5−7
馬車内での座席の位置は、私が進行方向を向いており、彼女が逆を向いている。向かい会っている形だ。
「ペニナさん、今から練習するダンスって、どんなのですか? 」と私は聞いた。ダンスだって様々な種類が有る。正直、この世界のダンスがどのような物なのか、想像が出来ない。はっきり言って、盆踊りとサンバの範囲内に収まっていてくれていれば嬉しい。異性と踊るのでも、情熱的な(主に腰の動きが)ダンスもあれば、ゆったりとしたのもあるだろう。正直、一糸まとわぬ姿で波に揺られるイソギンチャクのように腰をくねくねさせるような踊りが、ザンドロス国でダンスと言われている可能性だってある。極端な話、男女が裸で結合しながら動き回るのがダンスと認識されている可能性だってあるわけだ。私の倫理感に収まるようなダンスであって欲しいと、切に願う。
「ササキ・アリサ様に学んで戴くのは、アルウェルス族の流儀に乗っ取りながらも、どの部族の社交会に参加されても通用するようなダンスでございます。ロトラント・ミラスコロード・アルウェルス様の奥方となられるのですから、社交会にて風に揺られる一輪の木蓮とは参りませんが、常に咲き誇っている牽牛となっていただければと思います」と、ペニナさんが言った。
まぁ、私は彼女の説明を聞いても、さっぱりイメージが出来ないから、それに関してコメントのしようが無い。朝顔って、朝咲いて、夕方には枯れているのではないだろうかと私は思う。常に咲き誇っているっていう前置きの言葉が分からない。たぶん、高嶺に咲く花になって戴きますとか、ロトラントさんの後宮に居るっていうことで他の男は手出しできないという意味で、華麗に咲きながらも鋭い棘を持つ薔薇になって戴きますとか、そんなニュアンスで彼女は言っているのだろうと勝手に解釈をする。そうじゃなければ、朝顔に例えられるなんて、あまり気持ちが良い物じゃない。あっ、でも、源氏物語に夕顔って人が出てきたような気がしないでもない。もしかしたら、朝顔も夕顔も、私には分からないけれど、それに例えられた人は、まぁ良い気持ちがするのかもしれない。
・
最初に私が来た宮殿の前で馬車が止まった。馬車の扉が開いた。すでに馬車を降りるための階段が用意されている。御者の手を借りて馬車を降りて、宮殿の中に入った。
中では、アヒトフェルさんが待っていた。
「ササキ・アリサ様、随分とお綺麗になられましたね」と、アヒトフェルさんが開口一番に言った。
「ありがとうございます」と、私は言う。白髪で渋い人に、綺麗になられましたなんて言われると、なんとなく恥ずかしくなる。アヒトフェルさんは真顔で言っているから、お世辞か本音なのか良く分からない。まぁ、社交辞令なのだろう。もしくは、最初に会ったときは、汚れた服、土や泥まみれで、髪もぼさぼさという状況だったから、それに比べたら「綺麗になった」というよりは、「清潔になった」という意味が大きいかも知れないしね。
「ダンス場はこちらでございます」と言って、歩き始める。目の前にある階段は上らず、エントランスから右側の方に彼は歩いていく。そして私が後をついていく。そして、私の後ろにペニナさんが続く。
・
エントランスの右側の扉を開くと、長方形の奥行きがある部屋だった。天井もアーチ上になっていて高く、それがまず私の目に飛び込んできた。
「ここがダンス場でございます。アルウェルス族主催の社交会などはここで行われます」とアヒトフェルさんが説明してくれた。
目の錯覚かも知れないけれど、所々に立っている支柱が、上に行けば行くほど細くなっているような気がする。うん。私の近くにあった支柱を下から上へと目で追っかけたけれど、支柱の円周は、下が大きく、上に行けば行くほど確かに小さくなっている。もしかしたら人間の目の遠近感を狂わせるような設計になっているのかも知れない。天井に書かれている夜の星空も、結構上手に描かれていて、どこまでも続いていそうな感じに見える。
