死への旅路
人類は滅亡寸前だ。端的に言うならばバイオハザードが起きたのだ。
原因は菌なのかウイルスなのかはわからないが、それは感染者の脳を乗っ取り、ほかの人を襲ってその人も感染させる。また、死ぬわけではないからよくあるゾンビもののホラーのようにはなっていない。
当然、判別方法はある。言葉だ。しっかりと意思疎通できるならそれは感染者ではなく、できないならそれは感染者……それをみんなが知るまでに何人もの人が人の手によって拒絶され、結局は感染した。今や地上に残っているのは辺境に住む人だけだろう。
まあ、ゾンビなんてどうでもいいのだ。問題は死があまりにも近くにあるということだ。
私はすぐに保存食を買い漁ってくるまで山奥へと逃げたからか、いまだ感染もしていないし、死んでもいない。それも時間の問題だが。
私が山奥へ逃げ込んで数日後、一人の女が現れた。彼女も同じようなことを考えていたのだ。
本当に充実した素晴らしい時間だった。私と彼女は愛し合い、いつか来ると信じている平穏を夢見て時を過ごした。
だが、彼女は感染した。恐らくは空気感染もするのだろう。長い間車で寝泊まりし、食事も缶詰めなどを少しずつ食べるという生活は彼女の免疫をひどく低下させたのだ。
私は、彼女との誓い……お互いがどんなことになっても生き延びるという誓いを守った。
―――守った。
―――守った……のではない。私はただ恐ろしかったのだ。
人は自己の喪失をもっとも恐怖すると思う。
今のように誰も人が生き残っておらず、死んだあとどうなるかわからないならば、死の恐怖は、ありとあらゆる恐怖を凌駕する。凌駕したのだ。
―――私は32歳、そして、嫌いな日は自分の誕生日だ。
子供のころ、みんな一度は考えたのではないか? 死んだらどうなるんだろう、と。
子供は想像力豊かだ。私は子供のころに死後について疑問に思ったとき、まず親戚の葬式を思い出した。
よくわからない木の箱と色とりどりの花、中央に写真が飾られていた。そこに禿げたおじさんが現れてずっと何かを言っている。
母親にじっと静かにしていなさいと言われれ、言われた通りにしているといつの間にか立たされて小石のようなものをつまんで別の場所に移すように言われて移し、よくわからないまま手を合わせて頭を下げ、席に戻る……。
私は、みんなが悲しそうにしていることだけはわかった。葬式というのが死者を悼む場だと聞かされたため、きっと自分が死んだら、みんな悲しんでくれると思ったのだ。
だが、自分自身がこうやって死について考えるまで葬式をしたことすら忘れていたし、その人がどんな人なのか聞いていたのに完璧に忘れていた。そして恐怖した。死後、みんなからも忘れられ、いや、そんなことは関係ない。忘れられようがどうしようが、自分というものがなければ意味がない。
輪廻転生? それはあくまでも魂の話だ。私自身が消えることに何の違いもない。私はこの32年生きてきた私というものが消えることが恐ろしいのだ。
年を取り、寿命が近づく。
一日経ち、一週間経ち、一か月経ち、一年経ち、最後には一人生が経つのだ。過去はあっても今も未来もない。
だから、誕生日は嫌いだ。また一つ死へ近づいたと実感してしまうから。
私は、自己の喪失を恐れて、彼女を殺した。そう、ゾンビのホラーではない。感染者は死んでいないのだから自分を守るためには殺すしかない。つまりは私は愛するものを殺した人殺しの人でなしだ。その称号よりも、私は自己がなくなるのが恐ろしいのだ。
これを読む者がいるとすれば、それは人の文明が滅亡した後であろう。私がこのバイオハザードを生き延びたら、これは破棄するからだ。食料をすべて食いつくした私は、これから町へとでて食料を調達する。
残された人々よ、最後にあなたたちの人生に幸あれと祈り、筆をおく。
藤田大輔