5−3
お風呂を上がり、私は脱衣場にいる。体に付いた水滴をペニナさんに拭き取ってもらったあと、木の蔓で編まれた椅子に座るように促された。この椅子は、田舎の実家で祖父が膝に猫を載せながら座っていたロッキングチェアに似ている。私が其処に腰掛けると、ペニナさんが私にタオルケットのような物をかけてくれた。
このタオルケットの手触りからすると、素材は綿だと思う。石油繊維ってことはまずないだろう。
彼女は足置き台も用意してくれて、私はそこに足を伸ばした。もし、春の木陰でこの状態だったら、気持ちの良い昼寝が出来そうだと思う。
ペニナさんは何をやっているかと言うと、私の後ろに回り、私の髪を丁寧に拭いてくれている。髪の毛一本一本を丁寧に拭いているんじゃないかと思うくらい、手つきが優しい。
前の世界では、湯上がりにバスタオルで頭をがぁっと一気に拭いて、その後ドライヤーで乾かすというようなことをしていた。この世界にはドライヤーはないと思うけど、いま彼女がやっているような髪の吹き方が、髪には良さそうな気がする。
「ササキ・アリサ様。髪の毛を少しお手入れさせて戴いてもよろしいでしょうか? 」と彼女が聞いてきた。お手入れをさせて戴くって、なんかニュアンスが微妙に引っかかる。私が、彼女に、髪の毛のお手入れをさせてあげているみたいじゃん。昔話の悪役お姫様がしそうな表現をすれば、「殿上人たる私の華麗な髪の毛を、下々の人間であるあなたに、触れさせる栄誉を与えましょう」とか言って、お手入れをさせてあげているみたいじゃないか。まぁ、気にしたら負けだろう。
「お願いします」と、私は答えた。お手入れをさせてあげているのではなく、お手入れして戴いているのだ。この心持ちが大切だ。それにしても、小さい時からこんな至れり尽くせりの環境で育ってしまったら、どういう人格形成が為されていくのか気になる。
後ろから、カチリという小さな金属音がした。ちょっと驚いて体を背もたれから起こして振り向いて見ると、ペニナさんがハサミを持っていた。へぇ、この世界にもハサミって有ったんだと思ったが、冷静に考えると枝切り用の大きなハサミみたいな物は教会にもあったから、普通のハサミがあっても不思議ではないと思い直した。
「いかがなされましたか? 」と、彼女が笑顔で言った。お手入れって、散髪をするってことなのかと合点がいって、体をもとの体勢に戻した。髪ばしばらく切っていない。前の世界で最後に美容室に行った日から逆算すると5ヶ月近く髪の毛を切っていない計算になる。もともと髪の毛は長かったし、作業するときは後ろで一つに縛ったりしていたから、邪魔になるほどではなかったけど、整える程度のことはしたほうがよい。
「ペニナさん、どれくらい切るの? 」と、聞く。前の世界の美容室みたいに全面に鏡が置いてあったりしないから、彼女の様子が見えない。
「他の場所よりもお伸びになられているところを切ろうと思っておりますが、それでよろしいでしょうか? 」と答える。
「はい。それでお願いします」
私は、私の髪の毛にまで、お伸びになっているとか、そんな言葉を使わなくても良いのになぁと思いながら彼女に答えた。そして、私は目を閉じた。浸かった湯は、温く感じたが、体の中心が温まっているようで、体の内側から熱が発生していて、それが皮膚を暖めている感じで気持ちがいい。
散髪は、恙なく終わった。脱衣場で服を着せてもらっている時に、座っていた椅子の下を見たら、床には切られた髪の毛が落ちていた。4、5センチ程度の髪の毛が落ちたりもしているが、ペニナさんは言葉通り、伸びすぎた場所を切ってバランスを整えてくれたようだ。鏡があればいいのになぁ。脱衣場には、普通、鏡と体重計は置いてあるものでしょうに。元の世界だったらだけど。
「ササキ・アリサ様、服の準備ができてございます」と言って、棚から服を彼女は持ってきた。
