間流縛霊術 霊破』
零夜が呪を唱えると、次から次へと無数の光弾が男を襲いはじめる。
速度は決して速いとはいえないが、男は回避に専念せざるをおえなかった
配下のゾンビーを盾にしながら、攻撃を受け止める。
光弾の洗礼は2分ほどでぴたりと止まる。
「力尽きたか……」
雷蔵は零夜を見る。
だが、そこには悠然と死に装束姿で立つ零夜の姿があった。
『いや、とりあえず朔夜が帰る時間を造っただけだ』
たしかに朔夜の姿はここにはなかった。
そして、零夜は言外に「その気になれば雷蔵を倒せる」と言い切っていた。
「死霊の分際で……」
雷蔵が憎悪に燃える目で零夜を見る。
だが、零夜は平然と雷蔵を見返す。
『生死は関係ない、術者の勝負は技の優劣で決まる』」
「くっ、だが数の差はどうしようもできまい。しかも、今、お前の主はいない、いかに術が優れていようと、圧倒的に魔力が足りないだろう!」
雷蔵は吼えた。
死霊は本来、己の無念の想いを核に魔力で形成されている。
つまり、死霊が魔術を使うということは、少なからず己の体を削っているということなのだ。
削りきれば死ぬ。
『その心配は不要だ』
零夜は魔力を解放した。
零夜を中心に放たれた十数本の魔力の鎖が周囲に立つゾンビーに絡みつき、ゾンビーたちが崩れ落ちた。
「え?」
雷蔵は目の前で繰り広げられた光景が信じられないでいた。
『遠間流縛霊術 霊奪、今使った魔力を補充しただけだ』
零夜は使用した魔力を回復させるために、雷蔵の操るゾンビーの体内から強引に魔力を奪い、魔力を失ったゾンビーはただの死体に戻ったのだ。
「そんな馬鹿な……」
ゾンビーの魔力を奪うには、死体をゾンビーへと変えていた雷蔵の呪力を打ち破る必要がある。
つまり、目の前の死霊は、雷蔵をはるかに凌ぐ死霊術の使い手であり、かつ、ゾンビーがいる限り、魔力はいくらでも回復できることを意味していた。
雷蔵に勝ち目はなかった。
『では、はじめよう』
零夜が淡々と告げる。
一匹の鬼が百鬼を、そして雷蔵を蹂躙した。
午前8時20分、校門でハイヤーを降り、校舎に向かって歩いていく朔夜の姿があった。
「おはようございます」
「おはよう、朔夜」
朔夜は学友とあいさつをかわしていく。
そこには、闇の世界において遠間家当主として退魔業を行う勇ましい少女の姿はない、多くの人々が彼女に抱く「深窓の令嬢」イメージそのものの姿があった。
だが、それは演じているわけではない。
彼女は闇の世界だけで生きているわけではない、いや、時間を考えれば、表の世界の生活のほうが単純に時間だけ考えれば長いのだ。
そう、高校で過ごす時の彼女もまた、本来の姿であった。
級友と談笑しながら歩いていた朔夜であったが、ふと視線が自分の左側、誰もいない空間へと向けられる。
その瞬間、朔夜の口元に笑みが浮かぶ。
そう、表の世界であろうと裏の世界であろうと、彼女のそばには彼がいるのだ。
行き交う人々に聞こえないよう、そして相手には聞こえる程度の小声で朔夜は囁く。
「お帰りなさいませ、お兄様」
これは、ウェブサービスの一つ「即興小説トレーニング」で、制限時間30分間、お題「いわゆる朝 」を加筆修正した作品です。