5−12
後宮から宮廷に向かう。私は例の如く馬車に乗る。ペニナさんも私の向かいの席に座っている。今日も、社交会の模擬練習をするんじゃないのかと思った私は、その疑問をすぐにペニナさんに聞いた。
今日は社交会の模擬練はしないらしい。どうやら前回の私の対応が『洗練されていた』らしく、これ以上の模擬練習の必要性を感じなかったとのこと。私の『機転が効いて』いて、『気品のある所作』は、彼女もアヒトフェルさんも、『1日にニワトリが2個卵を産んだこと』くらい驚いたらしい。たぶん、私は褒められて伸びるタイプなのかも知れない。
宮廷に着いた。また、ダンス会場にて練習を開始する。相変わらず私は最初は見学をする。ダンサーさん達が第1のダンスから第4のダンスまでを踊っている。
それにしてもアヒルドさんとヘロデアさんの第4のダンスは凄い。ハンナさんのハープを弾くスピードも凄い。残像が見えるような気がする。そんなに早く弦を弾いたら、指が切れてしまうのではないだろうかと思ってしまう。エディタさんの馬頭琴も、葉加瀬太郎が「エトピリカ」を弾いているくらいの激しい感じ。曲調は違うけどね。
踊っている2人も凄い。アヒルドさんが背中を地面に付けて、両足を天井に向けて垂直に上げている。そして、ヘロデアさんが彼の両足の上に背中から乗り、皿回しのようにくるくると回っている。時計回りだ。時計回りに回るのは、異世界も前の世界も共通なのかなぁ、なんて意味不明な感想しか出てこない。もうすでに、ダンスの領域からはみ出ている。雑伎団の域だ。これは一般人には無理だろう。この2人の第4のダンスのレパートリーも凄いと思う。社交ダンスからサーカスまでを守備範囲にしている。
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さて、私も参加しての練習。相変わらず第1のダンスだ。そしてその後の反省会。
ヨシャファトさんからは、右足の運びが重いと指摘された。
アビナダブさんは、左腕と二の腕の角度が開きすぎですと指摘された。
エリホレフさんからは、頭がまだ上下に揺れていると指摘された。
アヒルドさんからは、重心の移動が不自然。腰から滑らかに足へと移してと指摘された。
そして、アヒトフェルさんから、また顎が下がっていましたと指摘される。
はっきり言って、はっきり言っちゃうけど、はっきり言って良いのかも分からないけど、はっきり言うと、指摘が細かすぎ! 私は聖徳太子じゃないんだから、一度に全部の指摘事項を意識しながらダンスなんて出来ないし。
「あの、すみません。無理です。無理です。そんなにたくさん無理ですよ」と、私は叫んだ。
「申し訳ありません」と、アヒトフェルさんが言っていた。
「私、もう第1のダンスはいやです。同じのばっかり、飽きました」と、私は止まらない。「これ以上、練習をするというなら第1のダンスは嫌です。第2のダンスを練習したいです」と私は言う。
直立不動で、頭を深く下げて、一列に並んだダンサーの人達。そして、離れた所で、ダーンという音が響き、そしてぶぁーんという音が響いた。音の響いた方向には、音楽を弾いていた人達が直立不動していた。そして、ハープが倒れていた。おそらく、慌てて立ったハンナさんが、ハープを倒してしまったのだろう。
その光景を見て、私は少し冷静になった。少なくとも、さっきの私の状態を、ぶち切れた状態というのだろうか、と考えられるほどに頭から血は下っていった。午前中の、羽根ペンの性能の悪さの性で、イライラが蓄積していて、それがさらにダンスの指摘の細かさによって火が付き、爆発したのだろう。
とりあえず、倒れたハープを起き上がらせようとしているハンナさんの手伝いに行く。だって、楽団の他の人達、直立不動で下を向いているばかりで、彼女の手助けをしようとしていないんだもん。雰囲気を壊しちゃったのは私で申し訳ないけれど、舞踏会からいきなり葬式みたいな雰囲気になるのはみんな、過敏すぎだよ。