服は、真新しかった。たぶん新品だと思う。けれど、この服は洋服ではなく和服に近い。白い無地の浴衣って感じだ。私が袖を通した後、私は両手を斜めに広げた。袂もちゃんとあるのが不思議。そして、ペニナさんが私の肩にかかっている服を何回か左右にずらした。浴衣の着方で言うならば、背縫いが体の中心に来るように整えているとでも言えばよいのだろうか。この服に背縫いがあるかは見てないからわからないけれど。
裾が長いのは、浴衣と同じだ。やはり、裾上げをするようだ。だが、ペニナさんの裾上げは半端ない。私の感覚では、踝のところまで上げれば良いと思うのだけれど、脹脛の真ん中まで上げている。子供用の浴衣を着て、裾が足りていませんという感じなんだけど…… 。私は彼女をじっとみるが、彼女はまじめな顔をして下前と上前を両手で持っている。おそらく、これがこの世界での正しい裾上げの位置なのだろう。
彼女が、私に腰紐らしき物を巻いてくれた。裾の長さはやはり脹脛で確定なのだろう。さよなら夏の花火大会よ。そういえば結局あの浴衣、1回しか着てないや。
私が、思い出に耽っている間、ペニナさんは背中の服のたるみを調えてくれた。そして、襟元をぐっと締める。そして、前や後ろやらの皺を伸ばしたり、襟を整えたりしてくれた。なんか浴衣とこの辺り似ているなぁ。そして、彼女は、胸ひもを結んでくれた。腰紐も胸紐も、普通の紐というか布の細長い感じだった。伸縮性のあるヒモ素材もきっとこの世界にはまだないんだろうななんて思う。
「ササキ・アリサ様、お疲れ様でございました」と、ペニナさんが言った。伊達締めのような物も巻いてくれるのだろうと思っていたら、そんなことはないようだ。残念。
それにしても白の無地って、寂しいなぁ。桜桃色のを着たいなぁ。せめて、藍色とか。中途半端に浴衣に似ている服な分、なんとなく不満が出ちゃった私である。
脱衣場から次に案内されたのは私の部屋だった。
ホテルにありそうな大きなダブルベッド、窓際にはティーテーブル。天井が高い。そして、衣装タンスのようなものもベッド脇においてある。日本の間取りで表現すれば、3LDKのマンションの壁を壊して、一つのワンルームに改修したような広さだ。でも、水周りはこの部屋にはなさそう。
「ササキ・アリサ様、必要な物がございましたら、なんなりとお申しつけください」と、ペニナさんが言った。
「あ、わかりました。何か気づいた時に言います」と、私は答えた。もしここがホテルとかだったら、ベッドに飛び込んでスプリングの感触を確かめたりしてるだろうなぁ。さすがに、今着ている浴衣のような服でそんなことをしたら、着付け直さなきゃならなくなるだろう。
「ササキ・アリサ様、失礼いたします」と、入り口側の角から突然声がした。
びっくりして振り向くと、ハンナさん角に立っていた。少しびっくり。部屋の角には、衝立が立っている。おそらくその衝立に隠れていたのだろう。
衝立の後ろ側に何があるのか気になったので言ってみる。隠し通路かなにかが有るのかな? なんて予想する。
だが、結果は、ハープが置いてあった。本当にこの楽器はどこにでも置いてあるなぁと思う。浴室にも、なんだかんだで3つくらいあったし、この部屋にもあるなんて。よっぽど、この国の人達は、音楽というかBGMがないと生活できない人達なのだろうか。ウォークマンとか販売したら売れそうだな、なんて思う。
「ササキ・アリサ様、いかがなさいましたか? 」と、ハンナさんが聞いてきた。彼女の後ろにはペニナさんも立っている。
「あ、いえ。この楽器、どこにでも置いてあるものなんだなと思って」と、私の心境をそのまま話した。
「はい。ササキ・アリサ様がいつでもご所望のものをお聞かせできるようにしております。なにかご要望の曲はありますか? 」と、ハンナさんが言った。少し胸を張ってうれしそうに言っているところが可愛い。
「ありがとうございます。でも、私、ハープの曲って全然知らないんです。ハンナさんが弾きたい曲を弾いてください。素敵な曲だと思ったときは、貴女に曲名を聞くようにしますので」
「ハープですか? ハープと言うのは…… ?」と、ハンナさんは少し首を傾げた。後ろのペニナさんも同様だ。
「え? この楽器ってハープですよね? 」と、私は衝立を指差しながら言う。あれ? 違うのか?