私と同じ位の背丈の銅像が置いてあり、それを基準にして計算すると、天井の高さは、私の身長の7、8倍以上はあることは確実だけど、それ以上は正確には分からない。
天井には、シャンデリアが3列で吊り下げられている。当然の如く電球ではなく、蝋燭なのだが、一個のシャンデリアに蝋燭が剣山のように刺さっている。どうやってこの蝋燭に火をつけたり、取り替えたりしているのかが気になる。普通の三脚梯子を使っても届かないんじゃないだろうか。それに、地震がきたりなんかしたらシャンデリアや蝋燭が落下してきて危ないのではないかと思う。
そして、次に目に付くのはその部屋の長さだ。右側には、幅3メートルくらいの上がアーチになっている大きな窓が10個以上続いている。どうやらこの部屋は、窓沿いに長く伸びているようだ。小学校の廊下を拡大した感じだろうか。
左側の壁には、右の窓と同じ形をした作り物の窓枠がある。そして窓枠の中には絵が掛けてある。私が立っているところから見えるのは、女性の人物画だ。後宮にあった人物画と同じようなものがここにも飾られているのだろう。
床も、木材というところも学校にそっくりだ。後宮の部屋や廊下は、石床だったし、この宮殿の玄関も石床だった。木製の床に、なんとなく心休まるものを感じる。
それにしてもこの床も凝っている。前の世界のフローリング材のような物が使われているようなんだけど、黒ずんだ木と茶色の木が交互に敷き詰められていて、シンプルなモザイク画のようになっている。その床がずっと奥まで続いているから、部屋の長さも余計に長く見えてしまうのかも知れない。
「ササキ・アリサ様、こちらです」とアヒトフェルさんが私の歩みを促す。この長いダンス会場の真ん中には、男女の集団がいるのが見える。
アヒトフェルさんは、その集団の前で足を止めた。
「こちらの者達が、ダンスを教えるもの達です」と、アヒトフェルさんが言うと、一斉に頭を下げた。男性4人、女性が4人。女性は私と同じように浴衣に布という服を着ている。やはり私もこの服装で踊るのだろう。ダンスならドレスなんじゃないのかと思うけど、それはきっと西洋風なのだろう。異世界風は、この服で踊るのが礼法なのかも知れない。
「エリホレフと申します」
「アヒルドです」
「アビナダブと申します」
「ヨシャファトと申します」
と、男性が左から順に名乗る。悪いとは思うけど名前を覚えることを私の頭は放棄した。
「トリファイナと申します」
「タファトです」
「トリフォサです」
「ヘロデアです」
次は女性達が名前を名乗る。だから名前を言われても無理だって。覚えられないし。そして名前を聞き流しながら思ったのは、トリなんとかさんと名乗った二人はおそらく双子だ。瓜二つだ。それに同じ髪型だから本当に見分けが付かない。着ている布の色が、薄紅色か、薄紫色かという違いしかぱっと見だと区別がつかない。
「ササキ・アリサです。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」と、私も挨拶をした。
「ササキ・アリサ様、あちらが音楽を奏でる者達です」と言ってアヒトフェルさんが歩き始めたので、私もそれに着いていく。ダンスにはやはりバックミュージックがあることにはすぐに納得できたけれど、わざわざダンスの練習の為に生演奏をしてもらうということには若干、引いた。贅沢過ぎるというか、人件費の無駄遣いじゃないか? とも思うけど、まぁCD、いやレコードすらないから、それはそれで仕方のないことなのだろう。
あ、ハンナさんがいる、と私は思った。彼女も、ハープを弾いていたから、ダンスの練習でもハープを弾くのだろう。
「アダヤと申します」と、鼓のような形の小鼓を持った男の人が名乗る。
「エディタです」と、馬頭琴を持った男性が挨拶をする。
「ハンナです」と、ハンナさんが言う。もう顔見知りだけど、その場の流れで名乗ったのだろう。
「メシュレメトです」と、木製のフルートのような物を持った女性が名乗る。日本の横笛に近いような気もするけどよく分からない。
