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私は市場の人混みをくぐり抜けながら、プリスキラさんとはぐれないように必死に歩いていた。市場の中心に入っていくに従って、人が増えていく。通勤ラッシュの時間帯の駅のホームのような、人山人海の状況だ。市場の周りには、広大な草原が広がっている。空き地という意味では広大にある。それなのに、市場の中に入っていくにつれて、どんどん人が多くなっている。反対方向に歩いてくる人と、肩がどうしてもぶつかってしまう。私が左に避け、反対から歩いてくる人が右に避けて、正面衝突するというようなことあった。
この混雑の原因は、はっきりしている。この市場で出店をしている人達が、商品陳列の風呂敷を自由に広げすぎなのだ。通路を作ろうなんていう気が出店者にはないらしく、思い思いに風呂敷を広げたような感じ。だから買い物をしようとする人の通る通路が狭く、局所的な人の渋滞を作っている。酷い出店者は、故意に行き止まりを作っているんじゃないかとさえ思う。日本のフリマのように、出店するスペースが割り当てられて、出店が整然とならんでいるような感じではない。
通路を作る気がない出店者に対して、買い物に来ている人達は、それなりにマナーがあると思う。私がそう思う理由は、買い物客は出店者が広げた風呂敷を踏まないように歩いているように見えるからだ。商品を踏まないようにしようという涙ぐましい努力をしている。私を含めて。
配慮のない出店者と、配慮のある買い物客。それが生み出しているのが、狭い風呂敷と風呂敷の間の満員電車のような状況。商品をゆっくり見るために立ち止まることすらできない。出店者の人が、胡座でのんびりと欠伸をしているのを見ると、ちょっと腹が立つ。
広大な土地があり、見渡す限り草原なのに、どうしてこんな状況が生まれるのか不思議だ。甲子園で表現するとしたら、高校球児も観客も全て、4つのベースが作るダイヤモンドの中に詰め込んだような感じ。野球ができる状態じゃない。この市場も、買い物できる状態じゃないって感じ。
前を歩いているプリスキラさんが人壁の中に入っていったと思ったら、その場所を人壁の隙間から覗くと、ワシュテアさんとシエルさんが、風呂敷広げて座っていた。しかも、袋小路を作るという、かなり迷惑な風呂敷の広げ方だ。しかも、足を止めて商品を見ている買い物客も多い。買い物客が作っている壁の間を通ろうとするけど、場所を譲ろうとしない客に阻まれて風呂敷の中に入れない。なぜ私は、芸能人に群がる人盛りの中で、握手をしてもらおうと壮絶に頑張る追っかけのような事をしなければならないのか……。
なんとか、風呂敷の中に避難することができた。シエルさん、ワシュテアさん、プリスキラさんに加え、私が風呂敷の中で体育座りをすると、風呂敷の中も狭い。
秋の涼しい季節が人混みの熱気でかき消されている。
「あの、何を売っているのですか? 」と、私は隣に座っているワシュテアさんに聞いた。シエルさんとプリスキラさんは、商品を手に取って見ているお客と談笑をしている。客層は、若い女性が多い。若いと言っても、私達よりも若い人達。たぶん、前の世界で言えば、中学生と高校生と言った年齢層。プリスキラさんと会話をしていた高校生くらいの女の子が、商品を買っていった。さっきまで、私の前を歩いていたのに、さっそく商品を売るなんて、プリスキラさん、凄い。
「刺繍よ」とワシュテアさんは答えた。
それは、見れば分かるんだけどなぁ、なんて心の中で思う。15センチ四方もカットされた厚めの布に、蛍光ペンにありそうな赤色や紫色、草原の色よりも明るい緑色などの原色の糸を使って、綺麗な蝶々や鳥などが刺繍されている。また、よく見ると、5㎜四方のダイヤモンドの形や三角形の形が規則的に、そして巧みに刺繍されていて、1つの模様を浮かび上がらせていたる。ミシンとかないだろうから、これを手作業で全て縫ったのだとしたら、どれだけの回数針を布に通したのか、想像ができない。
