3ー6
村の西外れにある山の七竈が赤い実を付けた。村の子供、仲良し三人組のベト君、ヘト君、メトちゃんと、西門の小川を越え、七竈の実を取りに行くことになった。普段なら礼拝の後は、教会の庭の木陰で、三人に、ロゼさんからもらった童話を読んで聞かせたり、童話の内容を地面に書いて、文字を教えたりている。でも、今日は、秋の祭に飾る赤い実を取ってくるというお使いを子供達は頼まれているらしい。礼拝堂は、村の会議が引き続きあるということで、礼拝堂の掃除は夕方近くにすればいいということで、特にやることもなかった私は、子供達と山に一緒に行くことにした。まぁ、引率という名目で、一緒に遊んでもらう。
私の手には、村の西門を抜けた小川の岸に咲いていた菊の花。真夏の太陽を水で少し薄めたような黄色の花びらを見ると、心が少し温まるように感じる。
「その花、美味しくないよ」と、菊の花を摘んでいたら、ヘト君が話しかけた。「部屋に飾ろうと思って摘んだのよ」
「ふーん。お姉さんだと、食べちゃいそうだからさ」と、ヘト君。そして、それに黙って頷くベト君。さらに、「美味しいお花、メトが教えてあげるね」とメトちゃんが発言。いや、だから食べようと思ったんじゃないんだけどなぁ。まぁ、お母さんが作ってた、菊のお浸しを思い出してたのは事実なんだけどね……。
そんな寄り道をしながらも山に到着した。
七竈の葉は、鮮やかだった緑から鈍い緑へと変色している。既に紅色に染まった葉もあり、秋の到来がもうすぐだということを教えてくれる。
メトちゃんはベト君に肩車してもらい、七竈の実を手で掴み取ろうと、必死にバランスを取りながら両手を伸ばしている。私が両手を伸ばして、背伸びをして、やっと届く枝がいくつかあるというくらいの木の高さだから、メトちゃんの手は枝には届かない。肩車をされたまま、木の廻りをうろちょろして、やっと、枝の先の葉っぱをメトちゃんは掴めた。そして、掴んだ葉っぱを引っ張り、枝を下げようとする。だけど、枝を掴む前に、葉っぱが裂け破れてしまい、枝は何回かしなったあと、また枝は届かない位置に戻ってしまう。私は、それを少し離れたところに座って眺め、心癒やされる。
なぜ少し離れたところに座っているかというと、枝がしなった反動で、毛虫とかが落ちてくるのが怖いからだ。毛虫とかいないかもしれないけど、もしかしたら落ちてくるかも、と一旦想像してしまうと、その恐怖が頭から離れない。
ヘト君は、木に登って、既に何房かの赤い実を地面へと落としている。
ヘト君の作戦勝ちだった。ベト君、メトちゃんの肩車作戦では、一房も枝から実を取ることができず、ヘト君が落としたのをみんなで拾って持って帰った。秋の祭りに使うのは、家一軒に実が四、五個あればよいらしい。それぞれが両手に一、二房を持って、帰路についた。
私は、教会に戻ったあと、食堂の食卓の上に、コップに差した菊を一輪飾った。そして、七竈の実を、二、三個、そのコップの脇に置く。私は、食卓から四、五歩離れた場所から食卓を眺める。食卓の焦茶色、菊の色、七竈の実の色のバランスが良い。食卓はいつもの無味乾燥な物ではなく、華やかで、風流を感じさせる。私って、生け花の才能があったのかな。七竈の赤い実を、コップの脇にさりげなく置くという発想に、センスを感じるなぁ、と自画自賛。
二階で勉強しているコルネリウスを呼んできて、この食卓の上の芸術作品を鑑賞させた。私はもちろん、得意顔。
「七竈の実かぁ。一籠くらい取ってきてくれたら、お酒に漬けて、果実酒にできるよ」と、ものすごくそのお酒を飲みたそうな顔をしながら言うコルネリウス。
コルネリウスが二階に戻った後、私は、一人で籠を持って山にまた出かけた……。
ちなみに夕食の時、バルナバ神父は、「自然の恵みですね。とても綺麗です。コルネリウスと男二人だった時には考えられない光景ですよ」という感想を言ってくれた。さすがはバルナバ神父。コルネリウスは、まだまだ修行が足りない。少しは女心を学べ!