それにしても、微妙に統一感のない楽器のチョイスだなと思う。古今東西入り交じり過ぎだよと思う。でも逆に言うと、私でもなんとなく見たことのあるような形の楽器がこの世界にもあるというのは、凄い偶然の一致だ。もしかしたら、楽器の形というのは、音色や響きの関係で、そう成るべくしてそう成ったというような物なのかも知れない。まぁ前の世界でも、音楽は国境を越えるとか、文化を越えるとか言われいたけれど、世界をも越えることができるという良い実証例なのだろう。
そういえば、タキトス村の秋祭りの馬頭琴の演奏や、お風呂に入っている時のハンナさんの引いている曲に対して、そこまで違和感を私は感じていない。普通に音楽として感じていた。それを考えると、ある程度普遍的な物があったりするのだろう。
と、いろいろ考えてる内に完全に相手の名前を忘れた。ハンナさん以外の名前、もう分からない。まぁ、しょうが無い。
「ササキ・アリサです。よろしくお願いします」と、私はまた名乗る。
「では、ササキ・アリサ様。今日は、第1のダンスの練習を致します。まずは、彼等が踊るのをご覧ください」と、アヒトフェルさんが言った。
「ササキ・アリサ様、こちらにお掛けください」と、ペニナさんが私に声をかけた。どこかへ行ったと思っていたら、ペニナさんは私の座る椅子を探して持って来てくれていたようだ。
私の練習の為に皆さん集まってくれているという状況で、その私が、椅子に座ってダンスを眺めるというのは、人としてどうなのかとも思ったけれど、せっかくペニナさんが持って来てくれた椅子に座らないのもどうなのかとも同時に思う。まぁ、座ることにした。ペニナさんが持って来た椅子は1つだし、持って来たペニナさんが立ちっぱなしというのも違和感があるけど、まぁ気にしたら負けだろう。
私が椅子に座ったのを見たのか、アヒトフェルさんが楽団に合図を送り、音楽がスタートする。踊りの手本を見せてくれる人達(ダンサー? )は、音楽がスタートすると、各々部屋の中央付近にゆっくりと歩いていく。
音楽は、タッ、タタタタン、というようなリズムが繰り返される。主旋律とかは無く、純粋にリズムを作るのが目的のように思える。ハンナさんの引いているハープの音色も、ポロン、タララランというような感じ。
「ササキ・アリサ様。お耳だけお借りいたします。ダンスが第1から第7まであるのはご存じですか? 」と、隣に立っているペニナさんが言った。お耳だけということは、目ではダンスをしっかりと見学していなさいということだろうか。まぁいいや。
「いえ、分からないです」と、私は答えた。
「それでは簡単にご説明いたします」と彼女は言う。
音楽の前奏のような部分は終わったらしい。一旦、音楽が止まった。そして、音楽が止まると、各々男女のペアを作り始めた。男性が右手を差し出し、それに女性が左手を添える感じでペアを作るようだ。
アヒトフェルさんが楽団に合図を送ったのが見えた。きっとダンスのペアが出来上がってから踊りの音楽を始めるだろう。男女のペアは、4人で小さな四角形を作るような配置になっている。
先ほどの前奏のような曲と同じ音楽が演奏され始める。
タッ、タタタタン、タッ、タタタタン、タッ、タタタタン、タッ、タタタタンというリズムある音楽が繰り返される。タッという音楽の早さが、手拍子と同じくらいのスピードだから、そこまで早いスピードではない。ダンスもゆったりとしたもののように思える。タッ、タタタタンが、1小節という感じだろうか。
最初の2小節の「タッ、タタタタン、タッ、タタタタン」で、男女が見つめ合う。そして、次の小節で女性が1歩男性に近づき、男性は女性の腰元に手を当てる。そして、次の小節で、右足を先に互いに踏み出して、踊り手の右斜め前に移動し、遅れてそして次では、左前に移動する。その際は左足を先に出している。
右前へ左前へという移動を3セットほど繰り返す。男女のペアの移動は、最初の配置を壊さないように左周りに円を描くようにも移動している。上空から見たら、最初の四角形が左周りに回転しているように見えるかもしれない。
