5−9
朝食を食べ終わり、諸々の朝の用事を済ませること30分。家庭教師の先生は私の部屋へとやって来た。家庭教師の先生は女性だった。後宮にはロトラントさんしか入れないということなので、女性だろうと思っていたが、予想通り女性だった。簡単に、先生が自己紹介をしてくださった。アプレ先生という名前らしい。家庭教師になるまでは、アルウェルス族の情報官をやっていたらしい。情報官って何? と思ったけれど、情報を収集するスパイ的な何かだろうと勝手に想像した。
だって彼女、ボン・キュ・ボンな体の割に、明らかにサイズが小さく体にぴっちりとした浴衣を着ていて、体のラインを異様に強調している。ってか、七五三の7歳の時に着る様な子供用のサイズの浴衣を、成熟した大人が着ているから、酸いも甘いも知り尽くしたようなお色気たっぷりのくノ一のような感じなっている。裾も、膝より大分上に上がっているしね。そういう着こなし方もあるのねっていう異文化理解の勉強にはなったけれど、真似をしてみようとは思わない。
ハニートラップが得意な女スパイが前職というのが、私の彼女に対する第一印象だ。
彼女は、自己紹介が終わると、さっそく授業に取りかかった。まずは、文字の勉強ということらしい。彼女は、風呂敷から紙束をいくつか取り出し、その束の一つを私に渡した。ちなみに彼女の持っていた風呂敷の外面には毛皮が見えるので、動物の皮を加工して作った風呂敷のようだ。しかも風呂敷は豹柄だ。キャラを作り過ぎだろうと思う。
紙束は、紙の束じゃなかった。動物の皮の束だった。そしてその皮にはびっちりと文字が書き込まれている。手書きだ。写本ってやつなのだろう。ロゼさんにもらった本(タキトス村が戦場になったせいで、教会の私の部屋に置いていたはずが、略奪されたのか何処へ行ったか分からないけれど)は、すべて活字だった。この先生の渡してくれた本は、ところどころインクが滲んで読みにくい。
「ササキ・アリサ様、まずは私の朗読を聞いてください。今日は、対応する文字を学んで戴きます」と、アプレ先生は言う。私は、文字の読み書きを出来るんですがと言って良いのか分からないから黙って聞くことにした。
「風は即ち吾等が心
吾等は即ち風也
風と吾等は同じきなり
東に太陽の出づるあるも
西に月の出づるあるも
南に嵐の出づるあるも
北に敵の出づるあるも
此の理同じきなり」と先生が朗読をした。
「アルウェルス族なら誰もが諳んじているこの歌ですが、文字で書かれると、お手元にあるように記されます。文字という物は、人の口から人の耳へと伝えなくとも、このように歌の感動を伝えることが可能なのですよ」と、先生は続けて言った。
私は、この歌というか詩が、感動するポイントがよく分からなかったけれど、先生の隣で立っているペニナさんは感動に打ちひしがれているようだから、きっと「アルウェルス族」の感性に響く内容なのだろう。要約すると、風と共に生きる、だろうか。なんか、飲料メーカーのキャッチフレーズみたいだ。
「次はゆっくりと詠み上げますので、感覚でよろしいので文字を指で丁寧に追いながら私の後に続いて読んでください」と先生は言う。英語の授業でお馴染みの、「Repeat after me」というやつだ。それにしても、いきなり復唱せよとは、どんだけ授業の展開が早いんだと思う。きっと既にこの詩を暗記していることが前提なのだろう。暗記していたら、単に文字と音を対応させる作業となる。まぁ、文字を未学習の人には、この手書きのミミズが這ったような文字は、何がなんだか分からないだろうけど。
私は、先生の朗読に続いて、この詩を読み上げる。
「ササキ・アリサ様、少しよろしいですか? 」と、先生が「西に月の出づるあるも」を朗読したところで朗読を止めた。
「はい。なんでしょうか? 」と先生に尋ねる。
「ササキ・アリサ様は、既に文字が読めるのですか? 」と、先生が聞く。
「え? なんでですか? 」と私は驚く。文字が読めることに関してばれる要素がなかったと思ったからだ。
「ササキ・アリサ様の指での文字の追い方、あまりにも正確過ぎます。それに、私の朗読を耳で聞いて口にしているというより、目で文字を追って口にしているという感じですしね」と先生は言った。
あぁ、確かに、と私は思った。だって、先生が一度に朗読する個所が長いから憶えきれないし、間違えて朗読しないように本を読みながら読んでいた。
「はい。読めます」と、私は正直に答えた。嘘付くのも悪いしね。状況的に言い逃れできなさそうだし。