・
七竈の実を取りに行って、二日後、ついに秋祭りが始まった。王都から取り過ぎた分の小麦もめでたく戻ってきた。村の話し合いの結果、小麦が戻ってきた分、倉庫の備蓄が過剰になったので、今年の秋祭りは例年より豪勢にすることに決まったらしい。私とコルネリウスは、広場でパンを焼く役割になった。
茶色いレンガが積まれ、その上に鉄板が置いてある。即席のパン焼き用の竈だ。私の感覚からすると、焼きそばを焼く屋台のような感じだけど。ここで焼いているのは、インドのナンのような感じ。カレーがないのが残念だけど、そのまま食べても結構美味しい。二つ隣の出店で、普段は野菜を売っているおばあさんが、自家製のブルーベリーに近い味のジャムを出していて、それを付けて食べると美味しいと評判だ。ここでパンを受け取って、おばさんのところでジャムを付けてもらう、という村人達の動線が出来上がっている。
「ごめん、交代。二の腕が疲れちゃった」
「いいよ。そっちの、もう裏焼いてあるから」
私は、朝からずっとパンをこね続けている。パンが焼けるのを待つ行列はなかなか減らないから、休憩も出来ない。コルネリウスも、鉄板からの熱で、額に汗をかいている。ちょっとこの肌寒い気温だと、汗が冷えると風邪を引いてしまうかもしれない。
「はい。お待たせしました。熱いので気をつけてください」
「美味しそう。はい。あなたに幸せを」
「ありがとうございます。不幸を共に」
焼きたてのパンをカシワの葉で挟んで渡す。そうすると、受け取った人は、七竈の実を、一つ、「あなたに幸せを」と言って渡してくれる。それに対して、「不幸を共に」と言いながら、自分の持っている七竈の実を一つ渡す。これが秋祭りの風習だ。幸福と不幸を一緒に分かち合いましょう、ということらしい。
村が運命共同体的のようなものだから、この風習が生まれたのだろう、と民俗学者を気取って、素人ながらに分析。タキトス村の柳田國男とは私のことだぁー、なんて心の中で叫んじゃっているのは、祭りで気分が高揚しているからにしておく。
昼の教会の鐘が鳴ったころが、行列のピークだった。やはりお昼の時間は、みんなお腹が空くのだろう。昼にはもっと人がたくさん来るだろうと予想して、たくさんパン生地を発酵させておいて正解だった。
ちなみに、今日の昼の鐘は、バルナバ神父が鳴らしてくれている。教会の入り口の前にも、七竈の実が置いてある。村人達は教会に行って、自分の七竈の実と教会に置いてある七竈の実を交換する、というのも秋祭りの風習の一つらしい。やって来た村人達に挨拶をするので、バルナバ神父は教会に残っている、まぁ、留守番に近い。日本で祭りの際に、神社にお参りするのに感覚として近いと思う。秋祭りの文化的背景とか、コルネリススに聞いてもいいんだけど、コルネリウスのそういう話は、長く、固い話になるから、自分からは聞かない。
「有沙、祭りを見て回ってきてもいいよ。もう一人でも大丈夫だ」
二時近くになって、コルネリウスが言った。村人全員分のパンを作ったんじゃないかと思うくらいパンを焼いたから、屋台に来る人もだいぶまばらになった。
「え、いいの?」
「初めての秋祭りだろうからね。楽しんできて」
「ありがとう。じゃあ、いってくるね」
私は、小麦粉と跳ねた油で汚れたエプロンを外した。
「あっ、これ持っていって」
コルネリウスが渡して来てくれたのは、手で抱えるようの竹籠だった。村を回れば、いろんな場所でいろんな品を貰えるから、籠を持っていかないと途中で。物を持ちきれなくなるらしい。
「ありがとう。そうだ。はい。あなたに幸せを」
私は、自分の持っていた七竈の実を一粒、コルネリウスに渡した。
「……」
「ん?」
「あ、ありがとう。はい。幸せを共に」
私はコルネリウスから、赤い実を受け取った。
まずは西門に行ってみることにした。西門は、工房が多いから面白そうな物がありそうだと思ったからだ。
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私が西門付近で、最初に会ったのはヘト君だった。
