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「ササキ・アリサさん、遠路はるばるご苦労様でした。さぁ、教会の中へ入りましょう。まずはあなたの部屋へご案内します」と、バルナバ神父が言った。
「はい、お願いします」
教会の扉を開けると、いきなり礼拝堂だった。左右に椅子が並べてあり、奥に壇上が見える。1つの椅子に詰めて座っても座れるのは5人だろう。椅子の列は15列あるから150人が座れる計算だ。そして左奥にはオルガンのようなものが置いてある。
「ここが礼拝堂です。後で詳しく説明をさせますが、礼拝の日にはササキ・アリサさんにも準備を手伝ってもらうことになります」
「はい、分かりました」
教会に住まわせてもらう以上は、それは必須なのかなと思う。
「さて、こちらに来てください」
そういって案内されたのが、右奥にある扉だった。どうやらここから生活場所のようだ。バルナバ神父の書斎、寝室、会議室、ダイニングキッチンなどを順々に案内されていく。
私の部屋は屋根裏だった。ほとんど梯子と言っていいような急な階段を登って右が私の部屋だった。ベットと机とクローゼットが置いてあるだけの部屋。ベットのすぐそばには窓がある。それにしても、夜にトイレに行きたくなったら、あの階段を降りなければならないのは怖いと思う。明かりも蝋燭しか無いようだから、暗い中を片手に明かりを持ちながら階段を降りるのは怖いだろう。
「ササキ・アリサさん、まずは荷物をこの部屋においてください。あなたの同僚を紹介します。彼から、有沙さんに奉仕してもらう仕事の説明があります」
ベットにリュックを置き、バルナバ神父の後に続いて部屋から出た。私も後に続いて部屋を出る。バルナバ神父は廊下を挟んで向かいの部屋をノックする。
「はい」
扉を開けて出て来たのは、私と同じ年齢くらいのローブを来た黒髪の男だった。瞳は青く、日本人の血が2割、欧米系の血が8割といった割合の顔立ち。ちょっとかっこいい。
「コルネリウス、この方が新しくこの教会で奉仕をしてくださるササキ・アリサです」
「コルネリウスです、よろしくお願いします」
「佐々木有沙です。コルネリウスさん、よろしくお願いいたします」
「さて、コルネリウス。ササキ・アリサさんに教会内の仕事を教えてあげてください」とバルナバ神父は、コルネリウスにそっと肩を置きながら言った。
「ササキ・アリサも、しっかりと仕事を憶えてくださいね。教会はいつも人手不足です」とバルナバ神父が言う。
「はい、一生懸命頑張ります」と私は元気よく言った。
コルネリウスから、毎日の教会内の掃除、洗濯や礼拝準備のレクチャーを受けた。この教会の礼拝が毎週定例であり、村の人が集まるそうだ。その礼拝の日は、朝早くから起きて、ロウソクをつけて廻ったりなどの準備が重要とのことだ。また、この村には時計が教会にしかなく、朝6時、昼12時、夕方6時の一日3回、教会の鐘を鳴らすのが大事な日課だ。村人は、この鐘の音で起床し、お昼を食べ、一日の仕事を終えるそうだ。
教会の仕事のレクチャーを一通り受けたら、夕方6時近かったので、練習を兼ねてコルネリウスと一緒に鐘を鳴らした。日本のお寺のように鐘を鳴らすのかと思っていたら違っていた。鐘の真下は、煙突のような空間になっていて、教会の礼拝堂まで続いている。その空間にはロープが通っていて、それを引っ張れば鐘が揺れてなる仕組みになっていた。この鐘を鳴らすのは、明日からは私の日課だそうだ。寝坊しなければいいのだろうけどなぁ。
明日は、礼拝のある日ということでバルナバ神父、コルネリウスと簡単夕食を済ませ、早めに部屋に帰った。ベットで横に鳴りながら、今日の夕食のことを思い出す。夕食は、枝豆みたいな緑色した豆とジャガイモの切れ端が浮いているだけのスープと、パンだけだった。
正直に言おう。この貧相なスープが出されたときは、私は虐められているのではないかと思った。あまりの貧相さに、バルナバ神父のスープもコルネリウスのスープを覗き見してしまった。でも同じよに貧相なスープだった。
どうやらこの村の通常の食事がこの水準なようだ。また、スープと言っても、豆、芋、塩、水が材料の全てです、というような味気ないもの。どんだけ質素な生活を送っているんだよと思いながら、部屋に帰って、寝た。
・
トン・トン・トン
うるさい。私はまだ寝るの。薄っぺらいタオルケットを頭まで被った。
トン・トン・トン・トン・トン・トン
本当にうるさい。
「ササキ・アリサさん、入りますよ」
ドタン、と扉が開く音がして、足音がどんどん近づく。窓を開ける音がした。少し冷たい空気が部屋に入ってくるのを感じる。そして足音はベットの手前で足音が止まった。
バサッ、私の布団がはぎ取られた。
「ササキ・アリサさん、早く起きてください」
私はゆっくりと体を起こして、目をこする。コルネリウスは私を睨みながら仁王立ちしている。