私はハンナさんに向かって小走り。下を向いたままのダンサーの人達とアヒトフェルさんの前を素通りした。失礼だとは思うけど、いちいち細かい指摘ばっかり言うあっちも悪いと思う。大声を上げた私も悪いとは思うけど。
ハンナさんはハープを45度くらいまで起こした。結構重そうだ。木製なのは外側だけで、残りは弦って感じだけど、見た目より重いのかなぁ。
ハンナさんは、私が彼女に近づいたことに気がついたようだ。首だけで私を見た。そして、また、ハープを落とした。また、ぶぁーんという音が響く。今度は、ハンナさんの足下に落ちた。
ハンナさんは大丈夫だろうか? 小指とかにあのハープが落ちて直撃したら、相当痛そう。
「ハンナさん、大丈夫? 」と、私は全速力に切り替えて彼女のもとへ行った。
「申し訳ございません」と、彼女は私の顔を見るなり、しゃがみ込み、両手を顔に当てて泣き始めた。
「あ、泣かないで。大丈夫だった? 」という私の声をかき消すくらいの大声で、彼女は泣く。「申し訳ございません。申し訳ございません」と、ずっと繰り返しながら泣き叫ぶ。倒れたままのハープ。私もしゃがんで、彼女の髪を撫でる。
「大丈夫だった? 怪我はない? 」と私は問いかけるも、彼女は「申し訳ありません」を繰り返すばかり。
そして、彼女が泣き続け、私が彼女を介抱するという状況が続く。他の誰も動かない。誰も何も言わないで時間だけが流れていく。
「ササキ・アリサさま、本日の練習はこれで終わりにしてよろしいでしょうか? 」と、いつのまにかアヒトフェルさんが私の後ろに立っていた言った。
「え、はい。どうぞ」と私は言った。この状況で、練習もなにもないだろうと思った。
ダンサーの人達とハンナさん以外の楽団の人達が、ダンス会場から引き上げ、ペニナさん、アヒトフェルさん、私、そして泣いているハンナさんが残った。
ハンナさんが泣き止むまでが大変だったというか、私が傷ついたのが、ペニナさんに「ササキ・アリサ様がお慰めになっても逆効果です。彼方にお飲み物をご用意いたしておりますので、あそこでゆっくりとご寛ぎください」と言われたことだ。私、完全に悪者扱いされているじゃん。もしかして、私って、後宮物語によく出てくるような意地悪な人キャラだったのだろうか。
私が泣かせてしまった(と他の人が思っているであろう)ハンナさんが泣き止むまで、離れた場所で、蜂蜜レモンを飲む私。客観的に見て、おそらく私が悪の親玉に見えるだろう。女の子を泣かせて、それを高見の見物している悪女。それが今の私、なのだろうか。とても心外。
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ハンナさんは何とか泣き止んで、ダンス会場を後にしたあと。ハンナさんが扉から出て行くのを見届けたあと、私が座っている(他の人から見たらふんぞり返っていると思うのかなぁ)椅子の所まで、アヒトフェルさんがやって来た。ペニナさんも一緒だ。ペニナさんはハンナさんを後宮まで送っていくのだろうと思っていたのに、少し意外。ハンナさん、無事に後宮まで帰れるのかな。
彼等が私に近づいてくるのが分かったから、私は椅子から立ち上がった。まず、私から謝るのが筋だ。みんな一生懸命やってくれているのに、私が勝手にイライラして雰囲気をぶち壊してしまった。
「アヒトフェルさん、ペニナさん、本当にごめんなさい」と、近づいてくる2人に私は深く頭を下げる。陳謝だ。
ト、ト、ト、ト、トと、彼等の足音が聞こえる。2人が近づいてくる。
頭を下げて地面しか見えない私の視界に、男性の靴先が入った。アヒトフェルさんのだろう。
「ササキ・アリサ様、どうかお顔をお上げください」と、アヒトフェルさんの優しい声がした。私を責める訳でもはない。でも、私は頭を上げない。別に反省しているという態度を見せたいからじゃない。本当に悪かったと思っているからだ。
「ササキ・アリサ様、どうかこれ以上はどうか。頭をお上げください。ササキ・アリサ様は何も悪くございません」と、ペニナさんの声がした。決まりが悪いような、困ったようなペニナさんの声だ。私が悪いことをして、謝罪する事に関して、ペニナさんが困るようなことなんてないと思ったから、私は顔を上げない。