そして、男女が一礼をして見つめ合う。そしてその後に、男性が自分の前の女性へと移動する。どうやらペアの交代が為されるようだ。そして、新しく組になったペアでも、最初の1小節の「タッ、タタタタン」で、男女が軽く頭を互いに下げるという最初の動きに戻る。そしてステップを繰り返していく。
前の世界で言うと、輪になって踊るフォークダンスに近いだろう。
「ササキ・アリサ様、第1のダンスはあのように踊ります。見ての通りでございます。社交会で、お互いの自己紹介を兼ねるダンスですので、男女のペアが作られた最初の1小節目で男性が名前を名乗り、次の小節で女性が名前を名乗ります」と、ペニナさんが説明してくれた。
なるほど、ただ見つめ合っているだけに見えたけど、自己紹介をしていたとは見ていて気がつかなかった。
「あれ? でも初対面じゃない場合は、どうしているの? 」と、私は聞いた。だって、互いに顔見知りで何度も自己紹介するのはおかしいじゃん。
「鋭いご指摘でございます。ご慧眼、感服致します」と、ペニナさんに褒められた。「その場合は、簡単な一言の挨拶を致します。この挨拶は、親密度合いによって変わってきますね。お久しぶりです、というような簡単な挨拶や、今宵もお美しいなど、相手のお召し物を褒める場合などがございます。また、親密な場合ですと、逢い引きの約束を交わしたりなどもする場合がございます」と、彼女は続けて説明してくれる。私はダンスを見ながらそれを聞いた。
「社交会のマナーですが、社交会に参加はしたものの、体調が優れず踊りたくない場合など、この第1のダンスに参加しなければ、それ以降のダンスに誘われることはまずございません。ですから、参加された社交会でダンスを踊るか踊らないかは、この第1のダンスが始まる前までにお決めください。男女ともに、この第1のダンスに参加することが、ダンス踊るという意思表示となり、引いてはダンスに誘われてもよいという意思表示にもなります」と、彼女は言った。
ふむふむ。この第1のダンスに参加しなければ、ずっと壁の花でいられるということなのだろう。それは良いことを聞いた。
「ですから、ササキ・アリサ様も第2以降のダンスで、お相手を探される時は、第1のダンスを踊っていた方のみをお誘いください。第1のダンスを踊っていないのに、それ以降のダンスに相手を誘うのは、重大なマナー違反です」と、彼女は続けて説明してくれる。
おそらく、私が積極的にダンスを誘うというようなことはない気がする。そもそも、第1のダンスに参加しなければ、それ以降も回避できるのであれば、そもそもダンスを私が練習しなくても良い気がしてきた。ペニナさんが馬車の中で言っていた表現を借りれば、ずっと柱に隠れている朝顔の花になればよい。蔓が柱に巻き付いて、けしてその場から離れることのない朝顔に…… 。
「あの、それじゃあ第1のダンスを踊らないようにしていれば、ダンスを練習する必要ってないんじゃないんですか? 」と聞いてみる。
「それはそうですが…… 」と、ペニナさんが困った顔をしながら言った。ペニナさんを困らせてしまったようだ。そうだよね。こんなダンスの練習会場の準備だけでも大変だっただろう。この天井のシャンデリアの蝋燭一本一本に火を付けていくのにだって相当時間がかかっているはずだ。気が進まないからやりませんなんていまさらだよね。それに、第1のダンスを見た限り、あまり難しいようなダンスでもないし、私でもなんとかなりそうである。
「あ、例えばの話ですよ」と、私はペニナさんに笑いかける。ペニナさんは少しホッとしたようだ。
「そうですか。たしかに踊ろうとしなければ踊ることはまずないでしょうが。しかし、ササキ・アリサ様は、アルウェルス族主催の社交会の主催者の一人となられることもあります。そのような方が踊らないというのは、あまりに招待客に対して礼にかけるといいますか。実際のところ、第4のダンスになると踊る方が限られてきます。そのような中で、主催者は率先して踊るのが、主催者の勤めと申しますか…… 」と、歯切れが悪いながらも懇々と踊ることの重要性を説くペニナさん。私は、彼女の肝を冷やしてしまったようだ。本当に悪いことを彼女にしてしまった。