「礼拝の準備をする時間ですよ」
そうか、今日は礼拝のある日だから、もう起きなきゃ。
「コルネリウスさん、起こしてくれてありがとう。すぐに着替えるので、部屋から出ていただいてもよろしいですか」と私は言った。大きな絹のような肌触りの、無地のTシャツしか来ていないのは、流石に恥ずかしい。透けてそうだし。
「あっ、そうですね。二度寝はしないでくださいね」
コルネリウスさんは、はっとした顔をして、赤を紅くしながら部屋を駆け足で出て行った。私は、部屋の扉がしっかりしまったことを確認して、急いで着替えを始めた。
トン・トン
先ほどとは違い、優しいノックが部屋に響いた。
「ササキ・アリサ、水を持って来た。ここに置いておくから、使ってくれ」
「コルネリウスさん、ありがとう」
玄関の扉を開けると横に、水が入った丸い銀色のたらいが置いてあった。これで、顔を洗ったり、歯を磨いたりするのだろう。ありがたいと思う反面、素直に喜べない自分がいる。前の世界では、部屋は狭かったけど洗面台があり、蛇口をひねれば水が出て来た。生活水準の格差を感じる。風呂、トイレは別がいいな、と贅沢を言っていた私はもういない。ユニットバスでも大満足できそう。
これからは、毎日、顔を洗うのも一苦労となるのだろう。
礼拝の準備は、床の濡れたモップで掃除することから始まる。並べてある椅子を片方に全て寄せて、礼拝堂の半分を隈無く拭く。そのあと、椅子を雑巾掛けした方に移し、残りの半分も綺麗に拭いていく。その後は、椅子を綺麗に並べ直し、椅子にシーツを敷く。そして仕上げに椅子の脇にロウソク立てを配置し、それに灯をともす。
「コルネリウスさん、礼拝の準備、今まではバルナバ神父とコルネリウスさんでしていたんですか?」
「いえ、1人でしていましたよ。礼拝堂の準備は神父見習いの勤めですからね」
「1人でやっていたんですか!」
「そうです。椅子を1人で動かすのがとても大変でした。ササキ・アリサさんに手伝ってもらったので、今日はとても早く準備を終わらせそうです。ロウソクに火をつけるのは、少し休憩してからにしましょう。今から火を付けてしまうと、もったいないですからね。少し休憩にしましょう」
そういって、コルネリウスさんと私は、教会の外に出た。少し肌寒く、まだ外も日も出ていない。高い山の向こうにかかる雲が明るいが、その他には暗い紺青色の空が広がっていた。向こうから日が登るのだろう。
「まだ、少し寒いですね。喉が渇きませんか?水を飲みに行きましょう」
私は彼の後についていく。井戸の上には滑車が設置されていて、ロープの先にバケツが結び付けてある。片方は、水を引き上げる際に引っ張るのだろう。コルネリウスさんは、バケツを井戸に放り投げた。井戸の奥底からピチャンという小さな音が響いて来た。バケツが井戸の水面にたどり着いたのだろう。
彼は、ロープを引っ張る。結構きつそうだ。
毎日それを繰り返していたら手が血豆だらけになりそう、と思う。
「ササキ・アリサさん、水ですよ」
井戸から引き上げたバケツを私に差し出す。手を洗う為に先にバケツから水を流しだしてもらい、その後、両手で器を作って水を受け取った。そのままグイっと飲んだ。冷たくて美味しい。
「コルネリウスさん、今度は私の番です。バケツを私持ちます。コルネリウスさんが持ったままだと、手を洗ったりできないですよね?」
「ありがとうございます」
少しだけ恥ずかしそうにするコルネリウスさん。今まで彼は1人でどうやって水を飲んでいたのだろうかと疑問に思う。
私はバケツを受け取り、コルネリウスさんの手に水を流す。そして手の器に水を注いであげた。
「もうすぐ、朝日が登りますね。今日もいい天気になりそうです。良い一日になるとよいですね」と彼が言った。地平線の先の空が少し明るくなってきている。おそらく、あっちが東の方向、ということでいいのだろう。
「私にとっては、この村での最初の1日目です。教会での生活もなれるように頑張りますね」
「無理をしないでくださいね。私もササキ・アリサさんが生活に早く慣れるように、サポートしますので、困ったことがあったら、なんでも言って来てくださいね」と、彼は笑顔だ。
「よろしくお願いします。そういえば、コルネリウスさんは何歳ですか? 私は23歳です」
「私は、24歳です」
「あ、一歳年上ですね。あ、あと、コルネリウスさん。お願いがあるんですが」
「何ですか? 」
「私のこと、ササキかアリサって呼んでもらえませんか?ササキ・アリサって、フルネームなので違和感があるんですよ」
「そうですか、分かりました。ササキとアリサ、どちらがよろしいですか?」
「友達にもアリサって呼ばれていたので、アリサでお願いします」
「分かりました。アリサですね。私のこともコルネリウスと呼んでください。さて、そろそろロウソクに火を付けに行きましょう」
私たちが教会の中に戻る途中で太陽が顔を出した。空が暗い紺青色から青色に染まっていく。