「本当にすみませんでした」と私は再度言った。私の声は、すぐに地面に当たり、そして反射して、天井に拡散をする。山彦するほどではないけれど、反響は良い。
「どうかお顔をお上げください」と、アヒトフェルさんは言った。
ずっと頭を下げたままの私。
そしてしばしの沈黙。
「しかたありませんね。ペニナさん、お願いします」とアヒトフェルさんが言った。
「はい」というペニナさんの声。そして、ペニナさんが私に近づいてくる気配がした。私の、すぐ真横に立っている感じ。ペニナさんのつま先と、私の踵の距離が、握りこぶし2つ分もない位近い。
「ササキ・アリサ様、失礼致します」というペニナさんの声と同時に、私の額とお尻にペニナさんは手を当てて、力を加えた。私の額に当てたペニナさんの左手は、上方に向けて力が入っている。そして、腰に当てた右手は、前方向に力が入っている。
どういうことになったかと言うと、腰を90度に曲げて頭を下げていたという私の体勢は、下げた頭を上方に持ち上げられ、突きだしたお尻を前に引っ込められ、私の体勢を直立姿勢に移行させた形だ。もし、私の額とお尻を触ったのがアヒトフェルさんだったら、間違いなくセクハラだ。
そもそも、頭を私が上げないからって、とんだ酷い仕打ちだ。どこの世界に、頭を下げて謝っている人間の頭を無理矢理上げさせる世界があるだろうか。時代劇でも、そんな場面見たことない。必死で地面に額を擦りつけて土下座している人に、水戸黄門的な権力者は「そちの願い、合い分かった」と情をみせるか、「問答無用、打ち首獄門」と言われてどっかに連行されて、二度と登場しなくなるかのどちらかだ。土下座している人のチョンマゲを引っ張り、無理矢理頭を上げさせるなんてシーン、見たことないよ。もし、チョンマゲを引っ張ったら、カツラが取れてしまうとか、そういう時代劇の事情でそういうシーンがないということも言い切れなくもないけど、ちょっと、ペニナさんとアヒトフェルさんの仕打ち、酷い。
「ササキ・アリサ様が頭を下げることなどございません。不肖アヒトフェル、謹んでお詫び申し上げます」と彼は真面目な声で言った。真面目な顔をしているかは、彼が頭を下げていて、表情を見ることができないから分からない。アヒトフェルさんとペニナさんは、なんだかんだでふざけているのではないかと思った。しかし、そうではないようだ。
でも、ペニナさんが強引に私の上げた頭を上げたせいで、どこか、謝る気というか、悪いことをしたなという気が失せてしまった。なにかの茶番みたい。ダンス会場の入口から、「成功! ドッキリ」とかいう看板を掲げながら、ダンサーや楽団の人達、そしてハンナさんが笑顔で、そして得意げな顔して入って来そうな気がする。
どこか、悪かったという気持ちもどこかへ吹き飛び、なんか疲労感だけが腰と太ももに残った。
「ササキ・アリサ様、お飲み物のお代わりは如何ですか? 」という、ペニナさんの言葉で、私は落ち着きというか、唖然とした気持ちから立ち直った。
「あ、お願いします。せっかくですから、3人でゆっくり飲みませんか? 」と私は言った。
「かしこまりました。アヒトフェルと私の飲み物とコップを用意して参ります」とペニナさんは言って、その場から離れた。アヒトフェルさんも顔を上げて、椅子を運んで参ります、と言ってどこかへ行ってしまった。
アヒトフェルさんは、出口と関係のない方向に歩いて行く。壁に向かってあるくというような感じ。アーチ上の飾りの中には、偽の窓とそこから見える風景が描かれている。まさか、あの絵の具で描かれたような窓からも出入りできるのだろうかなんて思った。彼は、そのまま窓脇に吊り下げられているカーテンの中に消えて言った。あ、舞台袖とかのように、カーテン見えないようにされている出入口があるのだろう。まぁ、秘密の出入り口は、宮殿には必須なものなのだろう。それに、こんな100メートルはあろうかというような長方形の部屋で、出入り口が長方形の短辺の側にしかないなんて、不便だしね。