音楽の演奏が止まった。ダンスの区切りも良いところだったから、おそらくこれで第1のダンスが終わったのだろう。
アルフェルトさんが私の方へ歩いてくる。私も椅子から立ち上がった。
「ササキ・アリサ様、第1のダンスは如何でしたでしょうか? 」と、彼は聞く。
「はい。どのようなダンスかよく分かりました」と、私は言う。
「ほぉ。ササキ・アリサ様は、イコニオン国でもダンスを嗜まれたことがございますのでしょうか? 」と、聞かれた。
イコニオン国では踊ったことはないけれど、前の世界の体育の授業でフォークダンスは習ったかな。小学生のときだったけど。あとは、ねぶたで毎年跳ねることかな。函館にも季節になると友達と遠征して、イカ踊りも何回か路上で歩きながら踊ったけれどね。
「いえ、特にないんですけど」と、答える。イカ刺し、塩辛、イカそうめん、食べたいなぁ。ワンコインであの量のイカ刺しは、東京では食べれなかったしなぁ。
「そうですか。いかがいたしますか? まず、第1のダンスを踊られますか、それともすべてのダンスをご覧になりますか? 」と聞かれる。
どうしよう。ちょっと困ってペニナさんを見る。
「まずはどのようなものかご自分で体験なさってはいかがですか? ササキ・アリサ様ならきっと素敵華麗に踊れます」とペニナさんは第1を踊ることを勧めている。そして私をさりげなくヨイショしてくる。
「あ、じゃあ、踊ってみます。よろしくお願いします」と私は言った。まぁ、踊ってみなきゃならんだろう。「ワだばゴッホになる! 」ならぬ「ワだば異世界のイサドラ・ダンカンになる! 」だ。その意気やよし! と、自分で気合を入れてみた。
音楽の前奏がスタートする。先ほど踊っていた男女4人に、私とアヒトフェルさんが加わった。先ほどとは違い、さっき踊っていた人達は、一旦ダンス会場のあちこちにばらばらに散っている。そして各々が中央に集まっていく。おそらく先ほどより実践的になったのだろう。社交会に参加している各々が、第1のダンスを踊るために中央に集まっていくというような、実際の社交会の状況を再現しているのではないかと思う。
私も中央に向かって歩き出す。緊張してきた。
そして音楽が止まる。この前奏が終わったタイミングで最初のペアを探す。
「ササキ・アリサ様、私に最初のお相手を」と、アヒトフェルさんが私に近づいて右手を差し出してきた。
「よろしくお願いします」と私は言って、私は左手を彼の手の上に添える。なんとなく手を差し出された手に手を置くって恥ずかしいもんだなぁと思う。なんかこういうさり気ないところではこの世界って、微妙にヨーロッパ風のお姫様風味があるんだよな。あくまで風味だけで、中身は全然違うけど。
アヒトフェルさんは、彼の右手に少し力を入れる。そして、すっと私を体ごと優しく引っ張る。ダンスを踊る配置に私を誘導してくれているようだ。今度は5人で踊るので、五角形を作るような配置になっている。おそらく、踊る人数によって配置は臨機応変に変わってくるのだろう。このダンス会場での社交会なら、300人くらいは余裕で入る。300人が踊るとなると、この部屋の形に合わせて、楕円形の卵の形のような配置を作るのだろうと勝手に想像する。
そして、音楽がまたスタートした。タッ、タタタタン、タッ、タタタタン。
タッ、タタタタン。あっ、前の女性が男性にすっと近づいた。そうだ、最初の小節で、私からアヒトフェルさんに近づかなきゃならないんだ。すっぽかした。と思ったら次の小節にアヒトフェルさんが私によって、私の腰に手を回す。無意識に私の背筋が伸びた。
右足から前へっと、そして、次は左足から前へと。一旦動き始めると、なんとか体が動く。