「ヘト君。こんにちは。あなたに幸せを」
「お姉ちゃん、こんにちは。不幸を共に。これお父さんが作ったの、あげる」
ヘト君が渡してくれたのは、木のお椀だった。ノミで丁寧に彫り込まれたお椀で、汁椀にちょうど良い。他のお椀を見たわけじゃないけど、木の木目を活かすように掘ってある。きっと、一品一品、作った人の心がこもっているように感じる。
「ありがとう。凄い綺麗なお椀だね。これ、いただきます。ありがとうございます」
店の中で、作業をしている男の人にも声を掛ける。たしか、ヘト君のお父さんの名前は、レシュさんだった。実は、顔は知っているけど、名前は知らない、というか忘れちゃった村人がたくさんいる。最初に自己紹介してもらったけど、たくさんの人から名前を言われて、憶えきれずにいたりする……。レシュさんは、ヘト君のお父さんということで、ぎりぎり憶えてたけど……。
「こんにちは。いつもこいつと遊んでくれてるんだってね。ありがとうね」
ヘト君のお父さんが作業を止めて、店先に出てきてくれた。そして、ヘト君の頭を大きな手で撫でながら、私に話しかけた。
「すみません。立派な物をもらっちゃって」
「お互い様だよ。アリサちゃんが作ってたパンも、美味しかったよ」
お礼をしながらも、ヘト君のお父さんがパンを食べに来たという記憶がない。パン生地を捏ねるのに必死だったからかも知れない。「ありがとうございます」と、無難に答えておく。そして「綺麗な木目ですね」と、もらった汁椀を褒めた。
「この椀も、その実と同じ七竈の木を使ってるんだよ」
レシュさんは説明してくれた。七竈は丈夫で、その木で作った家具や食器は長持ちするそうだ。
長居をして、レシュさんの作業も邪魔をしては悪いので、ヘト君に、「またね」と言ってお暇した。
西門では、他に、鍛冶屋さんとか、織物屋さんを廻り、赤い実交換の同じやりとりをした。相手は、私の名前を知っているのに、自分は相手の名前を忘れてしまっているという気まずい状況だった。新しく人が来るのが珍しいタキトス村では、私は久しぶりの新入り。村の人達からすると、私一人の名前を覚えればいいけど……。私はたくさんの名前を覚えなければならない。それは仕方が無い、と心の中で言い分け。
鍛冶屋さんでは、材料が高価なだけに秋祭り用の品物を出していなかった。さすがに、村で購入が一元管理されている鉄を、出品する訳にはいかないのだろう。
織物屋は、手ぬぐいをもらった。綺麗な夕暮れの色だ。たぶん、『鶴の恩返し』などの童話に登場したような機織りで織られた手ぬぐいを、染めたものだろう。店主と、その奥さんらしき人の顔は見たことあるけど、名前忘れてしまっていてもうしわけない。
「ありがとうございます。不幸を共に。綺麗な色の手ぬぐいですね」
私は、染料の正体を聞いてすこし驚いた。この夕暮れのような色は、虫を煮て作った液体で染めた物らしい。色素の基となった、テントウムシのような感じの虫を見せてもらった。乾燥させたこの虫を、細かく砕いて煮込むらしい。染め物って、花とか草とかが原料とばっかり思っていたけど、虫とかも染料に使われるらしい。
「この色、七竈の色かと思いました」と感想を言った。染め物屋の店主とその奥さんらしき人は、「七竈の赤色は、木を煮込んでも、実を煮込んでも、なかなか定着させるのが難しいんだよ」と、少し残念そうな顔をして教えてくれた。確かに、洗っても落ちないように染めるって、どうやるんだろう。前の世界でも、藍染とかどうやってたんだろうと、今更ながら疑問に思う。青は藍より出でて、藍より青し、という諺とか有名だったけど、それ以外知らないし。もし染める方法を知っていたら、教えてあげられるのにと、残念に思う。