そんなことを考えながら、そして、蜂蜜レモンをちびちび飲みながら2人を待っていると、先にアヒトフェルさんが椅子を2つ運んできた。彼が部屋かれ出て行って、30秒くらいでダンス会場に戻ってきた。早い。あそこは、椅子とか机とかの置き部屋なのかも知れないなと思った。
そして、問題なのは、椅子を持ってくるアヒトフェルさんだ。なぜか帽子みたいに椅子を被って、そしてその被っている椅子の背もたれに上手にもうひとつの椅子の脚を引っ掛けてバランスをとりながらこちらへ向かって歩いてくる。アヒトフェルさんは、勢いを失った独楽のように左右に不規則に揺れながらこちらへ歩いてくる。いやいや、その体勢でこっちにこないでよ、と思い、蜂蜜レモンを持って、テーブルから立ち上がり、窓の方へ避難した。あと10個くらい椅子を重ねたら、立派なサーカスの芸のひとつになりそうである。
アヒトフェルさんは、私が先ほどまで座っていたティーテーブルのところまでやってきた。
「ササキ・アリサ様は、そちらにおいででしたか」と、すこしお茶らけた声で彼は言った。いや、こっち来なくていいからね!
「よっとぉ」と言いながら、彼は深く屈伸し、そして、ロケットみたいに体を一気に上へと延ばした。勢いに乗った椅子2つは、一番上のが右へ、帽子にされていた椅子が左側へと一瞬だけ舞い上がりすぐに落下していく。そして、落ちてきた椅子それぞれをアヒトフェルさんは、手で掴み取った。そして、何事もなかったようにそのまま椅子を並べた。私の座っていた椅子のテーブルを挟んだ反対側に置く。
なんだったのよ。最初から普通に両手で運んでよ、とは思ったけれど、気にしたら負けだ。私も、普通に椅子の場所に戻って座る。あたかも、貴方が戻ってくるのが遅かったら、私は退屈で窓を眺めていたのよ、というような気取った感じで椅子に座った。アヒトフェルさんの椅子の運び方に私の注意を根こそぎ刈り取られてしまったが、私は先ほどの、頭を下げていた私の頭を無理やり上げたという不愉快なことを忘れたわけではないのだ。
私はもとの椅子に座った。彼もそれを確認したのに、自分の椅子に座った。
「ササキ・アリサ様へのダンス指導に関し、私の行き当たらない点が多多あったこと、お詫び申し上げます」と、アヒトフェルさんは真面目な顔して言った。彼の口ひげは、湿気のせいか、いつもよりしょんぼりしている。
「あ、それは私が悪かったと思っています。私こそすみませんでした」と、私も謝った。丸いテーブルの上に、頭を下げ合う私とアヒトフェルさん。もし、動物学者がこの場を観察していたら、雌を奪い合うために、互いの角を突き出しているトナカイに似ていると言うかもしれない。
なんとなく、私が頭を上げないと彼は頭を上げなさそうだったので、先に頭を上げた。
「本当にすみませんでした。ハンナさんを泣かせてしまいましたし。お願いですからアヒトフェルさんも頭を上げてください」と私は言った。
アヒトフェルさんは頭をゆっくりと上げた。
「ハンナは、アルウェルス族の中でも、屈指の箜篌の使い手でございます。あのように、恐がりで内気な性格ではございますが、腕は確かでございます。どうか、御寛恕を」と彼は言った。
「ご寛恕をとか言われても、別にハンナさんに対して怒っていないので」と言う私。なんか私がハンナさんを取って食わんとしているみたいな言いぐさだ。
「それを聞いて安心致しました」と彼は言った。
「えっと、クゴって、彼女の弾いている楽器ですよね? 」と、私はアヒトフェルさんに念のために聞いた。ハープを弾いていると思っていたのだけれど、アヒトフェルさんの言葉の使い方からして、彼女は箜篌の奏者なようだ。
「彼女が先ほどまで弾いていた楽器の名前でございます。あれですね」と、先ほど楽団の人達がいた場所に置いてあるハープを、アヒトフェルさんは指差しながら言った。
