6ー17 邂逅①
後宮に帰ってきたのは、もう太陽が完全に顔を出していたころだった。後宮に入る際には、外は充分に明るい。夜道といっても、馬車は昼時よりも少し遅いくらいのスピードを出していたのではないかと思う。馬車の揺れは、体感では昼時も夜間もあまり変わらなかった。夜の方が多少速度が遅かったとしても、のんびりとお茶をしたりと道草を食っていない分、移動時間の総計としては、夜道の方が早かったかも知れない。
私は、自分の部屋に入るなりベッドに飛び込んだ。そして、ぐっすりと寝た。そして私が再び意識を取り戻したのは、太陽が傾きかけたころだった。6時間くらい寝て、既に夕方近くになってしまった。夕方近くまで寝ていたのは、この世界にきて初めての経験かも知れない。まぁ、前の世界でも、友だちとオールして、始発電車で家に帰ってきた時くらいしか夕方まで寝ていることは無かったけれど。
私が目覚めて廊下への扉を少しだけ開けるとペニナさんが立っていた。そして、ハンナもいた。二人とも、私が寝ていたせいで、何もすることがなく廊下に立っていたのだろう。別のことをしようにも、私がいつ起きるかわからない以上、持ち場を離れるわけにはいかないのだろう。
すでに何度か、私の寝坊のせいで、「廊下に立っていなさい」状態にしてしまっている。そして、私の顔を洗ったりするための水を入れる瓶も、ペニナさんは両手で抱えて持っていた。もしかして、朝からずっと、水が満杯に入った瓶を持っていたのだろうか。ペニナさんの性格だと、瓶を床に置いたりしていないような気がする。しかも、ペニナさんは、帰りは馬車の中に入っていない。私が眠れるようにと、御者の横に座って、帰ってきている。「外は寒いですし、馬車の中も広いですし、ペニナさんも遠慮しないで中に入ってください」と言っても、固辞された。おそらく、ペニナさんも移動中寝れていない筈なのに、朝から廊下で待っていたとしたら、本当に申し訳無い。
「アリサ・ササキ様、おはようございます」とペニナさんとハンナさんが声を揃えて挨拶をしてくれた。私も笑顔で返した。
「簡単なお食事をお持ちしましょうか」とペニナさんに問われたので「お願いします」と私は答えた。私は、ペニナさんがタライに入れてくれた水で歯磨きをし、顔を洗い、髪を整える。ハンナさんは箜篌の置いて有る部屋の隅っこのに移動し、曲を奏でる。パッヘルベルのカノンを思わせるような曲だった。
「戦争、するんですよね」と私は食事をしながら立っているペニナさんに話しかけた。
「はい」というペニナさんの返事。食事は、小さなパン1つと、香草とタマネギの香りが混じったスープ。胡椒が入っていないのが、少し残念だなぁと思う味のスープだ。
「どうなってしまうんでしょうね」と私は聞いた。
「そのことに関しまして、アリサ・ササキ様に直接、ロトラント様がお話したいそうです」とペニナさんが言った。
「え? ロトラントさん? 3ヶ月後じゃなかったっけ? まだ、1ヶ月も経っていないでしょ?」と私は言う。
「ええ、しかし、ロトラント様も出征致しますので、出征特例が適用できますので、お会いになることができるのです。今晩の夕食をご一緒されてはいかがでしょうか? 」とペニナさんが答えた。
「じゃあ、なんで3ヶ月って話が出てきていたの?」と私は当然聞いた。アヒトフェルさんの話でも3ヶ月だった。それまで後宮で過ごすという話だった。ペニナさんからその辺りの事情を聞くと、かなり小難しいザンドロス国の法律とアルウェルス族の規則が関係しているらしかった。法律と規則が絡まり合っていて、外から来た人間、つまり私にはまったく分からない。
ペニナさんの話を整理すると、少なくとも3つの要素が絡まり合っている。