「それならそうだと早く言ってくださいまし」と、先生は声を大にして言う。
「すみませんでした」と、私は反射的に謝る。
「ササキ・アリサ様に今日から3ヶ月文字の読み書きを教え、それからザンドロス国の歴史について教える予定でございましたが、文字の読み書きは教える必要がないということでございますね」と先生は続け様に言う。
「すみません」と、私は謝る。ペニナさんをチラ見したけれど、ペニナさんは下を向いている。
「それならば、また3ヶ月後にここへ参ります。まったく、時間の無駄を致しました」と言って、先生は、私の持っていた本をさっと取り上げ、風呂敷で本を包み直して部屋を出て行った。
私は、それだったらザンドロス国の歴史の授業を前倒しでやればいいじゃん、なんで3ヶ月後? と思ったけれど、それを言う前に先生は颯爽と部屋を出て行った。扉を豪快に開けて出たあと、閉めもしない。
私はあっけにとられる。何だったんだあの人、というのが頭の中をぷかぷかと浮いている疑問だ。
「ササキ・アリサ様、申し訳ございませんでした」と突然謝り出すペニナさん。
私は完全に不意を突かれた。深々と頭を下げているペニナさん。そして、部屋の外から一瞬、部屋を覗いていたハンナさんの顔が見えた。家庭教師の時間は、ハンナさんは部屋の外で待機していたのかも知れない。きっと今の部屋の状況を見て、とっさに隠れたのだろう。たぶん、私がペニナさんを叱咤しているという勘違いもきっとしているだろう。
「ササキ・アリサ様が既に読み書きを修得されていたとは露知らず、申し訳ございません」と言うペニナさん。
いや、誰にも言っていないし、たぶん、ロトラントさんも知らないだろう。洞窟に書き置きをしたけれど、私がその書き置きをしている所をロトラントさんも見ていないはずだし。ペニナさんは悪くないと思う。悪いのはロトラントさんだろう。
「いえ、私も言うのを忘れていてすみませんでした」と、彼女に言って、いろいろこの現状を詳しく聞いた。どうやら、3ヶ月間文字を教え、その後の3ヶ月間ザンドロス国の歴史を教えるという手筈にアペレさんとなっていたらしい。そして、私が文字を読めるということが分かったせいで、彼女は3ヶ月後に来るだろうということ。つまり、読み書きを教える3ヶ月間の彼女への給料を、ミラスコロード家は払い損をした形となるらしい。それだったら今から3ヶ月、ザンドロス国の歴史を学び、その後他の事を学べばいいじゃないとペニナさんに提案したけれど、そういう融通は利かないらしい。私は、なぜそこが融通が利かないのかが大いに気になるところではあるけど、まぁ気にしたら負けなので聞かないで置く。
まぁ、結論としては、3ヶ月の間、午前中は私の自由時間となった。まぁ、結果オーライだ。それに3ヶ月経った後も私がこの後宮にいるかも分からないしね。
私は、この自由となった午前中で何をしようか考えた。ペニナさんの説明では、家庭教師を手配したのは彼女の失態になるということらしい。べつに彼女は悪く無いと思うけれど、そうなるらしい。私が「ペニナさんの責任ではないと思います」とフォローしたけれど、「ササキ・アリサ様のお言葉はありがたいのですが、私の不明は私の不明です」と彼女は強く断言する。
彼女は、「こうなってしまっては仕方ありません。私は、今から南に向かいます。この失態の責任を取り、死ぬまで南に歩き続けます。ササキ・アリサ様に置かれましては、ご自愛とご健勝のほどを」とか意味不明なことを言い出し始める始末。
結局、私が自主的に読み書きの勉強をするということで話がまとまった。「御寛容、感謝いたします」と、涙を流すペニナさん。いつの間にか部屋に入ってきていたハンナさんも何故か涙を流している。
「しゃしゃさき・ありしゃ様の寛大さ、はんにゃ感動いたししゅた」と言って、さらに号泣するハンナさん。いやいや、鼻水拭いてよ。
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その後、ペニナさんが、獣皮紙と羽ペンと墨を持って来た。これで読み書きの勉強をしてくれ、ということらしい。そして、本はこの後宮には無かったらしい。紙とペンのみ渡されて、自習するというのもかなりの無理がある。落書きでもしたいけれど、ずっとペニナさんが傍らに立っている状態ではそれには無理がある。困った。困った私は、ペニナさんにお茶を注文し、ハンナさんに適当な音楽を弾くようにお願いした。