彼が差しているおは、間違いなく私がハープだと思っていたもの。うん、どうやら私は楽器の名前をずっと勘違いしていたようだ。でも、ハンナさんに「ハープ」って、楽器名を確かめた気もするけど、きっと彼女が内気だから、私の間違いを訂正できなかったのだろう。
遠くから音が響き、ペニナさんがダンス会場に入ってきた。コップとピッチャー以外に、皿のようなものを左手に持っているのが見えた。
ペニナさんは、私のコップに新しい蜂蜜レモンを注ぎ足し、自分たちの分も注いだ。2人のコップは、私ののような硝子ではなく、木製だった。七竈の木が使われているのだろうか。
「何の話をされていたのですか? 」とペニナさんは言った。自分のコップを持って、最後の椅子に座った。
「ハンナについてです」と、アヒトフェルさんが言った。
ペニナさんの表情が一瞬固くなったのを、私は見逃さなかった。彼女も、私がハンナさんに対して何か、彼女に対して良くないことをしようと思っているのだろうか。もうペニナさんとは3日間、四六時中も一緒にいるのだから、私がそんなことをするような人間じゃないって分かって欲しいのだけれど、まだ、彼女に私自身という人間を理解してもらうには時間がかかるのだろう。
「ササキ・アリサ様は、ハンナの大嘗祭の調べをお聞きになったことはありますか? 」とアヒトフェルさんが聞いた。
「もしかしたらハンナさんが弾いてくれたかもしれませんが、分かりません」と私は答えた。
ハンナさん、いろいろな曲を弾いていてはくれるけど、曲名までは教えてもらっていない。
「まだ御前でハンナが弾いたことはないと思います」と、ペニナさんが補足した。
「アヒトフェル族に伝わる曲の中の最高峰と呼ばれる曲。是非、今度リクエストしてみると良いでしょう」とアヒトフェルさんが言った。彼のいつもの優しそうな笑顔だ。
「へぇ、どんな曲なのですか? 」と、私は聞いてみた。
「私は聴いたことがないので分かりかねます」と、アヒトフェルさんが言った。
「は? 」と私は思った。そして、一差し指と中指を重ね合わせたくらい口が空いた状態のままで、ペニナさんを見た。
「私も、聴いたことがないのです」とペニナさんは慌てて言った。そんなに慌てて手を動かすと、コップの中の蜂蜜レモンが床に零れちゃうよ。けっこう、蜂蜜の汚れって、しつこいんだよ? 濡れた雑巾で3回くらい綺麗に拭かないと、砂糖が固まったようあざらつきが残るんだよ。
とにかく、アヒトフェルさんは、自分が聴いたことがない曲を人に勧めていたのだろう。ちょっと、それなくない? でもそういう人、いるんだよね。大学の同級生にもいた。
『ねえ、アリサ。プロ倫読んだ? 』なんて聞いてきた同じ学科の子。プロ倫、つまり、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のこと。学科で流行っていたのは知っていた。
「あ、読んだ事ない」と答えた私に、「えぇ、それやばくない? 」みたいなリアクションをしたあと、「じゃあ私が貸してあげるよ」なんて言った子。
でも借りた本を読んで、その彼女も最後まで読んでいないことが簡単に分かったんだよね。だって、最初の20ページくらい迄は、品のないピンク色の蛍光マーカーでアンダーラインが3行おきくらいに引いてあるくせに、それ以降はぱったりとアンダーラインがなくなるのだもの。
それでいて「プロ倫、アリサちゃん読んだことないらしかったから、私が貸したのよ」みたいなことを言い触らすんだもの。
まぁ、そんな前の世界の話はともかく、聞いたこともない曲を人に勧めるってどうなのよ。
「あの、どんな曲なのか聞いたことがないのに、最高峰って、なんか凄いですね」と、私は嫌みを少しだけ含めて言った。
「ええ。そうなんです」と、当然のことのようにアヒトフェルさんは答える。当然のように言われてもなぁと思う。
「まぁ、貴重な曲を弾くことのできる子なのです。大嘗祭の調べに関しては、馬頭琴での調子はすでに廃絶しておりますし。残っているは、ハンナの箜篌と、デボラの龍笛の調子なのです」と、ハンナさんが言った。
