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ザインさんと水かけっこをした後、服が乾くまで川岸でザインさんの家についての話しを聞いた。ザインさんのお父さんは公爵で、ザインさんはその長男らしい。ライオネット公爵家は由緒正しい貴族の家柄で、家の歴史は建国時に遡れるという。この国を現王家が建国する際からずっと王家を支えてきたとのことだ。現当主のザインさんのお父さんも、国王とは幼なじみらしい。結構偉い人なんだなぁと思う。兄弟は、妹が二人いるらしい。きっと、可愛い妹なのだろう。
西門から市場に向かったが、市場は昼近くになっているということもあり、人でにぎわっている。
肉屋の店頭では、毛をむしり取られて頭がぶった切られている鶏が、店頭にぶら下げられている。血が滴り落ちたりしないのは、血抜きがしっかりされているからだろうか。また、肉屋の主人らしき人は、一畳はあるかというまな板では、注文を受けるごとに肉塊を包丁というより手斧で切り取り、量り売りをしている。天秤の片方に、フンコロガシの作ったようなでかい玉が乗っけられている。分銅だろうか。ザインさんに聞くと、数字は十進法が基本らしい。前の世界と同じで助かった。
嫌でも自然と眼が行ってしまうのは、まな板の端に置いてある豚の頭皮だ。綺麗にはぎ取られた豚の頭皮は、豚の仮面のようになっており、そのままそれをつければ、西遊記の猪八戒に一瞬で変身できてしまう。気持ち悪いから絶対にやりたくないが……。
そして、隣で豚肉をバラで200グラム購入した主婦は、コップになみなみと注いである赤い液体も買って行く。この赤い液体って、豚か鳥の血では、なんて想像してしまう。
「ザインさん、この赤いのって…… 」
「豚の血だろう」
ザインさんは、当たり前のように答えた。
「豚の血を買って、あの人、どうするんですか? 飲むんですか? 」
「まさか、生で飲んだりはしない。固めてから、鍋に入れるか野菜と一緒に炒めるかなにかするだろう。ササキ・アリサは、食べたことはないのか?」
私は黙って頷く。
「驚いたな」と彼は目を丸くして言った。
驚いたことは、見れば分かるからいちいち驚いた、なんて言わなくていいと思う。
「そんなに一般的な料理なんですか? 」
一般的な料理であれば、今夜のバルナバ神父とコルネリウスが催してくれる歓迎会にも出てくる可能性がある。覚悟をしておかなければならない。
「農村では一般的な家庭料理だな。王都では入手し難い分、それほど一般的というわけではないな。しかし、女性は好んで食べるそうだぞ。流れた分を補うというか、まぁ増血の効果があるからな」
すこし言い難そうにザインさんは言った。
「あ〜。貧血対策ですね。私って、アレで貧血になったことはないですよ」
「そ、そうなんですか」
なぜか敬語になるザインさん。話題が男性にとっては少しセンシティブなので、ザインさんは恐縮したのだろう。肉屋のカウンターには、脳みそっぽいのとか、臓器っぽいのが皿に盛ってあるが、それは見なかったことにして、肉屋を後にすることにした。食べれる所は、全て食べるという食文化なのだろう。
肉屋の隣は、八百屋だった。カブだったり、キャベツだったり、前の世界とあまり大差のない野菜が並べられていた。前の世界と違う点は、並べられている野菜にはまだ土がついていて「さっき畑から取ってきました」感丸出しといった点だろう。ジャガイモは、一個一個に分けられておらず、まだ蔓でつながっている状態だ。畑から抜いてきて、そのままここに置きましたという感じ。
「あれ、このカブ、少し何かにかじられていますよ? 売り物なんですか? 」
私の素朴な疑問に、ザインさんはモグラがかじっただけなので、問題ないのだと解説。他の野菜もよく見ると、所々かじられたりしているのが散見される。また、不格好な野菜が多い。こちらの世界の人は、野菜の形とか多少かじられていたりとか気にしないのだろう。食べられたらそれでいいという価値観、それは目の当たりにするとすごく納得のいくものだった。前の世界では、綺麗に洗われて痛んでいない野菜しかスーパーに並ばないのが当たり前だと思っていたけれど、それってすごく贅沢な当たり前だったのかも知れない。
「ザイン隊長、失礼します」
後ろを振り返ると、前に見た事のある騎士がたっていた。振り返った私に軽く会釈をしてきたので、私も釣られて会釈をした。確かこの人は、ザインさんに教会まで連行されたときに、教会の南階段ですれ違った人だったと思う。
「ラメド徴税官が、もうすぐ到着されるそうです」
「やっとか。わかった。一応失礼のない程度の出迎えを頼む。あっ、あとダレト副官。この方は、ササキ・アリサさんだ。教会で働いている。例のスパイ容疑は晴れたから一応伝えておく」
「私は、ダレト・トレットと申します。ザイン隊の副官をしております」
ダレトさんは、私に向かって一礼をした。ダレトさんは、すらっとした長身で、身長は190センチはあるのではないだろうか。知的で常に冷静そうなタイプだ。
「ダレトは、有能な部下だ」
「ありがとうございます。このくそ忙しいときに、隊長がデートに出かけてしまっても、部隊をまとめあげれる程度には優秀と自負しております。ザイン隊長も、ラメド徴税官の到着後、挨拶をお願いしますね。ではお邪魔しました」
あれ、ザインさんなんか嫌味を言われている? しかもデートって。ダレトさんは、それだけ言うと、東門の方向へ歩いていった。
「ザインさん、本当はお忙しいのに、村の案内なんかしてて大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ない。最後のは奴なりの冗談だ」
「嫌味ぽかったですけど」
「ただの嫉妬だろう。あいつは昔から女運がないやつだからな」
