6−4 有沙と市場④
「ササキさん、この馬にしなさいな」と、ワシュテアさんが馬に乗りながら言った。私は、馬の後ろ足の近くには近づと危険、馬は臆病だから、驚いて後ろ足で人を蹴ってしまうことがある、私はそう聞いたことがあった。人の恋路を邪魔して馬に蹴られるというのも、たぶん馬の後ろ足で蹴られることを想定した諺だと思う。しかし、馬の前足も充分怖い。凶器だ。踏まれたら死んでしまう。
プリスキラさんのシエルさんの後ろに隠れながら、私はワシュテアさんの乗ってきた馬を観察する。後ろ足の太ももの部分の筋肉が盛り上がっていて、キック力ありそう。でも、前足の付け根の所にも筋肉付いているし。同じくらいキック力ありそう。
さっそうとワシュテアさんが馬から降りる。そして、手綱を離す。いや、それを離しちゃいけないでしょ、と思ったけれど、前の二人が無反応だから、たぶん大丈夫だと思って、半歩しか下がらなかった。度胸がこの世界に来てから付いてきたのではないだろうか。
「良い馬じゃない」と、プリスキラさんは言って、馬の頭を撫でた。シエルさんも頷いている。
「ふふ、可愛い鬣ね」と言いながら、プリスキラさんは、クルクル巻きになっている馬の天然パーマを伸ばしては離すという動作をしている。バネを伸ばして離した時のように、鬣がまたもとの天然パーマの形に戻る。そんなことをして馬は怒らないのだろうかと私は心配になる。馬の口も結構大きいし、プリスキラさんの頭を一口で食べれてしまいそうだ。
「ササキさん、乗ってみて」と、ワシュテアさんが満面の笑みだ。プリスキラさんやシエルさんのお眼鏡に適った馬を連れてきたことが嬉しのか、顔にまったく悪意がないように思える。逆にそれが厄介だけど……。
「私は馬に乗れませんので、とりあえず……」と私は言った。とりあえず何? と言われても返答に困る。その先のことは私も考えつかない。どうやって、この場を回避しよう。お腹が痛いとでも言おうかなぁなんと考えていたら、本当に胃が痛くなってきた。
「馬を見るのは初めて?」とシエルさんが私に聞いた。
「はい」と私は思わず答えた。一応、テレビや写真で見たことあるけど、まあ不可算でいいだろう。馬の眼が怖い。私が持っているイメージよりも眼球が飛び出ているような気がする。円らな瞳で可愛いお馬さんは、この世界では存在しないみたいだ。
「怖がっていると、馬も不安になるのよ」とシエルさんは、私の背中に手を回す。そして、その手は、私の前方、つまり、馬の方向に向かって力が入っている。怖がっている私に寄り添ってくれるのはとても親切で、シエルさんの優しさなのだろうけれど、逃げられないようにシエルさんが私を捕まえたとしか思えない。
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結局、恐る恐る馬を撫でている私がいる。鬣、結構固い。犬や猫のように、手触りがいいというような感じではない。毛先が私の皮膚に刺さるんじゃないかと思っちゃう。
私が頭を撫でてやると、首元を撫でられた猫みたいに、眼を少しだけ細めるような感じがするのだけど、やっぱり怖い。口元には涎みたいなのが溜まっているし、なんか汚い。呼吸も荒い感じがするし、呼吸と連動し膨らんでは萎むお腹も、威圧感がある。
私が馬を撫でている間に、3人の中ではこの馬を買えば良いという結論に達したようだ。「この馬も、ササキさんのことを気に入ったようね」とプリスキラさんが言っているのが私の耳に入ってきたが、事実かどうか極めて疑わしい。
「名前は何にするの?」とワシュテアさんが聞いてきた。名前付けるんだぁ、なんて一瞬思ったけど、この馬を買うことがまるで決定しているみたいだ。
「もうちょっと安くならないの? あの馬、4歳、いえ、5歳馬よね?」と、シエルさんが、トランプで遊んでいた男の人と、売買交渉的な物をはじめていた。トランプゲームをして、シエルさんが勝ったら1割引き、馬主の人が勝ったら現状の値段という交渉で場が収まった。プリスキラさんとワシュテアさんも、勝負の公証人兼イカサマ監視役として、カードゲームに立ち会うという話の流れになり、私は馬と共に取り残される。
私は、馬の頭を撫で続ける。別に、撫でていたい訳じゃない。撫でるのを止めてしまうと、馬がどんな行動を起こすか分からないから惰性で撫で続けているしかないのだ。そもそも、シエルさんがカードゲームをで負けた後、私がこの馬要りませんと言っても、馬主の人が納得しないのではないだろうか。それに、シエルさんが勝ったとしても、私が要りませんなんて言えない気がする。「せっかく勝負に勝ったのに」なんていうシエルさんの残念そうな顔が浮かぶ。
「困ったことになったなぁ」と、私は独り言を言った。そしたら、馬も、それに同意するように頭を下げる仕草をした。
「頷いているし。やっぱり困るよね」と、私は空を見上げながら言った。そしたら、ボトンという音がした。何が起こったか予想はできた。案の定、後ろ足の間くらいに、茶色い物体が落ちていた。
男性の「よっし」という声が聞こえてきた。どうやら、勝負は馬主が勝ったようだ。
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