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ペニナさんの注いでくれたお茶を飲みながら、この獣皮紙と羽ペンと墨で何をしようかと考え、この時間は読み書きの為の時間という趣旨に則り、エクレシア語についてまとめてみることにした。ロゼさんの魔法で不自由のないエクレシア語だけど、しっかりまとめてみよう。どうせ暇だし…… 。
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日本語は、外国人にとっては学習しにくい言語だと言われることがある。だけど、エクレシア語に比べれたら日本語は学習しやすい言語であっると私はエクレシア語と比較して思った(ロゼさんの魔法で習得できて、本当によかった)。
だって、エクレシア語、日本語と比べると複雑過ぎるんだもん。
まず、エクレシア語のびっくりする所は、人称によって、単語が変化するということだ。まぁ、英語で言うなら、「I」が主語なら、動詞は「HAVE」になって、「SHE」が主語なら「HAS」に変化すると言った、3単元のSと呼ばれる規則のことだろう。英語くらいならまだ易しいというか許せる。しかし、エクレシア語は、人称の単数か複数かによっても、細かく単語が変化するのだ。「LOVE」という英語の、愛するって意味の動詞を、無理矢理エクレシア語をアルファベット風に表記すると、「私が愛する」なら「LOVO」になる。そして、「あなたが愛する」なら「LOVEIS」、「彼/彼女が愛する」なら「LOVEI」、「私達が愛する」なら「LOVOUEN」、「あなた方が愛する」なら「LOVETE」、「彼等が愛する」なら、「LOVOUSIN」となる。
日本語の感覚から言ったら、動詞の中に既に主語が含まれているという、意味の分からない状況になってしまっている。まぁ、エクレシア語の便利な所は、「LOVO」という単語だけ書けば、「私が愛する」という意味になり、わざわざ主語を書く必要な無いってことかな。
でも、これはまだ序の口で、受け身、つまり、「愛されている」と言った場合にも、また単語が変化する。
「私は愛されている」なら「LOVOUAI」で、「あなたは愛されいる」なら「LOVEE」、「彼/彼女は愛されている」なら「LOVETAL」、「私達は愛されている」なら「LOVOUETHA」、「彼等/彼女等は愛されている」なら「LOVETHE」、「彼等が愛する」なら「LOVNTAL」となる。もうこの辺からは、英語ともかけ離れた言語になっていることが如実に分かるだろう。しかし、まだ、実は単語の変化に関して、まだ5分の1も紹介し終わっていない。どんどん行こう。
次は、未来形の能動態だ。「(未来において)私が愛する」なら、「LOVSO」とになる。そして、「(未来において)あなたが愛する」なら「LOVSEIS」、「(未来において)彼/彼女が愛する」なら「LOVSEI」、「(未来において)私達が愛する」なら「LOVSOMEN」、「(未来において)あなた方が愛する」なら「LOVETE」、「(未来において)彼等が愛する」なら、「LOVSOUSAIN」となる。活用表を作るだけでも、挫折しちゃいそうだよね…… 。
さらに、「私が愛し続けている」というように、過去から現在まで続いている状態を示す単語の変化。それは、不規則な変化を除けば単純に語頭に、「E」を付ければいいだけだから、比較的に分かりやすい。「私が(前から、そして今も)愛している」なら、「私が愛する」という意味の「LOVO」の単語の前に、「E」を付けて、「ELOVO」にすればいい。そして、「あなたが(前から、そして今も)愛している」なら「ELOVEIS」というようになる。
だから、前の世界の告白の定型句(私も高校の時に言ったことがある)である、「ずっと前から私はあなたを好きでした! 」を、エクレシア語風に言うと、「ELOVO TOUTON !」という風になる。
ちなみに、「あなたを」という指示代名詞は「TOUTON」ね。この指示名詞も、「あなたを」というときは「TOUTON」だけど、「私はあなたに言う」という場合の「あなたに」という時は「TOUTO」に変化するなど、結構訳がわからない状況となる。
英語だと、I LOVE YOU、つまり、「私はあなたを愛する」という時も、「YOU」という単語を使えるし、I TELL YOU、つまり「私は|あなたに言う」という場合でも「YOU」を使える。しかし、エクレシア語では、あなたをという場合に使う時と、あなたにという意味で使い分けるときを、明確に使い分ける。これはドイツ語とかに近い特徴かなぁ?