東門では、薬屋さんから、風邪薬をもらった。いろんな草木、花、実をすり潰して粉にしたらしい。綺麗なあぶらとり紙みたいなのを、丁寧に四つ折りにして、その中に薬が入っていた。粉物だから、湿気てしまって腐ったりしないように工夫されているらしい。直射日光に当たるような所は避けて、保存するようにとアドバイスをもらった。前の世界も、薬は、高温多湿、直射日光を避けて保管するようにと薬の入った箱に注意書があったことを思い出して、どこの世界でも同じだなあと、一人で笑ってしまった。
そして、東門のメルさんの宿屋の食堂には、メルさんの他に、ザインさんとダレトさんがいた。メルさんは、食事の片付けで急がしそうだ。秋祭りの実行委員会、村の偉い人達の待機場所となっている場所だから、食事を出したりと今までも急がしかったのだろう。七竈の実を交換する暇もなく、挨拶だけで終わってしまった。
ザインさんとダレトさんは、食堂の奥の席に座っていた。
「ザインさん、ダレトさん。久しぶりですね。小麦を届けに来たの、ザインさん達だったんですか?」
「ササキ・アリサさん、こんにちは。お久しぶりですね」入り口から見て、手前に座っていたダレトさんは、立ち上がった。
さらに、「王都のお土産があるんです」と、胸元から紐の輪っかを取り出し、私に差し出した。私はそれを受け取って、掌のそれを眺めた。赤と青の二種類の紐で作られたミサンガみたいだ。
「ダレト! 」ザインさんが突然、立ち上がりながら大きな声を出した。叫んだと表現してもいいくらいだ。私とメルさんは驚いてザインさんの方を見た。ダレトさんは特に気にした様子はない。
少しの沈黙のあと、「あ、いや、何でも無い」と、ザインさんが言った。メルさんは、「若いって良いわねぇ」と食器を抱えながら笑いながら食堂を出て行った。
「よかったら使ってください。魔除けの効果があるとされる物です」と、ダレトさんは、何もなかったように話を続けた。
「あ、もらっちゃって良いんですか? 」
「ええ、もちろんです」
「ありがとうございます。大事にしますね。あなたに幸せを」
私は、七竈の実をダレトさんに渡した。ダレトさんは、テーブルに置いてあった自分の実を手に取って「幸せを共に」と言って渡してくれた。
「ダレト! お前いい加減にぃ」「ザインも秋祭りですよ」
ザインさんの発言を、ダレトさんが遮って言った。この二人、仲悪くなったのかなぁ、と心配。
「ああ」とザインさんは立ち上がって、テーブルの赤い実を取った。
「ササキ・アリサ! あなたに幸せを」
正面に居るのに、大声でザインさんは言った。正直、五月蠅いくらいの大きな声だった。
「あっ、ありがとうございます。不幸を共に」と、私は言って、実を交換した。
ザインさんは、その実を受け取ると、無言で食堂を出て行った。階段を登っていく音がしたので、宿泊部屋に帰ったのだろう。
「あ、ダレトさん。すみません。私、行きますね」
「そうですか。ではまた。私達は、明日まで村に滞在する予定ですので、何かあったら声を掛けてください」
微妙な雰囲気のこの場所から早く立ち去りたい気持ちもあったので、私は足早に食堂を出て、パンを焼いていた屋台へと戻った。
・
「ササキ・アリサさん。あなたに幸せを」
広場のパンの竈などの撤収作業を終えて、教会への帰り道、見たことあるけど、名前を忘れちゃった男の人が話しかけてきた。会った記憶があるんだけど、名前が思い出せない。あちらは私の名前を知っているし、確かに会ったことはある。
「ありがとうございます。不幸を共に」
とりあえず、社交辞令的に、無難な対応をした。名前も失念しちゃったその人は、七竈の実の交換が終わると、そのまま立ち去って言った。
「あの人、どなただったっけ?」
コルネリアスが、少し困った顔をした。
「農家のラッシだよ。友達だと、紹介したと思うんだけど」
「あ、思い出した」
ラッシさん。そうだった。礼拝の日に、コルネリウスと仲よさそうに話しをしていて、コルネリウスに話しかけたら、ラッシさんの紹介をしてくれたんだっけ。村一番の力持ちで、寡黙だけど真面目に働くという評判の良い人だった。すっかり忘れてた。夕日に照らされて、徐々に遠くなっていくラッシさんの背中を見つめながら、今度は名前を忘れないように、ラッシさん、と名前を反芻した。