私は、デボラさんって誰? 思ったけれど、聞き流した。
「あの、私、ハンナさんを虐めたりしていないですよ? 」と、私は言った。さっきからの2人の言葉の言い回しは、ハンナは、良い子なのですから、虐めてはだめですよ、という風にしか私には聞こえない。
「あ、いえ。そういうのではないのですが、ハンナは引っ込み思案な子なのです」と、ペニナさんが決まりが悪そうに答えた。
「それは分かっていますけど」と私は答えた。見ればわかるわよ、そんなこと。
そろそろ本題に入りましょう、とアヒトフェルさんは言う。
「ササキ・アリサ様が、第2のダンスの練習をされたいお気持ちはわかりますが、今のササキ・アリサ様の技量では、第2のダンスは踊ることはできないのです」と、アヒトフェルさんは言った。まっすぐに私を見つめ、諭すように。
「さっきは、すみませんでした」と言い、「練習しないと踊れるようにはなりませんよね。明日から、またしっかり練習します。ただ、第1のダンスばっかりだと嫌になることがあるので、第2のダンスも練習したいなぁ、なんて思っただけです」と言った。
「そうなのですね、分かりました。第2のダンスも練習に取り入れることをお約束いたしましょう。しかし、第1のダンスを十全に踊れないと、第2のダンスを踊れないのです」と、彼は言った。
アヒトフェルさんは、社交会でのダンスについて説明してくれた。
第1のダンスは、自己紹介を兼ねながら踊るものであるとともに、相手のダンスの技量を確かめるためのダンスでもあるらしい。第1のダンスには、刈り入れ直後のサイロと同じくらいに、ダンスのエッセンスが詰まっているらしい。
ザンドロス国では、第1のダンスを踊らなかった人をダンスに誘うのは重大なマナー違反。それは前に聞いていた。
そして、ダンスを誘った相手に恥をかかせるのも重大なマナー違反らしい。もし、社交会に私が参加して、第2のダンスを誰かに誘われたとする(アヒトフェルさんは、まずそういう事態はないでしょうが、と付け加えた。それにちょっとイラッとした)。
万が一、誰かが私を第2のダンスに誘い、私と踊ったとする。そうすると、私のダンスを観衆は、「ササキ・アリサ様は、なんて見難いダンスを踊っているのでしょう。なんてかわいそうなことでしょう。きっと、あの男が、無理やりにダンスを誘ったのだわ」と言って、そのダンスを誘った相手を非難するらしい。率直に言うと、ダンスが下手すぎる私をダンスに誘った人が非難されるらしい。その相手は、暗黙のうちに社交会出入り禁止が確定するそうだ。
もちろん、社交会に参加する人もそんな軽率なことはしないから、第1のダンスで私の力量を踊りながらしっかりと計るそうだ。そして、第1のダンスの私の拙いダンスで、「あ、第2のダンスをこの娘と踊ると、大変なことになる」と悟るそうだ。
そして、結局、誰からも第2のダンスを誘われることはないそうだ。
「え? じゃあ、社交会に出て、第1のダンスは踊るけれど、第2のダンスを誘われたことがない人っているの? 」と私は聞いた。
「ダンスの練習は日々されますし、ずっと、ということはないですが、第2のダンスを誘われるようになるまでに年月を必要とされる方は、確かにいらっしゃいます」と、アヒトフェルは答えた。
「ロトラントさんの奥様方はどうなんですか? 」と私は聞いた。たぶん、3人とも誘われるのだろうとは思うけど。というか、ロトラントさんが夫としてダンスを誘わないと駄目だしね。
「皆様、第2のダンスを誘われますよ。引く手数多といったところでしょうか」とペニナさんが言った。
ほらやっぱりみんな踊れるじゃない、と私は思った。
「大丈夫でございます。ササキ・アリサ様なら、あと3年も練習すればきっと、第2のダンスを誘われるようになります。このアヒトフェル、懇切丁寧に指導させていただきます」と、力強く言った。
「え? あと3年? 長くないかな? 」と私は言った。
「そんなことはありません。ササキ・アリサ様は大変、筋がよいのです。もしかすると、2年半で、大丈夫かもしれません」と彼は言った。でも、語気は弱まった。