そして、ここで、アヒトフェルさんに一礼して、次の男性を待つ。そして、挨拶をして、相手の差し出した手に自分の手を添えて、そして、男性に1歩近づく。よし、今度は忘れずにやった。そして、次で、手を回されて、その次でステップを右足から。頭をフル回転して動作を確認しながら踊る。
輪舞曲は続き、私達も踊り廻り続ける。
アヒトフェルさんと踊るのもこれで4回目と思ったら、彼と4回目を踊ったところで音楽が変化して止まった。
「ササキ・アリサ様、お疲れ様でございました。いかがでございましたでしょうか? 」と、アヒトフェルさんが話しかけてきた。曲もゆったりしている分、息が上がるというほどでもないけれど、私は大きく息をついた。
「なんとか踊れました」と私は答える。それにしても、このダンスは、本来どれくらいの時間踊るものなのだろうか。この会場が満杯に近い状態で、そのほとんどの人が第1のダンスに参加するとして、全員と踊るまで、つまり一巡するまで踊るとしたら、途方もない時間がかかるような気がする。
「初めて踊るにしては素晴らしかったです。このアヒトフェル、感服致しました」と、賞賛してくれる。
「ササキ・アリサ様、素晴らしいダンスでございました」と、ペニナさんも褒めてくれた。
私って、もしかしたら褒められて伸びるタイプかも知れない。
「さて、ではより素晴らしいダンスとする為に、各々に気付いた点を申し上げさせましょう」と、アヒトフェルさんが笑顔で言う。
なるほど。具体的なアドバイスをもらうということだろう。本格的なレッスンぽくなって来た。
「では、お願いします」と、アヒトフェルさんが、ダンスを踊った人達に顔を向けて言う。
「はい。私が一番気になった点は、右足から前に出す際と左足から前に出す際の歩幅の違いです」と、ヨシャファトさんが言った。踊りながら3回も名乗られたから、名前は覚えることができたのだ。
「歩幅ですか? 」と私にはあまりピンとこない。右足から前に出すときと左足から前に出すとき、歩幅が変わるなんて自分では全く意識していない。普通に同じだと思うんだけどと、私は少し首を傾げた。
しかし、廻りの様子を見ると私と踊った男性は、うんうんというように首を縦に振っている。アヒトフェルさんまで彼の指摘が的を得ているような対応をしている。
「あまりご納得されていないご様子ですね。確かめる意味でも、一度、踊ってみましょう」とアヒトフェルさんが言って、楽団に合図を送る。音楽が鳴り始める。
私は、アヒトフェルさんと踊る。そして、右足を前に出したところで「ここで止まってください」と、アヒトフェルさんに静止させられる。
「ササキ・アリサ様、床の木目を使って、歩幅を計ります。ちょうど、右足を前に出された際には、板3枚分を移動していますね」と、アヒトフェルさんが言う。私の左足のつま先から右足のつま先を数えると、フローリングの横幅で数えて3枚分移動している。
「はい。そうですね」と私も同意する。
「では、また踊りましょう」と彼が言うとまた音楽がなる。そして、今度は私が左足から前にだして、左足が地面に着いたときにまたストップする。
「左足から前に出したときは、2枚と9割と言った所でしょうか」と、アヒトフェルさんが言った。確かに指摘された通りである。左足から前に出たときには、少し歩幅が短い。でも、本当に少しの距離だ。私の小指程の差も無い。細かすぎない? 本人が気付かないのに、よく他人が気付いたなと関心する。
「確かにそうですね。歩幅、違うようです」と、私は言う。
「その歩幅の違いが、相手を踊りにくくさせます。今回のような少人数で練習で踊った場合は、ササキ・アリサ様の癖として2回目、3回目に踊るときには合わせることができますが、社交会のような場合は相手が戸惑ってしまうだけでしょう」と、ヨシャファトさんが言う。
「同じ歩幅でステップを踏めるように体が憶えるまでは、都度、床の木目を見て確認されるのがよろしいかと思います」と、アヒトフェルさんが具体的なアドバイスをくれた。
なるほど。だからダンス会場の床は、石製ではなく、木製なのかも知れない。