まず1つは、ザンドロス国の法律に関してだ。ザンドロス国の徴兵制度では、一度出征した人間は、1年間は徴兵されないという決まりがあるらしい。ロトラントさんは、タキトス村へ攻めた軍隊に所属していたから、出征した人間としてカウントされるので、ザンドロス国の戦争としては、今後1年間、今から数えると11ヶ月は徴兵されない。その法律が生きていたから、ロトラントさんが新しい妻を迎える際には、アルウェルス族の通常の儀礼が適用される。それはつまり、結婚までに3ヶ月間を置くという儀礼だ。
アルウェルス族が、結婚まで3ヶ月間、お互いが顔を合わせることを禁じるのは、お互いが冷却期間をおき、冷静に相手と結婚を本当にしたいかを考える時間を設けるためだそうだ。あと、結婚する女性が懐妊していないかも確認するためであるそうだ。
その儀礼に基づいて、ロトラントさんは後宮に入った私と3ヶ月合わないことになったらしい。
ちなみに、族長とか関係なく、他のアルウェルス族も同じ決まりがあるのだけれど、大抵は皆、逢い引きしているそうだ。馬で小一時間走れば、内緒で密会できる場所はいくらでもあり、2人の秘密の待ち合わせ場所を決めて、そこで愛を育むらいし。むしろ、如何に他の人に見つからないよう逢い引きするかが、2人の力量らしい。
もちろん、建前では2人は3ヶ月会っていないことになっているらしいし、他の人が偶然にも2人の逢い引きを目撃しても、見て見ぬ振りをするのが暗黙の了解らしいのだけれどね。
私はそれを聞いて、この制度って、お互いを冷静にさせるのが目的なのか、燃え上がらせるのが目的なのか良く分からない制度だと思った。
吊り橋効果というか、ロミオとジュリエットじゃないけど、周りから反対されたら当事者の2人は逆に燃え上がるというか、まぁ、恋する2人はそんな感じだ。
そして、お互いが誰にも見つからないように草原やら林の木陰やら岩山の岩の影やらで落ち合うというスリルを味わいながら会う。完全な吊り橋効果のようなドキドキ感だ。冷静になる暇なんてない気がする。
話が逸れてしまった。ロトラントさんは族長であるから、その規則を厳格に守る必要があるという訳で、ロトラントさんと私は3ヶ月きっちり顔を合わせることがないようになっていたらしい。
その前提が壊れたのが、昨日のアルウェルス族の会議。ザンドロス国の一部族として戦争に参加するということではなく、アルウェルス族として積極的に戦争に参加するということに決まった。そうなると、1年間戦争に行かなくてもよいというような休暇制度は、無効になる。一族全体が戦争に参加するのに、出征した人が1年間は戦争しないというような制度では、すぐにアルウェルス族の男がだれも戦争に行けない状況になってしまい、とても都合が悪いらしい。
そういう訳で、ロトラントさんもいつ出征するか分からないという出征待機状態になっている。これが2つ目の理由だ。
そして、3つ目が婚姻に関する出征特例。いつ出征するか分からないという状況下で、3ヶ月お互いが会わない、結婚できないというのは、現実的ではないらしい。つまり、3ヶ月経たないうちに出征して、そして男が戦死してしまった場合、あまりに2人の恋が浮かばれないということだ。
政治的にも理由があるらしい。それは、その3ヶ月会わない間に戦死した場合、残された女性を戦争未亡人として、税の軽減をするかどうかという微妙な問題もあるとペニナさんが説明をした。婚約はしたが、正式に結婚はしていないという微妙な未婚と結婚の空白地帯になって、寡婦の扱いが微妙になる。だから、結婚をするのかしないのか、即決してくれ、というものらしい。
そいういう理由で、出征待機中となった人は、3ヶ月間を置かなくても結婚ができる。ロトラントさんも同様で、3ヶ月会わないという制約は無くなったらしい。
そういう訳で、狐に化かされた気分ではあるが、ロトラントさんと会うことになった。夕食を一緒に食べるということだ。今食べている、食事がパン1つとスープだけだったのも、そういう配慮があって、軽めの食事となっていたのだろう。
私に実感がないだけで、いろいろと情勢が大きく動いているのだろう。その辺りを詳しくロトラントさんから聞かなければと思った。
読んでくださりありがとうございます。