「あ、わかりました。よろしくお願いします。では、さっそく弾かせていただきますね」と、言ってハンナさんは衝立の中に隠れるように入って行った。私、何か失敗しちゃったのかな、と思う。
「ササキ・アリサ様、この部屋で少しご休憩なされた後、ロトラント・ミラスコロード・アルウェルス様の奥様方との茶話会にご出席していただきます。お疲れのところ申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします」とペニナさんが言った。
「わかりました。あ、ロトラントさんって、奥さんって、何人いるんですか? 」と聞いておく。
こんな質問をする機会なんて、前の世界ではおそらく一生無かっただろうと思う。愛人とかなら、「社長って、何人愛人いるんですかね? 」なんて、職場の給湯室で話したりとかなんとなくしてそうだけどね。この事は私がこの世界に来て、驚いた3大カルチャーショックの一角を占めるだろう。一番のカルチャーショックは、トイレがボットンだったことだけどね…… 。まぁ、日本の田舎とかでも、その様式のトイレはあるらしいから、単に私が水洗を使ったことしかなかっただけかも知れないけどね。
「3人いらっしゃいます。プリスキラ・ミラスコロード・タキシュ様、ワシュテア・ミラスコロード・シムオン様、シエル・ミラスコロード・アドラム様でございます」と、ハンナさんが言ったが、覚えられる気がしない。あ、意外と3人って少ない。100人くらいいるのかと思った。ロトラントさん、それなりの良識を持っているようだと思う。
「えっと、プリスキラさんと、ワシュなんとかさんと、シエルさん? 」
「ワシュテア様でございます」
「あ、ありがとうございます。えっと、その3人の方に、よろしくお願いしますと挨拶すればいいんだよね? 」と、ペニナさんに聞いておく。
「はい。今後、ササキ・アリサ様もこの3名の方同様、ロトラント・ミラスコロード・アルウェルス様を支えていくことになるかと思います。今回の茶話会は、親睦を深められるよい機会だと思われます」とペニナさんが言った。
なるほど、双方の顔見せ的な意味合いが多いようだ。とりあえず、ロトラントさんの妻になるつもりはないから、3ヶ月の間、仮住まいさせていただく旨、きっちりと話をしておいた方が良いだろう。後宮という所は、陰湿なイジメが存在する場所という先入観がどうしても抜けない。
というか、先にペニナさんに、ロトラントさんの妻になるつもりはないことを言っておいた方が良いのだろうか。ペニナさんは、私が彼の妻になること前提で話をしている気がする。う~ん、言っておいた方がいいのか、情報が少なさ過ぎて判断ができない。
「ササキ・アリサ様、私は、お茶を用意して参ります。少々お待ちください」と言って、彼女は軽く一礼をしてから部屋から出て行った。
私も、ベッドに寝転びたい気持ちだけど、服に皺がついちゃいそうだし、ハンナさんが衝立の後ろにいるということで、あまり粗相ができない気持ちになる。私は、おとなしく窓際に行き、椅子に座った。私が椅子に座ったほぼ同時ぐらいにハンナさんの演奏が始まった。お風呂のときよりも少し主旋律がはっきりとしている曲だ。曲名は、相変わらずわからないけれど。まぁわかる訳もないしね。
窓からは、庭園が見える。右半分は、背の低い木が植えられて、真っ赤な花が咲き乱れている。牡丹の
花のような気がするけれど、ここからだと自信がない。左には、地面一面に芝生のような短い草が植えられていて、その奥の少し小高い場所に小さな木組みの建物が見える。丸い屋根だけで、壁がなく、座る場所がここから見えるから、きっとお茶でも飲む用の建物なのだろう。なんか、大学のサークルでバーベキューをしたログハウスにも似ている。BBQをする建物とかかもしれない。
トントン、という軽いノック音が室内に響き、ペニナさんが入って来た。右手の掌にはお盆を載せており、ポットとコップが見える。
「ササキ・アリサ様、お待たせしました」と言って、ペニナさんはテーブルにコップを置き、それにお茶を注ぐ。何かの花の香りが漂う。お茶に何の花が使われているのも気になるけど、もっと気になるのは、コップが一つということ。私一人が飲むのだろうか。私がお茶を飲んでいる間、ペニナさんは何をやっているのだろうか。ずっと部屋で直立不動で待機されていても悪い気がしてお茶もおいしく飲めないんだけど…… 。それに、ハンナさんも、ずっと演奏していて指が痛くならないのだろうか。椅子はあと一つしかないけど、ハンナさんが演奏の時に使っている椅子をこっちまで運んでくれば、全員が座ってお茶を飲むことができると思う。
「ありがとうございます。よかったら、ペニナさんも、ハンナさんも一緒に飲みませんか? 」と、提案してみる。
「と、とんでもありません! 」と、ハンナさんから一瞬で却下された。まぁそうだよね。私も、居酒屋のバイトをしている時、お客さんから一緒に飲もうとナンパ的なことを言われたけど、勤務中ですからとか言って断ったし。それと同じ感覚なのかも知れない。
私は、お茶を飲みながら窓の外を眺めた。話相手になるというのも、ペニナさん的にはアウトらしいからだ。一人でお茶を飲む。これは本とかが必要になりそうだなと思う。とりあえず、ペニナさんに、部屋に本が欲しいと注文をした。後宮の中では見たことがないが、どこかで探して来てくれるらしい。ザントロスでも本は希少品のようだ。恋愛小説が読みたいとか、変な注文をつけなかったのは正解だと思った。どんな内容の本を持って来てくれるのか、少し楽しみ。