「分かりました」と私は答えた。練習あるのみってことだ。
「課題が一つできましたね」と、笑顔で言うアヒトフェルさん。そして、「他に気付いたことがあるものはいますか? 」と言う。
「あります」と、ヨシャファトさんが口を開く。「ササキ・アリサ様は、もっと頤を引かれて踊られた方がよろしいかと思います。それに付随しますが、リズムに乗って頭が上下しています。すこし幼い印象を見る者に与えてしまいます」と続けて言った。
頤を引くというのは、分かった。リズムを取るために、頭を4拍子のリズムで動かしていたから、そのことを指摘されたのだろう。音楽のリズムに合わせて頭を動かすと、リズムに乗りやすいんだけど、それは駄目みたい。
「音楽のリズムには、体で乗るものです。頭だけで乗るのではないですからね。ヨシャファトが申し上げた通り、頤を引くことを意識していれば大丈夫かと思います」とアヒトフェルさんが言う。
「はい。分かりました」と私は言って、頤を引く、頤を引くと頭の中で反芻する。
「他にはありますか? 」と、アヒトフェルさん。
「歩幅に関しては既に、ヨシャファトがご指摘申し上げましたが、足を前に出した後の伸びが足りないかと思います。この伸びがないと優雅さに欠け、緩急のない惹きつけるもののない踊りとなってしまいます」と
アヒルドさんが言う。
つまり、私の先ほどのダンスは、優雅さに欠け、緩急がなく、見るべきもののない踊りだったのだろう。見るべきものがないと言っている割には、ちゃんと指摘事項を用意しているじゃんなんて思う。まぁ、ダンスの先生達だしね。それにしても、アヒルドさんの言っている「伸び」というものの具体的なイメージが出来ない。
「すみません。仰っている伸びというのは…… ? 」と右手を挙げて質問する。私が手を上げた瞬間に、みんなが何故かビクッとした。そんなに勢い置く上げてはないんだけどね。黒板に書かれている問題が分かった小学生が、嬉しそうに手を上げた時のスピードの4分の1以下なんだけど…… 。
「それに関しては、実際にご覧になった方がよろしいかと思います」と、すっと前に1歩進みでて、私とアルヒドさんの間に入るアヒトフェルさん。「ヘロデア、少し踊ってみてください」という彼は続けて言った。
「かしこまりました」と、ヘロデアさんが言って、少し離れた所に移動していく。
「ヘロデア。分かりやすいように木目に沿って真っ直ぐステップを行ってください。ササキ・アリサ様、分かりやすいように少し場所を移動致しましょう」とアヒトフェルさんが言う。
音楽がなり始めて、ヘロデアさんはステップを踏み続ける。私とアヒトフェルさんは、進むヘロデアさんの横を歩いて行く。
「次の右足を前に出したところで、止まってください」とアヒトフェルさんが指示を出す。
ヘロデアさんは、止まった。暫くして音楽も止まる。
「ササキ・アリサ様、伸びというのはこの形を作り出すことです」と彼が説明する。
体で直角形を作る感じだろうか。ヘロデアさんの頭と左足と床の角度が、60度くらいになるように見える。そして、左足と右足と頭を結んだ3点が直角を作っている感じ。たしかに、左足はつま先立ちをしていて、すらりと伸びている。確かに、綺麗だ。ギリシャ風の彫刻のような造形美を感じる。まぁ、着ている服が浴衣で布だから、少しヘレニズムチックな感じと言った方がよいだろうか。
「右足が地面に着いてから左足を動かす寸前までの刹那、この形を作りだします。これだけで、ササキ・アリサ様の踊りは、彩り豊かになります。では、左前の時も見てみましょう」と、私達はヘロデアさんの反対に移動した。左足を前に出して地面についた時も。右足で作った形と同様の形を作るらしい。
毎回、この形を意識してステップを踏むとか大変そうだなぁと私は思った。
「さて、ここで休憩を取ることに致しましょう。ササキ・アリサ様は椅子にお掛けください。ご休憩の間、彼等に第1のダンスから第4のダンスを踊っております。第1のダンスをご覧の際には、先ほど申し上げた点を意識してご覧いただくと、上達が早いかと思います」とアヒトフェルさんが言った。