改めて考えると、エクレシアの人達はこんな複雑なエクレシア語を不自由なく操っているのは凄いと思う。そして、私が、エクレシア語を自力で学習するハメにならなくてよかったことに、ロゼさんに再度感謝! 。
そして、私は、こんな複雑なエクレシア語をどうやって獣皮紙でまとめればいいのか大いに悩む。パソコンとかじゃないから、推敲も出来ないし。消しゴムとかないから一発勝負にどうしてもなってしまう。誤字脱字衍字は許されない。昔の人って、どうやって本を書いていたんだ? 明治の文豪とかだと、原稿用紙をくしゃくしゃにして捨てるイメージがあるけど、たとえば、紫式部は、紙が貴重な時代に、修正のできないであろう墨汁か何かを使って、どうやって源氏物語を書いたのか不思議すぎる。
それにしてもどうやってまとめていこうか…… 。
文法書のようにまとめればいいのかもしれないけれど、語学の文法書って退屈で読んでいて眠たくなってしまう。私自身が、書きながら寝てしまいそうだ。まあ、ペニナさんに言ってしまった手前、やらざるを得ない。それに、本人が私の右後ろにたって絶えず私を見ているしね。
これなら、ダンスの練習の方が、まだ良いかもと思う。
午前中、エクレシア語についてあれこれ考えて見たが、獣皮紙の一番上に「エクレシア語文法」とだけ書いて、その後、まったく筆が動かなかった。何から書けば良いのか検討が付かない。
アルファベット的な物から書き始めればいいのだろうか。「A」は、「APPLE」の「A」とか、「B」は「BOOK」の「B」とかだろうか? それもと、名詞や動詞など、各品詞の説明から書き始めていけばよいのか。それとも、簡単な会話文から始まって、徐々に難しい話をしていけばよいのだろうか。第2外国語の入門教科書は、「こんにちは。私は、日本から来た有沙・佐々木です。23歳です」みたいな自己紹介的な会話文が第1課だったりしていた記憶がある。
「ササキ・アリサ様、そろそろダンス練習のお時間です」と、ペニナさんが話しかけきた。私は、羽ペンの先、ガチョウか何かの白い羽に自分の息を吹きかけて遊んでいた。エクレシア語の文法書の本文を一行も書かないうちに完全に行き詰ってしまった。午前中、窓越しに外を眺めていた時間と、羽ペンで遊んでいた時間がほとんどだ。もちろん、いろいろ頭では考えていたけれど、うまくまとまらなかった。
私は、墨の入った壷に蓋をする。ペニナさんは、羽ペンを私から受け取り、ペン先を汚れた布でふき取った。
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私とペニナさんは、昨日と同じように馬車に乗って移動をする。
さて、ダンス練習だ。練習は昨日の続きからだろう。
昨日は集中して見れなかったが、第2のダンスは、曲調もゆったりとしたロマンティックなダンスだ。社交ダンスの種類で言えば、ウィンナー・ワルツに近いと思う。
ヨーロッパの社交会で、若い男女が愛を育みそうな踊りと言ったら良いだろうか。昨日ぼんやりと眺めていただけだが、第2のダンスで難しそうなポイントが2つあった。1つ目が、女性側が回転しながら男性の右側から左側へ移動する動作だ。たぶん、いろいろ駄目出しをされそうだと思う。2つ目が、男性の右手に体重を支えられながら、思いっきり体を反らなきゃ行けないところがある。腰に回された手で体を支えられているという極めて不安定な状況で、体を反らしながら右手を優雅に伸ばさなければならない。後ろに倒れ込むような形で…… 。外から見ている分には優雅な感じがするけど、やっている本人は、バク転をするような意気込みで頭を思いっきり地面に向けて反らなければならないから、怖い気がする。踊る男性がしっかりと支えてくれるということを確信していないと出来ない行為だ。男性が自分の体重を支えきれず、自分が床に頭から落ちるとか、痛いだろうし、周囲から見てもイタイだろう。
