6ー13 アリサとワシュテア⑥
浴室に入り、音楽の流れている方向に歩いていると、人影が幾つも見えた。
箜篌を弾いているハンナさんの姿も見えた。ハンナさんは、箜篌を弾きながら、目と首だけで私に会釈をした。別に、演奏の最中に挨拶を求めたりはしてないのに、律儀だなぁ、そんのことして弾き間違えたりしないのだろうか、なんて思ったけど、それは余計なお世話だったようだ。
「あら、ササキ・アリサさんも来たのね」と、ベッドの上でマルタさんからマッサージを施術してもらっているプリスキラさんが言った。首だけを持ち上げて私の方を見て、またすぐ顔をもとの位置に戻した。
シエルさんは、寝ころび湯に仰向けになっている。シルクのような素材で体を覆い隠しているけど、その布も濡れてしまって、体に密着しているせいか、あまり隠すところを隠せていない。目の部分には厚手の布を被せていて、寝ているのか起きているのかも分からない。
問題のワシュテアさんは、キャベツのような葉が浮かんでいる風呂に入っている。ほっそりとした首筋と、肩甲骨。そして、その間を流れる金髪の髪。ちょっと映画のワンシーンみたいな感じによく映えている。ギリシャの女神様の入浴というのは、こんな感じなのではないかなんてことを思った。もし、プリスキラさんが同じように入っているのだとしたら、ミロのヴィーナスが入浴しているような絵になるのではないだろうか。もちろん、プリスキラさんにはちゃんと両手はあるけどね。
「ワシュテアさん」と、私は声を掛ける。無視されるだろうと思ったけれど、無視はされなかった。けれど、よっぽど頭にくることをされた。
彼女は、湯に浮いていたキャベツの葉を右手で取り、それを私の方を見ないまま、ぽいっと私の方に投げてきた。キャベツの葉っぱは、私の左足にみごとにへばり付いたのだ。
私の方を一度も見ず、私の声から位置を特定して、見事に投げつけてきたのは、流石としかいいようがないけれど、その鮮やかなお手並みが、余計私を腹立たせる。そういえば、馬小屋でも汚い雑巾を私に投げつけていた。不機嫌になると、物を投げる性格なのだろうか。
「ワシュテアさん、先ほどのことなんですが、誤解なんです」と私は言った。別に私は、仲良くなろう、友達になろうと歩み寄ってくれたワシュテアさんを拒否した訳では無く、私もそのつもりで「アリサって呼んで」と言ったのだ。しかし、それがなぜか拗れてしまった。
しかし、ワシュテアさんは私の方を振り返るわけでもなく、つぎつぎと浮いているキャベツの葉を私に向かって投げてくる。こちらを見ていないし、所詮はキャベツの葉だから、飛距離がでるわけでもなく、私の足下付近に落ちる。踏んだらバナナの皮のように滑りそうで、ある意味恐いけれど、固い物を投げられているわけではないから、そこまで恐怖心はない。
「あの、聞いてください」と私が言ったところで、「しつこいわね」と大声で言って立ち上がり、私の方を振り向き、そして腕を振りかぶった。
キャベツの葉が、私の顔面に直撃した。少し痛かった。キャベツの葉を何枚か丸めて、私に投げつけたのだと、顔面に当たった後、足下に落ちたキャベツを見て分かった。
投げつけたワシュテアさん本人は、何事もなかったかのように再び湯に浸かった。
私は、私の近くにある浴槽の隣に置いてある桶に目が留る。その桶の中には、泥パックに使う泥水が入っていた。私は、それを両手で持ち上げた。泥が底の方に沈んでいるのか、結構重かった。そして、キャベツの葉を踏まないようにゆっくりと運び、バケツの水を撒くように、ワシュテアさんの頭目がけて泥水をぶっ掛けた。そこに溜まっていた泥は、桶の底に張り付いたままで外に飛び出なかったけれど、泥水がワシュテアさんに大いに掛かった。
「冷たって、なにするのよ!」と怒ったワシュテアさんは、浴槽から立ち上がって、私を睨む。私も睨み返したけれど、ワシュテアさんは恐かった。金髪の髪が、泥を被ったせいで黒くなり、長い前髪が顔の前で垂れ下がっている。ホラー映画に出てくる、髪の長い人のようになっていた。その垂れ下がった髪の間から思いっきりつり上がった眼で睨まれたら、そりゃあ恐い。
ワシュテアさんは、浴槽から上がって私の方に来ようとする。ワシュテアさんは、私に掴み掛かろうとする。反射的に私は後ずさりした。私は、取っ組み合いの喧嘩なんてしたことないし。
そしたら、ワシュテアさんは、自分が投げたキャベツの葉で滑って、そのまま後頭部から浴槽のなかに逆戻りした。
後頭部を打っていたらどうしようと心配をしたけれど、掛け流しの湯でお湯が沢山入っていたし、水深も深い浴槽だったようで、「ぶはぁ」といいながらすぐに湯から顔を出した。泥もすっかり落ちて、金髪のワシュテアさんに戻っていた。
「良くもやったわね」と叫ぶワシュテアさん。いや、勝手に転んだんじゃん。しかも自分で投げたキャベツの葉を踏んで……。
「ふふ。あら、笑ってしまってごめんなさい」とプリスキラさんの笑いの混じった声が聞こえた。マルタさんは、マッサージの手が止まり、固まっていた。
私も、釣られて笑ってしまった。
「プリスキラまで笑わないでよ」とワシュテアさんは言った。そして、顔を真っ赤にさせて下を向く。
「ワシュテアさん…… じゃなくて、ワシュテア。聞いてください。私の名前は、アリサ・ササキなんです。アリサが名前で、ササキが苗字です」と私は早口に言った。
「やはりそういうことだったのね」と、プリスキラさんは納得したようだ。
「じゃあ、なんでササキ・アリサなんて名乗ったのよ」と、ワシュテアさんは聞いてきたので、私はペニナさんにした説明と同じ説明をした。
その後、剥かれた蜜柑がたくさん浮いている浴槽に起きたシエルさんも交えて4人で入って語り合った。
ワシュテアさんは、私が来る前にプリスキラさんとシエルさんに、馬小屋での出来事を話したようだ。プリスキラさんは、ワシュテアさんの話を聞いて、アリサが名前でササキが苗字なのではないかと、思ったとのことだ。
「事情は分かったわ。じゃあ、アリサ。これから私は貴女をアリサって呼ぶわ」とワシュテアさん。
「私のこともプリスキラで良いわよ。アリサ」などと、シエルさんを含めて名前で呼び合う仲になることが出来た。
そして、プリスキラさんやシエルさんが、ワシュテアの早とちりをからかったりしているのを聴きながら、朝風呂を楽しんだ。
その後、4人揃ってエステを受けていたところで、浴室にメイドさんが飛び込んできた。そして「国王からアヒトフェル族に対して招集命令がくだりました」と大声でさけんだのだった。
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