私は、休憩するのは私だけなの? とアヒトフェルさんに突っ込みそうになった。さっきから踊っているのは彼等彼女等だし、休憩が必要なのはどちらかというと彼等彼女等だと思うのだけど。私なんて10分踊ってもいないと思うのだけど。まぁ気にしたら負けなので、椅子の方へ移動する。椅子の横では、ペニナさんが何やらお盆を持っている。お盆の上には壺とコップ。飲み物かな? コップが一つしかないのも、気にしたら負けだろう。
「ササキ・アリサ様、先ほどはご立派でございました。よくぞ振り上げた拳を下ろされました」と、椅子に向かう私の後ろを着いてきたアヒトフェルさんが言った。
「え? なんのことですか? 」と、私は立ち止まって振り返って聞く。
「先ほどのアルヒドのことでございます。今日初めてダンスを踊られたササキ・アリサ様に対して、優雅さに欠ける踊りなどと失言があったこと、私も謝罪申し上げます」と彼は言って頭を下げる。
「へ? 」と思う。いや、怒ってないし。少し気分が沈んだくらいだし。
「あ、いやいや、なんのことか分からないんですが、とりあえず頭を上げてください」と、頭を下げ続けているアヒトフェルさんに言う。
彼は頭を上げた後、「御寛容の程、感謝致します」と言ってダンサーズの居る場所へ戻って行った。
私が椅子に座ると、ペニナさんがコップを差し出してくれた。飲むと蜂蜜レモンだった。氷は入っていないけど充分に冷たくて美味しい。たぶん、汗を一杯かいたあとにこれを飲むと大層旨いのだろう。今も充分に美味しいけれど。
音楽が始まる。第1のダンスの前奏だ。
私は、先ほどのアヒトフェルさんの言っていたことを振り返る。彼の振り上げた拳というのは、質問のために手を上げたことかなぁ、と思い、先ほどと同じように右手を挙げてみる。どう見ても先生に対して質問がある時にするポーズだ。
「ササキ・アリサ様、お口に合いませんでしたでしょうか? 」と慌てたような口調で私の前にやって来て片膝をついた。お盆の上の壺が倒れるんじゃ無いかと思うくらい揺れている。
私は思う。え? 何これ? と。ペニナさん、目が潤んでるし。え? 何これ?
「あ、いえ。とても美味しかった、ですよ? 」と、出来るだけの笑みを作って答える私。
「では、何か至らない点が私にございましたでしょうか? 」と聞くペニナさん。
うむ。分からない。
「あの、ペニナさん」「はい! なんでございましょうか。ササキ・アリサ様! 」と、私の言葉を遮って即答するペニナさん。声大きいし、お願いだから私に喋らせて。
「この右手を挙げる動作って、何かザンドロス国で意味があります? 私の国では質問がある際にする動作なんですが。あと、私は何も怒ってもいないので普通にしてください。お願いします」と私は言いながら椅子から降りて、私も片膝をつく。ダンサーの人やアヒトフェルさんも、中央の方から私を遠目で見ている。ペニナさんの声が大きいから注目されてしまった。それに、さっきの私とペニナさんの体勢を廻りの人が見たら、私がペニナさんを虐めているみたいに思ってしまうじゃないか。
とりあえず、私はペニナさんの両肩に手を置いて、彼女を立たせた。そして落ち着かせた。そして、ペニナさんの話を聞いた。
どうやら、右手を挙げるというのは、身分の上の者が下の者を叱責するという動作らしい。女性の場合、つまり私の場合は、そのまま相手に平手打ち、ビンタをするというのが通例らしい。なるほど、そういうことだったかと納得が言った反面、すっごく疲れた。この国では、質問がある場合、どのような動作をしているのか逆に気になるところではあるけれど、なんかこれ以上、このことを深追いもしたくない。
ダンスーの方達が第4のダンスまで踊ってくれたけど、集中して踊りを見ることができなかった。そんな感じで1回目のダンス練習は終わり、私とペニナさんは馬車でまた後宮に帰ったのだった。
読んでくださりありがとうございます。