半年、短くなったけど、それでも長い。そもそも、社交会に出席しても、第1のダンスを一緒に踊った人が皆、「あ、この人とは第2のダンス、無理だな」とか考えながら私と踊ると思うと、きついものがある。しかも、それを、第2のダンスを踊ろうと誰も誘いにこないという結果ですぐに確認できてしまうのも嫌だ。あ、今日も駄目だったな、なんて思いながら壁に突っ立ているのって、すごい悲しい。ダンスを誘われるけど、それを断って壁に立つのが壁の花だ。誰にもダンスを誘われないで、壁に立つのは、ただの壁のシミでしかないだろう。社交会がどれくらいの頻度であるか知らないけれど、何回もそんな体験をしないといけないって、拷問じゃん。
「ちなみに、彼女達、どれくらいその辛い期間を経験したの? 」と、私は聞いた。
「申し訳ございません。ロトラント様に嫁がれる前のことは分かりかねます」と、ペニナさんが言った。
そういえば、彼女達との茶話会で、社交会でロトラントさんがなんとかという惚気を聞いた気がする。その頃には、第2のダンスに誘われるほどの腕前だったのだろう。
「ラウラ様のことなら分かります。第2のダンスをとある方に初めて誘われたのが、ラウラ様が出席された4回目の社交会でした。期間で言うならば、3週間と少しでしょうか。ラウラ様は、とても素晴らしいダンスを踊られたのですが、最初の社交会など、とても緊張されたご様子でしたので」とアヒトフェルさんが言った。
4回目で3週間と少しって、週1ペースじゃん、と私は思う。それに、ラウラ様って誰よ。
「そうだったのですね。それは初めて伺いました」と、ペニナさんが言った。
「最初の社交会の時、あまりの緊張で旨く踊れず、その後、涙を貯めながらも気丈に振る舞っておいででした。その御姿を見たとき、私の力量の無さを痛感致しました」と、アヒトフェルさんが言った。
やっぱり拷問じゃん。社交会という場で、さらし者にされているんじゃん。
「そして、より一層努力され、4回目の社交会で、ついに誘われたのです。あの時の、嬉しそうなラウラ様の顔、私の目に焼き付いております。見事な踊りでございました。また、社交会の後、この私めに、労いの言葉をお掛けくださったこと、私の一生の宝でございます」と、アヒトフェルさんは言った。雛が巣から飛び立っていく姿を見つめる親鳥みたいな目で、窓の外を眺めていた。
それだけ聞くと、すっごく良い話のように聞こえるけど、短くとも2年と半年、つまり120回くらい社交会でその辛い経験をしなければならない私の身になってよ。それは無理ってもんだよ。
というか、おかしいじゃん。アヒトフェルさん曰く、筋が良いと言われた私が、2年半くらいの練習が必要とか言っていて、ラウラっていう人は、緊張しなければ初参加で第2のダンスも誘われただろうというような話は。矛盾しているし。
「あの、ラウラさんという方は、どれくらいダンスの練習をされたのですか? 」と私は聞く。
「12歳からでございます」と、アヒトフェルさんが言った。おそらく、彼がずっと指導していたのだろう。12歳からって、私もう、23なんですけど。
「第2のダンスを誘われたのは? 」
「社交会への参加が許される17歳の誕生日を迎えられて、第4回目の社交会です」
「毎日練習していて? 」
「はい。ご体調がすぐれない時以外は欠かさず練習されていました」
5年間かぁ。英才教育を受けたような感じの人でも、3回失敗しちゃう位の難易度だ。これは、無理だね。私、諦めた。
そもそも、後宮に入って90日後に会えるというロトラントさんに、貴方の妻になるとか聞いてないわよ、と文句を言うつもりだったのに…… 。なぜ、最短で2年半後の社交会での第2のダンスデビューを目指して、日々、ダンスの練習をしなければならないのか。
「ごめんなさい。私、ダンスの練習止めます。無理です」と私はきっぱりと言った。どう考えても無理だし。
読んでくださりありがとうございます。