「身長も高くて、モテそうですけどね」
それからしばらく、市場にある壇上の脇のベンチで、ダレトさんの失恋話をザインさんは話してくれた。ザインさんとダレトさんは、騎士養成学校時代からの親友で、なんでも言い合える仲だそうだ。ダレトさんの失恋談は、要約すると、ダレトさんは本当に女運がないという一言に限る。ダレトさんは、女性にはかなりモテるのだが、自分が思いを寄せる女性からは、振られ続けたり、実らなかったりというパターンしかない。そして、自分が思いを寄せる相手ではないと付合えないという妥協のできない性格も原因のひとつで、いつまで経ってダレトさんは、彼女もできないとのことだ。騎士養成時代の一例だと、ダレトさんが好きになった人は、すでに付合っている彼氏がいた。もしその彼氏と別れたとしたら自分が愛の告白をしようと決めて、二人の恋の成り行きを遠くから見守る日々が続いた。そして、ダレトさんの思いは報われることなく、その女性とその彼氏の恋は実を結び、そのまま結婚して幸せになりましたとさ…… 。つまり、ダレトさんは土俵にも上がることすらできなかったそうだ。彼氏がいてもアタックしておくべきだった、というのがザインさんの講評だった。饒舌に講評を語るということは、略奪愛の成功体験がザインさんにはあるのだろうと勝手に予想する。
また、騎士になった後も、恋した女性には許嫁がいて振られたり、相思相愛になったはいいものの、政略結婚で異国に嫁ぐことが決まってしまったり、と出口のない片思いばかりをしていたようだ。とくに、政略結婚で異国に嫁ぐことが決まった女性とは、駆け落ちをしてでもというほどの覚悟を持った大恋愛だったようだ。しかし、駆け落ちを持ちかけたところ、「私は他国に嫁ぐことにより、貴方は騎士としての勤めを果たすかという違いがあるだけ。この国の平和を守らねばならないという責務をお互いに負っています。それは、自分の気持ちを押し殺してでも果たさなければならない責務だと私は思います。貴方のことは心よりお慕いしていますが、貴方の気持ちに答えて、出奔するわけには参りません。貴方も、この国のことを考えたらそうでしょう? 」という風に逆に諭されてしまい、叶わなかったそうだ。ちなみに、その女性に駆け落ちを断られた夜に、ザインさんとお酒を飲みに行き、そこで次の日も仕事に行けないくらいに酔いつぶれたというのが、ザインさんが知っている限りでは、ダレトさんの唯一のお酒の失敗だそうだ。
私が聞いちゃってもよいのか、と思うくらいの内容で、ダレトさんには悪い気はしたが、ザインさんは楽しそうに話すし、私も恋愛話しは嫌いではないので、楽しんで聞いてしまった。
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「そういえばササキ・アリサ、市場で何か買い物をしなければならないのではないか?
「ワインを買ってくるように頼まれています。ワインはどこで買えばいいんですか?」
ザインさん曰く、「酒は、酒場で買う」とのことだ。
私たちは、また来た道を戻り酒場の中に入った。酒場や、居酒屋みたいなところで、飲み食いをする場所と思っていたが、お酒の販売もここで行われているとのことだ。むしろ、酒税を徴収する関係で、酒類は酒場でしか買えないようだ。酒税徴収の一元管理化ということらしい。
お酒は、赤ワイン、ビール、ウィスキーなど結構種類はあるようだ。しかし、この世界は冷蔵庫など、冷やす道具がないので、冷えたビールってあるのかなと疑問に思う。
買って帰れるワインは、革袋単位で買うようだ。皮袋1つがちょうど1リットルらしい。革袋は、胃の形にとても似ていて、これは動物の胃を加工して作った革袋なのではないかと思い浮かんだが、深く考えないようにすることにした。袋は、袋であって、それ以上でもそれ以下でもない。食道から胃につながる部分に栓を付けれるように加工して、胃から消化器官へとつながっているところを縫い付けているのかな。いやいや、これ以上考えるのは止めよう。
私は未だに物価が把握できている訳ではないが、コルネリウスから渡されたお金だと、ワインを3袋買えててしまう。3袋を買ったとしたら、1人当たりの単純な平均消費は、1リットルになる。私は1リットル飲む事なんてできないが、バルナバ神父とコルネリウスは、1リットルくらいなら軽く飲んでしまうこもしれない。教会で食べている夕食の水準と、今日の市場の品揃えを見た限りだと、教会の食事は質素だと思うし、収入がどれくらいあるのかも分からないから、飲みきれない分のワインを買ってしまうというような散財はしたくない。どのくらいの量を買ってくればよいか、コルネリウスにあらかじめ聞いておくべきだったと少し後悔。
「ザインさん、バルナバ神父とコルネリウスさんってどれくらいお酒を飲むか知っていますか? どれくらいワインを買っておけば適当かが分からないんです」
「ん? 人並みだろう。2袋買っておけば、ちょうどよいだろう。3袋だと多いだろうな」
「ありがとうございます」
私は、とりあえず2袋分のワインを買った。店主から革袋は返却してくれれば少しお金を戻してくれるらしい。また、この革袋は、乾燥に弱いらしいので、ワインを少しで良いので革袋の中に残すことと、夜にはタライに水をいれて、その水に漬けるようにして欲しいとのことだった。前の世界みたいにビン詰めがあれば便利だと思う。
酒場を出ると、市場の方に人盛りが出来ていた。さっき、ダレトさんの恋愛話を聞いたベンチの横の壇上の上に、男性が立っており、それを囲むように人が立っている。
「豚が到着したようだな」
ザインさんがそう呟いたのが聞こえた。
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