刺繍を売っているのは分かるけど、何を目的としたものかが分からない。布が15センチ四方という微妙な大きさだ。刺繍をした部分をどこかに縫い付けて、ワンポイントのお洒落にするのかも知れないけれど、ザンドロス国の女性が着る浴衣で、刺繍を縫い込んでいるのを着ている人がいないから、服に縫い込む用の刺繍ではないように思う。
「何に使うんですかね? 」と私はワシュテアさんに聞いた。
「お手本によ」
教えて差し上げてございますのよ、というように彼女は自分の黒い長い髪を払いながら言った。ひどく尊大だ。その説明では、教えていることになりませんのよ、と私は思った。
「シエルの刺繍の柄は、アルウェルス族には目新しいものだから、シエルのを参考に刺繍をするの」と、プリスキラさんが言った。接客が一段落したらしい。
プリスキラさんが、ワシュテアさんと桁違いに親切に教えてくれた。
もうすぐ、冬が来る。冬の間、家の中にいることが必然的に多くなる。冬の間、アルウェルス族は、暖炉の前にいることが多くなるらしい。男性は、次の年に使う鍬などの農機具の修復と、収穫した小麦をひたすら石臼で挽いていたりするらしい。女性は布を織ったりするらしい。そして、刺繍をするのも冬が多い。アルウェルス族の女性は、自分のオリジナルの刺繍の模様を持つらしい。だから、シエルさんの刺繍を買っていった女性は、自分のオリジナルの刺繍をまだ考案していない、若い女性が多いらしい。なるほど、客層が若い女性だったのもなんとなく納得できた。
刺繍を買っていく女性も、模様のベースは、彼女達の母親から教えてもらった刺繍の柄がベースとなるらしい。それをベースにして、自分オリジナルの刺繍の柄を考えていくそうだ。
ちなみにベースとなる柄は、家々で、色使いとか模様に特徴があるらしく、見る人がその柄を見たらどこの家の出身か分かるらしい。柄を見たら、誰々さんのお孫さんですね、とか、誰々の娘さんですね、とからしい。プリスキラさんには悪いけど、ちょっと誰の娘とか孫とか分かるという話は、話半分に聞いた。ちょっと実感し難い感覚だ。
アルウェルス族の女性は、自分だけの柄を作り、それを夫にプレゼントするそうだ。夫は、それをいつも持ち歩く。メジャーなのが手拭いらしい。前の世界で言えばハンカチということだろうか。自分オリジナルの柄の入ったハンカチをいつも持たせるとか、ちょっと恥ずかしくないのかなとも思うけど、まぁ、そういう文化らしい。ロトラントさんとか、3人も妻がいるのなら、いつも3個手拭いを持ち歩いているのだろうか。汗拭き用とか手ふき用とかお尻拭き用とか、極端な使い訳をしていたら嫌だと思う。
ちょっと暗い話だと、戦闘に行く際には、妻の刺繍の手拭いを首に巻くらしい。首という、人間の急所の1つを守るという意味もあるらしいけど、生き残った兵士が、死体からその死んだ兵士の遺品を回収しやすいのが、首に手拭いを巻く大きな理由らしい。生き残った兵士がザンドロス国に持ち帰った手拭いを見て、その人の妻は、自分の縫ったものは、一瞥すれば分かるので、それで夫の戦死を知るらしい。
シエルさんの作ったという刺繍、何個かはプリスキラさんの刺繍らしいけど、すぐに完売した。もともと、10個も無かったから、売り切れるのはすぐだった。品物を見極めながら、縫い方などを真剣な眼差しでシエルさんから聞いている女の子達が印象的だった。自分オリジナルの刺繍を考えなければならないプレッシャーなのかな、なんて思っていたけど、たぶんそれは違う。きっと、好きな人がいるのだろう。自分だけの刺繍をプレゼントしたい相手がいるのだろう。そう思った。