「ササキ・アリサ様、これを」と、ペニナさんは二つ折にされた羊皮紙を差し出してきた。
私はそれを受け取る。
外には、大きな文字で『招待状』と書かれていた。この招待状という文字は、筆の様な物で書かれているように思う。全ての文字の最初の一文字目が、巻き貝のような外巻きのクルクルから書かれ始めている。書体も特徴的だ。文字の横線が細くて、縦線が横線よりも3倍くらい太い感じ。この文字を書いた人が、意図的に横と縦で、書かれている文字の太さを使い分けていることは明らかだ。この世界にも書体という概念があるんだぁと思った。
もし本を書き上げたあと、「書体をゴシックから明朝体に直してください」なんて言われたら心折れそう。パソコンで作っていたら、書体の変更なんて一瞬だけど、手書きだとそういうわけにもいかないだろう。
ペニナさんから渡された招待状の中身は白紙だった。私は、これを渡して来たペニナさんの意図がわからなかったので彼女を見る。
「本日は、ササキ・アリサ様が社交会に招待されたという仮定で、社交会場までの入場も模擬したします。具体的には、馬車を降りるところから始まり、会場に到着するまででございます。この紙は、主催者が招待する相手に送るものです。中身は書かれておりませんが、本来であれば、日時などが書かれているそうです」と、ペニナさんが説明してくれた。
「あ、これを受付係に渡せばいいのね? 」と、私は答える。まぁ、結婚式で受付に招待場と祝儀を渡すイメージで大丈夫だろう。
「ご見識、三嘆致します」と、ペニナさんに褒められた。それで正解なのだろう。
「この、表紙に書かれている『招待状』って、社交会の招待状ということなんですね。けっこう凝った感じで書かれていますね」と、私は言った。
「ええ。このような上質の羊皮紙で、このシンボルが付いていたら社交会の招待状だと誰でも分かるようになっております」と、『招待状』と書かれているところをペニナさんは指差しながら言う。
私は、招待状と書かれているのだから招待状なのは分かるだろうと思う。それに、「シンボル」って何? と思った。
「シンボルって? 」と、私は聞く。
「そちらに描かれているものでございます。ササキ・アリサ様は文字をお使いなされるので、読めば分かるのだろうと思いますが、私はその文字の意味は分かりません。ただ、描かれている形が、招待状を意味する形なので、招待状と分かるのでございます」とペニナさんが言った。
私は、ペニナさんの言っていることがよく分からなかった。たぶん、文字が読めない人でも、黄色い文字で、「m.」と描かれている看板を見つけたら、そこはマクドナルドだということが分かるというのと同じ原理だろうか。まぁ、私もMcDonald'sってお店に書かれているけど、途中の「D」がなんで大文字なのかとか分かっていないから、その意味を完全に理解しているという訳ではないしね。そう言った意味では、私も「m.」というマークというか、シンボルというか、むしろ商標で理解をしているのだろう。
まぁ、ロゼさんの滝行の魔法で一瞬のうちにエクレシア語を理解できるようになった私には分からない苦労が、ペニナさんにはあるのだろう。
「今日は、ロトランド・ミラスコロード・アルウェルス様と大変親しい方から社交会の招待を受けた、ということになっております。私が、大変恐縮ながら、ロトラント・ミラスコロード様の役を入場まで務めさせていただきます。
また、アヒトフェルが、社交会の主催者を演じておりますので、よろしくご対応お願いします」と、ペニナさんが言った。
いや、よろしくご対応ってなに? と思ったら、馬車が止まった。
「ササキ・ミラスコロード・アリサ様、および、ロトラント・ミラスコロード・アルウェルス様、ご到着」と馬車の外から声がした。たぶん、この馬車を運転していた御者さんだ。ってか、そもそもロトラントさんと結婚したりなんかしていないから、ミラスコロードって名前が入っているのおかしいだろう! 、と思っているうちに扉が開いた。
私はペニナさんに続いて馬車を降りた。外では、入口の階段の下に、アヒトフェルさんやダンサーの人達が立っている。受付の人達も、アヒトフェルさん及びダンサーの皆さんが兼ねているようだ。まぁ、ただの模擬練習で、わざわざそれの為に人を用意されても気持ちが引いてしまうからまぁいいけどね。
「やぁ、ロトラント、よく来てくれた」
「こちらこそ、お招き、感謝する」とペニナさんが低い声で言って、アヒトフェルさんとペニナさんが軽く抱き合って、お互いの肩を叩いている。たぶん、親しい男友達同士の挨拶というのはあんな感じなのだろうけど、見るからに女性であるペニナさんが男役なのは無理があるだろう。ってか、アヒトフェルさんの胸板と彼女の豊満なのが密着している。
「ササキ・ミラスコロード・アリサ様もようこそいらっしゃいました。本日も大変お美しいですな。おい、ロトラント、どうやってササキ・アリサ嬢のハートを射止めたのかまだ聞いてなかったな、こんど是非教えてくれ」
「ああ、いいだろう。上等の酒をたっぷりと準備しておけよ」
「承知した。ははは」
アヒトフェルさんとペニナさんが、なんか楽しそうに勝手な会話を行っている。この模擬練習での会話の台本を書いたのは誰だ、と聞きたくなったけどまぁ、いいや。
あっ、そうそう。招待状を渡さないとと思い、アヒトフェルさんに招待状を差し出す。
「本日はご招待ありがとうございます。こちらが招待状です」と、それっぽく言ってみた。役に乗り切っている2人に比べたら棒読みに近いだろうけど…… 。
「ササキ・アリサ様、招待状は主催者本人ではなく、後ろに控えている者達に渡すのです」と、小声でアヒトフェルさんが言う。あ、そうなのか。
「ササキ・ミラスコロード・アリサ様、今宵は、お楽しみください」とアヒトフェルさんが言う。
「ありがとうございます。ではまた後ほど」と私はアヒトフェルさんに取り繕うように言って、ダンサーの人達に紹介状を渡した。そして、ペニナさんの手を取って、階段を上り宮殿の中に入った。
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ダンス会場に入った所で、反省会のようなものが始まった。招待状を渡す相手を間違えたところ以外は、とくに問題がなかったらしい。アヒトフェルさんからは、少し表情が硬かったです、なんて言われたけど、それは聞き流した。だって、いきなりロトラントさんとの夫婦設定で演じたりするのは無理だし。
あと、ロトラントさん役を演じるペニナさんのエスコートで階段を上がったけれど、ロトラントさんの奥さん全員が参加する社交会の場合はどういう風になるのだろうか。プリスキラさん、シエルさん、ワシュテアさんの3人をエスコートして階段を上るというよりは、美女3人を侍らしているというような感じになるだろう。まぁ、そんな時はどうなるんですかなんていう質問をしたら、そのバージョンの模擬練習もしましょうか、なんてアヒトフェルさんが言い出しかねないから質問しないでおくことにした。
読んでくださりありがとうございます。
この話に出てきたエクレシア語については、「登場人物紹介等」で、活用表という形でまとめております。ご興味のある方はご参照ください。




